17

 

 皆が頭を下げるなか、村の代表として村長が小袋をリューデルトに手渡した。
 それを受け取り、魔術師は中身を確認することなく懐にしまう。
 彼らには自分たちの素性を明かしているし、まさか恩人である勇者を騙すことなどないだろうと判断してのことだ。それに、たとえ求めた正規の報酬の半額よりもさらに下回る金額がそこに収められていたとして、それを咎めることはない。自分たちが魔族の討伐で生計を立てているわけではないし、無暗に人を疑いたくもないからだ。
 そう、報酬に関する話を、雑談がてらに村を訪れる道中である程度聞いていたリアリムは理解していた。

「ありがとうございます、勇者さま。おかげさまで身を落ち着けて日々を過ごすことできます……」

 そう改めて深々と頭を下げた村長の隠れた顔に、濃い疲労が浮かんでいたが、村の周囲をうろついていたスルフェドが討伐されたことにより、それもいくらかは和らいだようだ。
 村人たちも皆不安に眠れぬ夜に苛まれていたのか、勇者一行が村に訪れた際には一様に暗い表情をしていたが、魔獣が消えたことが口伝いに広がっていけば、大抵の者が口元を緩め安堵の色を滲ませていた。
 ラディアたちは報酬の低さから色々と推測を立てていたが、村の貧困は予想を超えていたらしく、示された金額はかき集めてどうにか絞り出したものだったらしい。
 というのも前回の作物の収穫期にも、今回の魔猪とは別の魔獣が現れ暴れ回り、その退治に金を出し合った後だったからだ。事情を教えられたリューデルトはこの村をひどく憐れみ、畑に豊穣の祈りを捧げてやっていた。
 勇者やラディアも他の獣や魔獣が近寄らないように、村の周囲に聖水を振りまき、効果が少しでも持続するように勇者自らそのための魔術をかけていた。所詮は気休めで短期間の効果しかないが、勇者自らの加護とも言える行為そのものに村人たちの荒んだ心は癒されることだろう。
 勇者一行として三人がそれぞれ働いたなか、リアリムはただそれらを眺めているしかできなかった。
 この人は誰だろう、という遠慮がちな周囲の視線を感じたが、それもそうだろう。勇者と、そしてその供の魔術師と剣士。それぞれが魔王討伐のために旅をして、各々の役割を持っているが、リアリムはそこに加わった特殊な体質の、ただの一般人に過ぎないのだから。
 彼らが問題のスルフェドを探しに外に出た際、リアリムは村長の家に残るよう言い渡されてその場に留まったが、気遣ってくれる村人たちにむしろ居心地の悪さを感じてしまった。魔獣の影響か、人々の纏う雰囲気はどれも重たく、誰しもが疲れ切っていた。いくら勇者が魔獣討伐を引き受けたとしても、結果を聞くまで安心することなどできないだろう。
 不安と疲弊が積み重なるなかで、これ以上彼らの負担を増やしたくはなくて、リアリムも家屋を出た。
 彼らが帰ってくるまではずっと勇者の愛馬であるシュナンカの隣にいて、ヴェルと遊んでいた。始めは薬草でも拾いに散策しようかとも考えたが、勝手に出歩いてもいざというとき勇者たちを困らすだけであるし、やはりあいつは誰だ、とでも問いたげな視線が気になってしまったのだ。
 魔獣の屍を背負い戻ってきた勇者たちは、ささやかな祝いの席を設けられ、小さな宴が終わりを迎えた頃には月が真上を過ぎて久しい頃合いとなっていた。
 当然のように村長は宿の提供を申し入れ、勇者たちは翌日の明朝に村をたち、もといた町ツェルに戻ることを決める。勇者たちがいたならば、彼らのようやく得られた休息を妨害してしまうだけだからだ。
 勇者一行に貸し与えられたのは、またも二部屋だった。それぞれの部屋にふたつずつ寝台は用意されているそうだ。
 どのように別れるかと四人で話し合うよりも早く、当然のようにリューデルトとラディアは同じ部屋に入っていく。あまりにもあっさりとした行動に目を瞬かせながらも、二人の背を見送ったリアリムは、後ろの勇者の反応を見るのが恐ろしく思えて振り返れなかった。
 どうしたものかと内心で唸るリアリムを余所に、勇者はもう片方の扉を開けて中に入っていく。開け放たれたままの通路に、ついて来い、と言われているようで、リアリムは躊躇いを残しながらも誘われるように同じ部屋に足を踏み入れる。
 当然のように勇者は窓際の寝台に向かい、その上に羽織っていた外套を脱ぎ捨てる。人肌に触れぬようにと厳重に手を隠していた覆いや腰に巻いた装備などをひとつひとつ解いていく。あえてその姿を見ないように、リアリムは不自然に勇者に背を向け斜めに歩きながら、同じように服を緩めた。

「おい」

 胴締を腰から抜き取りきったところで声をかけられ、あからさまなほどに肩が跳ねた。過剰な反応を見せてしまったことに、羞恥からじわりと頬が赤くなっていく。
 昨夜のことを、決して忘れたわけではない。リアリムは確かに、勇者に抱きしめられ、己も隙間なく抱きしめ返し、同じ体温に染まりながら眠りについたのだ。悪夢に起こされたのは明け方にほど近かったということもあって、それは短い時間だったのだろうが、リアリムは故郷を旅立った後に深く眠ったのはあれが初めてだっただろう。
 ともに寝ようとしたのも、なにか深い意味があってのことではないのだろう。人を寄せつけてはならなかった勇者はきっと、ひどく人肌に飢えていたのだと思う。だから気兼ねなく触れられる、リアリムという生身の人間の素肌を求めたのだ。リアリムであってもなくても、触れられる、という条件さえ当てはまっていれば誰でもよかったはずだ。
 今夜も、あの時のように同じ寝台で眠るのだろうか。もしかしたら、また抱きあって。
 求められたのであれば、リアリムが首を振ることは決してないだろう。彼が勇者ということはあるが、なにより、恐ろしい力のせいで自ら人との接触を禁じてきた勇者のあの指先の冷えを、震えを思い出せば、拒否できるわけがないのだ。
 そろりと振り向けば、そこに予想していたいつもの無表情はなく、勇者は少し不機嫌そうな顔をしていた。
 やはりリアリムの反応が気に障ったのだろうか。一気に血の気を引かせていくリアリムに気がついたらしい勇者が、わずかに寄っていた眉間の皺を解き、声をかけようと口を開いた、そのときだ。
 勇者ははっと目を見張ると、弾かれたように窓の外へ顔を向けた。
 明らかに何事かを察知した様子の勇者に、リアリムにも緊張が走る。みるみる顔を強張らせている間にも勇者はしばらく思案顔をした。
 やがて、勇者は自分の荷物が放られた寝台へ向かった。そこで外していた手袋だけを装着して、大股で部屋を飛び出す。
 一瞬悩んだが、リアリムも慌てて後を追いかけた。彼はすぐ隣の部屋に向かっていたらしく、扉を出てすぐのところで足を止めていた。
 いささか乱暴に戸を叩く。先程別れたばかりでまだ眠っていなかったのであろうリューデルトがすぐに扉を開けた。

「どうかなさいましたか?」
「部屋でも変えてほしいのかあ?」

 リューデルトの背後から茶化すようにラディアが笑う。勇者は一言も語ることはなかった。
 横から眺めるリアリムにはいつもの無表情に見える表情となっていたが、長く旅をともにしてきたリューデルトには何事が感じるものがあったのだろう。表情を引き締めると、すぐに道を開け、勇者を中に招き入れた。
 入室した勇者の顔に、それまで寝台に横になって寛いでいたラディアも起き上がって胡坐を掻く。先程あげていた声を思わせる呑気さはどこにもなく、いつになく引き締められていた。いつも飄々と笑っている印象のあるラディアだが、今見せるそれは、魔物が出現したとの報告を受けたときに似ている気がした。
 あのときはひどく気が動転していてはっきりとは覚えていないが、ラディアの瞳の奥に揺らぐ仄暗い色を見たように思う。
 リアリムは訳が分からないまでも、言葉のない三人から重苦しい雰囲気を感じ取り、一人入り口脇の壁に立っているしかできなかった。
 やはり来てはならなかったのではないか、とも思ったが、今更戻ると声をあげることも、動いて空気を震わすことも彼らの邪魔になりそうで、ただ息を潜めてじっとしていることしかできない。
 剣士でも、魔術師でも、ましてや勇者でもないリアリムを置いて、三人は顔を見合わせる。

「魔族の気配がする」

 皆が勇者の言葉を待ち、ようやく聞かされたそれに顔色を変えたのはリアリムだけだった。ラディアとリューデルトはまるで動じていない。恐らくある程度は予測していたのだろう。

「ここに来るのですか」
「いや、もっと遠い。東のほう。地図を出せ」

 浅く頷いたリューデルトは、寝台の下にまとめられている荷物に向うではなく、ぱん、と一度手を叩く。重ねた掌を離すと、そこからそれまでなかったはずの丸められた紙が一枚現れる。 
 リアリムが瞬いている間にも、リューデルトは結ばれた紐を解き、紙面を広げた。勇者に求められたものである、この世界の地形が刻まれた地図だった。
 リューデルトは一度地図をラディアに預けて手を空けると、東の大陸の南東辺りをちょんと突く。すると全世界を描いたそれが、指で触れた近辺を拡大したものに変わった。これも魔術の一種なのだろう。
 見やすくした地域は、今リアリムたちがいる付近だ。小さなこの村も、ツェルの町も、その周辺の人の住む場所も記載されている。
 無意識にリアリムは己の故郷を探したが、在るべきところには見つからなかった。それはあの集落があまりにも小さかったからなのか、それとも今はもうなくなっているからか、答えを知ることはない。
 勇者は重要な部分が広く表示された紙のうえの、とある一カ所を指差した。
 それは海に面した港町、スーリだ。ツェルの町を基点にして東にあり、この村とは正反対に位置する。交易船が立ち寄るところで、ツェルよりも栄え賑わっている場所だ。そして、それだけ人も集まっていた。

「感知されたということは、相手は魔人ということでよろしいですか?」
「二十二体」

 肯定と同時に、町を狙った魔族の種類、そして数が判明した。あまりの数字にリアリムは言葉を失い、ラディアは天を仰いで深く息を吐いていた。

「そりゃもうどうしようもねえな。そこらにいるやつじゃ防ぎきれない。確実にスーリを潰す気だ」
「ここからでは間に合いません」

 これが、魔獣が二十二体、ともなればまだ希望はあっただろう。しかし相手は魔人である。町の存続はもはやないものと考えたほうが早かった。
 魔獣が獣の対になる者だとするならば、魔人は人間と対になる存在である。同じく人の形をしているが、彼らには翼が生えていたり、牙や角があったりするのだという。リアリムは魔人を見たことがないので噂でしか知らないが、彼らは全員の肌が浅黒いのが特徴だそうだ。そして寿命の平均も、人間より五十年ほど長いらしい。
 魔人は出生率が低く、そのため数はそれほどいない。人口でいえば人間が圧倒的に有利で、そのため勢力として現在は人間側に分があるという話だ。
 しかしそれだけ総数に差があったとしても、決して魔人が消え去ることがないのは、彼には人間よりも高い確率で魔術を操る者がいて、たった一体だとしても強敵になりかねないからだった。それほど魔術が扱えることは、何事においても優れているということだ。
 スーリに向かったという二十二の魔族。数だけみれば町を崩壊させるなど無謀だと思うだろう。人間側にも魔術師はいるし、栄えている場所にはそれだけ優れた警備もあり、傭兵なども立ち寄っていることもある。総力を結して抵抗すれば魔族といえども跳ね返せるだろう。しかし相手は、二十二もの、魔人なのだ。
 ラディアは顔を前に戻すと、がしがしと後ろ頭を掻いた。
 魔族の襲来を知ってもなにもできない歯がゆさからか、まるで苦虫を噛み潰したように表情を歪ませている。同じようにリューデルトも沈痛な表情を浮かべているし、リアリムとて顔を青くさせるしかできない。そんななかで唯一、恐ろしいことを告げた勇者だけがいつもの様子のままだった。
 以前ワンナの町で魔物が出現したときもそうだったが、勇者は魔の気配を読むことができるのだろう。どの程度なのかはわからないが、今回は魔人の数を把握していたのだから、力の強い者に関しては鋭いのだと思われる。リューデルトも、感知していたのであれば、と前置き魔人を口にしたのだから、そこいらにいる魔獣に対してそれほど勘は働かないのではないだろうか。
 初めに魔人に気がついたのも勇者だ。だからこそ落ちつているのだろうか。それとも、いままでのようにその仮面の下でなにか渦ませているのか。

「――……挑発、かもしれねえな」

 ぽつりとラディアが呟いた。

「挑発ですか?」
「だってそうだろう。勇者が近くに来てるってのに、あえて近場の町をぶっ潰しに来るなんてよ。だが反対に、おまえを怖いって教えてくれているようなもんでもあるよな」

 ラディアは地図を見つめたままの勇者をちらりと見やる。まるで興味がないように、声が聞こえていないかのように、勇者が顔を上げることはなかった。
 代わりに言葉の意図を、どうしてそう思うのかとリューデルトが問う。

「だってそうだろ。わざわざ勇者がこっちの村に移動して、決して間に合わない距離になってからスーリを襲った。自分たちの身の安全は確保されるし、勇者の神経逆撫でさせることだってできるじゃねえか。もしツェルにいたままだったら、魔人どもを数人でも始末できたかもしれねえんだぞ」

 ツェルと港町スーリはそれほど距離が空いているというわけではない。一瞬にして辿りつけるわけではないし、ワンナからこの村までよりかは遠いが、それでも朝から馬を走らせれば一晩経たずして辿り着くことができるのだ。ましてや駿足ぞろいの勇者一行の愛馬たちならば、もっと早く駆けられるだろう。
 ラディアが言った通り、勇者が行けば魔人といえども何十人いようとも倒すことができる。きっと魔人の襲来に間に合いはしないが、勇者が襲われている町に向かうだけでも魔族に対する牽制や威圧を与えることもなるだろう。
 しかし、今回は距離がありすぎる。今から馬を走らせても、ツェルに着くのだけで半日近くかかるのだから、さらに遠くにあるスーリにはもう一日必要だ。
 いくらこの村のためとはいえ、もしワンナに留まっていたとするならば。すぐにでもツェルを目指せたのならば。今このときにも魔族に蹂躙される町が、人々が、少しでも救われたかもしれないのに、けれどもここからでは到底間に合いはしないのだ。
 魔族たちは決して勇者を侮ってはいない。用心を重ねたうえで、嫌がらせのように人々の命を吹き消していっているのだ。
 ふとリアリムは、とあることを思い浮かべて、口を開く。

「……今までにもこういうことはあったのか? 勇者の近くで、でも手がぎりぎり届かない場所で魔族が現れることが」
「――ええ。幾度かありました。恐らく我々の居場所を把握しているのでしょう。隠匿の術を使い魔族の目を晦ましてはいますが、人々の口に戸を立てることはできませんし、どうとでも探る手立てはありますから」

 躊躇う様子を見せながらも、リューデルトは浅く頷いた。
 魔族の気配を察知し、リアリムの故郷に足を向けてくれたという勇者。けれども彼は、間に合うことができなかった。
 リアリムは確かに魔を呼ぶ者であるのだろう。平穏な道中で幾度も魔族に襲われたし、町に魔物も、高山にしかおらぬ魔鳥とてリアリムの目の前に現れた。だからこそ、小さな集落を襲った魔狼も己のせいだと思っている。
 だがもし。もしも、あの魔獣が、ただのあてつけであったのならば。
 リアリムは口を噤み、勇者たちから目を逸らすように俯くしかできなかった。勇者たちがなにかを語らっているが、すべてが耳からすり抜けていく。
 やがて目線の先に靴先が現れて、リアリムが顔を上げればそこには勇者がいた。

「行くぞ」
「い、行くって、どこへ?」
「ツェルですよ。今から向かいます」

 勇者の代わりにリューデルトが答えた。もともとまとめていた荷物を背負い、リアリムにも出立の準備を促す。

「今からって、もう夜も深まっているのに? 今から馬を走らせるなんて危険じゃないのか?」
「それでも行くんだよ。たとえ間に合わなかったとしても、それでもおれたちにできることがあるのならやるんだ」

 今度はラディアが、すれ違い様に言った。そのまま部屋を出ていく。
 勇者もリアリムの前から姿を消した。彼の足音は聞こえなかったが、自分の荷物を取りに行ったのだろう。リューデルトさえもリアリムに声をかけぬまま、二人に続いて部屋を後にした。

 

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