金髪の青年を筆頭に、三人の男たちは一言も漏らさぬまま森を進んでいった。
周囲を警戒し、些細な音すらも逃さぬよう耳を立てる。やがて鼻についた焦げ付いた匂いに、金髪の青年の後ろを着いていた二人が互いに顔を見合わせた。
「音がしねえ。なのにくせえ。こりゃあまずいんじゃねえのか」
「急ぎましょう。まだ間に合うかもしれません」
栗毛の剣士と長髪の魔術師は再び深く口を閉ざす。ちらりと流された青年の視線にそれぞれが頷けば、彼は二人を置いて駆け出した。
道なき道を進み、行く先を阻む木々を避け、ほどなく開けた場所に出る。
辺りには焼けた臭いだけでなく、濃い血も混ざり満たされていた。鼻で先に感じていたとおりに、そこにあるはずの集落は人の住んでいた気配が破壊しつくされている。家屋はすべてが半壊以上に崩壊しており、火の手が上がっているところも少なくはない。地面には血が飛び散り、あちこちでは食べかすのように骨や靴、服などが吐き出されて投げ出されている。
村人たちは抵抗にと武器を手に取ったのだろうが、そのどれもが血に染まらぬままに大地に転がっていた。
青年は目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。微かに残る生物の気配を探しているうちに、魔の気が集まっている場所を感じ取り、すぐさま駆け出した。
見知らぬ村を迷わず一直線に進み、その先の森に飛び込む。勢いを殺さぬまま走り続け、そして察知した現場に遭遇した。
村を襲った魔獣たちが集まり、一様に木の根元に目を向けている。大きな影に隠れなにも見えないが、だがまさかただ木の根を見ているわけではないだろう。そこになにかがあるのは明白だった。
樹木の影から青年が身を出すと、六頭いた狼型の魔獣のうちの一頭が彼に気が付き弾かれたように振り返った。
くるりと向き直ると身を低くし、鼻っ面に皺を寄せて唸りをあげる。濡れる口元から覗く牙には人間の髪が絡まっていた。
一頭が気づけば当然他も青年の存在を知る。みな注目していたものから、すぐ傍にいる敵に殺気を露わにして毛を逆立てた。
六頭もの相手を前に、青年はただ一人。まだ置いてきた仲間は追いついてはいない。それでも顔色一つ変えることなく薄い唇を開いた。
「退け」
放たれた声音は落ち着き、静寂なものだった。しかし獣の唸りに溶けることなく、彼らの耳に確かに響く。
初めに青年に気づいた魔獣が怯んだように一瞬耳を下げた。だがその脇にいた魔獣が青年に飛び掛かる。
木々が伸ばした枝葉の隙間から差し込む陽光に、青年の持つ金色が煌めいた。
手にした剣振って血を飛ばす。
六頭すべての魔獣を始末した青年は傷のひとつもないどころか、返り血さえも、息も乱れることさえもなかった。
周囲に散る獣の死骸に囲まれながら、青年は彼らが興味を持っていたらしいものを高みから見下ろす。
背後から、ようやく追いついた仲間の一人、魔術師が青年の姿を捉えた。
「こちらにいらっしゃいましたか。村の様子は今、ライアが見ています」
「――恐らく村の中に生き残りはいない。ここを襲ったのはヘルバウルの群れだ」
青年の足元に散らばる死体を確認した魔術師は頷いた。
狼に似た姿を持つヘルバウルは、二十頭から三十頭ほどの群れで行動する魔獣だ。大型であり、立ち上がれば野生の熊にも匹敵する。彼らは大食いでも知られており、この小規模な集落の人口ではみな彼らの腹に収まってしまうだろう。
群れのすべてで狩りをするわけではなく、実際獲物を捕えにくるのは雌のヘルバウルが十五頭ほど。仕留めたものを巣に持ち帰る役割に五頭ほどが出てくる。村に人間の死体すら転がっていなかったということは、すでにほとんど回収された後だったのだろう。となれば生き残っているものがいるとはまず考えにくい。ヘルバウルは鼻が利くため、声を潜め隠れていたとしても見つかってしまうのだ。
青年たちが村に訪れた際感じたヘルバウルの気配は先程殺した六頭のみ。そして存在しない死体を考えれば、すでに狩りは終わりに程近い頃合いだったことが想定される。
「ライアも足跡からヘルバウルと見当つけておりました。どうやら間に合わなかったようですね……」
顔を伏せた魔術師はふと、青年の足元にいるヘルバウル以外の存在にようやく気が付いた。
青年が道を開けると、魔術師は指示されずともなすべきことを理解し、それに駆け寄り傍らに両膝をつく。
手を伸ばし、まだ温かな肌に触れて僅かに口元をほころばせた。
「まだ生きております……! ああ、生き残りがいたのですね」
「ヘルバウルどもに囲まれていた。診てやってくれ」
「はい」
魔術師は倒れ込む一人の青年の手を取り脈を計る。その間に目視で外傷がないか見て、呼吸も穏やかであることを確認した。
木の根元にあったのは、まだ生きた青年だったのだ。恐らく村人であるのだろう。外傷がないところを見ると、逃げ出したがヘルバウルに発見され、そして恐怖で気絶でもしたのだろうか。
魔術師が念入りに調べて、青年は無事であることが判明した。眠るように意識のない彼を魔術師が抱え上げ、準備が整うと先に金髪の青年が歩き出す。
しばらくすると村が見え、そこで仲間のライアが二人を待っていた。
「おい、リュドウ。なんだそいつは。生き残りか?」
「ええ。どうやら、彼だけのようですね」
息を切らしながら自分と同じくらいの体格の青年を運んだ魔術師、リュドウは、それほど距離がなかったとはいえすっかり息が切れていた。ライアに助けてもらいながら青年を比較的きれいでなだらかな芝生の上に寝かせてやり、ようやく一息つく。
ライアに事情を説明し、彼からも同じく報告を受けた。
やはり村はどこも同じような状況で、人の気配はなかったという。ヘルバウルも撤退した後なのだろう。
あらかた話の区切りが見えたところで、それまで沈黙していた金髪の青年が口を開いた。
「行くぞ」
「ああそうだな。戻ってこなかった仲間を探してまた別のやつがくる。狩りの後はとくに気が立っているし相手をするのは面倒だ」
「ええ、それにこの方の治療もあります。詳しく診ないとなりません」
金髪の青年の言葉に二人は頷く。
気を失った青年を今度はライアが負ぶさり、三人は足早に崩壊した集落を後にした。
ヘルバウルに嗅ぎつかれないよう時折聖水を蒔きながら、巣があると思われる方角とは反対に向かい距離をとり、男四人が落ち着ける場所を見つけ、それぞれ腰を下ろした。さらに魔術師が結界を張り、一時的に森から自分たちの気配を消す。
改めてリュドウが眠る青年の容態を確認し、問題がないことを確信した。
「それにしてもそいつ、ヘルバウルどもに囲まれてたんだろう? よく食われず無事でいられたな」
「奇跡的ですね。獲物は逃げられないようすぐ始末するはずなのに」
「いざ歯あ突き立てようとしたところにおまけが現れたってところか?」
ライアが口の端を持ち上げ金髪の青年に目を向けるが、彼は幹に背を預けて腕を組んだまま閉じた目を開けることはなかった。眠っているわけではない。単に彼は反応しないだけだ。
無愛想な青年の態度に慣れているライアはさして気にする風もなく、リュドウとの間に寝かせた生き残りの青年を見下ろした。
「にしても起きねえな」
「ゆっくりさせてあげましょう。もうじき日も落ちます。今日はこのままここで過ごしましょう」
リュドウが自身の荷に手を伸ばしたところで、これまで樹木の一部のようになっていた金髪の青年が立ち上がった。それに続きライアもよっこいしょと腰を上げる。
「じゃあおれらは食料とってくるわ」
「ここを頼んだぞ」
「はい。お二人ともお気をつけて」
「誰に言ってんだよ」
へらりとライアは笑いながら、表情をまったく変えない仲間とともに結界の外に出た。
二人が去り、リュドウはまず寝苦しくないよう青年の襟を緩めてやる。
恐らくろくに食べ物がのどを通らなくなるであろう彼が最低限の栄養を摂取できるように薬を作ることにした。
荷物を引き寄せ、中から薬草を取り出して布を敷いた地面に並べる。すり鉢を割れぬようにと包んでいた布から出しているところで、傍らに寝かせていた青年の瞼が僅かに動いた。
リュドウが青年の覚醒に気が付いたのは、彼が掠れた声をあげながら起き上がってからだった。
「――ここ、は……」
「ああ、目を覚まされたのですね。痛むところはございますか」
「……あなた、は」
青年はまだ微睡んでいるように、ゆったりと話す。視線もリュドウに向けられているものの、完全に認識するまでに時間がかかっているようだった。
鮮やかな紅蓮の瞳に内心で感嘆しながら、リュドウは手に持っていた鉢をそっと地面に置いて居ずまいを正す。
「はじめまして、わたしはリュドウ。旅の途中の魔術師です」
小さく微笑むリュドウの顔立ちはまるで彫刻のように整っている。すうっと通った鼻梁に切れ長の瞳は一見冷たい印象を与えることもあるが、穏やかな語り口調と柔らかな声音がそれを緩和させる。実際リュドウは調和を望むような人間であった。
「あなたのお名前は?」
「おれ? おれ、は……」
単に目覚めてすぐだからなのか、それとも意識の混濁があるか調べるためにリュドウが尋ねれば、青年は問われるがまま答えようとする。だが彼は名乗るよりも早く、それまで緩慢な動きであったのを一変させ、はっと気づかされたように辺りを見回した。
「ここは西の森――」
呟くと青年は立ち上がる。そしてふらつくこともなくそのまま走り出してしまった。
彼はようやく意識をはっきりとさせた。そして、自分が気を失う直前の記憶を呼び覚ましたのだ。それを察したリュドウは慌てて手を伸ばすも、制止する間もなく留めようとした相手はすでにその背を木々の影に隠されてしまっていた。
リュドウの張った結界の外に行ってしまったのを肌で感じる。すぐさま追いかけようと立ち上り駆け出すも、魔術師たちが一様に纏う長衣で足がもつれ転びそうになった。手間取っている内にも青年の気配は遠ざかっている。
彼はまっすぐ、滅びた集落のある方向へと向かっていた。
リュドウは周囲に人がいないのをいいことに、緊急時だからと裾を捲り青年を追いかけた。