23


 勇者とリューデルトは、予定通り一度、リアリムたちのもとに戻ってきた。
 リアリム自身のものと、周囲に張るふたつの結界を施し直して、まだ読み終えていない資料があるからと休息もそこそこに神殿に向かう。
 それからさらに一晩過ごした頃、リアリムは昼食のための食料を摂りに結界の外に出た。リアリム一人では獣に遭遇した際に対処しようがないため、ラディアも同行する。

「そろそろこんがり焼いた肉が食いてえなあ。干し肉ばっかだと顎が疲れちまう」
「あと少ししたら町で食べられるだろ。きっとリューデルトも今回は奮発してくれるんじゃないかな」
「だといいけどなー……リアム、もしあいつがケチりそうだったらおまえから言ってくれよ」
「大丈夫だとは思うけどな」

 雑談の間にも野草を摘んでは手にする籠に放っていく。ラディアも自分の知識の及ぶ範囲で選別し、リアリムの持つ入れ物に入れていった。
 神殿内に保管されている文献は、もう一度行けば読み終えるだろうとリューデルトたちは言っていた。しかしもしかしたら終わらず、日数が伸びることもあるかもしれない。それを考えれば限られた食料は節約し、なるべく自分たちでとったものを食べるようにリアリムとラディアはしていた。いざというとき神殿に籠ることになる二人に食料が渡せないと困ってしまう。
 今回も質素なスープになるだろう。最近同じものが続いているから、ラディアに飽きられないように今回は味付けを変えてみるかと、葉を摘みながら思案する。
 いつもと舌触りも変えられないものかと、刻むととろみが出る野草を見つけすぐさま手を伸ばそうとしたそのとき、突然にラディアの背に押し込まれた。

「わっ」

 不意のことに、手に持っていた籠の中身を零してしまう。けれどもそれに目がいなかったのは、リアリムでもわかるほど近くに気配を感じたから。
 はっと顔を上げると、そこには魔犬バウルが三体もいた。リアリムと庇うラディアを見て、今にも飛び掛かりそうな勢いで鼻先に皺を寄せ、身を低く構えている。

「な、なんで魔獣が……!?」
「知るか! とりあえずおまえは引っ込んでろよ、前に出るな」

 剣を抜き構えたラディアの言葉に、前を向く彼が見ているわけもないのにただただ頷いた。
 この森には神殿が隠されており、その周囲でしか咲かないとされる魔族が嫌うシロサイカの花がある影響で、魔族はいないはずだった。いくら神殿から多少距離がある場所に来ているとはいえ、それでもこの数日一度も魔獣には出会っていなかったのだ。この森の中に魔族はいないと、誰しもが判断していたし、その通りであったはず。
 それにもかかわらず今目の前にいるのは紛れもない魔獣だ。黒い毛に覆われた身体は、あのとき見たヘルバウルにとてもよく似ている。彼らの原種から派生して生まれた種類なのだからそれもそのはずだろう。だがバウルのほうが小柄で、色もやや浅い。毛も短めで、観察をすれば区別がつきづらいわけでもない。
 それでも過去の記憶は鮮烈で、リアリムの脳裏に蘇った光景に息をのみ、身体が強張った。
 思わず目の前の身体に手を伸ばそうとしたが、それがラディアのものであることを思い出して拳を握る。今彼に触れることは邪魔することに他ならない。
 何故、いないはずの魔犬がこのシロサイカの加護ある森にいるのか――三対のぎらつく瞳と対峙していると、彼らの視線すべてがラディアでなく自分に向けられていることに気がついた。そして、このときようやく自身の体質を思い出す。
 リューデルトの魔術のおかげでほとんど意識することもなくなっていたが、リアリムは魔を呼ぶ者。魔族を惹きつけてしまう体質である。もしかしたらリューデルトにかけてもらった結界が弱まり、それに集められてきたのかもしれない。
 普段はだらしない面の多い男だが、聡いラディアのことだ、きっとバウルが登場した理由などとっくに勘づいているだろう。だが、わかったところで対処しようがない。リアリムもラディアも魔術を使えないから、術をかけ直すなどできないからだ。もとより勇者の付き人に選ばれるほどの高位魔術師に代わることなどなれるはずもない。

「リアム、決して勝てない相手じゃない。だからおれがいいと言うまで動くなよ」
「ああ」

 ラディア一人であれば、バウル三体など楽な相手だっただろう。しかし自己防衛さえろくにできないお荷物がいるとすれば、それを守ることを意識せねばならないのだから難しくなってしまう。
 自分たちの脅威となるのはラディアであるとわかるはずなのに、それでも魔犬たちの視線はリアリムに集められる。それはこれまでと同じで、魔を呼ぶ体質は封じられているはずだが、魔族と遭遇すると彼らは一様にリアリムを狙ってきた。直面して感じ取られるなにかがあるのだろうとリューデルトは言っていた。
 普段であれば、ラディアが戦っている間にリューデルトがリアリムの保護をしてくれて、剣振る彼は思う存分に動き回れるのだが、今は二人だけ。それもリアリムは魔術による防壁を張っていないので剥き出しのままだ。鋭い牙や爪で容易に傷つけられてしまう。
 三対一、それも足枷を嵌めているという緊迫する状況下であるはずだが、これまで数々の戦いを繰り広げてきたラディアには焦りもなく、剣を握る手にも必要以上の力は籠められていない。かといって油断しているわけではなく、じっと相手の動向を見つめていた。
 リアリムができることは、言われた通りただじっとしているだけ。震えそうになる身体を押さえ込み、睨むようにバウルたちに目を向ければ、並ぶ三体のうち中央の魔獣が口を開いた。

『……かェ……オゥ、ヨぶ……』
『――ま、マ、まぉ……』
『コ、ろ……いらナ、イ』

 真ん中のバウルに続き両脇の魔犬も、頬を引き攣らせながら、喋った。

「え……」

 リアリムだけでなく、それまで冷静を崩さなかったラディアも動揺に目を見開かせる。しかし、驚いている余裕はなかった。
 唸り声を上げ、バウルたちが一斉に襲いくる。ラディアは剣を薙ぎ、リアリムはしゃがみ込み、身を守るため小さくなるしかなかった。
 耳を塞いでも獣の声は森に響いて、血の匂いが辺りに広がっていく。
 やがてすべての音が収まり、恐る恐る顔を上げれば、血濡れの大剣を肩に担いでリアリムを見下ろすラディアと目が合った。

「無事か」
「あ、ああ……ありがとう、ラディア」
「これがおれの役目だからな。とりあえず血の匂いに獣どもが集まってくるだろう。今日のところは戻るぞ」

 下に散らばったままでいた野草のいくつかは、リアリム自身が踏み潰してしまっていた。食べられそうなものだけを拾い集め、籠を抱え直してリアリムとラディアは結界の中に戻る。
 互いに腰を下ろして、ようやく一息をついた。

「まさか魔獣が現れるとはな。あとはリュドウたちが戻ってくるまでおれが食料は調達してくるから、リアムはここで待機するようにしよう」
「……やっぱりおれに引き寄せられてきたのかな」

 ぽそりと呟くようにリアリムは言った。
 剣についた魔獣の血を拭っていたラディアは顔を上げる。

「そうだな。普段現れることないところに出たとなりゃおまえが理由だろう。術をかけ直すとき、リュドウも忙しなかったから少し効力が薄れちまったのかもな」

 やはりそれくらいしか考えられない。今いる空間にいればリアリムには二重の結界があるようなもので、恐らくこれ以上魔族は集まらないだろうとラディアは推測した。
 リアリムは魔獣遭遇の驚きと感じた恐怖を引きずり、声を出すことなく摘んできた野草の選別をする。最後に慌てて拾ったとき、食べられないものもともに集めてしまっていたようだ。
 無言で手を動かすリアリムに、剣の手入れをしていたラディアが顔を上げることなく声をかける。

「――なあ、あのバウルたち、喋っていたよな? ほとんどなに言ってんのかわかんなかったけどよ」

 ラディアの言葉に、リアリムは先程のことを思い出して一度手を止めた。
 唸り声を上げていたはずのバウルたちは、ラディアも聞いていた通り、確かに人間の言葉を話そうとしていた。だが魔獣が人語を使うなど聞いたことがない。それは見聞の広いラディアとて驚いていたのだから、リアリムと同じく動揺しているのだろう。
 魔犬自身も話すことは到底得意でないように窺えた。なにかを語りかけようとしていたが、本来は自分たちが理解する鳴き声を発する喉。人の言葉を扱うには向いていない構造だったのか、ほとんど聞き取ることはできなかったし、彼らもまとにも言えていなかっただろう。
 だが時折、リアリムでも認識できる単語は拾えた。
 “呼ぶ”と“いらない”。他にもなにか言っていたが、それは言葉としての形を持たずわからない。それらがなんの意味を持ち口にされたのかも、今や死体として転がっている魔犬たちから聞くこともできないし、尋問していたところでまともに話せないのだからろくな答えも得られなかっただろう。
 あれは、偶然だったのか。
 魔獣の声が人の言葉のように聞こえただけが。だがそれにしては、明らかに鳴き声とは異なるものだった。
 ならばやはり、なにかの意図をもってか。だとしたなら一体なんの意味がある。なにをリアリムたちに告げようとした。
 三対のバウルの瞳を、そこにある底のない闇を思い出し、震えそうになる手を拳に変える。

「鳴き声、にしちゃ変だったよな。なあおまえはどう思う? ……リアム? おい、もしかしてどこか怪我でも――」

 思案の波に身を任せていたリアリムは、一瞬ラディアの存在を忘れていた。
 肩に置かれた手に驚いて、咄嗟に振り払ってしまう。
 渇いた音が響き、ようやく我に返ったリアリムは目を瞬かせるラディアを瞳に映した。

「あ……ご、ごめん! おれ、ぼうっとしててっ」
「そんな慌てんなって。大丈夫だよ。それよかいきなり触って悪かったな」

 あえてにかりと笑いかけてくれたラディアに宥められるも、気落ちせずにはいられなかった。
 痛むところが出てきたのか、と問われて首を振る。そこでリアリムを心配して声をかけてくれていたことを理解して、なおさら自己嫌悪に陥った。
 結局魔獣の話もうやむやに、二人はそれぞれの作業に集中する。
 昼食を作りながら、気を抜けば零れそうになるため息をどうにか堪えた。息をつきたいと思うのはラディアのほうなのだろうに。
 ラディアは不用意にリアリムに触れぬよう、日頃注意してくれていた。それはリアリムが自分よりも大柄な男に怯えてしまうからだ。
 物腰が柔らかく、華奢というほどではないがどちらかといえば魔術師の職業柄細身なリューデルトや、すっかり慣れてしまった勇者などであれば不意に肩に手を置かれたところで問題ないが、道行く人や剣士ならではの体格の良さを見せるラディアは駄目だった。
 どうしても思い出してしまうのだ。強引に暗がりに引きずられた記憶を、素肌に触れ回った生ぬるいてのひらを。
 リアリムの抱える事情を知るからこそラディアも気を配ってくれているし、それには深く感謝している。だがそれと同じくらい申し訳なくも思っていた。やつらとはまるで違うのに、心配をしてくれているのに、それでも自分は彼をあの暴漢魔たちと同列に扱っている事実に変わりないからだ。
 あの事件の後、リアリムは思いの他暗い記憶を引きずることはなかった。しかしそれでも後遺症のように無意識に抱える恐れが残ってしまっている。
 いつ改善されるのかはわからない。周囲はそれを見守ってくれてはいるが、いつまでも必要以上に怯えてしまうのはリアリムとて本意ではない。かといって、治そうと思って治るものであれば苦労はしない。
 せめてラディア相手だけでも平静になれるようにせねばと反省している間にも、野草と干し肉の簡易スープができあがった。
 暗い気持ちを抱えながらしてしまった料理が美味しくなるわけがないと思い直して、最後に上手くなってくれと気持ちばかりを少々振りかける。
 ラディアを呼び、二人で鍋を挟んで昼食をとった。
 先程のことが尾を引いているのはリアリムだけのようだ。普段となんら変わらぬ様子で椀を傾けるラディアを窺って、気持ちを切り替えるために声をかけた。

「ライア、さっきは庇ってくれて本当にありがとう。おれも、戦えればいいんだけど」

 一度は、せめて自分の身くらい護れればと思い、ラディアたちに最低限の剣の指南を仰ごうともした。しかし素人が下手に武器を持ってはかえって危ない、自分たちが守るから必要ない、いつか人のいる町に帰るのだからいらないだろう、と次々に言われてしまえば諦めざるをえなかった。一番難色を示し反論してきたのがラディアであるが、他のふたりも同じ意見だった。
 その通りであるし、半端な自信を持ってしまうのを憂う彼らの気持ちもわかる気がしたからだ。一応護身に短剣は渡されているが、簡単な扱いを教わっただけで、それが本来の用途として日の目を浴びたこともない。そもそも勇者たちに守られているリアリムが使うことなど滅多にないだろう。

「いーんだよ。それよかおまえはじっとしてろよな。怪我でもされた日にはあいつらになに言われるかわかんねえし」

 初めは反対こそすれども、今では旅の一員としてリアリムを大切にしてくれているリューデルトが、ラディアに詰め寄る姿は容易に想像できる。

「気をつけるよ」

 堪らず苦笑すれば、ラディアもにやっと笑った。
 ようやくいつもの雰囲気が戻りつつあって、安堵する。
 食事も終わりが見えつつあるなかで、リアリムは成り行きで妹のことを話していた。
 悲惨な別れ方をしてしまったが、こうして口に出せるまでに回復できたのは間違いなく三人のおかげだ。
 未だ思い返せば胸痛むが、それでも生きているリアリムは前に進まねばならない。過去の懐かしい思い出として笑うことはできないが、それでも彼女の存在を知ってもらることは嬉しかった。
 妹を覚えているのは、リアリムだけ。彼女の存在を知っている者は、勇者とリューデルト、ラディアだけ。決して多くはないが、勇者一行に知ってもらえているのだ。彼女とて喜んでいることだろう。
 リアリムが話している間も匙を止めることはなかったラディアは、すぐに鍋の底を見せてくれた。
 その頃に一度話が途切れる。
 ラディアは胡坐の上に手を置き、それまで浮かべていた微笑も取り払いリアリムを見つめた。

「なあ、リアム」
「ん?」
「おまえは魔族が憎くないのか」

 リアリムは答えられず、沈黙を返した。
 ラディアは目を伏せながら続ける。

「おれにも親兄弟がいる。もし殺されたりしたら、そいつを恨むぜ。それに連なるすべてのものを」

 以前にラディアは、六人兄妹の二男坊なのだと言っていた。一般家庭に育ち、兄妹が多いせいか裕福とはいかなかったが、賑やかで温かい家庭なのだと教えてくれた。
 そのときを語る瞳は優しかったことを覚えている。それほどに大切にしていることもあのとき伝わってきたものだ。
 だが今、瞳に宿る光は家族のことを話してくれたときのように柔らかくはない。底冷えするような、引きずり込まれそうな深みを感じる。
 リアリムも彼と同じく目線を下げて、空になった鍋の底を見つめた。

「そう、だな……そう思わないわけじゃない。でも憎んではないよ」

 家族を、故郷を奪った相手。何度思い返しては、笑えない悪夢であってほしかったと願っただろう。けれども起きたことはすべて現実で、だからこそリアリムは今旅の最中にある。
 旅をしながら、幾度己の命運を呪ったかわからない。
 何故、自分だけ生き残った。
 何故、皆食われねばならなかった。
 何故、魔を呼ぶ体質が発現した。
 何故、ヘルバウルは集落を襲った。
 何故、何故――ぐるぐると繰り返された疑問に答えなどない。その度にすべてのものを憎みそうになった。ときには、間に合わなかった勇者たちのことまで。
 だが周りを恨んだところで起きてしまったことは変わらない。ようやくそう、リアリムは自分を宥められるようになれるようにまで落ち着けるようになった。
 受け入れられなければ進むことはできない。進まねば、消えていった故郷と皆を偲ぶことすら許されないのだから、それではあまりにも悲しいではないか。
 すべてを呪い、憎み、恨み、喪失を受け入れられずただ悲哀に沈む日々に実るものはない。あるのは自分自身の心の枯渇だけだろう。
 生ける屍となるリアリムの姿を、あの優しかった家族が望むはずもない。
 彼らを覚えているのは、もはやリアリムただ一人なのだ。彼らを想い馳せることができるのも、いつか復興をと立ち上がれるのもリアリムだけ。
 時間はかかるだろう。そもそもリアリム自身の特殊な体質を封じる術を探すところなのだから、途方もない道のりだ。だがそれでも、勇者たちとの旅のなか、リアリムは故郷の復興を誓っていた。
 誰に言うでもない、己の心の中でのこと。それでもその目標のために日々を懸命に生きる糧を得たのだ。
 導を得たのは、勇者たちの旅に同行して、時として絶望の淵にいた人間が、勇者という希望に触れ這い上がろうとする姿を近くで見てきたからかもしれない。そして自分もそのうちの一人であるのだろう。
 勇者に命を拾われた。それは単なる偶然だ。けれども、闇の眷属にすべてを奪われたリアリムにとって、光の御子たる勇者に救われたのは、まるで闇に捕らわれるなと励まされているように思えたのだ。

「おまえは許せるっていうのかよ」
「許す許さないの話じゃないだろう。それに、相手がまだ魔獣だったから、獣だったから……まだ、諦めがついたのかもしれない。生きるための行動を責められるわけないからな」

 いつも齧っている干し肉は、動物の身だ。それを当然のようにリアリムたちは食べて己の血肉に変えている。自分たちが生きていくために必要な行為であるから本能に従い動いているだけだ。それを疑問に思ったことなどない。
 ヘルバウルたちとて同じことなのだ。彼らにとって人間は食料なのだから、襲うのは当たり前だ。人間にとっての牛や鶏が、ヘルバウルにとってのそれなのだろう。
 ラディアはじっとリアリムの顔を見つめていた。
 真っ直ぐな視線に、耐えきれずにリアリムは顔を歪ませる。
 すべてを見透かされているようで、あっさりと虚勢は崩れ去った。

「……綺麗事言おうとしても難しいもんだな」

 憎んでいない、など。ヘルバウルを前にして、同じことが言えるのか。仕方のないことだから、生命の理なのだからと諦めきれるものなのか。
 ラディアの瞳は、そう告げているように思えた。
 頭では理解しているが、それでも心の底に沈めた黒い感情は時折顔を見せる。時間が解決するものなのかはわからない。今言えることは、間違いなくあの出来事はリアリムのなかではまだ終わっていないということだけだ。
 だが、告げた言葉もまたリアリムの内なる真実のひとつである。前を進もうという気持ちも、虚勢を張る強がりも、まだ苦しむ自分も、憎みたいと思いながらも憎めぬ相手への感情も、どれもリアリムの心にあるものだ。
 両手で顔を覆って深く溜息をついたリアリムに、強い意志の籠るラディアの言葉が突き刺さる。

「すべてをなくしちまったおまえにこんなこと言うのは悪いとは思うが、おれは守り抜きたいと思う。故郷にいる家族を」

 真っ直ぐな男の言葉を、素直に羨ましいと思った。そう言える家族がいることが、言えるだけの強さがあることが。
 目を閉じればすぐにでも浮かぶ幻影。まだ半年も経っていないのに、とても懐かしく、遠い場所にある記憶。
 守れなかった居場所。もう戻らない平穏。
 もっと早くに、それらが儚いものだと知っていればなにかが変わっただろうか。
 どうしようもできないことだった。起きたことは変えられない。けれども、振り返らずにはいられない。過去のことだと流すこともできない。――本当は、認めたくない。
 矛盾する心を抱えながら、リアリムはてのひらの下でそっと目を閉じた。

 

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