28

 

 体力の限界を迎えいつしか眠りについたリアリムを寝かしつけてやる。跳ねのけられた毛布を掛け直してやったとき、静かに扉が開いた。
 隙間から顔を出したリューデルトに呼ばれるまま、一度リアリムに振り返って寝顔を確認してからそちらに向かう。
 部屋を出る際、鼠のヴェルとすれ違う。彼がリアリムのもとまで駆け寄ったのを見守り、強力な結界を張って扉を閉めた。
 隣の部屋に移動して、そこで待ち受けていたラディアと対面した。
 壁を挟んだ先で、リアリムの言葉を聞いていたのだろう。従者二人の表情は沈んでいたが、それでも彼が正気を取り戻したことには安堵しているような複雑な顔をしていた。
 リアリムについて聞きたいことあるだろうに、魔術師はその気持ちを押し殺して勇者に尋ねる。

「勇者さま、お身体のお加減はいかがですか」
「問題ない。治った」
「そうですか」

 リアリムを救出したあの日、勇者もまた倒れた。
 死の淵からの生還で使い切っていた体力が戻っていないところに、勇者の力を用いて人間を傷つけたことが原因だ。
 勇者とは、人々を守る立場にある。そのため守るための存在を傷つけたとき、勇者には相応の反動が起こるのだ。たとえ相手が悪人であったとて、人間というだけですべてがその対象となる。
 あのとき勇者は怒りに捕らわれ、魔術によって男たちを生ける屍も同然の姿へと変えた。その影響で外見での変化はそれほどないものの、内側は焼けただれたように傷ついていたのだ。とはいえ勇者は魔王の手によらねば死なぬ身である。
 自らの身の内から起こる苦痛に耐えながらも、それでもリアリムの傍を片時も離れることなく介抱し、ときに目覚め暴れる彼を止めたのだ。
 窓辺にいたラディアはリューデルトの隣に移動する。

「やっぱり魔種を仕込んだやつは見つからなかった。恐らくとっくにこの町から離れちまってるんだろうよ」
「そうか」

 勇者は深く息を吐いて目を閉じた。
 魔種とは、寄生型魔獣ネモルフィラの俗称である。種のように小さい姿が由来で、寄生型らしく宿主から養分を得て成長する姿から魔種と呼ばれているのだ。
 勇者たちが捕えた六人の男たちの内、唯一舌を残した者に今回の経緯の説明をさせようとした。しかし男の話は要領を得ず、何故リアリムを攫ったかについて尋ねてみれば顔が呆けて、心ここに在らずといった様子になるのだ。勇者たちの詰問に応えず、痛みを与えてもろくは反応がない。
 明らかに不自然な様に、とある予測を立てた勇者は別の男の頭を割って中を覗いた。するとそこには本来爪ほどの大きさのネモルフィラが拳大にまで肥大化して居座っていたのだ。
 ネモルフィラが食べるのは生物の脳である。ゆっくりと吸い上げていくのだが、食す速度が遅く、新鮮に食べつくすために宿主を生かす。さらに不自然を悟らせまいと、宿主を操るのだ。
 そのため脳の半分を魔獣に食われてもなお男は生きていたが、魔種を潰せばまもなく息絶えた。他の者たちも同様で、今は皆強制的な生から解放されている。
 そのとき、リアリム救出から半月程が経過していた。大きさからして魔種はリアリムが攫われる少し前に男たちの体内に潜り込んだと推測される。
 男たちは故意にリアリムを狙って攫った。そしてその少し前に、宿主の行動を操ることができる魔種が体内にいたとするならば、それは誰かが裏で糸を引いている可能性が高かった。
 ネモルフィラに寄生されたものは、どんな乱暴者であれ途端に大人しくなり、ただ生きるためだけに生活をするはずである。なおかつ魔種は町中に現れることはなく、森などで獣の脳を食らっている存在だ。
 それが同時期に六人の人間の脳内にいるなど、異常事態としても過言ではない。
 だがもし誰かがネモルフィラを男たちの頭に仕込んだとするならば、決してありえない状況ではない。そしてその誰かがネモルフィラを用いて男たちを操り、リアリムを攫い暴行したのだとすれば。
 至急疑わしき人物がいないか従者二人は町を探し回ったが、すでに半月が経過した段階で見つかる望みは薄かった。それでも今まで捜索してみたが、それらしき人物の発見には至らなかったのである。
 これまでリアリムの周りでは不可解な出来事が多くあった。
 最近のものでいえばネモルフィラのこと。初めは勇者を疎む者による犯行とも思えたが、魔種が脳内に仕込まれたとするならばその限りではない。むしろ魔種は人間に扱えるような代物ではないのだ。それに、真の狙いが勇者であるならば、わざわざリアリムの妹の遺体まで用意するのだろうか。初めからリアリムが標的であったとしか思えない。
 他にも人語を離す魔獣が目の前に現れたり、三人の暴漢に襲われかけたりしたことをはじめとしてリアリムは度々絡まれることもあった。勇者の旅に同行する以前は、幾度も町を訪れていたことがあってもそれほど関わられることはなかったと言っていた。
 引っかかっていることは他にもある。
そもそも初めからおかしかったのだ。
 リアリムを前にして殺そうとしなかったヘルバウルがそうだ。餌を求め集落を襲った彼らが、気絶するリアリムを食わない理由がない。それなのに勇者が現れたとき、ただ彼を眺めていた。
 なによりヘルバウルは獣の性を持つために本来火を嫌う。にもかかわらず、集落の建物の大半に火が放たれていた。二、三件は不運に燃えることがあったとしても、すべてが火にのまれなければならないとなると人為的でなければあり得ない。
 それに、いくらヘルバウルが統率のとれた集団だとして、ひとつの集落すべての人間を短時間で捕獲できるだろうか。
 リアリムが一人生き残ったのにはなにか理由があるように思えてならない。それは従者たちも同じように思っているらしい。
 しかし彼がどんな運命を背負っているのであれ、勇者はもう誓った。
 もしそれが過酷なものだとしても、これからはそれらすべてから彼を守ると、決めたのだ。
 正直者である彼が、これからもそうで在れるように。もうこれ以上見えぬ涙を流さなくてもいいように、勇者としてではなく、一人の人間として彼を守る。たとえそれが魔を呼ぶ体質を封じるまでのことであろうとも、死を望む彼を苦しめることになっても、それでも。
 勇者はそっと目を開け、待機していた従者に告げる。

「三日後、旅を再開する。準備しておけ」

 リューデルトとラディアははっ、と揃えて声を上げた。

 

 


 リアリムはリアーナが眠っているとされている墓の前で手を合わせてから、再び勇者たちの一員として彼らの旅に同行した。
 歩けぬリアリムは基本的にシュナンカに跨っているか、もしくは勇者に背負われ移動する。それができなければラディアが代行した。必ず誰かが傍にいて、リアリムが一人になることもないように配慮された。
 迷惑をかけてしまっていることを心苦しく思うが、その反面その気遣いが有り難くも思えるリアリムはいつも、ごめんありがとう、と謝罪と感謝の言葉を口にする。それに三人はそれぞれの反応で温かく受け入れてくれるのだった。
 旅のなかでふと、勇者が寄りたいところがあると言った。

「どこに行くのですか?」
「シュナンカたちが喜ぶところだ」

 リューデルトの問いかけに簡潔に答えるだけの勇者が先導して辿り着いたのは、花畑が一面に広がる広い土地だった。
 町から離れているし、自然に群生したのだろう。色とりどりの美しく逞しい生命力の波に感動している間に、リアリムは先に降りていた勇者によってシュナンカの上からひょいと降ろされる。
 軽々とやってのけてくれるが、リアリムは勇者よりもほんのわずかに背が低い程度で、いくら最近は軽くなったといってもそれなりの重さがある。もし女であればもう少し運びやすい姿であったのではないだろうかと思ったところでどうしようもない。
 リアリムを背負った勇者は、花畑の中心にリアリムを放り投げて愛馬のもとに戻っていく。その背を見送ってから寝そべり、胸いっぱいに花の香りを吸い込んだ。
 薄青色と淡い桃色の花を眺めながら、ふと以前にも似たようなことがあったのを思い出す。
 そのときは旅の途中で偶然花畑に遭遇したのだ。今よりももっと小規模なものであったが、橙と黄が溢れるそれは愛らしくも美しく、そこで馬たちの足を休ませてやることにしたのだった。
 そのとき成り行きでリューデルトとラディアと、男三人で花冠を作って笑い合ったものだ。
 ふと視界の端で、ラディアの愛馬ディッシュが心地よさげに走り出したのを見た。馬たちもそれぞれ放してもらったらしく、思い思いの場所に歩み出したようだ。リューデルトの愛馬レイナラは早速花を食み、シュナンカは尾を揺らしながら悠然と歩いている。
 リアリムは背を伸ばすついでに上を見た。澄み渡る空に心が洗われるようだと顔を綻ばせていると、突如目の前に花が現れた。水を被ったらしく、花弁から水滴が顔に垂れる。

「つめたっ」

 慌てて拭って顔を上げると、花を手にしている勇者を見つけた。
 勇者はリアリムの隣に腰を下ろすと、先程目の前に見せた薄青の小振りな花を差し出す。
 リアリムが座り直して小首をかしげると、仕方なさそうに言葉をつけくわえた。

「おれが唯一知る、食べられる花だ。ざっと洗ってある。食え」
「あ……」

 いつまでも受け取ろうとはしないリアリムに、勇者は強引に花を押しつけた。
 受け取ったリアリムは、しかし動けなくなってしまった。食べる、という考えだけで身体が強張りそうになったからだ。
 リアリムはあの攫われた日以降、まともな食事をとれなくなってしまっていた。肉などの弾力があるものをはじめとして、魚も喉を通らず、わずかでも匂いがあるものでも駄目だ。固形が食べられないのならばとスープを飲もうとしても、温もりがあるものさえ受けつけなくなっていた。野菜はかろうじてとれるが、次第に気分が悪くなってきてしまう。
 それだけでなく常温の水さえ飲めず、今では痛いほどに冷やした水しか飲んでいない。
 幸い魔術を扱える人間が二人もいるため用意できるのだが、リアリムだけでは到底手に入れられぬ代物である。
 リアリムはそろりと息を吐き、勇者に目を向ける。彼は言葉はなくとも、食べろ、と瞳が語りかけていた。
 もう一度小振りな花に視線を戻し、そうっと口を開く。勇者の瞳に見守られながら、八重咲きに広がる花の一枚を唇で食んで千切り、口の中に入れた。
 たった一枚でもふわりと花の香りが広がる。しかし食べもの匂いと認識しないのか不快ではない。噛めばほんのり草の香りがしたが、そのままこくりとのみ込んだ。
 何事もないリアリムの様子を見届けた勇者は顔を前に向けて、遠くにいるシュナンカを眺めた。

「花はおまえのほうが詳しいだろう。食えるものを教えろ」
「――はい」

 リアリムは緩みそうになる頬を誤魔化すためにも、もう一枚花びらを食べた。
 きっと勇者は、ここに今リアリムが食べている花、アオノミがあることを初めから知っていたのだろう。そしてこれならば食べられるのではないかと思い連れてきてくれたのではないだろうか。
 もしかしたら都合のいい解釈かもしれないが、リアリムはそう思うことにした。
 花を食べたところで大した栄養にはならない。それは勇者も理解しているだろうが、これをきっかけに少しでも食べられるものを増やせはしないだろうかと考えてくれたのではないだろうか。
 ふふ、と笑ったリアリムに勇者はなにか思うところがあったのだろうか。なにかを言いたげに視線を寄越したが、目を閉じ仰向けに寝転がった。

「少し眠る」
「あ、ならおれも」

 勇者の隣に同じように寝転がり、彼の身体にほんの少し指先を掠めながら目を閉じる。
 息を吸い込み、控えめに鼻歌を歌った。
 一度勇者に鼻歌を披露してからというもの、なんとなく眠るときにそれを歌うようになっていた。しかしあの事件以降、これほどまでに穏やかな心が続いたことがなかったから機会はまったくなくなっていた。
 久方ぶりに鼻歌を歌い、傍らで勇者がそれを聞く。
 花の香りに囲まれ、時折そよぐ程度の風が心地いい。澄み渡る青空に見守られ、陽の光に軽やかな毛布をかけてもらっているかのようだ。
 リアリムにとって花とは、平穏の象徴であった。
 集落の至るところに、自然に生えたもの、人の手によって植えられたものなど花が溢れていた。それを眺める人々の表情は誰もが豊かで、笑顔があった。怒った顔の人は花を眺めているゆとりがないからだろうか。
 今はもう、あの場所の花もすべて燃えてしまったが、それでもリアリムの記憶の中の集落は花とともにある。優しくも悲しい、もうこの世にはない景色。
 花はいつか枯れてしまう。けれどもいつか残された種が芽吹き、新たな花を咲かせる。花はときとしてその短い生涯のなかでリアリムに小さな生と死の繰り返しを見せてくれていた。
 今はまだ、苦しい過去を引きずっている。ときに思い返し苦しめられている。しかしいつかきっと、何気ないことでも笑えていたようなときが戻ってくるはずだ。
 ――きっと、勇者と一緒ならその日を迎えられる。そんな気がした。
 もう少しだけ、この花に囲まれた平和な時間が続いてほしいと願い続けながら、いつしかリアリムは勇者とともに昼寝をしてしまった。

 

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