29

 

 以前と変わらず魔王城の居場所の捜索と神殿巡りをするなかで、とある町に立ち寄ったときに新たな情報を得ることになった。
 ヴェルを追いかけてきた少女が、ある神殿の歌を口ずさんだことでそれが知れたのである。
 それは勇者でさえ知り得ず、感じとることもできなかった神殿で、少女の歌にあった町の近くの岩山に行くと存在していた。これまでの神殿とは違い、巧妙な魔術によってシロサイカの花ごと隠されていたのである。勇者が気配を感じ取れなかったことから、かつての勇者が隠したのだろうと推測された。
 勇者はその神殿で、守護印のことを学んだ。
 守護印は、勇者が長く愛用する道具に勇者の力を込めて作り出すものである。装備者の危機が迫ったときに発動されて、勇者の力をもってしてその危機から守護されるという効力を持っていた。
 そこで勇者は、自身が発見されたときに握りしめていたのだとされる、これまでも身につけ続けていた耳飾りを守護印とすることに決めた。
 そのための儀式を行い、完成された守護印はリアリムに授けられた。これでリアリムはもし魔族に襲われたとしても難を逃れることができるし、攫われることも危害を加えられることもまずなくなることになる。効果が持続されるのは訪れた危険の度合いによって変わるが、効力を失っても魔力を補填すれば幾度も使用できるため、破壊されることさえなければ今後もいざという時に役立つ。
 守護印は強力な効果を持つが故に代償も大きかった。勇者の魔力のほとんどを使用することになったのである。
 血に宿る魔力の割合が大きければ大きいほど、魔力が失われたときの反動は大きい。優れた魔術師でもある勇者は守護印を作り終えると同時に倒れ込んでしまった。死の淵から生還したときと酷似した状態になってしまったのだ。
 魔力は失われても休息をとれば回復していくものである。
 勇者一行は町に滞在を決めた。久方ぶりに腰を落ち着けることになった勇者たちは、それぞれ長旅の疲れを癒すべく自由に行動した。
 そのなかでリアリムはラディアに付き合ってもらい、空いてしまった勇者の耳に嵌める飾りを買いに出た。
 旅の途中で入手していた薬草を売りさばき、自ら稼いだ金を得ていたリアリムだが、所詮は大した金額ではなく、到底勇者の出生の秘密を握っているかもしれない耳飾りの代わりになるものは買えそうにはなかった。ましてや勇者に見合うものがリアリムの手の届く範囲にあるとは思えない。しかしわかっていても、感謝の気持ちを送りたかったのだ。
 ふとしたときに、自分の耳に取りつけられた勇者の守護印が熱くなる。自分では見ることができないが、勇者の瞳と同じ空色の石がついたそれを撫でると不思議と心が穏やかになるのだ。傍にいなくとも勇者が隣にいるようで、守られているような気がして安堵する。守護印を授かる以前のリアリムは、たとえラディアやリューデルトが付き添っても勇者がいなければ町に繰り出せぬ精神状態であったのだ。
 守護印はリアリムの身を守ってくれるだけでなく、心も支えてくれているような気がした。
 リアリムが買えるものは、魔力も宿らず、宝石でもない、単なる石でしかないが、それでも彼に喜んでもらおうと日が暮れかけるまで悩み抜き、用意していた予算すべてを使いきるくらいのものを購入した。
 宿屋に戻り早速勇者に贈ろうと部屋に入るも、生憎勇者は眠りについてしまっていた。失った魔力の影響は未だ大きいのだ。
 仕方なくリアリムは翌日渡そうと、一度は取り出した包みを懐にしまう。今日はもう大人しくしていようとしたところで、ここまでリアリムに付き合ってくれていたラディアが声をかけた。

「なあリアム、少し散歩しないか?」
「いや、いいよ。ラディア一人で行ってきなよ。今日はおれを一日中負ぶっていて疲れただろ?」
「おれはいいんだよ。鍛錬になるし気にするな」
「でも」
「折角の気晴らしに連れていったってのに、おまえときたらずっと下向いたまんまなんだもんな。もう少し空気を吸おうぜ」

 その通りなので、リアリムは苦笑し頷いた。
 一度下してもらった背にまた寄りかかる。
 宿から出る前に隣の部屋を覗いてみると、飲みかけの茶を傍らに開いた本に頭を預けるリューデルトがいた。どうやら読んでいる間に眠っていたらしいと、声をかけずに外に出た。

「なあ、散歩ってどこまでいくんだ?」
「町の外。いいところがあんだよ」

 ラディアは言葉通り真っ直ぐに町の出口に向かい、平野に出た。東に向かい、傍らの森の中に入っていく。
 今にも夕陽が落ち切って、夜が訪れようとしていたが、木々に囲まれた森の中は既に薄暗い。
 空気が冷えてきたのか、薄ら寒さを感じたリアリムはふるりと身体を震わせた。

「なあ、リアム」
「ん?」
「おれはさ、なによりも家族を大事にしてんだよ」

 ふと歩きながら、ラディアはそんなことを口にした。

「あいつらはおれの光なんだ。おれが守ってやらなくちゃならねえ。仲間よりも、世界を救う勇者の旅も、自分の命よりも、なによりも大切にしてる」
「……ライア?」

 彼の口からは以前にも家族を想う言葉を聞いたことはあった。そのときも彼の真っ直ぐな意志の強さを感じたが、今日のものはそのときとはまた違う重みがあるような気がして、リアリムはわずかに身体を起こした。

「今まですまなかったな」
「ライア、どういう――」
「連れてきたぞ」

 胸のざわつきに駆られるリアリムの言葉を遮ると、ラディアは足を止める。
 明らかにリアリムではない者へ向けられた言葉に、はっと顔を上げるも、その瞬間に身体を支えていた手が離れる。
 油断しきっていたリアリムはそのままラディアの身体から滑り落ち、尻から地面に落ちていった。
 痛みに呻いていると、ラディアではない者の笑い声が耳に届く。
 今度こそリアリムが正面を見るが、そこには誰もいない。聞き間違いだったのだろうかと思っていると、ふいに空に闇が集まりだしているのに気がついた。
 夜の暗さを増していく森の中で、それでもその一点だけが異様に黒い。次第に輪が広まっていき、やがてそれは楕円の形となっていく。
 空間を縦に裂くように現れたそれに言葉も忘れて目を奪われていると、不意に闇の中から手が生えた。
 やがて二の腕、肩と伸びていき、やがて一人の男が姿を現す。その風貌に、リアリムは喉をひきつらせた。
 人ではありえぬ群青の髪を腰まで垂らした男の肌は、褐色だった。額からは二本の角が天を突くよう伸びていて、深紅の瞳を囲う眼球は白ではなく、黒に染まっている。
 その姿は紛れもなく、人間ではない。
 闇に染めたような爪先で男は自身の顎を撫で、地に落ちたリアリムを見下ろし笑った。

「なんとも情けない。無様な姿だな」

 男の言葉はリアリムの耳に入ってきてはいなかった。侮辱を聞き流すほどの衝撃に襲われ、一瞬思考を停止していたのだ。
 男の薄ら笑いをしばし見つめてようやく、酷くかさついた声で尋ねる。

「あなたは……」
「わたしは魔族を総べし者」

 簡潔な返答に、リアリムは今度こそ目を見開いた。
 魔族を総べし者、つまりは魔族の頂点に君臨する者。たった一人だけが許された座。
 そこにいるは皆から、“魔王”と呼ばれる者である。
 勇者が目指す相手。勇者しか敵わぬ、恐るべき敵。
 それが今、目の前にいる。
 一瞬にして深い混乱に襲われたリアリムに、さらに男は笑みを崩さぬままに言葉を続けた。

「迎えにきてやったぞ、我が息子よ」
「むす、こ……?」

 男の視線は地に落ちるリアリムただ一人に向けられていた。人気などない夜の森のなか、他にはラディアしかいない。ならば間違いなく先程の言葉はリアリムに向かって放たれたものである。
 到底、信じられるわけがない。
 人間であるはずの自分が、魔族の、それも魔王の息子だなどと。信じられるわけがなかった。

「な、なに、言って……おれは」
「今はリアリム、と言ったか。おまえは旅立ちのあの日から、一体どれほどの苦しみ味わってきた? 己の存在ゆえに住処は消え去った。勇者という強き者の傍らですべきこともなく、弱きものと虐げられ、いたぶられて、どれほど傷ついてきた?」

 淡々と語りかける声音に手を引かれるよう、リアリムの頭にはこれまでの記憶が巻き戻されていくかのように鮮明に蘇っていった。
 心に負った深い傷だけでなく、治ったはずの全身の痛みさえ引き戻されていくように錯覚して、意識を保つために自らの身体を強く抱きしめる。
 はあはあと荒い息が耳に障る。その奥で、男どもの笑い声が木霊している。悪戯に与えられる痛みが、今も残る傷跡が再び開きそうで、恐ろしくて。
 リアリムが真っ暗闇に捕らわれそうになったそのとき、じんわりと右耳が熱を感じた。
 勇者の守護印がそこにあることを思い出し、リアリムは黒い沼からどうにか這い出す。それを察した男は目を細めた。

「おまえはそれを単なる不運と思っていたかもしれないが、それらすべて、おまえの魔力をあげるためにわたしが仕組んだことだ」

 すべて、というのはどこからが始まりなのだろうか。仕組んだとはどういうことなのか。偶然ではなかったのか。
 そもそも、彼はなにを言っている。

「ち、ちがう、だって、おれには魔力は」
「おまえの魔力はこれまでわたしが封じていたに過ぎない」

 男はぱちんと指を鳴らした。その瞬間に手の甲に焼けただれたような痛みを感じた。
 リアリムは悲鳴を上げながら手を押さえると、すぐに熱は引いていく。
 恐る恐る重ねたてのひらを持ち上げて見れば、そこには今までなかったはずの黒い魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。

「勇者との旅のおかげで今、おまえのなかには良質な力が巡っている」

 呆然と、甲に描かれたそれを見詰めるリアリムに再び男はほくそ笑む。

「おまえをあの集落に置いてよかった。真っ直ぐに育ててもらったことに感謝せねばなるまいな。なによりあの場所を大切に思うほど、おまえはより傷つき、苦しんでくれた」
「……襲ってきたヘルバウルは……」

 リアリムの求める真実を知る男は、けれども声には出さず、ただ口元の弧をさらに深める。それがすべての答えだった。

「リアリム、おまえの魔力は負の感情によって高められるもの。ここまで育てるのに時間も手間もかかってしまったが、待った甲斐があったな」

 男の視線がはじめてラディアに向けられる。

「その手伝いを、そこの剣士がしてくれたのだ。そいつにも感謝せねばな」

 ゆっくりと振り返り、リアリムは傍らに立つラディアを見上げる。
 ふと、先程告げられた言葉を思い出す。彼はなによりも家族を大事にしてんだよと、言ったのだ。
 ラディアは、勇者の仲間である。ともに旅をして、打倒魔王を掲げここまで来た。それなのに、ラディアは魔王を名乗る男を前にしても剣を抜く素振りはない。

「ライア……?」

 ラディアはリアリムの呼びかけに応えることなく、一歩踏み出し男に鋭い視線を向けた。

「――もういいだろう。おまえの言う通りに動いてやった。いい加減解放しろ!」
「ああ、そうだったな。では」

 にこりと笑って見せた男は天に手を伸ばすと、くるくるとかき混ぜるように空に円を描く。やがて指の先に黒い小さな粒が現れ渦を巻いていく。
 なにをするのだろう、と男の行動を見つめていると、彼はそれまでの緩慢な動作を一変させ、素早くラディアを指差した。その動きに従うよう黒い渦は形状を変え、矢となって放たれる。
 黒矢は剣を抜く間もなく、ラディアの胸に突き刺さった。

「ライアッ!」

 リアリムがラディアに目を奪われている間にも魔術の矢は再度放たれて、さらに三本の矢が胸に立つ。
 柄に置くしかできなかった手で胸の矢に触れた瞬間、黒い霧となって霧散していく。ラディアは鮮血が溢れる傷口を押さえながらその場に蹲った。
 身体を引きずり傍に寄ったリアリムは前屈みになるラディアの身体を覗き込む。指の隙間からぼたぼたと血が垂れていた。

「さあ、会いに行くといい。あの世にな」
「――くそっ! やっぱり初めから……!」
「ライア、大人しくしてろ!」

 忌々しげに吐き捨てたラディアは拳を握り、強く地面を叩いた。その衝撃にさらに出血はひどくなる。
 このままでは血を失い過ぎてしまう。早く処置せねばならないが、こんなときにすぐに傷口を塞ぐ術をかけることができる勇者も魔術師もこの場にいない。

「愚かなものよ。感じ取っておきながら、認めたくはなかったのか? 勇者を、人間どもを裏切り、その結果すべてを失う。その気持ちはさぞ心地いいものなのだろうな」

 もう一度地を殴りつけたラディアは、ぎりっと歯を鳴らしながら食いしばる。

「リアリム」

 名を呼ばれ、振り返った先にいる男の顔を睨んだ。しかし彼はなにも思わぬように、たった今ラディアを攻撃したばかりだというのにそれをさえも感じさせぬ笑みを浮かべたままだ。

 

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