リアリムは壁際に置かれた椅子に腰かけ、魂を抜かしたようにぼうっと町長と勇者たち四人が消えた扉を眺めた。
 彼らが入ってからどれほどの時が経っただろうか。すぐに終わるとリューデルトは言っていたが、待っている時間が長いのか短いのか、リアリムは無関心にただ過ぎゆく流れに身を任せる。
 しばらくは手の上やリアリムの身体を遊び場にヴェルが駆けずりまわっていたが、やがてそれに飽きたのか、今では上着の衣嚢に収まっていた。丸くなり、眠りにでもついているのだろう。
 町長の付き人をやっているという女が茶のお代わりを継ぎ足そうとしたところで、閉ざされていた木の扉が動いた。
 薄く開けられたそこからリューデルトが顔を出し、リアリムを手招きする。
 気遣ってくれた女に礼を言ってから、導かれるまま室内に入った。
 中では真ん中に机を挟み、その両脇の長椅子に町長、向かい側にラディアが座っていた。リューデルトはラディアの隣に腰を下ろす。
 勇者の姿が見えず首を巡らすと、入り口のすぐ脇でいつものように腕を組み、眠るように目を閉じたまま立っていた。
 思いの外近くにいた彼に驚いていると、それを見ていたらしいラディアがひっそり笑う。

「リアム、こちらへ」

 手招かれ、促されるままリアリムはリューデルトの隣に腰かけた。

「彼が、先程お話した青年です。今後はどうぞよろしくお願いいたします」
「わかりました。勇者さま方のお頼みとあらば、わたしくめがしっかりと面倒みさせていただきましょう」

 どうやらリアリムがいない間に話をつけたようだ。
 町長である白髪交じりの初老の男を窺うように目を向ければ、彼は穏やかに目尻の小皺を深めた。

「リムがなくなってしまったのは不幸であったが、きみは助かった。その奇跡を喜ぼう。しばらくはわたしがきみを面倒みるから、そう悲観しないでほしい」
「――ありがとうございます」

 自身の名の由来にもなった集落の名を聞き、リアリムは思わず胸からこみ上げる感情に顔を歪ましそうになった。それを誤魔化すよう、実際に抱いた感謝を表すよう、深く頭を下げる。

「あとでヘルバウル討伐隊も編制しよう。ろくな弔いもできず、着の身着のままこちらに来たのだろう? 落ち着いたら、皆を供養してやりなさい」
「はい」

 ヘルバウルの討伐は、何もリムの村のためだけではないだろう。あの群がこの町ワンナを襲う可能性は十二分にある。町民に被害が出てしまわないうちに害は潰すべきだ。
 表向きでは近くの村の弔いとなるが、真なる意味は町のため。それでもリアリムは感謝せずにはいられなかった。
 再び想いを口にしようとしたところで、視界の端にいた勇者が目を開ける。
 組んでいた腕を解き、窓の外に目を向けた。その動作に気づいたのはリアリムだけでなかったようで、彼の仲間も弾かれたように同じ方を見る。リアリムも町長も釣られるようにそちらへ顔を向けたが、しかし四角く枠取りされた町の風景はとくに何かがあったわけでもない。だが、三人はまるで警戒するよう注視していた。

「あの、どうかなさいましたか?」

 戸惑いながらも町長が声をかけた、そのときだ。
 廊下を駆ける荒々しい足音が聞こえ、次いで激しく扉が殴られた。
 入室の許可が下りる前に騒音を鳴らした男は部屋に飛び込み、真っ青な顔で叫んだ。

「町長っ。大変です、魔物が、西門に魔物が……!」
「なんだと! ま、魔物が!?」

 男の報告に町長のみならず、リアリムも全身から血の気を引かせていった。

「先に行く」

 それまで不動を貫いていた勇者が真っ先に動いた。
 手短に呟くと、近くにある開けっ放しになっている扉でなく、それまで注目していた方へと向かう。
 窓を開け放ち、勇者はそこから外に軽やかに飛び出していった。
 一階であるためにすぐに着地して、あっという間に遠ざかる背を呆然と見つめているうちに、いつの間にか席を立っていたラディアまでもが窓の傍に立っていた。

「おいおまえ、けが人は出ているのか」
「は、はいっ! わたしが連絡を受けたときには、西門の警備に当たっていた何名かが重軽傷を負ったそうです」
「わかった。リューデルト、魔物の方はおれとあいつでなんとかする」

 報告に来た男に確認をしたラディアは、それだけを告げると、勇者に続くように桟に足を駆け外に出た。

「怪我をした方はすべてわたしのもとへ連れてきてください。治療致します。そして、できるだけ勇者さまの邪魔にならぬよう魔物の傍は人払いを。逃げ遅れがないように声を掛け合ってください。ただし、決して混乱してはなりません。魔物は勇者が必ず倒すと皆に安心するようお伝えください」
「わかりました」

 冷静に指示を飛ばすリューデルトの言葉に、冷や汗を掻きながら町長は頷いた。そして扉の外に集まり待機していた人々へ、勇者の仲間である魔術師の言葉を伝える。その脇を通り、リューデルトは案内人とともに足早にけが人のもとへ向かった。
 残されたリアリムは悩んだ挙句、勇者とラディアがくぐった道でない道を通り抜け、外に飛び出した。
 自分は勇者でないし剣士でもなく、武器を振るうことも、ましてや魔術を扱うこともできはしない。しかし、人々の避難の誘導ぐらいは手伝えるはずだと考えたのだ。
 “魔物”が出たという西門から爆音が響く。向かう方向から逃げ出した人々たちとすれ違いながら、リアリムは騒動のもとへ急いだ。
 魔族にはいくつか種類がある。
 狼に似るヘルバウルのような獣型は魔獣と呼ばれ、人間に並ぶほど極めて知能が高く魔術さえも操ることのできる人型は魔人。そして、理性などなくただ破壊のみに動く、形が有って形が無きもの、魔物。それらを総称して魔族と呼ぶ。
 魔獣は極めて獣どもに似ており、その違いといえば闇の眷属であるか否かしかない。魔人は人間の対の存在とされ、このそれぞれの中に勇者たる者と魔王たる者が生まれるとされていた。そして魔物はこの世に生きるすべての者の孤独や絶望、苦しみや猜疑心といった負の感情が集まり形を成したものだとされる。また、魔人によって生み出されたとも言われる、まさに衝動の身を抱える化け物だ。
 魔物はとても強く、並の人間ではまず敵わないとされている。近づくだけで生気を吸いとられ、生ける屍になったところを踏みつぶされるとも言われていた。だがそれ故に数はそれほどなく、発見されるとしても年に数体現れるかどうかだ。それも負の感情の集まりであるからか、人口の多い王都周辺が多いとされている。大陸の隅にある田舎町程度に出てくるなど、これまで前例がなかった。
 これまで例がなかったのだから、頻繁に姿を目撃される魔獣ならまだしも、魔物相手にこの町が対策をとっているはずもない。
 形が有って、形が無き者。それは破壊するための器、輪郭は持てども、それを遂行する心がないとされることからそう呼ばれていた。魔族の中でも最も凶悪とされるのが、魔物だ。
 恐ろしくないわけがなかった。人目に触れやすいとされる魔獣種ヘルバウルにさえ腰を抜かすほどだ。平和な集落で育ったリアリムにとって魔族の存在は未知に近く、また恐怖でしかない。以前の己であればより遠くへ逃げ出していたことだろう。しかし――
 しかし、リアリムはすでに目の当たりにしたのだ。そして失った。大切な故郷を、家族を、仲間たちを。魔獣たちが平穏を奪っていった。
 いくら勇者なる魔に対抗する者がいたとしても、相手は魔物だ。どんな被害があるともわからない。それこそ怪我人は増え続け、やがてその中には死者が含まれることになるかもしれない。そしてその多くは恐らく、戦う術など知らぬ、リアリムのような一般人なのだろう。
 何が起きるかわからない。もしかしたらあっさりと勇者たちが魔物を退治してしまうかもしれない。しかし、何かがあってからでは遅いと、リアリムは声を張り上げた。

「西門に魔物が出ました! 今、勇者さまが戦われています。きっと倒してくださいます。ですから落ち着いて避難してください!」

 混乱に溢れるばかりだった言葉の波に、“勇者の称号を持つ者”の存在が光となって、希望が広まっていく。恐怖に顔を引き攣らせ我先にと道を行こうとしていた人々が僅かに落ち着きを取戻し、互いを気遣い合いながら進むようになった。その姿に安堵しながら、リアリムは逃げ遅れた人がいないか、同じ言葉を繰り返しながら流れに逆らい走る。
 離れた場所から、何かがぶつかるような激しい音が続いた。
 魔物が鳴らしているのだろうか。そもそも相手はどれほどの大きさをしているというのだろう。
 かつて父が王国に滞在していたとき、魔物の襲来にあったそうだ。幸いにも国内への侵入はなく、塀の外ですべては終わったそうだが、そのとき多くの兵が命を落としたという。
 魔物はまるくぶよぶよした身体から幾本もの手を触手のように生やし、それを自在に伸ばして兵たちを翻弄したそうだ。大きさは高さ六メートルほどもあり、幅も十分にあったのだと教えてもらった。目も鼻も口もなく、ただうごめく真っ黒な塊だったと父は言っていたか。
 そんな、国の兵が何十人かが束になりようやく倒した怪物相手に、果たして勇者とラディアだけでよかったのだろうか。たった二人、いくらなんでも数が少ないのではないだろうか。
 しかし悩んだところでリアリムのできることなどない。むしろ割り入ったところで、二人の気を散らせる足手まといにしかならないだろう。戦況を有利に進めることにはまずならない。
 何せ勇者はいずれ魔の王と対峙する者である。きっと、魔物など蹴散らしてくれることだろう。
 あの無口な勇者を思い浮かべながら、彼を信じ、リアリムは己のできることをした。

「誰か、残っている人はいますか!」

 辺りは閑散としており、慌てて逃げた人々の持ち物がところどころに落ちているだけだった。もう皆逃げたのだろうかとリアリムが踵替えそうとしたところで、ふと嗚咽交じりのすすり泣きが聞こえた気がした。
 足を止めて耳を澄ます。少女の小さな声がした気がして、リアリムはそれが聞こえた方に目を向けた。
 建物の間にある路地を覗き込むと、薄暗いそこに一人の少女が蹲り、声を押し殺して泣いていた。片足の靴が脱げている。転んだのか、膝には擦り傷ができて血が滲んでいた。
 少女の傍らに膝をつくと、ようやくリアリムの存在に気が付いた彼女が弾かれたように顔を上げる。一瞬怯えたような表情を見せたが、相手が人間だとわかると、途端に顔を歪ませ涙を溢れさせた。

「お、おにいちゃんが、いなくて……転んじゃって……」

 嗚咽に跳ねる小さな肩。きっと、心細かっただろう。大人が逃げ惑い、未だ激しい戦いの音が聞こえる中で、一人取り残されてしまって。
 見知らぬ少女がまるで、自分を求めるリアーナに重なり、気づけばリアリムは強く彼女の細い身体を抱きしめていた。

「今連れて行ってやるからな。きっときみの兄さんは、避難所で先に待ってくれているよ」

 力強く声をかければ、それに応えるように首に回された細い腕。か細く震え、あまりにも頼りない。
 少女を抱え上げ、しっかりと腕で支えて、リアリムは来た道を戻る。

「しっかりつかまってるんだぞ」
「うん……っ」

 魔物と勇者たちの戦いの音は次第に小さくなっていく。終わりが近いのかもしれない。しかしリアリムは走った。今は何よりも安全な場所へ、何より彼女が安心できる本物の兄のもとに連れて行ってやりたくて。
 腕にかかる重みがリアーナのものとよく似ていて、懐かしいような、息苦しいような、胸が詰まる想いがこみ上げる。それと同じくらい、少女を助けてやらねばならないという義務感に駆られた。
 守れなかった。守ることが出来なかった。最期をこの目に収めることさえ叶わなかった。だが今少女は腕の中にいる。触れてさえいる。ならば今度こそ、自分は守り通さねばならないのだ。
 決意を新たにしていると、遠くから羽ばたく音が聞こえた。初めは鳥が飛んでいるのだと気にかけることすらなかったが、次第にそれが近づいてきてようやく違和感に気が付く。
 僅かに足を緩めて振り返れば、視線の先の空に、巨鳥と呼ばれる魔獣クェルツォルがいた。

「なっ……!」

 巨鳥は一直線にリアリムの方へと飛んできている。黒い点のように見えていたそれは急速に近づき、はっきりと目が合う感覚がするほど迫ってきていた。
 少女を抱え直し、リアリムは懸命に走った。建物の間に隠れるという機転すら思い浮かばぬほどに動揺し、必死に足を回すも、人間が数人乗れるほどの巨体はあっという間に傍らまで来てしまった。
 魔物という人生において出会う確率が果てしなく低い存在に次ぎ、本来高山にしか現れぬクェルツォルも登場した。どちらも現実にいるが、リアリムにとって物語のような存在に程近かった恐怖がふたつも近くにいるのだ。混乱は免れない。それに加え少女を守らなくてはいけないという焦りが、余計に判断を鈍らせてしまう。
 走っている自分に影が差す。太陽が雲に覆われたからではない。陽光を遮るよう、頭上にまでクェルツォルが迫っていたからだ。
 広い翼が巻き起こす風についには足を止め、吹き飛ばされないように踏ん張るのが精いっぱいだった。少女を庇うよう巨鳥から隠す。なけなしの気力を振り絞り、睨みつけた。
 硝子を釘で引っ掻いたような、不快な声が町中に響き渡る。それはクェルツォルの鳴き声だった。開いた嘴からは、本来鳥にはない鋭く尖った牙がびっしりと生え、それを闇の眷属たる魔獣だと再認識させられる。
 獲物が逃げないと悟ったのか、クェルツォルは地上に降り立った。そのときの風圧にリアリムは数歩分押し出される。どうにか転ぶことは免れたが、身体は恐怖に震えあがってしまっていた。だがたとえ動けたところで、巨鳥に目をつけられ、逃げられるわけもなかった。
 高さだけでも自分の倍ある相手だ、なおさらその巨体を感じるはずの少女はあまりの恐怖に気を失ってしまった。ぐったりと力の抜けた身体は、腕にかかる重みを増させる。
 魔獣は再び不快感しか巻き起こさない音を世界に奏でた。
 ぎょろりと紫の瞳が向けられる。無言の威圧から、リアリムの喉からは引き攣った声が上がった。
 竦んだ足は逃げることをさせてはくれない。せめてこの少女だけでも助かってほしいと小さな身体を庇うよう頭から抱きしめたそのとき、ふとクェルツォルの目が逸れた。
 つられるように紫眼が見詰める視線を辿らせれば、その先にはそれまでいなかったはずの、魔物と戦っているはずの、勇者がいた。
 きらきらと日差しに輝く金色に、冷静な青い瞳。凶暴な魔鳥を前にいつもと寸分たがわぬ表情のない顔は、何度目を瞬いたところで姿を変えることはなかった。
 何故ここにいるというのだろう。応戦していたはずの魔物はどうしたというのか。
 これまで聞こえていたはずの轟音はいつの間にかもうしない。つまりはもう、この短時間に決着をつけてしまったというのだろうか。ときには兵士が何十人もかけて倒す相手を、ともの剣士とたった二人だけで。
 リアリムの戸惑いは、クェルツォルが身体を動かしたことで断ち切られる。勇者の方へ向き直ったのだ。咄嗟に身体が強張るが、クェルツォルはそんなリアリムに一瞥もくれないままに背を向けてしまう。
 自ら後ろを見せたのだ。リアリムなど脅威でもなんでもないと思っているのだろう。実際、たとえ背後をとったとしても、できることなどない。ただ歯がゆく思いながらも、心の底では意識が逸らされたことに僅かに身体から力が抜ける。油断してはならないと思っても、あの威圧ある瞳から逃れることができたことで心にゆとりができて、ここにきて初めて細い脇道に身を隠すことを思い浮かんだ。
 ばさりと威嚇するよう大きな翼が広げられる。その音に紛れながら物陰に潜んだ。魔鳥の意識は完全に勇者に向けられているようで、移動したリアリムたちに気づくことはなかった。
 それでもいつでもまた走り出せるよう力ない少女の身体を抱きしめる。まだ目を覚ます気配はなかったが、むしろ幼い彼女には、さほど変わらぬ現状は素直に迎え入れることなどできはしないだろう。
 このままじりじりと後退すべきか、それとも勇者から離れないようすべきか。リアリムが悩んだところで対峙する彼らには関係ない。
 どちらの瞳にも映らぬ者など初めからいなかったかのように、戦いは始まった。
 クェルツォルが勇者目がけ、硬い嘴を振り下ろす。敷き詰められた石畳が割れるほどの勢いで地を突くが、勇者はすっと後ろに身を反らし、無駄のなく寸で避けた。
 周囲の建物ほどに大きな体格に似合わず俊敏に頭を動かす魔鳥だが、次々繰り出されるその攻撃を勇者は軽やかに交わしていく。
 ふと、一瞬クェルツォルの動きが鈍った。連続する動きに疲れが出たのだろう。だがそれは素人であるリアリムの目ではわからないもので、勇者だけが気づいたささやかなもの。
 僅かに見えた隙を、勇者は決して見逃さなかった。これまで手を駆けるだけにしていた剣でひゅんと風を薙ぎ、そしてそのままクェルツォルの喉元に斬り込んだ。
 たった一撃。しかし、確実に急所を突いた死を齎す凶刃。
 すばやく身を離した勇者はどぼどぼど流れ落ちる魔鳥の血は浴びないまま、錆びついたような絶叫だけを耳にする。
 少し離れた場所でクェルツォルの最期の鳴き声を聞いていたリアリムは、あまりに苦痛に満ちたそれに咄嗟に少女の耳を塞いだ。
 どれだけ長く続いたか。それとも、ほんの束の間の出来事だったのか。大声量の断末魔の叫びに侵されていた耳は倒れた音を拾ってはおらず、気が付けばクェルツォルは翼を広げた状態で地に伏していた。
 リアリムの耳がおかしくなったのか、それとも本当にそうなのか、辺りは恐ろしいほどに静まり返っている。つい先程まで魔獣がそこにいたことも、離れた場所で魔物が暴れていたということも忘れるほどに、何もなくなった世界のようにしんとしていた。だがそれでも確かに感じる腕の熱に我を取り戻し、抱きしめたままだった少女を見る。
 あれほどの不快な音の中でも少女は気を失ったままだった。クェルツォルの血に染まる町を見ずに済んだことを安堵する。

「おい」

 声をかけられ、リアリムの肩が大きく跳ねた。
 顔を上げれば、いつの間にか傍らに来ていたらしい勇者を見つける。
 魔物と魔獣との連戦を経ているはずの勇者は、けれども飛び出したときとなんら変わらぬ姿でそこにいた。血の滴る剣を手にしてはいるが、息を荒げていなければ、返り血を浴びているどころか髪の乱れさえもない。美しい金髪が、陽光のもとで彼の力を知らしめるよう、王冠のように輝いている。
 しかし、普段は冷ややかにも見える表情が、このときばかりはどこか苛立ったように見えた。

「――ついてこい」

 短い一言。それだけを残し、勇者は反応を見ることもなく歩きはじめてしまう。
 慌ててリアリムは立ち上がり、抱えた少女を落とさぬよう意識しながらどんどん離れていく背中を小走りで追いかける。
 助かった安堵を噛みしめている暇などなかった。

 

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