リアリムの旅の準備を整えるため、勇者一行は騒動があったその日も町に留まった。同じ宿を町長の権限でとってもらい、今回は一人一部屋で身を落ち着ける。
 “魔を呼ぶ者”と判明したリアリムは話し合いを終えた直後、優秀な魔術師リューデルトが生み出した結界を纏うようになった。
 目には見えず、また結界が張られているという感覚があるわけでもない。しかし透明な膜は身体の輪郭をなぞるようにして確かに存在しており、それによって魔族を引き寄せる何かの放出を防いでいるそうだ。そのためリアリムがここにいたとしても、結界が解かれぬ以上は魔族が惹かれてやってくることないという。
 効力が消えてしまわぬ三日間を過ぎたり、リューデルトから遠く離れてしまったりしない範囲では自由にしていいと言い渡されていた。
 けれども出歩くことなどできるわけもない。ただでさえ前夜野盗に襲われたこともあったが、何より精神を疲弊させていたリアリムは早々に床についた。だが結局過ごせたのは眠れぬ長い夜だった。
 翌朝顔を合わせたリューデルトとラディアは、リアリムの様子に物言いたげにしていたが、交わした言葉は当たり障りのないものだ。青白く生気のない顔の理由がわかっていたからだろう。
 最低限の旅支度は昨日のうちに済ませてあり、今日は足となる馬を選んで町を出立する予定だ。
 揃えるもののすべては勇者の金で支払われた。なんといっても勇者であるのだ、これまでの旅路で退治してきた魔獣の身を売り自ら稼いだだけでなく、人のいる場所に行けば必ず路銀は渡される。人類の希望たる勇者に旅費を差し出すことを厭う人間はいない。そのため金は潤っているし、尽きることさえないのだと、資金のやりくりを任されているリューデルトは不敵な笑みを見せていた。
 恐らくリアリムのためを想ってなのだろうが、そもそも身一つで飛び出してきたのだ。端から一銭たりとも持ち合わせてはおらず、どう申し訳なく思おうが、どう足掻こうが、勇者たちの世話になるより他ない。
 勇者たちは森を通り集落に向かうために自分たちの馬はこの町に預けていたのだという。
 乗馬の経験がなく、当初リアリムはリューデルトかラディアに同乗してもらうはずだった。しかし彼らの愛馬は二頭ともがリアリムを拒絶したのだ。
 実はリアリムは昔から動物たちに敬遠されることがほとんどだった。人懐こいとされている隣家の飼い犬にまで怯えるように唸られるばかりで、猫は目を合わせただけで飛び跳ねるように逃げていく。厩に繋がれた馬や牛舎にいる家畜たちも騒ぎだし、近くを通ることさえ気をつかった。
 唯一リアリムに懐いてくれたのが、鼠のヴェルだけだったのだ。だからこそリアリムは小さな友が可愛くてしかたなかった。
 本当は馬に乗る、と言われた時点で不安ばかりが募っていたのだ。そして予想は的中し、やはりリアリムは馬自身に乗ることを拒否されてしまった。
 どんなに飼い主たちが宥めたところで駄目だった。ラディアには従順であれども人の好き嫌いが多く、暴れ馬の素質を持つ青毛の馬ディッシュはともかくとして、美しい栗毛に金色のたてがみを持つリューデルトの雌馬レイナラもリアリムを嫌ったのには二人とも驚いていた。
 レイナラは生来気性が大人しく、目に余る態度で接しない限り怒らぬ温厚な性格なのだと言う。しかし彼女はリアリムを目にした途端身を揺らし、今にも飛び出ししてしまいそうな不安定な様子を見せたのだ。リューデルトが宥めてもしばらく落ち着かず、視界に入れただけでその様子なのだ、乗せてもらうなど無謀だった。
 傍で繋がれていた他の馬たちも同様に落ち着きのなさを見せるなか、唯一静かにリアリムを見つめる瞳があった。
 その馬は鹿毛やら青毛やら濃い色が並ぶ場所に一頭だけ馴染まずにいた。毛の色が一切の穢れを知らぬ真白だったからだ。
 以前老いた芦毛の馬を見たことがあるが、この馬はそれよりもさらに白く混じり気がまったくない。そして瞳は透き通る空色で、その目を見てリアリムは勇者を思い出した。彼も同じ色の瞳をしていたからだ。
 吸い寄せられるように、白馬のもとまで歩み寄る。他の馬たちが興奮する中、彼女だけは静けさを纏ったままでいた。リアリムが無意識に手を伸ばし鼻先に触れても、そっと瞳を閉じて受け入れる。
 短い毛並みの下に感じる温もり。それはヴェルを手の平に乗せるよりもはるかに大きく、リアリムにとっては初めての感触だった。
 しばらく艶やかな白毛を堪能し、どこか戸惑いを見せるリューデルトとラディア、それとどこまでも無口な勇者とともに厩を離れ、その後に宿屋に向かい夜を明かした。
そして次の日、朝一番に町長の勧めてくれた町一番の馬屋に向かったのだった。
 馬に乗れないのには困ると、リアリムと相性のよさそうな馬をラディアが見繕ことになった。乗馬についてはおいおい教えてもらい、今はともかくリアリムを恐れない馬を探すのが先決だった。
 結果として目的の馬が見つかることはなかった。町にあるすべての馬屋を回っても、一頭としてリアリムを受けつけなかったのである。
 リアリムを前にしても平静を保っていたのはあの白毛だけだ。その事実にしばらくリューデルトたちは顔を見合わせ悩み、そこへ勇者が声を挟んだ。

「シュナンカに乗せる」
「ですが、勇者さま。それでは勇者さまが」
「おれは走る。そいつの馬が見つかるまでそれでいい」

 どうやらシュナンカとは勇者の愛馬であり、これまでにまだ見ていなかったことをこのときリアリムはようやく気がついた。そしてその馬に自分が乗り、勇者に自らの足で旅をさせてしまう事態に向かおうとしていることも同時に悟る。

「そ、そんな。それでしたらおれが走ります。馬には勇者さまがお乗りください」
「おまえでは遅い。おれが駆けた方が余程早い」

 確かに一般的な成人男子であるリアリムと常に魔族との戦いに身を投じている剣士、それも勇者ともなれば身体能力の差は大きいだろう。まだそれほど体力のほどを目にしたわけではないが、リアリムが走るより勇者の方が馬に差をつけられないはずだ。
 ばっさりと事実で切り捨てられてしまえば、それだけで言い返す言葉を失ってしまう。
 勇者はリアリムに一瞥もくれることなくリューデルトたちに対してだけ先に行く、と一言残し、足を止めたままの仲間たちを置いて一人足早に進んでいった。

「――……おれはやっぱり、嫌われているのかな」

 あっという間に遠ざかった背がやがて角を曲がり消えてしまったところで、リアリムはぽつりと弱音を吐いた。
 勇者の態度はいつでも素っ気なく、目も合わされないことがほとんどだ。常に近寄りがたい雰囲気を纏い、傍に行くことさえ許されないような威圧がある。
 厄介事ばかりを舞い込ませている自覚はあった。そしてリアリムは特になにか得意とするものがあるわけでもなく、旅の助けになるようなことなどなにもできない。それならば疎ましく思われても仕方のないことだ。しかし、そうは思ってもやはりああもあからさまであれば気落ちせずにはいられない。
 人間なのだ、他人の好き嫌いくらいはあるだろう。リアリムとて苦手な人物は少なからずいた。反対にリアリムを苦手と思ったり、嫌っていたりした者もいただろう。だが誰しも穏便にさざ波立てず生きていきたいものだ。あえてつっかかかるような行動をすることも、明らかに態度に出す者もそういなかった。だからこそリアリムは勇者に困惑してしまう。
 理解をしていても、しかし人から嫌われていること事実を突きつけられたいわけではないのだ。
 狭い集落しか知らなかったからこそリアリムの世界は狭い。みな身内のような環境にいたからこそ、平穏な場所にいたからこそ、はっきりと感じる拒絶にどう対応すればいいかわからなかった。
 俯くと、ぐしゃりと髪が掻き混ぜられる。はっとして顔を上げると、脇を通り前に出たラディアがひらひらと手を振っているところだった。

「あいつは誰にでもああなんだよ。いちいち気にするとはげちまうぜ。さっさと慣れるこった」

 足早に行ってしまった勇者とは対照に、ラディアはのんびりと歩きはじめる。そのあとを追いかけると、前を見たままのリューデルトが声をかけてきた。

「すみません、リアム。勇者さまに悪気があってのことではないのです。どうか許してくださいね」
「許す、だなんて、そんな」

 自分ごときが勇者たる存在を許す許さないなど言えるわけもない。リューデルトの言葉に吃驚して足を止めてまで大きく首を振ると、彼も歩みを止め、悲しげにリアリムに微笑んだ。

「勇者とは、孤高でなければならないのです。わたしとライアは確かにあのお方の供をさせていただき、今は旅の仲間として一番近い場所にいます。しかし、それでも勇者さまはいつだっておひとりなのです。そうでなければならないから」

 なにか、深い意味があるのだろう。けれども言葉の真意を問うことはできなかった。あまりにリューデルトの表情が寂しかったからだろうか。単に自分に意気地がなかったからか。なんにせよリアリムは勇者をまだ知ることはなかった。
 リアリムとリューデルトは、どちらからともなく口を閉ざしたまま歩みを再開させた。

 

 

 

 辿り着いた先は、一番初めに向かったあの厩だった。そこにリューデルトたちの馬も繋がれているのだから、当然勇者の愛馬とてこの場所にいるのだろう。
 どの馬だろう、と探す必要はなかった。先に来ていた勇者がすでに愛馬の前でその鼻筋を撫でていたからだ。そしてその馬は、あのときリアリムが触れることを許してくれた白馬だった。

「おれが手綱を引く。おまえがシュナンカに乗れ」

 シュナンカの名を与えられた勇者の愛馬は、飼い主と同じ色の瞳でやはり静かにリアリムを見つめていた。
 おそらく、彼女にならば動物に嫌われるリアリムとて跨げることだろう。しかしシュナンカはただの馬ではない。勇者のものなのだ。
 その場から動かないリアリムに、勇者は少しばかり目を細めた。

「自ら乗馬を拒否するならば、命じる。おまえがシュナンカに乗るんだ」

 彼の命令を受け入れないことは許されない。
 国の違いも地位も、なにもかもが勇者の前では意味を成さない。諸国の王でさえ頭を垂れるとされる彼こそが人類において絶対の存在なのだ。
 リアリムのちっぽけな意思の抵抗など、勇者には些末なことでしかなかった。

「――わかりました」

 彼が勇者であるからこそ、彼の愛馬に跨るなどできないと思った。ましてや自分だけが馬上で道を行き、勇者を走らせるなど。しかし彼が勇者であるからこそ、その命に背くことなどできはしないのだ。

「リアム、乗馬はできますか?」
「……いや、経験、ないんだ。おれ昔からよく動物に嫌われていて、近づけさせてももらえなくてさ」

 傍に寄ることさえできないのだから、その背に乗せてもらえるわけもない。
 リアリムが困り顔を見せると、何故かリューデルトは笑って見せた。はじめリアリムはそれを嘲笑じみたものだととりさっと顔を赤らめたが、すぐにその誤解は解かれる。

「すみません、笑ったりして。実は勇者さまもあなたと同じく動物たちに嫌われているのですよ。シュナンカだけが勇者さまを受け入れてくれたのです。そのときを思い出してつい」
「ああ、あんときだな。旅が始まったばかりの頃は勇者といえども慣れない馬上で危なっかしくてよ。シュナンカのやつが大人しかったからまだよかったが、これがもしおれんとこのディッシュだったら数歩進むごとに振り落とされてただろうな」

 意外な事実にリアリムは何度か目を瞬かせた。
 勇者が自分と同じく動物に嫌われる性質というのに驚かされたが、何よりすべてを完璧にこなしてしまえるような存在と思っていた彼が、危うい騎馬をしている様子など想像もつかなかった。しかしリューデルトと同じく過去を振り返り笑いを噛みしめているラディアを見ると冗談などではないのだろう。
 何より、どこかきまり悪そうに顔を誰もいないのほうに向けた勇者の反応が、それが事実であったのだと教えている。

「まさかリアムと勇者さまにそんな共通点があるとは思いませんでした」
「ま、安心しろよリアム。こいつのおかげで素人に教えることは慣れてんだ。おれたちがしっかり指導してやるよ」
「ええ。それにシュナンかは大人しい馬ですし、きっとすぐに乗れるようになりますよ。まずは少し練習してみましょう」
「――準備ができたら呼べ」

 勇者は顔を背けていたほうへ向かい、その先にあった木の根元に座り込む。幹に背を預け、いつものように腕を組んで、早速眠る体勢を整えてしまった。
 ここからでは大声を出してようやく耳に届くであろう距離だ。
 目で勇者を追いかけていたリアリムは、そっとリューデルトたちに耳打ちする。

「本当に、勇者さまに歩かせてもいいのかな。それに、手綱を握らせるなんて」

 不安な感情が真っ直ぐに表に出ていたのだろう。
 リューデルトはリアリムを落ち着かせるよう、穏やかに笑み、諭すために口を開く。

「勇者さまは確かに貴き方です。彼に代わる人などこの世にはおりません。ですが、あの方の内はいたって人々と変わりないのですよ。リアム、あなたと勇者さまの心に違いはありません。少々気難しいところがあり、態度もあなたにしてみれば素っ気なくも思われることでしょう。しかし悩むことも苦しむこともあるのです」

 常に纏う表情の読めない顔。それが苦渋に歪む姿は想像ができなかった。それだけ勇者の被る仮面は完全なものなのだ。

「あの方に待ち受けるものへの道のりに、決して楽はありません。困難ばかりが立ち塞がるでしょう。ですが彼は進まねばなりません。何故なら勇者であるから。この世で唯一、魔王と対峙できる者だからです。勇者となるべくして生まれ、当然のように背負わされている重責。それを放り出すことは許されません。ですがときには、あまりにも重たいそれに足を留めたくもなる――あの方は勇者です。けれどもやはり、人間なのです」

 これまでの旅にも、リアリムには想像もできないような苦労は多く付きまとってきたのだろう。ただの旅人では遭遇しえない難事に立ち向かっていき、逃げることはできず、ただひたすらに突き進んでいったのだろう。
 勇者が何を為すものか、それは有名な話で、ときに子供が寝物語に聞かされることもある。しかしそのために待ち受ける語られぬ旅路に何があるのか、どんな障害が立ちはだかっているのか、それを知る者はあまりに少ないだろう。リアリムが頭に描くものはあくまで想像でしかないのだ。
 リューデルトとラディアは真実を知る者であり、そしてリアリムは知らぬ者。けれどもこれから知っていく者でもある。
 きっとリューデルトは望んでいる。リアリムが勇者を知ることを。
 おそらく、リアリムが同行することが決まってから、ずっと。だからこそ幾度か勇者の内面に触れることがあったのだろう。
 そしてそれを求めているのは彼だけではない。

「――ったく、おまえは回りくどいんだよ。そんな小難しく言わなくたっていいだろ。結局何が言いたいんだかよくわからなくなってんじゃねえのか」

 リューデルトの話に頭痛がしたとでも言いたげに、ラディアは乱雑に頭を掻いた。

「あいつはあの通り愛想がねえ。自分勝手にも行動するだろう。だがよ、その表面だけで判断しないでくれ。傍若無人な王サマなんかじゃねえんだ。あいつは――勇者は、孤独なんだ。だから少しでも寄り添ってやってほしい」

 つい先刻、リューデルトは勇者を孤高でなければならないのだと言っていた。ひとりなのだと、そうでなければならないと。
 ラディアは彼を孤独と言う。寄り添ってやってほしいと、少しでもいいからと。
 二人は互いの言葉を耳にしていたはずだ。だがどちらも訂正させるようなことはなく、その上でふたつの相反する言葉をそれぞれリアリムに渡した。
 ラディアは直接的に語り、そしてリューデルトは真意を押し隠すことが多かったと短い付き合いの中で感じていた。そうであるならば、ふたつのうちどちらが真に勇者の仲間たちに望まれているのかわかるような気がする。

「あいつが勇者だからとか、あんまり気にすんな。そんなちょっと変わった名前のただの旅の剣士だとでも思ってくれよ。勇者だからって必要以上に遠慮したり、自分を下にしたりなくたっていいんだ。むしろ対等だと思え。あいつは身分とか気にしないからよ」

 ちらりと、瞼を閉じまるで眠るように座っている勇者を盗み見る。
 孤高であり、孤独である方。
 勇者とは、何者であるのか。魔の王を討ち果たす者。人類を守るべき者。誰も肩を並べること出来ぬ強者――だが、それ以前に彼もまた心ある人である。
 しかし、勇者本人が何ひとつ語ろうともしないために、そもそも彼がどういった人物であるのかがまるでわからない。リアリムをはじめとした勇者を知らぬ者が抱く幻想そのままか、それとも短い期間で知ったその寡黙な面をそのままに受け取ればいいのか。それとも長いこと仲間をしてきた者たちが教えようとする姿か。
 勇者とは、何者であるのか。使命を持ち、人々を救い。与えられた天命を、彼は何を思い全うしようとするのか。

「――善処、する」

 曖昧な返答に、けれどもラディアは満足げに笑んだ。

「それで上等だ。それじゃあ湿っぽい話は終わりだな。あんまり待たせちまうと勇者のやつが寝ちまうしな」
「それは困りますね。今日中には町を出るのですから。リアム、少し厳しく行きますよ。いくら手綱を引いてもらえるとはいえ、最低限のことは覚えていただきませんと。後ほど道中でも教えますので、一生懸命に覚えてくださいね」
「う……ぜ、善処します……」

 語尾が消えゆくようなリアリムの反応に、勇者たちの仲間たちは笑い、傍らではシュナンカが穏やかな瞳で見守っていた。

 

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