どうにか危うい騎乗姿がリューデルトに認められるようになった頃、ようやく四人はワンナの町を旅立った。
 予定通り勇者がシュナンカの手綱を握り、リアリムが彼女の上に跨る。短期間で詰め込まれたとはいえ、駈歩(かけあし)はおろか速歩(はやあし)させるのもまだ早いと、今日の内は常歩の速度で進むことにした。
 シュナンカはとてもおとなしく、不慣れなリアリムが上に乗っても不満げな反応のひとつも見せない。それどころか呼吸を合わせようとしてくれて、これならば割り方早く騎乗を覚えられることだろうとラディアは言う。
 さすがは勇者に選ばれた馬である。馬には初めて触れたが、その巨体を恐ろしく思わなかったのもやはり彼女の冷静さのおかげだったのだろう。
 おそらくラディアの愛馬ディッシュであれば、彼も、リアリム自身も怯えて触れ合うどころの話ではなかっただろうし、それが記憶に焼き付き苦手になりかねなかったと予想がつく。飼い主であるラディアでさえそう笑っていたのだから、そうならず済んでよかったと心底安堵した。
 触れられないだけで、嫌われるだけで、リアリムは決して動物たちが嫌いなわけではないのだ。
 この日は辺りが暗くなる前に足を止め、今夜野宿する場所を決めて腰を落ち着けた。
 勇者とリアリムにいつまでも慣れないディッシュとレイナラの二頭のことを考え、馬たちは少し離れた場所に離してある。彼らの周りにリューデルトの結界を張っているらしく、魔獣や獣に襲われることはないという。自分たちの意思で抜け出ることはできるものの、これまでに賢く従順な彼らは逃げ出すこともしたことがないのだそうだ。
 リューデルトはもっとも防壁を張る結界の魔術を得意としているらしく、リアリムにかけられている“魔を呼ぶ者”の力を抑えるものも十分な効果を発揮していた。ワンナに辿り着く前に幾度か魔獣に襲われたのだが、今日はまだ一度も襲われることはなかったのか証拠だろう。
 魔術師であるリューデルトの実力を疑うわけではないが、それでも魔物も呼び寄せる己の身体を不安に思っていたリアリムは、眠る場所を定めたときにようやく胸を撫で下ろした。彼らの傍にいる間は、間違いなく災いを呼ぶ自分は眠っている。迷惑をかけることもなく済むのだ。
 道中いつ魔の者が現れるのか顔に出さないよう努めてはいたが、気が気でなかった。さらには慣れない乗馬に臀部や腿がやや痛む。心身ともに疲労したこともあり、地に足をつけたときはとてつもなく安心したものだ。
 常備食はあるものの、時間があるからと勇者とライアは狩りに出かけた。リアリムはリューデルトの手伝いで、あるもので夕食を作る。
 少し辺りを探索して見つけた野草を渡せば、リューデルトは喜んだ。

「リアムが野草などに詳しくて助かります。わたしにも知識はありますが購入することが多く、自然のものを見つけるのが苦手でして。ライアや勇者さまはもとより植物など興味がなく、そもそも野菜よりも肉がお好きな方たちで、探すのなんてあてになりませんし。これからは切らさずに済みそうですね」
「おれ、野草とか薬草とか見つけるのは得意なんだ。だから必要になったら言ってくれよ。いくらでも採ってくるから」

 頼りにしている、とリューデルトは力強く頷いた。それほどまでにこれまでの旅路で食事について思うところがあったのだろう。
 リアリムが摘んできた野草を感心深く見ていたリューデルトは、ふとひとつの葉を手に取った。

「これも食べられるのですか?」
「ああ。サトナの葉だな。それは葉の根元しか食べられないから、売りに出されることはないんだ。少し苦みは強いけど、でも風邪予防にいいんだよ」

 葉自体は人の指ほどの長さだが、実際食せる部分は指先の第一関節までだろう。白っぽい葉柄より先の緑に色が変わっている辺りではとても渋くて、熱を通したとしても食べられたものではない。

「煮出すとわりとさっぱりと飲めるよ。そのときハルナルの花を淹れるとふんわりとした花の香りがして美味しいんだ」
「ハルナルの花?」
「そう。多分見かけたことあると思うよ。ここら辺ではもう少ししないと咲かないけれど、広範囲に分布しているから。えっと、小振りで膨らんだように丸い花を咲かすやつ」

 説明されようやく思い当ったらしいリューデルトは、すっきりした顔を見せる。

「ああなるほど、あれがハルナルなのですか。今度見かけたら試してみましょう」

 他にもリアリムが採ってきた野草のなかでリューデルトが知らないものがあったらしく、それをひとつひとつ説明していく。その度に彼は新たに授かる知識に感服していた。学ぶことが好きなのだろう。
 彼に教えられるようなことが自分にあるという事実が嬉しかった。何の役にも立たないと気に病んでいたが、ささやかにしろ、まったくできないことがないというわけでもないようだ。
 リューデルトは聞くところによるとこの世界一の大国セルナシアの出の魔術師なのだという。ラディアも、そして勇者もそこの出身で、彼らの旅が始まった場所でもあるそうだ。
 セルナシアで学を身に着けたリューデルトであるが、あくまで本分は魔術師であるし、学んだ薬草の知識も野草のものはあれども、誰もが知っている店で売っているようなものから珍種の範囲であり、リアリムたちのような田舎に住む庶民がそこらに生えて拾っているものはそれほど深く触れてはこなかったようだ。
 きっと、勤勉家の片鱗を見せるリューデルトはすぐにリアリムから知恵を吸いとっていくだろう。だがそれまでの間、彼の肥やしとなれるのであれば、少しは旅に同行せざるをえなかった状況にも意義は生まれるだろう。
 鳥の干し肉を煮たたせ、そこにリアリムが採ってきた野草を放り入れる。最後に乾燥させ粉末状にした魚を一振り入れて、調味料を足して味を調えスープは完成した。
 長期保存ができる硬いパンを取り出したところでラディアたちが戻ってきた。手には膨れた麻袋があったが、その輪郭からして獲物を狩ったわけではないのだろう。

「なんも見つけられなかったんだけどよ、そのかわり木の実とか採ってきた」

 勇者はすぐさま鍋から少し離れた場所に腰を下ろし、ラディアはリューデルトに袋を手渡した。
 中身を開けて、そのひとつひとつをリューデルトが確認をする。その中にわずかだが毒性のあるサディアを見つけた。
 リューデルトは指で摘まめるほどの丸い赤い実を他のものに重ねるよう置いてしまう。その様子から、恐らくサディアの効果には気が付いていないのだろう。

「リュドウ、それ。その赤い実を食べると腹を下すよ」
「えっ、どれです?」
「そのほら、ふたつ前に置いたやつ」

 指摘したものを手に取りまじまじと見詰めたリュドウは、はっと表情を変えた。

「サディアの実でしたか……」
「なんだそりゃ。それはええっと、なんだっけかな……さるにあ?」
「サルシア、のことだと思う。サディアの実によく似ているやつ」
「ってことは違うのか」

 どうやらラディアは別の他の木の実と勘違いしたようだ。
 色味もそっくりで木になる葉の形まで似ている、サディアとサルシア。しかしサディアは時として下剤代わりにも使われるような木の実で、対するサルシアは下痢止めの効果がある。違いと言えばサディアはまん丸く、ラディアは少しばかり長いことくらいだ。味さえも酷似しており、サルシアと間違えて食べてしまう者が多い。
 誤食したとしてもサディアの毒性は凄まじいわけでもない。しかし旅の途中ともなれば多少は困ったことになりかねないだろう。
 リューデルトは瓜二つの木の実のことを知っていたらしく、しゅんと肩を落とした。

「申し訳ありません。わたしも勘違いしていました。危うく勇者さまにお渡ししてしまうところでした」
「おい、おれの心配はないのかよ」
「あなたは下してしまうような胃袋ではないでしょう」
「あんだと?」

 ずいっとリューデルトに詰め寄ったラディアにリアリムははらはらしたが、心配するような事態にはならなかった。
 まあそれもそうだとあっさりとラディアが引いていったのだ。リューデルトも何事もなかったかのようにリアリムに向き直った。

「リアム、確かあなたは薬草屋をやっていらしたのですよね」
「ああ。だから結構野草とかには詳しいよ」
「それならこれからはそういった面はあなたにお願いいたしますね。それと師事していただきたく思います」
「ああ、いいよ。それならおれも得意だし、それくらいしか役に立てないだろうし。それに師事なんてそんな大層なもんはできないけど、ちょっとしたこととかなら教えられると思うから」

 嬉しそうに顔を緩めたリューデルトは、その美貌を普段きっちりとした顔つきにしているだけに、同じ男でも思わずどきりとさせられる。
 自分にもできることがあって、少し心が浮かれていたせいもあるのだろう。
 一瞬でも邪な胸の高鳴りを感じたことを悟られぬよう、自分を誤魔化すためにもリアリムは鍋を掻き混ぜた。
 勇者たちが採ってきた木の実とリアリムが作ったスープ、それとパンをそれぞれに配り、四人は夕食を摂った。これまでの道中同様、勇者であっても食事の内容は同じものを口にする。
 食事が終わる頃、リューデルトが明日の予定を話した。

「明日は徐々に速度を早めていきましょう。習うより慣れろという言葉もありますし、その分休憩もこまめに挟むようにします」
「それでもおれはいいけど……その、勇者さまは大丈夫なのか?」

 一人輪から少し離れたところで早々に食べ終え目を閉じる勇者を気にかけ、リアリムは声を落とす。
 もともと走ることに特化している馬だ。いくら勇者でもその体力は違うだろうし、何より馬の脚に追いついて来られるものなのだろうか。歩くような速力ならばまだ間に合うだろうが、いくら全速力で駆けないにしろ、最終的には並ぶことが困難になることが想像できる。
 とはいっても、勇者が汗だくになって息を切らし走る姿までは思い浮かべなかった。

「それは問題ありませんよ。勇者さまにはとっておきの魔術があるのです。それは歴代の勇者の名を授かった者にしか扱えず、効力もまた勇者にしか効かないのです」
「おれも一度でいから経験してみたいんだけどな、ためしにかけてもらってもなんの変化もなかったんだよ」

 悔しそうにするラディアの脇からリューデルトはそのとっておきを教えてくれた。
 勇者にのみ有効な秘術。それは肉体強化であるらしい。
 全身の筋力を向上させることはもちろんのこと、肌の硬質化や回復力の増強さえもできるのだという。勿論あくまで勇者は人間の身体を持っているため限度はあるものの、引き出せる能力は凄まじく、その術さえあれば魔族と素手で渡り合うことも不可能ではないという。
 当然それほどまでに強力な魔術であるからこそ勇者のみにしか扱えず、また反動もあるのだという。大したものではないが、とその点をリューデルトは曖昧して語ることはなかった。

「ともかく、そういうことでいざとなれば勇者さまは相手が馬といえども十分に並走できるのです。さすがに全速力で駆けられたら追いつけないかもしれませんがね。まあそれほど走らせることはありませんし、もとより体力も桁はずれですし、リムが心配する必要などありませんよ」

 リューデルトの言葉を最後に、明日の予定は確定された。
 なにせ勇者はいずれ世界を支配することが出来るほどの実力を持つ魔王と戦う者だ。多少人間離れしたことも平然とやってのけるのだろう。
 心配など、まさに無用のものだったのだ。これ以上思う必要もないと、リアリムは頷いた。
 野営の準備は勇者とラディアの手ですでに整えてあり、火の番をするリューデルの他は眠りにつくことにした。
 不慣れな乗馬で疲れていた身体は、かたい地面の上といえども横になればすぐに睡魔に襲われる。どっと疲労が押し寄せ、気づけばリアリムはすっかり熟睡していた。
 そのまま起こされるまで身体を癒すかと思われたが、明け方頃、ふと目を覚ます。
 薄らと目を開ければ、いつの間にか番を交代したらしいラディアが薪を足し、細い火を保っていた。その隣でリューデルトが眠りについている。勇者はリアリムの記憶が途切れる前と同じ、皆から少しばかり離れた場所で座ったまま眠っていた。
 森に薄らと陽の光が差しこみ始めるなかリアリムが身体を起こすと、それに気づいたラディアが振り返る。

「おう、どうした? まだ起きんのには早えぞ」
「ちょっと、用足し行ってくる……」

 まだ完全に眠気は抜けきらず、少し舌足らずのように答えながら、リアリムは一度皆から離れる。用を済まし戻ってくると、今度はラディアが立ち上がった。

「悪い、ちょっと今腹下しそうでよ……なるべく早く戻ってくるから、一応火を見といてくれないか」
「ん、わかった」

 この頃には時間を置いたこともあり、大分意識もはっきりしていた。
 どことなく青い顔をしているようなラディアの背を見送り、それまで彼が腰かけていた場所に今度はリアリムが座り込む。
 ちろちろと燃えている火をただ眺めていると、ふと微かな声が聞こえた。

 

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