たくさんのキスを

 

 ドアノブがガチャリと音を立てて回り、開いた扉の奥から龍之介が顔を出した。
 それぞれ携帯端末や台本を見ていた楽と天は顔を上げ、入り口でマスクを外す龍之介に目を向ける。

「天、楽、おはよう」
「おはよう、龍」
「おはよう。遅かったな」

 楽が腕時計を確認すると、姉鷺から指定された楽屋入りの時間のちょうど五分前だった。
 時間には間に合っているが、スケジュールが詰まっていない限りはゆとりを持った行動をしている龍之介にしては珍しい。

「ちょっと、家を出るのが遅くなっちゃって」
「そう。六弥ナギとの休みは充実していたようだね」

 龍之介の満ち足り緩んだ表情に天は口元を綻ばす。しかしその後にはしっかりと、ファンの前ではしゃきっとしてね、とファンを大事にしている彼らしい言葉が付け足され、龍之介は照れながらもそんなにだらしなかったかと頬に手を添える。
 昨日はまるまるオフだった龍之介は、偶然休みが重なった恋人のナギとふたりで、一日中龍之介の家で過ごしたた上で泊まってもいったのだという。浮かれきった龍之介から事前に休みの予定を聞かされていた天と楽にとっては、今日の仕事に出てくる間際まで別れを惜しんでいたことは容易に予想がつくもので、また指摘をされて引き締めようと努力をしながらも、やはり幸福の滲む表情を変えることのできない彼を見ていれば、どのように二人の時間を過ごせたかなど誰でもわかることだった。

「――龍、唇荒れてる」
「え?」

 帽子も外して席に座った龍之介が鞄から荷物をとり出していると、ふとその横顔を眺めていた天が呟いた。

「はい、リップ。新しいの買ったけれど、さっきスタッフさんからももらっちゃって余ったから、龍にあげる。いつ撮られるかもわからないし、気をつけないとだめだよ」
「ありがとう、天」

 差し出された新品のリップクリームを受け取った龍之介は、すぐにそれを唇に塗った。
 自分でも気づかないうちにひどく荒れていたらしく、乾燥にめくれた皮が引っかかる感触が指先に伝わる。いつのまにこんなにも荒れてしまったのだろうと内心で首を傾げている龍之介を見ていた楽が、気まずげに頭を掻いた。

「あー……随分楽しんだんだな、龍。その、おまえがその調子で、六弥のほうは大丈夫か?」
「ナギくん? 今日はちょっと疲れていそうだったけど、でもどうしてわか……あ」

 言葉の途中で、楽が何を言いたいのか察した龍之介は押し黙って口元を押さえる。楽は苦笑し、そんな二人を見た天は訝しげに眉をひそめた。

「何の話なの?」
「え!? いや、その、ナギくんには後で謝るから! あ、そうだ、リップ持っていかないと……!」
「おい、龍! ――行っちまった」

 一人顔を赤くしあわあわとした龍之介は、そのままリップクリームを握って楽屋を飛び出した。その行く先は、近くに楽屋を用意されているIDOLiSH7のナギのもとであるのは明白だ。
 事情の掴めていない天は、やれやれと言った様子で息をつく楽に詰め寄った。

「なんで龍はリップを持って六弥ナギのところに向かったの?」
「まあ、大人には色々あんだよ。お子様にはまだ早かったな」
「お子様じゃないんだけど」
「おまえはそっちのほうはまだまだってことだよ」
「そっちって何。勝手に子供扱いされるのは納得いかないんだけど」

 きっとナギも唇が荒れているのだろうなと思いながら、楽はようやく天を宥めにかかった。

おしまい

2019.6.18


キスのしすぎて唇の荒れている龍ナギ

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