明かりを消してしばらく経って、龍之介がそろりと声をかけてきた。
「ナギくん、起きてる?」
目を開けて振り返れば、暗闇のなかでぼんやり龍之介の影が見えた。表情は窺えないが、その声音からひどく緊張していることが伝わってくる。
「なんです?」
「その……キス、してもいいかな」
ようやくか、とナギは思った。
これまで何度も泊まりに来ていたし、そのたびにベッドをともにしていた。それでも龍之介と過ごす時間は肌を重ねることのない健全な眠りだったし、ベッド以外でもそういう雰囲気になったときだってあったのに、怖じ気づいたのか彼が手を出してくることはなく、これまでキスすらしたことがなかったのだ。せいぜい何度か家の中で手を繋いだくらいか。
まあ、自分を相手に気後れしてしまうことがあるのもわかる。高嶺の花にはおいそれと手出しができないものだ。しかしナギに恋人と認められて、しかも同じベッドに入ったというのに何事もなく朝を迎えるというのは、逆に失礼だとは思わないのだろうか。普通恋人と寝るとなれば互いに覚悟しているものだ。むしろ誘いととってもいい。それをただ就寝しておしまいなど、一般人であれば自分に魅力がないと気落ちしてしまうことだってありえるというのに。
別に、ナギは龍之介としてもしなくてもどちらでもいいのだけれど。彼はそうではないのはこっそり向けられる熱い視線でわかっている。それなのにここまでチャンスがあってもすべて自ら逃してしまっていたので、いったい龍之介がなにを考えているのか実に不可解だった。
ようやく訪れたこの瞬間だというのに、ムードもへったくれもなく、スマートでさえないが、まあ龍之介が相手だとしたら求めすぎるのは酷であろう。
それよりも彼の勇気と二人の初めての記念になる瞬間ということに免じて、多少のことには目をつぶってやることにした。
「いいですよ、しても。どうぞ?」
衣擦れの音とともに、二人を覆っていた毛布が動く。
仰向けに寝たまま待っていたナギは、ちむ、と押しつけられた唇に瞬きした。
「ありがとう。おやすみ、ナギくん。善い夢を」
額にキスをして、ナギの頭を撫でて龍之介は再びベッドに沈み込む。
しばらく待てども続きはなくて、ナギはわなわな肩を震わせて飛び起きた。
「このヘタレっ!」
「えっ!? ごめん、いやだった!?」
毛布をはぎ取られた龍之介はさっと正座をして困惑する。
闇のなかでも薄らと見える表情が腹立たしく、ナギはきつくにらみつけた。
「信じられません。アナタときたら、キスをするのではなかったのですか」
「え……だから、させてもらったじゃないか」
えへへ、と笑うようにはにかみ手で首裏を押さえた龍之介に、ナギの苛立ちは募る。
「なにを一人で満足しているのです! こんな、子供だましのキスで!」
「ど、どうして怒っているんだ……?」
本気でわかっていない様子の龍之介に、ついにナギはふっと表情を消して彼を押し倒した。
腹の上に跨がり、うわずる声で自分を呼ぶ彼の唇に人差し指を押し当て黙らせる。
「もういいです。ワタシからアナタに極上の夜を差し上げます。身に余る光栄でしょう、どうぞ感謝してくださいね」
「ちょ、な、ナギくん……!?」
夜は始まったばかり。
まずは大人のキスを与えよう。
おしまい
2018/10/21
残り香 top これまでの、これからの。 R18