最終章

 

 セイミアの言葉を受けたおれたちは、まず十五さんにりゅうを預かってもらい兄ちゃんの部屋に戻るようお願いをした。詳しい事情を説明しなくてもエイリアスの名前が挙がったからか、すぐに頷いてくれた。
 おれたちは動揺し取り乱すセイミアを宥めながら、中庭を出て真っ直ぐ王さまのもとへと向かう。
 すっかり顔なじみになった執務室への門番たちに一礼し、ノックもそこそこに中へ入れば、王さま、ネル、アロゥ、そしてディザイアが互いに顔を合わしているところだった。壁の隅にはユユさんが控えている。
 すでにおれたちの用件を知らされているのか、いつも笑顔を絶やさないディザイアを除いては深刻な表情が並んでいた。

「来たか。今呼ぼうと思っていたところだ」

 そう口を開いた王さまの声音は、どこか苦悶を混ぜたような、疲れも窺えるものだった。
 うわごとのようにジャスの名前を呼ぶセイミアは一旦ネルへと預け、おれと岳里も輪へと加わる。
 我を失うまでに動揺するセイミアを一瞥してから、アロゥさんがゆっくりと告げた。

「セイミアの他にも数名がその場にいたのでな。報告があったのだ。もう聞いておろう」
「――今度はジャスの身体が、エイリアスにとられたんですよね」

 深く目を閉じ頷いたアロゥさんに、岳里が再確認するように声を出す。

「あいつは実体を持たない者。だからこそ、人に乗り移る行動するしかない」
「でも! 何故、ジャスさんなんですか? あの場には他にも、ぼくだって人はいました。なんでそこの中でジャスさんがっ」

 突然声を荒げたのはセイミアだった。それまでソファに座り、ネルが傍らで寄り添うように支えていた。けれどいつの間にか抱え込んでいた頭を上げて、岳里を睨むように、やり場のない不安をぶつけるように悲痛に叫ぶ。
 それに言葉を返したのはディザイアだった。

「十二隊長は恐らく、以前より身体を使われていたとみていいだろう。使う身体にはエイリアス自身との相性もある。誰でもいいというわけではないし、もとより城の者の誰かはあれの手がかかっていると思っていたよ。その方がやつにとって行動しやすい――光の者よ、君もそう考えていたのだろう?」

 閉じたはずの目が向いたのは、岳里の方。みんなの視線を集めながらも、一切動じる様子なく岳里は求められるまま口を開いた。

「エイリアスは乗っ取った相手の記憶や思考さえも覗くことができる。であるならばこそ隊長の位に就く誰かの身体をすでに支配していると思った。――以前、真司が毒を盛られたことがあったろう。その時に解毒剤を盗み出せるのは城内部の者であるだろうし、他にもやつが真司を攫う時にも随分と周到に準備を重ねていたようにも思えた。おれたちの動向をある程度探るためにも、動かせる人間を城に置いていたとしてなんら不思議はない」

 岳里の言葉を聞いたセイミアは唇を噛み俯いてしまう。その姿がとても痛々しく感じて、おれは見ていられなくて顔を逸らした。
 いつも、どんな時でもセイミアがこれほどまでに取り乱すことはなかった。動揺を誘う場面があったとしてもそれはほんの少しの時間で、すぐに冷静を取り戻し対処する。そんな、おれたちよりも年下で容姿も年齢よりも幼げだけれど、隊長としての風格をみせていたのに。
 それなのに今のセイミアはひどく儚く見える。ぐらぐらと足場の悪いところに立っていて、軽くその背を押しただけでそこから落ちてしまいそうな。そんな不安を思わせるほど弱々しかった。

「こうなっては仕方ない。魔術師よ、一度結界を解いてはくれないか。すぐに終わらすので許してくれ」
「何をなさるか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「一度城全体を調べてみようと思う。これまではあくまで可能性の話であったし、わたしの力を広めては魔術師がかけた結界を破壊してしまう恐れがあったのでな。せずにいたのだが、今はひとつでも多くエイリアスを求めるべきだろう?」

 説明を受けたアロゥさんは頷き、普段のおっとりした話し方から一変して何かを口早に紡ぐ。ささやくような声を聞きとれないまま、恐らく結界を解いているんであろう様子を見守っていると、やがて詠唱は止まって、その視線がディザイアへ向けられる。
 それを知ったディザイアが今度は大きく両手を広げた。掌もいっぱいに開くと、次にゆっくりと指先を丸めていく。手が拳の形に変わった頃に静かにそれは下された。

「魔術師よ、再び結界を張って構わない」
「――調べ、終わったのか?」

 ディザイアの言葉を受けたアロゥさんは、また結界を作り出すためさっきと同じように詠唱を開始した。その傍らで、あまりにもあっさりとした一連の動作に、思わずおれは尋ねてしまう。
 それに返されたのは、いつもの微笑みだった。

「ああ、ここであの隊長の身体を用いて何をしていたのか、あらかたのことはわかった。随分と隠れて色々とやっていたよう、だな……っ」
「ディさま!」

 言い終える前にふらついたディザイアをユユさんが駆け寄り支える。大丈夫かと声をかけるユユさんに、ディザイアは笑みを崩さないまま首を振った。
 ディ、というのは、ディザイアの存在を隠すための呼び名だ。神さまが傍にいるなんて気軽に広められる話ではないし、まだエイリアスのことも公表されていない今その存在を知られるのは余計な混乱を招く。ディザイアというこの世界と同じ名前と本人が持つ独特な雰囲気のこともあり、さらに当人が神ということを隠さないから、おれたちは人前でディと呼ぶことにしていたんだ。
 恐らく城の中で一番その名を口にしているであろうユユさんが、不安げにもたれかかるディザイアに言葉を重ねる。

「ディさま、本日はまだ寝ていません。今までもずっと禍の者の捜索へと気を巡らせていたのですから、どうかお休みください」
「何のこれしき。多少足がおぼつかなくなったくらいで心配しすぎだ」

 身体を支えるユユさんにいつもの笑みを浮かべ、離れようとするディザイア。けれど言葉ほど余裕はなさそうで、立っているのがやっとのように見える。
 ユユさんの言葉から初めて知ったけれど、おれたちが休んでいる間にもディザイアはずっと力を巡らし続けてくれていたようだ。それにどれだけ力を消費するのかはわからないけれど、少なくとも軽いものじゃないんだろう。
 早く休ませてあげないといけない、と思い、ユユさんに加勢するつもりで口を開こうとしたところで先にセイミアが声をあげた。

「――どうぞ、こちらへおかけください。ぼくは……わたしはもう、落ち着いたので」

 そう言いながらそれまで腰かけていたソファから立ち上がり、ディザイアに対して空いた場所を示した。

「おお、すまないな治癒術師よ。折角なのだから甘えさせてもらおうか」

 ユユさんに支えられながら今度はディザイアがそこへ腰を下す。何か言いたげな表情を残しながらもユユさんはまた壁際に向かい、控える。
 一段落がついたところでようやく、これまで沈黙を貫いていた王さまが口を開いた。

「お疲れのところ申し訳ありません、神よ。しかしながら先程知ったこと、我らにお話しいただけるでしょうか」
「ああ、もちろんだとも。探ってみてようやくわかったが、エイリアスはあの隊長の身体を用いて様々なことをしていたようだな」

 そう苦笑交じりに、ディザイアはおれたちに知ったことをまず、と切り出す。

「かの王の手記。多くの文字か欠かれていたろう。あれも原因はエイリアスにあるし、本来竜族が保管しているはずの赤き導きの書。それもあれが盗み出し選択者の目のつきやすい場所に置いたようだな」

 かの王の手記、というものをおれは知らなかったけれど、王さまたちはそれに心当たりがあるようだ。何かを考え込むように息を吐く。
 赤き導きの書、と呼ばれるものはすぐにわかった。初代選択者である遥斗が、後の選択者のために綴った本のことだろう。
 以前岳里も、その本については本来であれば竜族の管理下にあるもの、と言っていた。そして長であるカランドラさんはそれを盗まれたと――それもエイリアスがやったことなのか。
 苦く重なっていく思いは、続く言葉にさらに積み上げられていった。

「次にそこの、猫の獣人よ。きみの身体に多少の細工の跡がある。前に身体的な何かで異変があったことがあったろう」
「――なんだあと?」

 名の挙がったネルは眉を顰めた。どういうことだと無遠慮に問いかける瞳は小さな不安で揺らいでる。そのせいなのか、多少鋭くなった目つきに、ディザイアはやっぱりいつもと変わらない調子で答えた。

「選択者と、街に行けなかったことがあっただろう。その時きみの身体に起きた異変はエイリアスが引き起こしたものだ。そのことが起こる以前に十二隊長から薬か何かを試飲でもしなかったか」

 その言葉にネルは俯きを返して、そっと自分の腹に手を添えた。
 確かに初めて街に行くという時、直前でネルの体調が悪いという理由で一緒には行けなかったことある。詳しい話は聞かされないままだったからよくは知らないし、その異変とやらが何だったのかも実際あったのかもわからないけれど。
 ネル自身のその反応が、心当たりがあると答えていた。
 黙りこくってしまったネルの肩を王さまが抱き寄せているうちに、ディザイアは今度おれの方を見た。

「選択者よ。きみの身に降りかかった不幸も、エイリアスが仕組んだもののようだ」
「おれの……?」
「そう。大きなものがふたつ、あったろう」

 その言葉に初めはわからなかったけれど、そのことをようやく思い出せば、一気に身体の芯が冷えていく。

「――きみを襲わせたのも。毒を盛ったのも、その解毒剤を城から奪い去ったのもそうだ。魔術師の魔術がかかる棚にエイリアスの魔力の残滓がある。かけらほどしか残っていないが、間違いなかろう」

 ネルのようにかたく口を閉じてしまったおれに代わり、その言葉にアロゥさんが返した。

「神のおっしゃる通り、解毒剤ゲツリルが保管していた棚にはわたし自らが魔術をかけました。貴重な薬も多く、有事の際の備えは勿論、盗まれたり悪用されたりせぬよう厳重に管理しておりました。棚を開くにはセイミアが持つ鍵か、もしくは彼自身の声が必要となります。そのこともあって、もし仮に禍の者が魔術を用いて無理に解錠したのならばその形跡は残るはずです。だが棚にはそのようなものはありませんでした」

 アロゥさんはそこで区切り、静かにディザイアを見つめる。
 つまりは、ゲツリルの保管していた棚は調べたけれど異変はなかった。なら、どうやってエイリアスはそこから盗み出したというのか、とそう問いかけているんだ。
 それにこともなし気にディザイアは答える。

「遠い昔に失われた、きみたちが古代の魔術と呼ぶものがあるが、エイリアスはそれを扱うことができる。他にはわたししか使えぬ文字通り失われた魔術であり、彼はそのきみたちが使う魔術とは異なるかつての魔術を使用したんだ。だが、それは棚に掛けられた魔術師の仕掛けを解くためではない。――治癒術師、きみにだ」

 閉じた目を向けられたセイミアは、僅かに目を見張った。

「わたしに、ですか……?」
「そうだ。治癒術師の身体を使い、薬棚の番人であるきみ自身に鍵を使用させ薬を取り出したのだ。正しい方法で開錠されたから棚に変化はなかったというわけだ。事が終わった後にはその場にいた他の者も含め記憶をすり替え、何も起きてなかったように思わせてしまえば証拠も残るまい」

 ディザイアは、今の魔術よりずっと、失われた魔術は強力で恐ろしいものだと話した。
 失われた魔術というのは簡単に言ってしまえば今の魔術とそう根本は変わらないらしい。大きな違いといえば、今の魔術はたった一人の魔術師の魔力によって編み出されるが、古代の魔術が発動するのに必要なのは魔力と、そして治癒力のふたつだということ。
 本来人間は魔力か治癒力どちらかひとつしか持たない。だからつまりは、それぞれを持つ二人以上の人間が協力し力を混ぜ合わせ形作るのか古代の魔術、というわけだ。
 もっと差異はあるらしいけれど、ディザイアはそのかつての魔術の復活は望まないからと言って詳細までは話さなかった。
 魔力と治癒力。そのふたつの力が合わさって発動する術は今の魔術よりも様々なことができるらしい。それこそ人の身体を操ることも、その記憶をいじることもできるほどのことが。

「エイリアスは人々から力を集めていた。それは何も一方の力だけではなかっただろう。あとはそれを自在に引き出す術さえ手に入れてしまえれば、あれ一人といえども本来二人は要する古代の魔術も扱えるというわけだ」

 とても厄介なものだ、と付け加えながらわざとらしい溜息をついたディザイアは、けれどすぐにそのおどけた様子を一変させる。
 閉じた瞳を未だ驚きの冷めていない様子のセイミアへとまた向けると、静かに口を開いた。

「治癒術師よ。きみはこの城の中でもっともエイリアスの影響を受けているようだな。その身も、心さえも。常にきみに術がかっているのを、わかっているか」
「常、に?」

 思わずと言った様子で聞き返したセイミアに、深い頷きが返される。

「そう。今この時も、精妙に隠匿されて、わたしや魔術師の目を欺いてなお続けられているもの。――きみは自身の容姿に違和感を抱いたことはないか」

 相変わらずディザイアの口元は、消えない微笑みで飾られている。そこから読み取れる本心はなくて、岳里の無表情とは違うのに何を考えているのかわからない。
 そんな笑みを向けられたセイミアは、何か感じ取れているんだろうか。
そんなことを思い浮かべながら、おれも周りのみんなと同じようについまじまじとセイミアの顔を見てしまった。
 ディザイアが指摘したのは容姿のこと。そこがエイリアスがかけた術と関係しているんだろうけれど、特に不審な点はないように思える。
 いつも穏やかに微笑んでいるセイミアは、今はひどくやつれたような青い顔でそこにいた。兄ちゃんの手術の疲れもあるだろうし、それ以前からの疲労もあるだろう。でも何よりジャスのことが、その小さな胸に重たく曇天を垂れこんでいるように見える。
 でもディザイアの含み方はそういった類ではないように思った。体調の悪そうな顔ってことではないんだろうし、そもそも最近のことじゃなくてずっと前からのものを言ってるような気がする。
 でもやっぱり、外見からわかる違和感はおれにはわからなかった。
 一体エイリアスはセイミアに何をしたっていうのか。
 ついには誰の口からも出てこなかったその答えを、ディザイアははっきりと告げた。

「治癒術師よ。きみは成長を極端に遅らされている。人それぞれ差はあれども、自分が周りと比べ明らかに遅れていると、そう感じたことはないか。年相応どころかうんと下に見られたりはしていないか」

 見開かれたセイミアの瞳が大きく揺れる。それでも言葉は続けられた。

「きみたちほどの齢の子らであれば成長は著しい。二三年生まれが違うだけで随分と違うだろう。無論成長の早い者、遅い者がいるし、その結果も人それぞれだ。歳をとっても幼さが抜けきらぬ者も中にはいるだろう。だが治癒術師――きみは明らかにそれとは違う」

 セイミアはおれたちのひとつ下だと、前に岳里から聞いていた。つまり今は十六歳くらいのはず。
 でもおれは初めてセイミアに会った時、中学生くらいかと思っていた。詳しく言えば十三歳くらいの子どもだと。だから実際の年齢を聞いた時驚いたのを覚えている。
 ただ単に成長が遅れているんだろう、と思っていた。それに雰囲気はむしろ実年齢より大人びて見えていたからそれほど気にもならなかったんだ。でも確かに、その姿だけ見たら到底本来の歳には結びつかなかった。若々しいというよりも実際の年齢が実は違くてもっと下なんだと言われた方が余程しっくりくる。
 そしてその原因がエイリアスにあるなら、それも頷ける話だ。

「十二隊長と治癒術師が出会ったのはいつ頃だ?」
「――セイミアが入隊してきた日、三年くらい前だあよ。ジャスの野郎初日から実験で怪我しやがってよう、その時世話してやってなあ」

 深く口を閉じたままのセイミアに代わり、ネルが答える。

「その当時からの治癒術師の姿はほとんど変わりないだろう? 恐らく、その頃にはすでに十二隊長はエイリアスの手に落ちていた。そして、治癒術師も術をかけられたのだろう」

 そう言ってからディザイアは、セイミアにかけられているという、成長が遅くなっている原因である術についてを説明してくれた。
 古代の魔術を使うには魔力と治癒力ふたつの力が必要だ。だからどちらか一方しか集めていても意味がない。でも人は誰しもどちらの力かを持っているけど、割合でいえば圧倒的に魔力持ちの人間が多いそうだ。だから手当り次第にそれを集めれば、そのほとんどが魔力になってしまうそう。
 前にアロゥさんから説明を受けたことがあった。治癒力は本来魔力であったものであり、突然変異として変換された力である、と。だからこそその力を持つ人はあまりいないんだろう。
 魔力は簡単に集まる。手当り次第力を奪っていけば一人ひとりが持っている量が少なくても数で補えるからだ。でも治癒力はそうはいかない。
 だからエイリアスは考えたんだ。そして、とある案を思い浮かべた。
 治癒術師がその時持つ治癒力すべてを奪うのではなく、定期的に収奪するということを。
 力は消費されたら自然と回復していく。だから殺さず少しだけ奪ってはその失われた分が回復されるのを待って、また奪って。それを繰り返せば、そう量は手に入らなくても確実に力を集めていける。
 治癒術師は基本的に城に勤めている者が多い。だから隊長として三年前にすでに城にいたジャスは使い勝手がよかったんだろう。それに隊長だから面識のない部下にも話しかけやすい。
 兄ちゃんの振りをしていたようにエイリアスはジャスに成りすまし、目を付けたセイミアに近づいていったんだ。
 ディザイアが言うには、成長を遅らせる術を使ったのもセイミアの治癒力を回収するためのことらしい。
 成長を止めてしまえば、本来それに使われる栄養なんかは行き場がなくなる。もしそんな状況で大量にセイミアの治癒力が消費されれば、行き場のなかったそれらが力の回復に回されるそうなんだ。だからエイリアスは奪った力が、仕事で消費された力がなるべく早く取り戻されるのを望んで、セイミアに成長を遅らせる術をかけたというわけだ。
 エイリアスがなんで他にもいる治癒術師の中からセイミアを選んだか、ディザイアは予測ではあるがと言って教えてくれた。
 ひとつは成長途中の若さだ。さっき説明された通り、成長を遅らせるということで消費された力の回復を早めることができるから。もう大人になってしまった人にはその術を使ったところでそれほど意味はないらしい。あとは持っている治癒力の量が圧倒的に多いうえ、質もいいことも理由にあげられるそうだ。
 そして、もうひとつ。言いにくそうにすることもなくディザイアは言い放つ。

「騙しやすかったのだろう。術は定期的にかけなければならない。それならば頻繁に会う必要があり、そういった時には治癒術師の抱く好意は随分有効なものとなる。治癒術師に、十二隊長に好意を寄せるように仕向ければ事が運びやすくなるからな。心を操りやすい者がよかったのだ。良くも悪くも、きみは純真なのだ」

 セイミアは俯いてしまった。きつく拳を握り、それを震わす。それでも言葉は続いた。

「十二隊長とどれほどの仲だったのかは知らないが、好ましくは思っていただろう? その心は実際、棚の鍵を開けさせるためにきみを操る際に、きみ自身に術をかけやすくしただろう。その関係に持っていってエイリアスにとって有利にことが運ぶことはあれど、それが不利に傾くことはまずない。ならばこそ、布石は打っておくに越したことはない」

 ディザイアは言い終えるとゆっくりと立ち上がった。慌ててユユさんが身体を支えに来て傍らに寄り添う。けれど一度もユユさんには目を向けないまま、ディザイアは静かにセイミアの方へ手を翳した。
 指を広げ、何か掴むようにきゅっと閉じる。一連の動作が終わるとすぐに手は下され、またソファに身体を預けた。

「今、きみにかけられていた術を解いた。止められていた時は再び動きだし、本来あるべき姿へと歩み出すだろう。多少成長は他の者に比べれば劣ったまま終わるかもしれないが、そればかりは諦めて――」
「っ……!」

 まだディザイアの言葉の途中、セイミアはおれたちに背を向けるとそのまま部屋から飛び出してしまった。
 咄嗟におれの身体が追おうと動けば、岳里に腕を掴まれ止められる。振り向けば、相変わらず感情を見せない表情のまま首が振られた。

「――真司ィ、ほっといてやってくれ。今は整理する時間が必要なんだあよ」

 それでもセイミアが消えて行った扉を見つめれば、困ったように笑いながらネルが言った。
 前に、ネルとセイミアは親友のよう仲がいいと誰かから聞いたことがある。あいつにはなんでも話せるんだとネル自身の口から聞いたことがあるし、セイミアも似たようなことを言ってた。
 本当ならネルの方こそ追いかけたいはずだ。きっと、ジャスとのことも何か知ってるだろうから。
 前々から二人を見ている時、もしかしてと思うことがあった。もしかしてセイミアは、ジャスを――好き、なんじゃないかって。友達とか仲間を好きと思うのとは違くて、恋という意味で。
 そういう噂は特にはなかったし、なにせ相手はあのジャスだし、あくまでおれの勘でしかなかったけれど。でもさっきのセイミアの様子を見てようやく確信した。
 セイミアはきっとジャスが好きなんだ。ジャスが同じ思いを持っているかはわからない。実は知らなかっただけで、二人は恋人だったかもしれない。でも少なくともセイミアは大切な想いを抱いていた。
 何でも相談し合う仲なら、もしかしたらジャスのこともネルには話していたかもしれない。いや、もししてなくてもネルならきっと気づいてただろう。
 それでもネルはほっといてやれって言ってるんだ。自分もこの場に留まって、おれに笑いかけている。
 ネルの言葉に身体の力を抜けば、そっと腕を掴む岳里の腕は離れていった。
 その頃に、再度ディザイアは口を開く。

「ともかくだ。エイリアスがこの城で実体をあえて晒し十二隊長の身体を奪っていった以上、やつの準備はほとんど整ったとみていいだろな。いつ襲撃があってもおかしくはない」
「そうですか――岳里、真司。きみたちがエイリアスのもとへ赴き何があったか、教えてもらえるか」

 深い息を吐いた王さまに請われ、おれの代わりに岳里が説明をした。
 要点をまとめて簡潔に話し最後に、肝心のやつに関する情報はほとんど集められなかったと締めくくれば、みんなの暗い顔は晴れないままに沈黙が訪れる。
 そんな重苦しい雰囲気の中でも、それでもディザイアはその笑みを絶やすことはなかった。

「何度も言うようだが、わたしではエイリアスに対抗できない。ましてや、今度こそわたしが破れるようなことがあればそれこそ世界は終わりを迎えるだろう。とはいってもやつが望むのはあくまできみたち人間がこの世から消え去ることであり、この世界そのものの消滅は求めていないはず。すべてが終え、どちらに天秤が傾いたとてわたしは生きているだろう。だからこそすべてはきみたちにかかっている」

 柔らかく笑む顔で、けれど口にする言葉はさらに心の重しを増すもので。いつの間にか握っていた拳は意図せず震える。
 エイリアスは何をしようというんだろう。何を考えているんだろう。
 結局、何にもわからないままここまできてしまった。このままで本当にエイリアスを倒せるんだろうか。止めることが、できるんだろうか。
 もし、エイリアスを止めることができなかったら――
 その末路さえわからないはずなのに、待ち受けているんであろう恐ろしいものに身体は勝手に恐怖する。口の中が乾き、身がすくむ。凍ったように身動きがとれない。
 でも、そんなおれの身体に寄り添う存在がいた。わざわざ振り向かなくてももうわかる。
 軽く肩が触れただけだった。でもそれだけで胸に分厚く垂れこんでいた不安が吸い取られるように軽くなって、こいつがいるなら何とかなるんじゃないかなんて気持ちが沸き起こるんだ。
 岳里がいれば、なんでも乗り越えられるような気がする。
 おれの胸に静かに湧いた希望を知るかのように、ディザイアはそれをみんなの心にもそっとその種撒いた。

「失いたくないものがあるのであれば最後まで足掻け。やつに無様と呼ばれようともなんと思われようとも、たとえどんな絶望が押し寄せようとも抗い続けよ。道は、強き願いのもとに切り開かれるもの。諦めない者の前にしか生まれないものだ」

 そうだろう、と問いかけるように、ディザイアは今までのものとは違うにたりとした強気な笑顔を見せた。
 それに、重苦しかったみんなの顔が少し変わる。

「――おっしゃる通りです、神よ。我らは最後までエイリアスと向き合いましょう。我が名において誓ったことを果たすためにも、決して諦めはしません」
「ここが踏ん張りところってわけだあな。やってやろうじゃねえかあよ」
「我らとて無力というわけではありませんからな。人が持つ底力を見せてやろうではないか」

 王さまに続きネルが、アロゥさんが、それぞれ小さな笑みを浮かべて頷き合う。それにおれもつられて口元を綻ばせ、みんなで最後まで戦い抜くことを誓い合った。

 

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