第2章

 

 おれが起きる度に、岳里はそこにいた。だからおれは、安心してまた眠る。それを何度か繰り返しているうちに、おれの熱は完全に下がった。
 そのおかげか、胃袋まで元気になって今ではもう腹ペコだ。

「あー、腹減ったぁ。岳里ぃ、腹減った……」
「もう少し待て」

 さっき岳里が外にいた兵士の人に身体に優しいものを、と頼んでくれたけど、すっかり全快して、その上今まで何も食べてなかったこの腹は、情けなくもぐう、と鳴る。

「うぐぐ……」

 おれが堪らず腹を擦ると、扉が二回叩かれた。
 さっき頼んだばかりなのにもうできたのか、とおれが目を輝かし、どうぞ、と言うと、扉が小さく軋みながら開く。
 できた隙間から出てきたのは明るい金髪に、くりっとした青い目をした少年だった。ネルと同い年くらいに見え、おれよりも歳は下そうだ。

「失礼します」

 そういって部屋に入ってきたその子の手にお盆はなく、おれは気付かれないようがっくりと内心肩を落とす。
 飯は、まだか……。
 そうは思いつつも、訪れた少年に目を向けた。彼はちょこんと姿勢よく、扉のすぐ脇に立っておれに笑顔を向ける。

「熱が下がったということで参りました。具合はどうですか?」

 にこにことしている少年はそう話しかけてくれるけど、おれはいまいち彼が誰か認識できず、曖昧な声を出した。

「え……と?」

 大丈夫なのは大丈夫なんだけど、不思議とその言葉は出ず、おれは戸惑う。するとおれの様子に気づいた少年が、はっと目を見開き、慌てたように口を開いた。

「あっ、失礼しました! あなたが寝ている間に訪れていたので、わからないですよね」

 そう言うと、もともと良かった姿勢をさらに伸ばし、深々と頭を下げた。

「わたしは七番隊隊長を務めさせていただいています、セイミアです。――えっと、七番隊は別名治癒隊とも呼ばれていて、隊員のみなさんの傷や病気を看させていただいています」

 どうぞお見知りおきを、と言われ、おれは慌てて自分も名乗り、姿勢を正してから頭を下げる。
 すると、彼は笑った。

「ええ、存じております。あなた方のことについて、すでに王から聞き及んでおりますから、あまりかたくならずとも、楽にしていてください」
「え、あ、はい……」

 随分と礼儀正しい様子に、楽にしろと言われても、おれは思わず身を硬くしてしまう。そんなおれに再びセイミアは笑かけ、少しよろしいですか、と言った後、おれの顔に手を伸ばしてきた。そしてそのまま目の下に指先を置くと、く、と少し下に肉を引かれ、じっとそこを覗きこまれる。
 けれど、それもほんの少しの間。目が乾く前にその指先は離れていき、改めておれの顔を見ると、よし、と頷いた。

「大丈夫、そうですね。食欲のほうはどうですか?」
「あ、まあま――」
「腹が減ったと騒がしいぐらいにはある」
「なっ!」

 まあまあかな、とおれが答え終えるよりも先に、岳里が遮ぎり真実を告げてしまう。それにセイミアは一度きょとんとするも、すぐに口元を手で押さえ笑いだす。だが、すぐに羞恥のあまりに顔を下げたおれに気付いて、緩めた頬を引き締めていた。
 な、なんでわざわざ人が隠そうとしていたことをいうんだこの馬鹿っ。変なところでしゃべるなよ、普段喋らないくせに!
 きっ、と顔を上げてすぐ隣に椅子を置き腰かけている岳里を睨む。けれど、おれと目を合わせようとしない。むかついたので枕を投げても、こっちを見ていないくせに平気で避けられるし。
 おまえはおれの恥を晒して何がしたいんだ!

「すっかり元気になったみたいですね。まだしばらくは疲労もたまりやすいでしょうから、おふたりとも、無理は禁物ですからね。何かあったら、すぐ診ますので」

 こう見えても隊長ですし、おふたりのためにも頑張らせていただきますよ、とセイミアはにこにこと笑い、扉のほうに向かった。

「それじゃあわたしはこれで失礼しますね。――あ、お腹が減っていても、食べすぎは駄目ですからね!」
「は、はは……わかったよ」
「では」
「じゃあまた」

 最後に手を振り、セイミアは部屋から出て行った。おれもそれに応えるように手を振り、完全に扉が閉まったのを見送り、再び岳里を睨みつける。けれど、岳里は窓の外を見ていた。
 これじゃあ何を言ってもどうせ無駄だと、小さくため息をひとつつき、改めて口を開いた。

「にしても、あんな小さい子まで隊長をしてるんだな……それにすげえしっかりしてたし」

 おれが呟くように言えば、ようやく岳里がおれのほうを向いた。

「小さいとは言っても、おれたちのひとつ下だぞ」
「へえ、そうだんだ? ってことは十六……」

 てっきり中学生ぐらいの年齢かと思ったいたから意外に思えたけど、それでも隊長を務めてるっていう事実はまったく想像がつかないのに変わりはなかった。
 確かセイミアは七番隊の隊長なんだっけ。別名は治癒隊――っていうことは、要は医者みたいなものだと思えばいいのか?
 この世界には魔術ってものがあるらしいけど、もしかしたら傷とかを治してしまうような魔術もあるのかな。
 岳里なら知ってるかな、と視線を向けてみると、今度こそ目がばっちりと合った。

「――なんでも、治癒術、というのがあるらしい。要は回復の魔術だ。小さな外傷程度なら癒せると言っていた」

 やっぱりあるんだ、とおれは岳里にもう少し詳しい説明を求めた。岳里ならおれが寝てる間にでも情報を集めるんじゃないかと予想して、続きを期待したわけだ。やっぱり岳里は知っていたらしくて、相変わらずの平坦な声音で教えてくれた。
 なんでも治癒術というのは天性的な才能がないと扱えないもので、誰でも使えるわけではないそうだ。だから治癒術を扱える人は限られ、セイミアが率いる七番隊は全十三番隊の中で一番人数が少ないらしい。そして何より才能が不可欠なものなんで、若いセイミアが隊長になれたというわけだ。そして、現在隊長であるセイミアに並ぶ術者はいないらしい。
 本人の見た目はほんわかしてそうだったけど、その実力は周りとは桁外れなほどに高いそうだ。

「大変そう、だな……才能があったって、誰でも隊長なんて務まるわけないのに」

 実際、実力が確かなものでも、隊長になるためならほかにも必要なものがあると、おれは思う。この世界のことよく知らないし、隊についてなんてもわからないけど、でもなんとなくそんなおれでもそう感じた。
 だって、隊長だぞ? どんな想像なんてまったくつかないけど、でもそれに上に立つ人としての責任とがつきものなんて言われなくてもわかるし、それに人をおれよりも年が低いのに、隊員をまとめなきゃならないんだ。中には自分より年上の人もいるだろうし、大変以外の何物でもないだろう。
 隊長って、どれだけ苦労するもんなんだろ――とおれが考えようとすると、それを岳里が遮った。

「おまえが寝ていた間に聞いたことを話しておくか?」
「――うん、頼む」

 まだ食事はこないだろうから、素直にその申し出に頷いた。
 岳里の話によると、この世界には五つの大陸があるそうだ。そして、大陸に必ずひとつ、国があって、その国が大陸を統治している。要はその大陸に唯一ある国は、その大陸にある他の街や村のリーダーってことらしい。ちなみに、おれたちがいるこの国こそ、五つある大陸の中で一番自然が豊かなルカ大陸を領地とする、ルカ国だ。
 国にはその大陸の名前がつけられているらしい。だから、大陸ルカにあるのはルカ国、ということになる。
 ルカ大陸も含めて改めて五大陸を順番に説明すると、
 自然豊かなルカ大陸。 
 砂漠地帯が多いサラ大陸。
 一番大きく水が豊かなリン大陸。
 自然は少ないが鉱山が多いシウ大陸。
 そして、今はもう魔物の住処と化したユグ大陸。
 それぞれを統治するのがルカ国、サラ国、リン国、シウ国だ。ユグ大陸にもユグ国があったけれど、今から十四年前に魔物の襲撃にあって、その時に国は滅んでしまったそうだ。

「――魔物、か」

 あえて今まで触れなかった単語を、おれは呟いた。

「九百年ほど前に、突如この世界に現れたそうだ。それまで互いの地を求め争いを繰り返していた国同士が、魔物から我が身を守るために手を取り合うほど、魔物の脅威は大きいようだな」

 つまり、魔物が強いから人間同士で争ってる場合じゃない、って思ったわけか。それで魔物にやられないように助け合おうってなったんだな。
 魔物、といわれて真っ先に思い出すのは、RPGなんかで戦うドラゴンやスライムなんかのモンスターというやつだ。この世界にではどういう姿を取っているかわからないけれど、存在的には、それと同んなじものだろう。
 ゲームなんかでは自分にも相手にもHPとかがあって、魔物の攻撃を受ける度にそれが減っていくだけだ。最近のじゃスタミナとかがあったりして、一定時間動き続けたりすると息切れして行動できなくなったりするけど、もし魔物と現実で戦えばどんなふうになるんだろう。
 これまでにゲームで沢山の空想された敵と、プレイヤーとなってキャラを動かして戦ってきたけど、いくら考えようとしても、現実ではそれがどうなるのかはわからなかった。

「――なあ、その魔物って、街の中とかにも現れたりするのか?」

 目の前に本物が現れる想像をしているうちにふと頭に浮かんだ疑問を、そのまま岳里に尋ねてみた。すると予想通り、岳里は答えてくれる。

「いや、それは魔術を使い結界を張っているから、魔物は国内に踏み入ることはできないそうだ」

 会議のときに聞いた言葉だとおれが言えば、要は盾だと、バリアーだと岳里は付け加え説明した。
 魔術。これまでに何度も聞いた言葉だ。魔法、とも言えるのかな? よく魔法使いになれたら何をするか、なんて質問があるぐらい、誰もが知っていることで、誰も使えないと知ってるもの。だけどこの世界、ディザイアには現実に存在するもの。
 興味がないというのは完全に嘘になる。魔術と魔法がどう違うかはわからないけれど、でも、誰しも一度はあこがれるものには変わりない。――興味がないわけないけれど、でも魔術のことまで岳里に尋ねるのはなんだか気が引けた。
 おれは今まで寝てて、代わりに岳里が様々な話を聞いておいてくれたんだ。さっきの五大陸のことだって、魔物のことだって。
 寝ていたことは仕方のないことだけれど、あまり岳里に頼り過ぎるのはよくない、よな。岳里だって、何も言わないけど疲れてるかもしれない。それに、魔術について岳里たとえ岳里が知っていても、おれがこれ以上覚えられる自信がなかった。

「教えてくれてありがと」

 これまでちゃんと教えてくれたことにおれが岳里に感謝の言葉を告げると、タイミングよくノックの音が響いた。

「お食事をお持ちいたしました」

 扉の傍から、男の声が聞こえる。どうやらついに飯が来たようだ。
 そう認識した途端、忘れていた空腹が主張し出し、おれの腹はぐうぅ、と鳴った。

 

 

 

 机の上に並べられた空の皿に満足しながら、おれは膨れた腹を撫でた。

「ああー、くったくった」

 もう食えねー! とおれは席から立ち上がり、これまでずっとおれが寝ていたベッドへと頭から飛びこむ。その時腹が押されて苦しかったけど、不思議と幸せだ。
 とはいっても、眠ってばっかりで体力が落ちてるのと、あまりに空腹すぎて、実際はそこまで食べてないのに腹はすぐに限界まで膨れた。少し苦しく感じるほどに。
 ディザイアの食事はどうなっているのかと不安に思っていたが、なんとこの世界の食事はおれたちのもといた世界とほぼ一緒だった。
果物は形大きさ味と見事にあべこべにバラバラだったけれど、食べ慣れた風味だったから、見た目だけが奇天烈なものが出てくる覚悟をしていたんだ。でも実際出てきたのはなんとおかゆ。梅がちょこんと一粒乗った、おれの知る米でできたあのおかゆだった。しかもおかずもあって、それには焼きしゃけとほうれん草の胡麻和え。ついでに湯豆腐もついてた。
 ……なんというか、随分と見慣れ、そして食べ慣れたものだった。
 なんだか期待を裏切られた気がしなくもないけれど、でも安心したのも確かだ。岳里の話を聞けば、果物以外はほとんど食材や、料理の名前はおれの知るもので一致していて、和、洋で揃っているらしい。今回はおれが病み上がりと言うこともあり、配慮してくれた結果和食が揃ったみたいだ。
 洋食ならステーキなんかをナイフとフォークを使って食べるこの世界の人を簡単に思い浮かべれたけど、レドたちや王さまたちが和食を食べているのは想像ができない。さっきも箸が出てきたから、きっとみんなもそれを使えるんだろうけど、味噌汁をすする王さま……だめだ、全然ぴんとこない。
 動物のことといい、食べ物のことといい、案外ディザイアと地球は繋がっているところがあるのかもしれない。

「あ、皿、返さなきゃ……」
「あとで取りにくる」

 ふとおれが思い出し、上半身だけを起き上がらせれば、おれが座っていた席の正面に腰かけていた岳里があっさりと答えた。
 皿まで取りにきてもらえるなんて、なんだか悪い気がしてならないけれど、どうせおれがやろうとしても迷惑にしかならないんだろうな。
 そう思い、おれはまたベッドに顔をうずめ直した。
 苦しいぐらいの満腹にも関わらず、不思議と瞼が落ちてくる。
 だめだ、食ったばかりなのに……。
 そうは思うも、これまでずっと眠っていたはずの身体はまだ睡眠を求める。

「眠いのなら寝ろ」

 おれが眠りと必死に格闘していると、それに気がついた岳里が声をかけてくれた。

「――ん、そ……する」

 思ったよりも眠かったのか、おれは岳里に勧められるままに、懸命に開けようとしていた瞼を素直に下ろした。途端にずしりと身体が重く感じられて、これはもう動けないな、とおれはまだ全快ではないんだと思い知らされる。
 眠気は異常なまでに感じるけれど、でももうけだるさみたいなものは一切感じない。ただ体力が戻りきっていないだけで、きっと次に起きた時には、今度こそ全快してるはずだ。
 ――大丈夫。これからおれは、ちゃんとやっていける。
小さな安堵を覚えながら、おれはまた、すんなりと眠りに就いた。

 

 

 


 眠りについた真司を見詰めながら、岳人はそっと、すっかり健康的な色を取り戻したその頬をつついた。

「う、ん……」

 眉を寄せ小さく唸ると、真司はふい、と岳人に背を向け寝がえりを打ち、顔を隠してしまう。
 岳人は伸ばした手をぶらりと脇に垂らし、改めて、今度は真司の背中を見た。あまり大きくはない、まだ成長の途中のやや細い肩。それは、再び手を伸ばせば触れられるほど、近くにある。
 ふと視界を僅かにずらせば、少し顔を覗かせたうなじがそこにあった。

「――――っ」

 真司のその肌を見た瞬間、岳人は息を飲み、無意識のうちに動こうとした自分の右腕を押さえつける。しかし、右腕はそれでも真司へ伸びようと暴れた。岳里は自分の骨の軋みが感じられるほど、強く腕を戒める。
 それから程なくして腕はようやく岳人の制御へ戻り、すっと力が抜ける。掴んでいた右腕を離し服を捲ってみれば、はっきりと手形が残ってしまっていた。まだ岳人の力の名残で白く痕がついているが、時が立てば変色し出すだろう。
 しばらくは右腕を晒すことは控えなければならないと、ため息をひとつついてから捲くれた服を元に戻す。
 岳人は人ならざる淡い光を放つ瞳を閉ざして、そっと雫を求める喉に右手を添えた。
 確かに感じる、喉の渇き。気を許せば今すぐにでも暴走してやる、と嘲笑う身体の震えに、それと同時に感じる胸の痛みで自我を保ち、どうにかそれから意識を逸らす。
 ――駄目だ。それだけは、駄目だ。堪えろ。
 もう何度目になるだろうか。これまでにも繰り返した言葉を自分へ言い聞かせ、岳里は再び瞼を上げた。そこから覗く瞳は、普段となんら変わらぬ焦げた茶色へと戻り、全身の震えも止まる。
 真司の背は、相変わらず安らかに動いている。岳里はただそれに希望を見ながら、静かに流れる時を過ごした。

 

 

 


 おれが次に目覚めた時には、辺りは暗く、窓から満月とはいかないまでも大分ふっくらとした月が覗けていた。その周りでは小さく星がいくつも輝いている。それはおれの記憶にあるどの夜空よりも綺麗だった。
 ――こんなに、夜の空って綺麗だったんだな。
 ゆっくり見る機会はこれまでにあんまりなくて、こうじっくりと見るのははじめてかも知れない。それなのに、おれの心はとても安らぐ。
 灯りのない部屋は暗いけど、大きな窓から月明かりが十分に差し込む。おれはただベッドのふちに腰かけたまま、空を見上げた。
 空だけは、同じなんだ。この世界ディザイアも、おれたちの世界も。異世界っていう場所にいるからか、それだけのことなのに随分心強い。
 ホームシックになったらこうして空を見上げようと思いながら、ふう、と一息つき、おれは隣に並ぶもうひとつのベッドに振り返った。
 そこには岳里が、たぶん眠っている。たぶんっていうのは、毛布ですっぽりと頭からつま先までを覆っていて、姿が確認できないからだ。それでも僅かに上下している部分があるから、勝手にそこには岳里がいて、寝てるんだと判断させてもらった。
 これまでおれが目覚める度に、岳里はすぐ隣で座っていて、水を飲ましてくれたり、額の濡らしたタオルを取り替えてくれたり、色々と世話をやいてくれた。意識は混濁していて考えられるような状況ではなかったんだけれど、随分と迷惑をかけたはずだ。
 さっきからよく振り向いて岳里の様子をみるけど、一度も寝がえりうってなければ、身動きのひとつもしていない。それほど熟睡してるってことなんだろうか。
 今度、改めてお礼言わなくちゃな。
 岳里に向けていた視線を窓の外へ戻しながら、おれには代わりに何をしてあげられるかを考えた。
 もしこれが日本だったらジュースとかおごってやれるんだけど、今じゃ一文無しだ。それ以外のことをするしかないわけなんだけど……というか、おれは本当にこのままでいいんだろうか。いくらゆっくりしていいって王さまに言われたとしても、何もしなくてぐーたらしてて。おれたちをこうして迎え入れてくれたのは本当にありがたいし嬉しいけど、でもお金はどうしてもかかるわけだし……。
 でもここでおれにできることなんてあるんだろうか、と思い悩んでいると、ドアが二回ノックされた。
 おれはすぐに立ち上がり振り向いて、はい、と返事をする。

「邪魔するぜ」
「あ、ジィグン」

 片手を上げて入ってきたのは、ジィグンだった。
 ジィグンは入ってくるなり、天井を見上げた。

「なんだ、暗いじゃねえか。光玉は使わねえのか?」
「こうぎょく……?」

 ぱたぱたと歩み寄りながら、聞き慣れない言葉を、おれは繰り返す。はじめは、ん? と首を傾げたジィグンだったけど、ふと思い出したように声を上げた。

「ああ、そういやおまえにはまだ教えてなかったな。ほら、天井に玉があるだろ?」

 促されるままに上を見上げれば、拳くらいの大きさの玉がひとつ、半分天井に埋まってあった。
 おれが見つけたのを確認すると、ジィグンは二回、軽く手を叩く。すると、途端にその玉がゆっくり光り出した。
 玉は次第に輝きを増し、最終的に電気をつけたみたく、辺りがむらなく照らされる。ずっとその光る玉を見ていても目は痛くならない程度のは、おれにとってはほんの少し薄暗くも思えた。それでも、手を叩いただけで光ったことには十分驚ける。

「すごいなあ、ってきり電気なんてないと思ってたのに」
「でんき……? えーと、そりゃニホンのものか? うんとな、でんきじゃなくて、これはアロゥの魔術なんだよ」

 しかも音に反応するなんて、思った以上にハイテクだ、なんて考えていたら、あっさり首を振られる。さらにはこれは魔術だなんて言われてしまった。
 そういえば、前にもおれはこの玉が光ってるのを見たっけ。ただしこんなに輝いてはなくて、もうちょっと薄暗かったと思う。――確か、目を覚ました時だったかな。いつ起きた時のものかまでは覚えてないけど。あの時は、直感で電気で光ってるようには見えなかった気がする。意識がはっきりている今は、電気って勘違いしたのに、寝ぼけてる時のほうが勘がいいってどうなんだろう……。

「魔術って凄いんだな。いったいどういう仕組み?」
「どういう仕組みと言われてもな……魔術のことは魔術師しか詳しくはわからねえんだよ。そんでもって、魔術師は生涯弟子をひとりだけとって、そいつに全部を語り継ぐんだ。だからたとえおれが魔術師であるアロゥの獣人であっても魔術は扱えないし、どういう仕組みでそれを使うのかもわからなんだ」

 教えられなくて悪いな、と謝るジィグンに、おれは慌てて首を振る。

「いや、教えてくれてありがと。そっか、魔術って奥が深いんだな。こうぎょくっていうのは、手を二回叩けばさっきみたいにつくのか?」
「ああ。基本的には手を二回叩くとついて、手で一回壁を叩くと消えるんだ。だけど場所によっては違うから気をつけろよ。まあ、そういうところは簡単に消えたりついたりしないように設定されてるけどな」

 そういった設定を決めるのも全部アロゥがやるんだ、とジィグンは教えてくれる。それから、誇らしげに主であるアロゥさんについて話してくれた。
 アロゥさんは、この国を代表する大魔術師。彼の右に出る者は誰ひとりとしておらず、彼ほどの魔術師はもう現れないのではないか、と謳われるほどの実はとんでもなくすごい人物だそうなんだ。
 魔術師として国に結界を張ったり、さっきの光玉なんていうものも作りだしたり、その他色々生活に役立つ魔術も編み出したりもしてるらしい。それに四番隊の隊長も務めるだけじゃなくて、王さまの相談役だったり、本当に様々な面で活躍しているみたいだ。
 話で聞くだけじゃぴんとこないし、何より魔術ってのがよくわからないんだけど、嬉しそうに、誇らしげに主のことを語るジィグンに、なんだかおれも嬉しくなってくる。
 前に会った時に、確かに不思議な人だとは思ったけれど、そんなにすごい人だっただなんてな。
 そういや四番隊隊長だから、部屋はおれたちの隣なんだっけ、と考えていると、ジィグンが、それでな、と嬉々とした様子のまま声を出す。

「ただひとりだけ、アロゥがいずれ自分を超す存在になるっていうやつがいるんだよ。それがアロゥの唯一の弟子と見染められた、ハヤテの主のフロゥなんだ」
「ハヤテさんの、主?」

 あの強面の顔を思い出し、思わずおれは若干眉を垂らす。そんなおれを笑いながらジィグンは続けた。

「ああ。フロゥっていうんだけどな、あいつはまだ餓鬼なんだが、アロゥに認められてること、将来アロゥに変わる存在になりうるということ、それでいて身体が弱いこともあって、本来なら隊長や階級の高いやつしか与えられないはずの獣人が、特例でハヤテがついてるんだ」

 魔術師って存在は貴重だし、何より彼らは国の力をすら左右することもある。だから、護衛も兼ねて獣人を傍に置くように王さまが手配したそうだ。
 ジィグンの話によると、そのフロゥっていう子は魔術もまだうまく扱えないし、所有する魔力の量も少ないみたいだ。だから最強の魔術師と呼ばれるアロゥさんを凌ぐと大魔術師自ら公言してるけど、まだその芽は出ていないらしい。だけどアロゥさんの言葉なら信用できると、誰も彼の才能を疑っていないというのも事実だそうだ。
 ちなみに魔力というのは、ようはゲームのRPGなんかの魔術師が持ってたりするマジックポイント、MPみたいなものらしい。魔術は無限に使えるわけじゃなくて限度がある。それは人それぞれらしい。ゲームのようにはっきりしているわけではないし、数値でどれぐらいの量を持っているかなんていうのもわからないけど、アロゥさんほどの魔術師になるとある程度その人の持つ魔力の量がわかるようになるみたいだ。
 魔力は誰しも持っているもので、このおれだって魔力を少なからず持っている、らしい。異界人に魔力が存在するかはわからないとジィグンに言われてしまった。けれどこの世界の人になら存在するけど、でも大抵の人は魔術を扱えるほどの量は持っていないそうだ。だから、もしおれが魔力を持ってたとしても恐らくそこに含まれるとも言われた。もしかしたらおれも、小さな魔術ぐらい使えるかも、なんてほんの僅かでも浮かれた分少し残念だ。だって、魔術なんて夢みたいなもの、こんなに身近に、しかも現実であったら気になるじゃないか。
 だけどどうやら、便利ばかりではないみたいだ。
 ただし、と皮切り、ジィグンは教えてくれた。

 

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