第8章

 

 中庭に行ける渡り廊下で、おれはネルとアロゥさん、そしてその後ろに静かに控えるユユさんと向き合っていた。

「忘れもんはねえなあ?」

 ネルに問われて、おれは一度自分の肩にかけられた鞄に目を向ける。

「ああ、たぶん大丈夫」
「ま、なんかあっても岳里がどうにかすんだあろ」

 何度も確認したしとおれが頷けば、ネルはいつものように首の裏で腕を組んだ。
 その隣にいたアロゥが穏やかに笑う。

「では、行っておいで」
「無事帰ってくんだあよ!」

 頷き、おれは二人に背を向けながら手を振り、岳里が待つ中庭へ駆ける。
 金色の瞳は静かにおれの動向を見守っていた。

「お待たせ。じゃあ、行くか」

 おれの言葉に岳里は頷き、それを確認したあとに用意されていた籠の中に入り込んだ。大人一人が寝そべることができ、岳里ぐらい大きな人でも立っていられるほど大きな籠。そして、魔導具の一種でもある。しかもアロゥさん特製のすごいやつだ。
 その効果は、籠に入った人間には周りから受ける変化を一切受け付けない、というものだ。例えば地震があっても籠の中は揺れないし、岩が降ってこようが壊れることはない。雨が降ろうが雨漏りすることもなく、溶岩の中に入れられようが中の温度は一切変化しない。氷河に置かれても同じだ。さらには傾けられても、中は均衡を崩すことはない。
 多分、いやきっと。魔導具の価値なんておれは知らないけれど、おれが入りこんだこの籠がとてつもないものということだけはわかった。しかもそれを、わざわざ竜族の里に行くと向かうというおれのためだけに作ってくれたんだ。迷惑をかけたな、と思う反面、こんなしっかりしたものを作ってもらえてうれしくもあった。
 隙間なく薄い木の板で編み込まれた籠の中は暗いが、あらかじめ設置された光玉があるから問題はない。長時間の移動に身体が痛まないようにとクッションもあるし寝るための布団も用意されている。隅には水も食べ物もあるし、本もいくつか持ってきている。
 本当に至れり尽くせりで、もっと簡素でもよかったのに。そう思っていると、とん、と軽く頭上のあたりが叩かれる。岳里からの合図だ。おれは換気用を兼ねて作られた小窓を開けて、少し顔を出した。すると、ぶわりと中に風が入ってくる。窓を開けると、その開けている場所だけ魔術が効かないからだ。
 もう一度強い風が入ると、ふわりと籠が浮き上がった。おれはさらに顔を出して、見守ってくれているネルとアロゥさん、そして静かにその後ろで控えるユユさんに手を振った。

「じゃあ、行ってきます!」
「気を付けてなあ!」

 ネルは大きく、アロゥさんは小さく手を振り返してくれて、ユユさんは一度頭を下げてから笑顔を見せてくれた。

「よろしくな、岳里」

 それぞれの反応を見届けてから、ネルの方へ向けていた顔を反対に向けて声をかければ、ちらりと金の瞳が振り返る。頭上を見れば力強く羽ばたく翼があり、感じる風に目を細めた。
 下を見ればもう城は遠く、けれどそこまで高くは来てないようだ。岳里がゆっくりと浮上していってくれているらしい。
 そうしておれは竜の姿になった岳里に運ばれながら、竜族の里へ向かった。

 

 

 

 籠の中でうとうととしていると、突然入り口が開いた。そこから顔を出したのはいつもの人の姿の岳里で、おれは目を擦りながら壁に寄りかからせていた身体を起こす。

「ん……岳里?」
「ついた」

 短い一言だけれど、おれで今の場所を知るには十分だった。 伸ばされた岳里の手を掴み立ち上がって、おれはその手に導かれるままそろりと籠の外に足を踏み出す。
 けれど外は暗くよく見えない。今日は月も雲に隠れてしまっていて、明かりは籠の中から零れる光玉の輝きだけだ。
 昼に出れば夜にはつく、と言われていたし、時々窓を開けて外を見ていたからその暗がりに驚きはなかった。

「ここが?」
「ああ。とはいっても、竜族の里は山の頂上だ。ここはふもとで、今からまた竜の姿になり飛ぶ。里へは、外のものは極力持ち込まないようにしているんだ。籠はおいていく」
「わかった。おれはどうすればいい?」
「おれの背に乗れ。なるべく気を付け飛ぶが、おまえの方も十分注意しておいてくれ」

 おれが頷けば、岳里の目が焦げ茶から金に変わる。髪も暗がりで見えづらいけど色を変え、わさわさと伸び地面についた。めきめきという音と共に背中には巨大な翼が生え、それが岳里自身を覆うと、再びあの音が聞こえて、次に翼が開けた時にはそこには竜がいた。
 岳里は地面にぴたりと寝そべり、おれが乗りやすいようにしてくれる。それでもなかなかよじ登るのは大変だったけれど、どうにか首の根元あたりにたどり着く。髪の毛らしい毛の部分をしっかりと握りしめ、準備ができたことを知らせれば、ゆっくりと岳里の翼は羽ばたき始めた。
 どんな衝撃がくるかもわからないおれは必死に強く手の中にある毛を握りしめる。けれど思ったよりもおれに風は来なくて、岳里がふわりと浮きあがってもそれは変わらなかった。けれど油断せずいると、岳里が前進し始める。その時にようやく強い風を感じて、おれは慌てて身を低くしてぴとりと岳里にくっつき風を凌ぐ。
 岳里自身もおれに十分注意してくれているらしく吹き飛ばされそうなほどの風はなかったけれど、岳里がどこかへ降り立った頃には力を込めすぎた拳が強張りうまく解けなくなっていた。
 どうにか力を緩め、おれがおりやすいよう体制を整えてくれた岳里の上から転げ落ちるように下りれば、そこに一つの人影があってびくりと驚いてしまう。すぐに人体に戻った岳里がおれの隣に立ち、顔もよく見えないその人に向き直る。
 その頃に、相手が口を開いた。

「もう夜も更けた。今は休め」

 それは、枯れた男性の声で。恐らく老体であろうその人はくるりとおれたちに背を向けてしまった。
 おれがどうするべきかと岳里に振り返れば、手を取られる。そのまま岳里はずんずんと突き進み、真っ暗でおれにはどうなっているかさっぱりわからない道を進み続けた。そしてしばらくすると、ぬぼっと黒い影になった建物らしき場所が目の前に現れる。そこには布を垂らしていたようで、岳里はそれを腕で押し上げると手を繋げたままおれを中に入れさせた。
 そしてまた少し歩き、階段を上り、岳里は足を止めた。

「寝るぞ」
「ん」

 ただそれだけ言うと、岳里はその場に座る。おれも手を引かれ、その隣に座った。手をつくと布の感触がして、靴を脱ぎそこに横になる。岳里もそのあとに続き、どこから取り出したかはわからない毛布を掛けてくれた。

「――明日、おれの祖父と話をすることになる。おまえにもいてほしい」
「わかった。今日はもう休もう。岳里も、ずっと飛んでて疲れたろ?」
「……ああ」
「おやすみ、岳里」

 胸にすり寄ってくる岳里の頭を抱きながら、おれは真っ暗な世界で静かに目を閉じた。

 

 

 

 朝になると、先に起きていたらしい岳里が壁に垂れ下がった布を上げているところだった。布がまとめられると、それまで遮られていた朝日が入り込む。
 目を擦れば、岳里が傍に寄ってきた。

「飯だ。食べたら祖父に会いに行く」
「ん……わかった」

 どうやらおれの枕元に置かれていたらしい器に盛られた果物を差し出される。
 まだ瞼をうまく上げることができないまま、そろりとそれに手を伸ばし食べ始めるが、岳里は果物を取ろうとはしなかった。

「岳里は食べないのか?」
「おれはもう食べた。おまえの分だ」

 岳里はそう言ったけれど。それが嘘だということはなんとなくわかった。でも、わかったところでおれにはどうしようもできない。
 何も言えないままもそもそと味気ない果物を頬張り、岳里の存在を気にしながら、おれはぐるりと当たりを見渡す。
 随分と、簡素な部屋だった。土で出来ている家のようで、天井はまあるくなっている。おれが今座っている大きな絨毯のようなものが敷かれ、そして随分と歳月を重ねた箪笥が二つ並んでいるだけの、本当に何もない場所。
 テレビ番組で出てくる、民族の家のようなところだと思った。
 もとからあまり食欲のなかったおれは、果物をふたつ食べたところでもういいと岳里にまだ上にものが乗る皿を返した。それを受け取った岳里は胡坐を掻く自分の隣に置き、立ち上がる。

「行くぞ」

 短く、表情のない言葉。それはいつものことなのに、いつも以上にかたくどこか周りを寄せ付けないような、そんな雰囲気があるような気がした。
 そんな岳里の顔を見つめながらおれは立ち上がる。先を歩き出した岳里に続いて階段を下りると、そのすぐ脇の場所、二階とそう変わらない内装で、使い古された紺の模様が入る赤い絨毯の上に、その人は胡坐を掻いてそこにいた。
 靴を履いたまま絨毯の上を歩いた岳里にならいおれも靴のままあがり、座り込んだ岳里の隣に腰を下す。
 岳里はいつものように胡坐を掻いていたけれど、おれは岳里の祖父という人物の手前、思わず正座をした。
 そして、改めて目の前の人に向き合う。すると、薄らと相手の口が開かれた。

「おまえは、カルディドラの盟約者だな」
「――はい。真司、といいます」
「おれは真司から名をもらった。今はカルディドラではなく、岳人だ」

 カルディドラ、は岳里の本当の名前だ。どこか厳格なその声に緊張感を高めながら、おれは岳里の盟約者であるということを肯定する意味も含めて名乗る。
 その後に岳里が続いて、おれが岳里に名づけた名である岳人と名乗った。

「わしはカランドラ。カルディドラ――がくとの祖父にあたる者だ。よろしく、盟約者どの」
「は、い……こちらこそよろろしくお願いいたします」

 よろしく、とは言われても。カランドラさんの表情は一切変わることはなかった。にこやかな雰囲気はなく、そのとっつきにくさはどこか、初めて触れ合った頃の岳里と似ているような気がする。
 お歳とはいえ、皺の刻まれたその顔は凛々しく、随分と整ったものだというのがわかる。そして渋みある赤髪は長く襟足辺りでひとまとめにされているものの、その金色に、強い意志に輝く瞳は、岳里の本来の瞳とそっくりだ。
 祖父、というのをあらかじめ聞かされていたからかもしれないけれど、確かに岳里に似ていて、血が繋がっているのだとわかった。
 岳里が老けたらこんなふうになるんだろうか、と場違いに思い描いたおれに対し、カランドラさんは静かに再び口を開いた。その視線は、岳里だけに向けられる。

「息災であったか」
「ああ」
「そうか」

 たったそれだけの、短い会話だった。けれどその短い中にはふたりだけがわかるような何かが、ぎゅっと込められていたような気がする。
 岳里はずっと向こうの世界にいた。おれが喚んでしまってから帰れずにいた。だからカランドラさんとは随分と久しぶりとなる再会のはずだ。でもだからこそ、岳里もカランドラさんも落ち着いた様子で再会を喜ぶ素振りすらみせなくて心配になっていた。カランドラさんは岳里をよく思っていないのか、とか、ふたりの仲は悪いのだろうかとか。
 でも、決して薄情な人でも、岳里と不仲というわけでもないことをさっきの会話で知った。きっとただ岳里と同じで、カランドラさんもあまり表情が表に出てこない人なんだろう。
 そうわかって、おれは少しだけ肩の力を抜く。けれど一息吐く間もなく、本題に入っていった。

「それで。ここには何用で参った」

 静かな声に、けれど今回ただついてきてくれ、とだけしか岳里に言われていないおれはすべてを見守るしかない。
 なんのために竜人の里にきたのか。きっと理由はあるはずだ。ただの里帰りなら岳里はそういうだろうから、ここに来なくちゃいけない、その説明を気軽にはできない大切な用があるんだろう。
 おれは無意識に息をひそめ、岳里の言葉を待った。

「今、この里で妊娠中の竜人、もしくは出産可能なやつはいるか」

 ――妊娠、出産。確かに岳里はそう口にした。どうして、そんなことを尋ねてるんだろう。
 内心で首を傾げているうちに、カランドラさんは答える。

「おらん。まず子を成せる若い雌がいない。若い雄はいるが、相手ができる雌もおらず、盟約者もみな見つかっておらん。竜人として子を成せるとすれば、一組だけだ」
「――……そうか」

 岳里は呟くようにそう言うと、僅かに目を伏せる。その姿に胸には静かに不安が広まっていく。
 里にはいないといったばかりなのに、カランドラさんは一組だけならいると、そう言った。よくはわからないけれど、でも一組はいるのは確からしい。その答えじゃだめなんだろうか。
 わからないことへの不安や、岳里の表情は、ますますおれの心を曇らせていく。それが分厚く膨れ上がったころに、岳里は立ち上がった。

「少しこいつと話をしてくる。また上を借りる」
「わしはいつでもここにおる。答えが出たら、また来い」
「……ああ」

 おれが立ち上がると、岳里は腕をつかみ、また二階へ向かうために歩き出した。
 そして昨夜寝床として借りたあの絨毯の上に、またふたり向かい合って座る。岳里はおれから顔を逸らしたまま、しばらく沈黙していた。
 おれから話しかける気にもなれず、そうすべきでないとも思い、ただひたすらに岳里からの言葉を待つ。
 それから更に少し時間を置いて、岳里は薄らと口を開いた。

「神を目覚めさせる方法が、ひとつだけある」
「本当か!?」

 おれと目を合わせない岳里に、けれどそれに気にかける気持ちすら吹き飛ぶ驚きに、思わず身を乗り出す。
 それを岳里は横目で一瞥しただけで、また目は逸らされた。その姿を見て、おれはしおしおと萎んでいく気持ちを抱えながら座り直し、続く岳里の言葉を待つ。
 再びひと時を置き、岳里は静かな声を出した。

「――ただし、必要なものがある。竜人の産声だ」
「うぶ、ごえ?」
「ああ。竜族は神の寵愛を受ける一族。新たな仲間が一族に加わるとき、神はその生を祝福する。たとえあいつが眠っていたとしても、生まれた竜人の子の産声を聞きつけ、その時は目覚めるんだ」

 竜人の産声で神が目覚めるなら、今神を目覚めさせたいおれたちには飛びつきたいような話だ。なんで岳里がすぐにそのことをおれや王さまに話さなかったのか、それはわからない。けれど、とにかくこれで神さまと接触する方法がようやくひとつ生まれたというわけになる。

「それを利用するんだな。だから、さっきあんなことをカランドラさんに聞いたのか」
「ああ。だが、今里には、子を産めるやつがいない」
「でも、一組いるって言ってたよな……?」

 カランドラさんは確かに、一組だけ、と言っていた。その前には里には産める人はいないと言っていたけれど、でもいるにはいるんだ。
 その人たちにお願いしては、駄目なのか? 一度考えるために下げた頭を上げて岳里を見る。
 岳里は一度ゆっくりと瞬くと、よくやく顔を前に戻し、おれの目をしっかり見つめた。
 そして、薄くその口が開く。

「おれだ」

 その言葉をすぐには理解できず、一瞬頭が真っ白になった。少しずつ時間をかけ、そしてようやく飲み込んでいったその言葉は、けれどよくわからなくて。
 もしかして、という恐怖に似た驚きを胸に広めながら、途端に乾いた喉を震わせる。

「がく、り……が?」
「おれだけじゃない。おれとおまえのことを示したんだ」

 岳里は冗談を言っているようじゃなかった。そもそも、そう滅多に岳里はふざけない。ましてや、こんな大切な場面で。
 でもだからこそ、おれは激しく動揺してしまう。何が楽しいわけでもないのに、勝手に口の端がいびつに歪んだ。

「ちょ、ちょっと待てよ。おまえとおれの子どもって……そんな、できるわけないだろ。おれたちは男同士だろ? そんな、子ども、なんて」

 無意識に飛び出る言葉は、今のおれの状況を表してくれる。内心の焦りが、表される。
 だって、子どもって。おれと、岳里の、子どもって。そんなのありえない。ありえるはずないだろ。二人とも同じ、男なのに。
 そう思うのに、そのはずなのに。岳里はあっさりとおれの言葉を否定した。

「できる。竜族はそれが可能だ。正確には竜人と盟約者のみの間だが」

 言葉を失うおれに、岳里はあくまでいつもの調子で教えてくれた。
 竜人と竜人同士は男女でなければ子はできない。けれど竜人と盟約者である人間との間であるなら、男女であろうが、同性だろうが。性別問わず子を成すことが可能なんだそうだ。
 だから男同士のおれと岳里でも子を産むことはできる。でも、嘘じゃないだろうとわかっていても。どうしてもおれは岳里の言葉を信じられないでいた。
 だって、男同士なのになんで。どう男ふたりで子どもを産むんだ。それになにより。子を成すのがおれたちにしかできないことというなら。産声が必要というなら。
 それは、つまり。

「真司、おれの子を産んでくれ」
「…………」

 金に揺らめく岳里の瞳を見つめながら、おれは、答えられなかった。頭が今の状況においついていかない。なんて言ったらいいのか、わからない。
 それでもどうにかひくつく喉を押さえながら、言葉を放つ。

「子を、産んで、くれって……でも、どうやって」

 おれの意志に応え、岳里は大まかに説明する、と言い教えてくれる。
 竜族の里の中心に、アモル・バロークという名前の大樹があるそうだ。岳里たち竜人はそれを“愛を抱く木”、とも呼ぶそう。
 そのアモル・バロークは十年という長い長い時間をかけ、咲かせた花たちを種にさせていくらしい。不思議なことに花は一度に咲くんじゃなくて、それぞれその時が来たら開くそうだ。そうして各々時間をかけできた種は宝種(ほうしゅ)、と呼ばれ、そして竜人と盟約者の子作りにはその宝種を用いるそうだ。
 その使用方法までは説明されなかったけれど、最終的に種は卵になるらしい。その卵を温め、そして子どもが生まれてくるその時がきたら、アモル・バロークの前で誕生の儀式を行う。そこで子は親のもとへやってくるそうだ。宝種を用いてから子どもが生まれるまで、一か月ほどしかかからないらしい。
 とにかくその宝種さえ使えばたとえ男同士でも、おれと岳里の間でも、子どもが生まれるということだ。

「本当に、子どもができるのか」
「ああ。おれも竜人とその盟約者、男である二人の間に生まれた」

 いつまでも信じられずにいるおれに、岳里から、はじめて両親のことが口に出される。そしてその事実に、また少なからず驚かされた。
 竜人と、盟約者だった岳里の両親。どちらも男で、でもそんなふたりの間から岳里が生まれた。
 男同士なのに、子どもが生まれた。
 ――急がないといけない。今こうしている間にも兄ちゃんが危ない目にあっているかもしれない。この世界に危機が迫っているかもしれない。誰か、犠牲になっているかもしれない。わかってる、わかってるから、おれたちは焦っている。
 でも、それでも。

「簡単に、決められるわけ、ないだろ……」

 子どもを産めって。突然そんなこと言われても。神を呼ぶためとは言われても。
 じゃあもし、産んだとしてだ。それならその子は神さまを目覚めさせるためだけの存在っていうのか。自分たちが望み、産みたいと願ってじゃなくて。
 このおれが生まれてくる子の親になれるのか。そんな状況で生んでしまった子を、自分たちで決めて、迎え入れるというわけでもない子を――愛して、やれるのか。ちゃんと育ててやれるのか。責任が持てるのか。

「――真司」

 岳里は顔を青ざめされるおれを静かに呼ぶと、そっと胸に抱き寄せた。ただされるがまま、おれが引き寄せられるがままに目の前に倒れこむ。
 すう、と岳里が息を吸うと、それに合わせて僅かにおれの身体も動いた。

「確かに、おれはおまえの子をいつかはほしいと思っていた。今よりおまえとおれの仲が落ち着けば、互いに大人になれば、その時がくれば。おまえに、この里のことを話し、宝種を贈るつもりだった。――本当なら今のような状況で、神を目覚めさせるためとはいえ、選びたくなかった。こんな方法。だがこれしかない。他の方法を探してみたが見つからなかった」

 淡々と降ってくる言葉に耳を寄せながら、ふと思い出す。
 そういえば、ここ最近岳里がおかしかった時があった。何を考えているのかわからないのはいつものことだけれど、目に見えてぼうっとしていて、心ここにあらず、といったような。時には辛そうな、悲しそうな顔をしたり、考えこんでいたり。もしかしたらおれが気づかなかっただけで、もっと前から岳里はどこかおかしかったかもしれない。
 もしかしたらそれは、ずっとこのことで悩んでいたからなのか。ひとりでずっと、どうしようって。今の迎えてしまったこの状況を回避できる方法を探し続けていたのかもしれない。
 でも、悩んだとして、考えたとして。これしかなかったんだ。おれたちが、竜人の子を産むってことしか。

「すまない」

 岳里はそれっきり口を閉ざすと、強くおれを抱きしめた。まるで存在を確かめるように、背中に、首裏に回された腕が、離れまいというように包み込んでくる。それから少しして、おれはようやくその腕に応えた。岳里の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
 不安、ばっかりが胸に広がる。自分だってまだ子どもなのに、それなのに子を育てられるのか。親になれるのか。そんなことばかり考えてしまう。でも――
 胸に、ひとつの光景が浮かんだ。そこには岳里がいて、腕に抱え込んだものを覗き込み、どこかぎこちなく笑っている。それはどうしていいかわからない、と言いたげな、でも嬉しいと言いたげな。そんな、姿が浮かぶ。
 それは、その姿はきっと――

「岳里」

 僅かに腕の力を緩めると、岳里は少しだけおれから離れ目線を重ねる。相変わらずの無表情で、あまり表情は変わっていないのに、その顔は随分情けなく見えた。
 おれは岳里の腕に回していた右腕をふたりの間に持ってきて、そっと自分の胸元を押さえた。それは、今は服の下に隠れたものの存在を確認するためだ。
 竜人の里にやってくる数日間前に、二人で一度町へ出かけたことがあった。胸元に下がっているものは、その日岳里から贈られた、岳里の鱗で作った首飾りだ。
 竜の姿になれる竜人の、竜族の風習、らしい。竜の鱗はとても頑丈で、決して砕けないとさえいわれている。そんな鱗を竜人は番になった相手、もしくはそれと同等の立場に当たる盟約者に贈るようだ。その時鱗はそのまま渡すでもいいし、何か装飾品に加工してもいいらしい。だから今回岳里は首飾りとしておれが身につけやすいようにしてくれた。
 竜にとって、鱗は自分を守る大切な身体の一部。絶対的強度を誇るそれはたとえひとつの大きさはそれほどまでなくとも、十分実用性のある盾となる。なにより、鱗を渡す本当の目的は、自分の鱗を持つその人は竜人である自分が守っている相手だ、ということを主張することにあるらしい。そしてその鱗の強固さから、二人の縁は決して切れぬという願掛けの意味もあるそうだ。
 そんな、大切な願いが込められた竜の鱗の首飾りは確かに服の下にある。それを服ごと握りしめ、おれは覚悟を決めた。

「岳里、元気な子を産もう」

 覚悟が決まると、不思議とそれまでゆらゆらと崩れ落ちそうだったものが自らしっかりとかたまる。だからからか、少しだけ気が抜けて、おれは口元を緩めた。
 その姿を岳里は、自分からおれの子を産んでくれ、と言ったのに、驚いたように目を見開かせる。おれはその表情に笑いながら、また岳里の胸に顔を埋めた。

「神さまを呼ぶことは大切だし、それがあったから今産むって決めたけど――でも、おれ欲しいよ。おまえとの子。……正直今は不安のほうが大きいけど、でも、想像してみたんだ」

 岳里と、おれたちの間に生まれてくる子。二人を眺めるおれ。不安な気持ちはあった。でも、それ以上にきっと幸せだろうって、そう思えたんだ。

「なあ、岳里。おまえも今すぐでなかったにしろ、おれとの子ども、欲しいと思ってくれたんだろ?」
「――ああ」
「ならそれでいいかなって。おれはそもそもそんなこと考えもつかなかったから、ついさっき考えたばっかりだけどさ。それでも、確かにおまえとの子ならいいと思えた。だからさ、おれたちの子はちゃんとおれたちに望まれて生まれてくるんだよ。おれたち二人が生まれてきてほしいと思ったから。だから、そう思えたから、おれは産みたい」

 きっと、おれには、おれたちにはまだ親になるには早いと思う。色々足りないものが多い。でも、少なくとも親になることは許されると思いたい。
 ちゃんと育ててやれるかわからない。どうやるかもわからない。けど、一からおれたちも学んでいって頑張ろう。おれだけじゃない。岳里もいる。ふたりで、元気でいい子を産んで、育てよう。
 岳里はおれの出した答えに、覚悟に。
 ありがとう、と言ってぎゅっと抱きしめてくれた。

 

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