扉を閉め、辺りに他の気配を感じないことを確かめてから、手にしていた赤い本を王とネルの二人に示した。
あまり感情が表に出ないことは自負しているつもりだが、今回ばかりは無意識のうちにそれが表情に現れる。だが、眉間に寄ったしわなど気にする余裕などなく、おれは口を開いた。
「何故この本が、真司のもとへ渡った」
この、赤き本。目の前の二人に見せるが、しかしともにどこか困惑した様子をおれに見せた。まるで、これを知らないというように。おれの言葉を理解できていないというように。
それにさらに、自身の眉根が深まるのがわかった。
「これは本来、選択者が己の役割の責に思い悩んだ時、導きとして与えられるものだろう。まだあいつは何も知らないのに、どうして渡した」
これはまだあいつのもとにあるべきものではない。まして、まだ何も知らないあいつが、読むべきものではない。それなのに何故、まだ登場すべきでないこの本がこの場に存在するのか。
王たちがなんらかの事情を知っていることは気づいていたが、それをどこまで理解しているかはまだ把握できていなかった。だがおれたちを保護した時点である程度の情報を得ていたとは思っていたし、ならばこの本の存在理由も知っているはずだと。
なんの意図を持って、まだ時期でないのに“赤き導きの本”を真司の手に渡らしたのか。納得する事情は浮かばず、未だ戸惑いを見せるふたりに詰めよる。
何か隠そうとしている――二人の態度を見てはじめはそう思っていたが、だが次第に、何か違和感を覚えた。
その違和感の答えを、ようやくネルが口にする。
「ちょ、ちょおっと待てよう、なんのことでえ? さっぱりなんだがよう……その本は、なんだあ? 選択者って、一体……」
「――おまえたちでは、ないのか?」
思わず言葉を返しながら、赤き本を持つ手を下す。
そんなおれの動きを見て、王は頷いた。
「その本をわたしは見たことがない。君が何を示し言っているかさえ、わたしもネルもよくわからない」
「――答えろ、おまえたちはどこまで知っている」
目を細め、王と、その獣人のネルを見つめる。目の前の二人が、おれの顔をまじまじと見て息を飲んだのがわかった。
おそらく、また瞳が金色に戻ってしまっているのだろう。“あれ”の時間が迫っているせいで、最近になってはもう制御ができなくなりつつある。だが、いずれは知れること。
彼ら疑問など見えぬふりをし、瞬き、もう一度尋ねようとしたところで先に王が答える。
「……この世界が今、選択の時を迎えようとしていること」
それまでおれの瞳への興味を抱いていたはずが、それを捨て去ったようだ。そう切り出し、王は淡々と言葉を続けた。
“光降らす者”と、“闇齎らす者”。神から与えられし二人こと。選択の時により下された結果に対しそのふたつが担う役割について。
そしてそれが、異世界より訪れし二人のどちらかであること。
おれが“光降らす者”であると断定はしているが――だが真司の役割についてはまだはっきりしておらず、様子を見ている状態にある、と。
三代目国王サラヴィラージュが後世に残してくれた手記があるが、一部分が欠落していた。その欠落箇所にもうひとつの、何かしらの役割が当てはまる可能性があり、それがあいつではないかと疑っている――そこまで話し、王は一旦口を閉ざした。
「大まかに話せば、これがわたしたちの得ている情報だ。そして、国家の機密事項であり、隊長の位を持つ者くらいしか知らないこと。――やはり岳里、きみは何か知っているんだな」
王の声に応えることなく、おれは手にした赤い本に目を向ける。
頭の中で繰り返すのは、先程王から答えられた言葉であり、故意的に欠かされた部分。そして、それによって誤った情報が流れているということ。
話を聞く限り、王たちは本当にこの赤い本のことを、存在さえ、知らなかったと窺える。
「岳里、きみはどこまで知っている?」
王にかけられた言葉に、おれは顔をそこへ向けた。
戸惑いと、焦りと、確信と。様々な気持ちが入り混じった表情を、同じくネルも浮かべながらおれを見ていた。
「知っているんだろう。ならば教えてくれ。真司は闇の者なのか、それとも別の者なのか。一体、なんなのかを」
「――もし、あいつが闇の者だとして。おまえたちはどうする」
返した言葉に、王は口をつぐんだ。ネルも目を伏せ唇を噛みしめる。それが答えなのだと訴えていた。
「おまえたちはまだ知らないことが多すぎる。かつての悲劇を知らない者に半端な知識を与えれば、同じことが繰り返されるだろう。――それぞれに与えられた“役割”を理解していないおまえたちに、今おれが教えられることはない」
そしてまた、この赤き導きの本の登場も早すぎたものだ。そもそもこれは本来、あの人のもとにあるはずだというのに、何故今ここにある。
手にする本へ視線を戻したその時だった。
「くっ――」
ゆらりと、視界が揺れ、身体の均等が崩れそうになる。
倒れそうになったところをどうにか踏ん張り持ちこたえるも、手にしていた本は音を立てて床へと落ちた。
「で、でえじょうぶかっ?」
ネルが駆け寄り、額に片手を添え俯いたおれの顔を覗き込む。王も後に続き声をかけてきたが、それに応える余裕すらない。
おれは落ちた本をそのままに、部屋を飛び出した。
部屋の前に何人か集まり、すでに慌ただしい様子を見せていた。そのうちの一人がおれに気づき、眉を垂らす。
「が、岳里さま!」
確か、ユユという名の兵が、駆け寄ってきた。
息を切らし戻ってきたおれのことを気に掛ける余裕すらないようで、ひどく動揺し震える声音で言葉を告げる。
「真司さまが、真司さまが毒を――」
目の前で今にも泣きそうな兵を押しのけ、部屋への扉の前にいるやつらも力づくで退かし部屋に入れば、部下に指示を飛ばすセイミアの背中が見えた。
「早く持ってきて! 二の四の棚、一番右端!」
「はいっ」
「ニヤリガ、あなたは白湯を。トルナはアロゥさまを!」
部屋にはセイミアの他に四人の男たちがいたが、鋭く響く声に合わせてそれぞれがおれを避け部屋から出て行く。
セイミアは寝台に横たわる人物に前屈みになりながら何かをしていて、その隣で残った一人の男が青くなった顔を晒したまま緊張した様子で汗を掻いていた。
視界の端に、悲惨な様子で散らかった床が映る。食事がのせられていた状態で敷かれたテーブル掛けを引いたのか、それは一か所にまとまっていた。皿は割れて料理もすべてが床に叩きつけられるようにして無残な姿となっている。その近くで、咀嚼された形跡のあるものが溜まっていて、それは吐かれたものなのだとすぐに気づいた。
「手の空いているものは各隊長に連絡を、ただしこのことを他へ広めないようにしてください。この一角にこれ以上人を入れないで。それと調理に関わった者だけでなく、料理を運ぶ時にすれ違った人間など、関係者はすべて拘束して!」
普段の無害そうな大人しくふわふわとした姿はなりをひそめ、今ここにいるのは七番隊隊長であるセイミアだった。ふと見えた横顔はその隣にいる男よりも幼いにも関わらず、焦りなど見せず上に立つものとしての責任を堂々と果たしている。そうしてもうひとつの、治癒術師としての顔も混じっていた。
「た、隊長、先程食事を運んだ者に話を聞きましたが、食べ始めてからそう時間も経っておらず、床に落ちたものを見てもそう量は口にしていないようです。すぐ食べるのを止めなかったあたり、毒の風味もそう感じなかったはずですから、やはり真司さまの体内に紛れた毒は少量とみてよいかと思います」
「――いや、真司さんが含んだ毒、この症状を見てもおそらく……イシュニヴカだと思う。あれはほぼ無味無臭の毒。味の濃いものなら混ざっていてもまったく気づかないし、何より」
少量でも危険な劇薬だ、と周りに聞こえないように声を潜めたセイミアの言葉を、おれの耳は確かにとらえた。
「すぐに死に至らないけど、時間が経つほどに危なくなる。これは体内の水分を吸収し脱水症状をひき起こすだけじゃなく――」
セイミアは詳しいその毒についてを口にしながら、ベッドに横になる人物の顔を覗き込む。この場所からだとちょうどセイミアの影になりその姿が見えない。
無意識のうちに拳を握りながら、おれは止めていた足を無理矢理前に進めた。
「とにかく早く解毒しないと。幸い城に解毒薬がある。それさえ飲ませることができればひとまず落ち着けるから……岳里さん?」
セイミアのすぐ背後に立ったところで、ようやくおれの存在に気づき後ろに振り返る。
これまで気丈だったその表情が、僅かに歪んだ。だがおれの目に映るのは、苦悶の表情を浮かべ、腹を押さえ悶えるあいつの姿だけ。
頭から水を被ったような大汗で髪まで濡らし、口には舌を噛まないためか、それとも痛みを逃すためかわからないが布を噛まされていた。
時折漏れる声に耳をふさぎたくなる。
また、またおれは――
苦しむその姿の前に、強く、震えるほど強く拳を握りしめた。
「……真司さんが、食事に毒を盛られたようです。危険な毒ではありますが、すぐに解毒するので――」
早口の説明が行われているその途中で、荒々しい足音を立てながらひとりの男が入ってきた。それはおれと入れ違うように部屋を出ていった三人の男の一人で、頬に汗を垂らしながら、中に入った途端に崩れる。
男の名前らしきものを呼びながら、セイミアはそれに駆け寄った。
「た、隊長、薬が、薬が……!」
息を切らしながら男は、薬がなかったと、と影すらなかったと、呻いた。
「そんな……!」
これまで冷静を保っていたセイミアの顔が、一気に崩れた。
「昨日はあったはずなのに、どうしてっ」
セイミアは唇を噛みしめ、ベッドに横たわる真司に振り返った。
「オンゴン、真司さんの体内に入った毒をできるだけ吐かせるから、手伝って」
「はい!」
「まだ手が空いている者がいますね? それと見張りをしている方も合わせ、皆総出で“月双花”を所持している者がいるか町を探してください! イシュヴニカに効果があるのは月双花のみです!」
前を向いたままセイミアは、扉の外側から部屋の中をうかがっていた男たちに声を飛ばす。それにそれぞれ、はっ、と声を上げながら、一気に散っていった。
部屋に残ったのはおれと、セイミアと、セイミアに手を貸す男。そして未だ布を噛み声を殺すあいつだけになる。
セイミアの指示に合わせ、あいつの身体の体制を変えつつ、助手の役を果たす男は言った。
「隊長、月双花が町にあるでしょうか?」
「――イシュヴニカ自体とても希少な材料を使い作られるから、本来この毒が市場に出回ることはない。だからその解毒も必要ないから、正直あるとは……それにあの花はイシュヴニカに対する解毒しか効果を成さないし、見た目はとても美しい花だけれど、観賞用として手に入れるにはあまりにも入手しづらい場所にしか自生していない」
笑顔が似合うと周りから言われる顔は歪み、セイミアは歯ぎしりをした。
「月双花が生息しているのは、千の月夜が途切れず訪れる場所と言われて――つまり、雲すらかからない高山なんだ。それにもし花として手に入れようとしても、月双花は三日も月光が浴びれない日が続くと、すぐに枯れてしまう。解毒の効果は変わらずあるけれど、必要とされないものだから商売にも向かない。だからイシュヴニカよりもさらに入手困難な代物とされている。そんな山を登るだけでも、命がけになるからね」
その言葉を最後に、セイミアは口をつぐんだ。真司をうつむきにさせ、その状態から上半身起こさせ、吐かせる準備を進めていく。
それを眺めながら、おれは自分の中に記憶されたものを辿っていった。
月双花。千の月夜が途切れず訪れる場所――それを手掛かりに思い出していくと、ふと脳裏に、とある情景が浮かぶ。
おれは踵返し、部屋から出て行った。
それとすれ違うようにアロゥがジィグンの手を借りながら早足で中に入っていく。急いた様子を見せるジィグンはおれに気づかなかったようだが、アロゥの目はしっかりとおれを捕えた。
目を僅かに細め、頷いてみせる。まるでおれが何をしようとしているのかを悟ったように。そうして知っているからこそ、呼び止めないのだろうか。
自らの力だけで多くのことを知った大魔術師アロゥ。彼に小さく頭を下げ、おれは外へ向かい走った。
真司が毒を盛られた、と報告を受け、この部屋を訪れてからというもの、セイミアはつきっきりで真司を介抱した。
兵士たちに探しに行かせた、イシュヴニカという毒に対し現時点で唯一解毒効果を持つと言われる月双花は未だ見つかったとの報告はなく、捜索はさらに人手を増やし行われている。しかしそれでも成果は出ていない。
岳人が訪れてからしばらくして、ジィグンに連れられ、待ち望んでいたアロゥは現れた。アロゥに毒の進行を遅らす魔術を真司に施してもらうも、精密な技術を用いるその術は大魔術師と謳われる彼とて精神的負担を大きく強いられた。そのため、毒を抑える魔術の効果はあまり望めないと、アロゥは珍しく厳しい声音でセイミアに告げたのだ。
真司の体内に入った毒、イシュヴニカは毒性自体は弱いものである。だがこれが劇薬と呼ばれる所以は、毒を飲んでしまった人間の体内でその水分を吸収し、強い熱を放つようになるからだ。同時に重度の脱水症状を引き起こすため、早期解毒が必要だった。
だが焦る心を置いていくように時間は進み、それに比例し毒はじわじわと、しかし確実に真司の体力を奪っていく。月が真上に昇る頃には、彼は昏睡状態に陥ってしまった。
アロゥの弟子、フロゥにも協力を仰いだ。アロゥが毒の進行を抑えると同時に、フロゥには気を失い自ら水分を得ることができなくなった真司の身体に水を与えてもらい、少しでも脱水症状を軽くしようと試みた。しかし、イシュヴニカは水分を吸収すると固形化する特性があり、水を与えれば与えるほど、それは肥大化する。このままいけば毒による脱水症状は免れるものの、今度はその毒が水を得すぎて膨れ、真司の腹を突き破る可能性が出てきた。
誰しもさらに強く解毒剤を求めたが、発見したとの報告はいつまで経っても訪れなかった。
途中部屋に訪れた各隊長たちも割けるだけの部下たちを月双花の捜索にあててもらい、自らも町へ出たものもいる中、特に真司に懐いていたネルは自ら今回の件で拘束した者の拷問役を買って出た。拷問対象は昨日の昼から事件発生まで厨房に足を踏み入れた人物全員に、食事を運ぶ途中の道ですれ違った者、そして実際机に食事を並べ部屋の門番にあたっていた一兵士。彼らが真司に毒を盛った可能性のある人物として、今は牢に押しこめられている。
はじめ、セイミアはネルに真司の傍にいなくていいのかと尋ねた。ふたりの間に何の関係があるかは知らないが、ネルがあそこまで短時間で懐く人物は見たことがなかったし、何よりネルが真司を大切に思っているのは明らかだ。だからこそ、問わずにはいられなかった。
するとネルは、いつもの自身を崩すことなく言った。
『おれぁ自分にできることをすんだあ。毒を扱うやつってのはあ、その毒に対する解毒剤を所有してることが多いだあろ? 毒持った野郎が特定できればあ、もしかしたら解毒剤が手に入るかもしんねえからよう。だからおれぁそっちでやれることするでえ。こっちはセイミアに任せたぜえ』
相変わらず陽気そうな明るい笑顔を浮かべながら、ネルこの部屋を後にした。ネル自身も時には毒を扱うため、犯人の心理が多少ならわかるからと。
しかしセイミアは彼女がどれほど、今この場を離れがたかったかわからないほど浅い仲ではない。だからこそ、ネルのためにも真司を助けたいと強く思ったが、それでも月双花は見つからなかった。
さらに時間は経ち、ついに夜明けが訪れようとしていた。紛失した、城に保管されていた月双花の行方も知れぬまま、町からも見つからぬまま、真司の身体が限界を迎えようとしていたその時だった。
ふらりと部屋に岳人が、美しい姿をしたままの月双花をその手に掴み入ってきたのは。その姿はあまりにも乱れていて、髪はぼさぼさとしていて、身体も土にまみれ、服には葉などがくっついていた。頬や腕など、素肌が見える箇所には擦り傷が目立ち、何より普段落ち着いた様子しか見せなかった岳人が息を乱し、しかも首筋までびっしょりと汗で濡れていたことに驚かされた。
その時ようやくセイミアはずっと岳人の姿が見えていなかったことに気づき、思わずこれまで何をしていたのか、いったいどこでその花を見つけてきたのかと問いたくなったが、それは岳人の目を見て喉元で止まる。
普段は焦げた茶色の瞳をしている彼が、金に輝く瞳でこちらを見ていたからだ。その場にいた数人が息を飲んだのがわかった。セイミア自身も、無意識に息を詰める。
そんな岳人の瞳はセイミアたちの動揺する様子など気にも留めず、寝台に大股で歩み寄ると、セイミアに月双花を押しつけるように渡してきた。岳人自身は最早息も浅く横たわる真司の傍ら、床に直接腰を下ろし胡坐を掻いて、その横顔をじっと見つめる。近くにいたジィグンが呼びかけても反応を示さず、ただ、真司だけを見ていた。
その姿を見たセイミアは急いで月双花を煎じ解毒剤を作った。いつ月双花が持ち運ばれてもいいように準備していたため、薬はすぐに完成する。それをフロゥに魔術を使い真司に飲ませてもらい、それからしばらくして、無事彼の中の毒が中和されたことが確認された。
次第に容態も落ち着き、あとは時間さえ経てば真司も時期に目覚める状況にまで回復してからようやく、セイミアは真司から目を離すことができたのだった。あとは七番隊の部下が自ら真司の世話を願い出てくれたおかげで、セイミアは夜明けからしばらくしてようやく、自分の部屋に戻った。
真司のことがある前から丸一日働き詰めだった身体は、一度寝台へ身を投げれば鉛のように重く感じ、指先を動かすのさえ億劫に思えるほど疲労していた。
瞼も重たくすぐに寝てしまえるかとも思ったが、目を閉じてもセイミアの意識は眠りの淵を歩いているような状態で、今すぐ眠れそうでもあったし、すぐにでも目覚められるような状況でもあった。
おそらく近いうちにまた会議が行われるのであろう。それは今回のことに関して。それを思うと、決して楽な気持ちにはなれない。
だがそれ以上に、立て続けに危険な目に遭ってしまった真司の抱くであろう気持ちが、恐ろしかった。この世界を拒絶するかもしれない。酷ければ、心を病んでしまうかもしれない。
様々な思いを抱えながらセイミアは、静かに眠りについていった。
セイミアが次に目覚めた時は、もう日が暮れかけていた。
部屋の前に控えていた部下から知らせを受け、セイミアはすぐさま行動する。会議はセイミアの起床後、すみやかに行うとの伝えがあったからだ。
まず先に真司の様子を確認しに向かった。著しく体力を消耗した彼は未だ目覚めていなかったが、眠る様子は穏やかであるし、安定もしている。
真司が眠るベッドの傍ら、そこには岳人がセイミアが眠る前にこの部屋を出た時と同じく、胡坐を床に直接掻いた姿のままでいた。ただ一心に、真司を見つめている。あの後も一睡もしていないのだろう。
その姿に言いしれぬ胸の痛みを覚えたが、あえて岳人に声をかけることはせず、他にいくつか軽い触診等をしてから、部屋を後にした。
そうしてしばらく時は経ち、今は淡々と行われる報告に会議室にて耳を傾けている最中である。
今回集まった隊長は全十三隊中、現在空席の三番隊を除く十二部隊長、全員が揃った。皆、これまで以上に緊迫した様子でネルの報告を受けている。
「――というわけでえ、結果として今回拘束した面子の中には犯人はいなかったあ。念のためリン国のシルナリア女王にも協力を仰ぎ調べてもらって確認済みだあよ」
五大陸の中で最も広大な領地を所有し、水豊かなリン大陸を統べるリン国。五国のうち唯一、女性が王と立つ国である。そことルカ国は古くからの友好関係にあり、実際に現国王同士の間にも友情が存在し、度々個人的な手紙のやり取りをしたり、国としても物資の輸出入も多く、それは誰しもが知ることだった。
それぞれの大陸を統べる五つの国の王たちには、それぞれ特殊な力を持ってその頂点に君臨していた。
ルカ国を治めるシュヴァルには『識別の眼』という力があるように、リン国のシルナリア女王には『真偽の耳』という力が存在した。そして他の国、サラ国の王ダランダには『選別の鼻』、シウ国の王ハルバートナーには『言霊の口』。今はなきユグ国のみ力を極めた人間が王になるという武力による王の選抜があった。
シルナリア女王が持つ真偽の耳は、その人物が口にした言葉が虚言かどうかを見抜く力だ。ネルの尋問の末、怪しい人物が四名挙がった。しかしどの人物も怪しいとは言ってもその疑惑は微々たるものであり、故に今回シルナリア女王の力を借りたのだ。
結果として、拘束した面々に犯人はいないと断定され、皆すでに釈放したそうだ。
本来ならば城の者一人一人の言葉をシルナリア女王に聞いてもらい、犯人を特定しておきたいところであるが、力の使用にはそれなりの神経を使い多大な疲労を強いられてしまう。今回も四名の言葉を聞いてもらっただけでも、彼女は倒れるように眠りについてしまったそうだ。そこにはもともとの虚弱な体質も重なってしまっていたらしく、しかし友好関係にあるルカ国のために身を張ってくれたのである。
ネルの以上、という言葉と同時に、ライミィが挙手をした。
「今回、食事に毒が盛られていたということだが、狙われたのは真司だと判断していいのだろうか? それとも、二人のどちらかを狙ったものか、本当なら岳里に対するものだったのか」
「狙われたのは間違いなく、真司だあよ。岳里が剣を習い始めて以降、飯の量が岳里の方だけ増してんだあ。どれがどっちに運ばれるか予想もできるうえによう、後々ジャスが調べたら、イシュヴニカは真司の皿に盛られた方からしか検出されなかっただとよう」
「ならば二人の食事が区別つくと知る人物は?」
「調理師たちは勿論だがよう、給仕だったりも知ってるし特に隠してることでもなかったから誰でも知れる状況ではあったそうだあ」
ライミィの切り返しも予想していたのであろうネルは、すらすらと淀みなく答えを告げる。
「恐らく調理場に足を踏み入れることが当然の者たちは、犯人ではないでしょうね」
そう発言したのはジャンアフィスだった。
「まず料理に毒を仕込んで真っ先に疑われるような立場にある以上、疑われるとわかっていてそう簡単に毒を混ぜるとも思えません。特に今回用いられた毒であるイシュヴニカは無色で無味無臭。飲み水に混ぜたって気づかれないようなものです」
「その通りだあよう、ジャス。おそらくその辺のやつらは今回のことに巻き込まれただけだあね」
ネルが溜息をつくと、次にレードゥが声を出した。
「――以前真司は街で暴行に、遭っています。そちらとの関連はあるのでしょうか?」
緊張した声音には、彼なりの思いも詰められているようにセイミアには思えた。そう言葉に出すこと自体、レードゥにとって辛いことであるのは想像がつく。しかし彼もまた、憐れな友のために自分にできることを、真実を探しているのだろう。
「……そればっかりはわからねえ。例の三人組に今回のことを問い詰めてみたけどよう、知らねえの一点張りだあ。おまえら前に話したことは覚えてるなあ?」
ネルが示す前のこととはおそらく、その三人についてだ。
彼らは金で買われた傭兵たちだった。大金で、魔物襲来の混乱に乗じて真司を攫え。あとは好きにしろと、命令されたそうだ。
三人のうちの一人、ルイナラという男が高台に位置する城から降りてきたレードゥと岳人と、そして真司をの人ごみに紛れ跡をつけ、そして命令した人物が言った通りに起きた魔物襲撃の大混乱に乗じ真司を攫ったというわけだった。
三人はただ頼まれただけで他の事情は一切知らないと言い、それは真実のようであるとネルが判断した。
そのことについて、現在もネルの率いる十二番隊によって調査が続けられていた。
ひとつは、三人を雇った人物について。彼らの前に現れた男は外套を目深く被り、さらには顔上半分を覆うような仮面をつけていたという。声も聞かせないためか依頼も含めすべて筆談していたという徹底ぶりで、どこの誰か、特定すらしていないと三人は答えた。それでもあまりの羽振りのよさに、不信感を覚えながらも依頼を受けたそうだ。
そんな中で得た男の容姿に関する情報は長身というだけで、他は一切ない。外套を羽織っていたために恰幅も知れず、装飾品等のものも見当たらず、情報はないに等しい。さらには必ずしもその人物が真司を狙うように指示したとも限らなかった。その男もまた、雇われた可能性が十分にある。
――ここからはセイミアがネルの報告を聞いて気づいたことであるが、ふたつばかり、三人の証言に有力な情報があった。