ひとつが、真司たちが街へ出るということだけでなく、その日付まで外套の男が知っていたということ。街へ行くことは実際に出る三日前に決まったばかりのことであり、それを知る人物は城の中といえども決して多くはなかった。
そしてもうひとつ、外套の男がすでに魔物がいつ、どの時間帯に国に張られた結界の傍まで訪れるか知っていたということだ。もしくは、そう“誘導”できたということ。しかもその魔物は十三隊隊長になれるほどの実力者が何人か出なければ退かせることも困難な、上級に近い中級のものだった。
複数犯であるかもしれないし、城の者かもしれないし、魔物に詳しい者かもしれない。しかし、それらは重要なものであっても、犯人が特定できるような情報は一切なかった。そしてなぜ真司が狙われたかも未だ解明されていない。
そんな、決して流すことのできない重要な事件がつい先日起きたばかりだというのに再び真司が狙われた。前回よりもさらに悪質な、場合によっては真司の死が十分ありえたもの。岳人が月双花を持ってこなければ、本当に危険な状況だったのだ。
ふたつに共通するのが、真司が狙われたという事実。今回このふたつが関係している可能性は否定できない。
真司と岳人の存在は表上ではあくまで客人であり、特別視されていることは確かであるが、決して命を狙われる理由はない。さらに、今は悪目立ちしている岳人が悪い意味の注目を受けていたとしても、真司はすっかりその陰に隠れ、彼を認識している者は少ないのが現状である。そんな中、真司だけが狙われたのはあまりにも不可解であった。――最もそれは、彼らの“役割”が知られていない場合を除いて。
岳人はすでに、この世界に“光降らす者”として、歓迎すべき存在だとこの場にいる隊長たちには伝えられていた。世界存続は彼にかかっているとしても過言ではない。しかし、真司が何の役割を担っているかはまだわかっていなかった。
もしかしたら真司は、この世界にとって望ましくない“闇齎らす者”かもしれない。世界が一部とはいえ、滅ぶという事実を迎える者はそういないだろう。それを知る人物が、その闇の者である可能性のある真司を消そうとするならば、真司が狙われたのも納得ができた。しかし、それは機密事項である。知るものは恐らく、この場にいる者のみ。例外として他に知る者がいたとしても、それは確固な信頼を得ているアロゥの獣人のジィグンであったり、他の者であったり。口外することなど言われずとも皆理解しているはずだ。
――だが、その機密をこの疑問に混ぜたとして、つじつまが合わなくなる事実はひとつ生まれる。
真司と岳里が役割と担う存在であると隊長たちが知ったのは、真司が襲われた後だったのだ。それまで光の者と闇の者については王とネルとアロゥの三人のみが有していた情報であり、彼ら以外知り得た者はいない。しかし、王らが主犯であるという可能性はないに等しい。
もし、今回の毒が盛られたことと、前回起きた事件が同一人物によるものであるとするならば、もしそれが真司が闇の者の可能性を知り行われたものであるならば。
その人物は、王の説明の前にすでに“役割”について知っていたということになる。
王という最上の立場をもったとしても、役割について得た情報は極めて少ない。そんな中でセイミアに近い立場の人間といえども、役割に関して調べられることなどたかが知れる。だからこそその主犯が独自の情報網を持つような人物であるかもしれないし、多くの情報を目にする機会の人物かもしれないし、シュヴァルの所有する三代目の手記を盗み見ることができる人物かもしれない。他にも様々な可能性があり、とにかく相手は何かしらの情報を有している可能性が極めて高い。
そんな数々の可能性を重ね主犯を探していけば、“身内”に求める相手はいるかもしれなかった。
「未だ外套の人物が見つかってねえ以上なんとも言えねえし、今はまだそれについては何にも言えねえなあ」
ネルは相変わらず己を崩さず、重たい雰囲気など気にも留めず、いつものように頭の後ろで腕を組んだ。
だがその胸中は、ここにいる誰よりも複雑に思考しているのだろう。そして誰よりも今、この場にいる者すらも疑っているに違いない。
彼女をよく知るセイミアには、ネルの姿を注意深く観察していて、癖が出ていることに気づいていた。
ネルは周りを警戒すると、極端に瞬きが少なくなるのだ。そして今、彼女の目は時折細くなることはあってもあまり瞬かなくなっている。それが、セイミアの考えが、身内、つまりは城で働く隊長たちも含めた誰かが犯人かもしれないという考えが正しいと肯定していた。
ネルの視線は、常に皆の顔を彷徨っていた。それを見る限り、まだ誰だとは目星はついていないのだろう。
「――次に解毒剤についての話に移るでえ。セイミア」
名を呼ばれ、セイミアは席から立った。
一同の視線が集めながら、口を開く。
「まず結果から申し上げます。城で保管していたイシュヴニカに対する解毒剤、ゲツリルは見つかりませんでした」
そう切り出し、セイミアは報告事項を淡々と口にした。
解毒剤ゲツリル。月双花という入手困難な花を煎じ、他にもいくつかの、そちらは流通も多い比較的手に入れやすい薬草等を混ぜて作る、イシュヴニカに唯一効果のある解毒剤だ。それはセイミアの管理のもと城内に保管されていたのだが、昨夜真司の解毒にあたる際に紛失していたことが判明した。
「理由はわかりませんが、保管していた棚からゲツリルだけが消えていました。他のものも改めて確認しましたが、すべて欠けることなく揃っています。棚の鍵はわたしが持っているものしかありませんし、盗難や悪用防止のためアロゥさまの魔術がかかっていましたので、本来ならわたしが所持する鍵なしでは決して開くことはありません」
貴重な薬などが多く、中にはとてつもない高価なものも含まれている。それを売れば金になることもあるし、有事に備え厳重な保管をしていた。
さらにアロゥの魔術で薬の保管場所である棚は破損させることも、鍵を壊すなどしてこじ開けることも不可能という状況だった。
そう説明を加えたのち、セイミアはさらに言葉を続ける。
「毎朝毎夕在庫の確認を行うようにしていますが、昨日の朝は多忙により確認していませんでした。最後に見たのは一昨日の夜ですが、その時には確かにゲツリルはありました。――もしも、盗まれたというなら。一昨日の夜から昨日の夜までの、丸一日の間になります」
セイミアはあえて口にはしなかったが、その薬の保管されている棚の場所はあえて人目にさらすように医務室と角に位置している。他にもセイミア専用の医務室にも棚は設置していたが、ゲツリルは一般公開されている方に仕舞っていた。
その医務室には必ずセイミアの隊の者が二人は在室する決まりがあり、とある用で片方が抜けても必ず一人は部屋に残って患者の世話や訪れた者の対応に当たる。そのため、時にはその薬を保管する棚から目を離したとしても、盗む時間などないに等しい。
セイミアは念のため確認を取ったが、やはり薬が盗まれた可能性のある時間帯には二人の隊員が、それも二人ともほとんど離れることなく部屋にいたそうだ。
その決まりは、よく医務室を利用する他の隊長たちも勿論知っている。故にセイミアはその点は飛ばし、自身の結論を口にした。
「その事実を踏まえ、もしゲツリルが盗まれたのなら。その盗んだ人物は真司さんを狙った人物と同じか、もしくは協力関係等にある人物と判断できると思います」
イシュヴニカに対する解毒効果しかないゲツリルだけが紛失した事実は、その考えをセイミアにすんなりと口にさせた。
発言を終え、セイミアは皆の顔をぐるりと見回す。誰もその判断に異論はないようで、数名は顔を俯かせる。
そんな中、ヴィルハートが口を開いた。
「鍵はひとつしか存在せぬのか?」
「ええ。――今、ここにあるものしか存在しません」
そう言ってセイミアは、首に下げ服の下に仕舞っていた鍵を引き上げみなに見せた。
かつては鍍金され輝きを振りまいていたが、今ではそれも剥がれ錆びれた色をしている。だがセイミアの手入れの甲斐あって、逆にそれが趣を醸し出していた。
「万が一の場合に備え、わたしの声にのみ反応して開錠させることも可能ですが、そちらは使用したことはありません。それにこの鍵は決して肌身離さぬようわたしが所持しているため、盗むことはできません」
「……ふむ、何かしらの方法を用い、ゲツリルを盗んだ可能性があるということだな。アロゥ、ジャス、ふたりで保管方法に穴があったか調べてくれ」
王に指名された二人は声を揃え返事をした。
それに頷き、シュヴァルはセイミアに告げた。
「確か月双花は岳里が持ってきたと言ったな?」
「はい。――王もあの花の生息地はご存じでしょうが、決して手軽に手に入るものではございません。それなのに岳里さんはあれを、花を咲かせた状態で持ってきました。通常ならば下山する途中で時が過ぎ、花は枯れるというのに、です」
月双花が自生するのは、千の月夜が途切れず訪れる場所――つまりは雲すらかからない高山の頂上だ。誰しもが容易に到達できる場所でない。
それに月双花は月光が浴びれぬ日が続くとすぐに枯れてしまう性質がある。実質二日も月光に晒されることがなければその美しい花はしぼんでしまう。
そんな花を、岳人は美しい姿を保たせたままセイミアの前に持ってきた。
「――岳里から今、話を聞ける状況にあるか?」
「いんや。今は真司にべったりで、傍から動こうともしねえなあ。もし聞くとするなら、真司が目を覚ましてからだと思うでえ」
「そうか……ならヴィルハート。岳里から、いったいどこで月双花を入手したか聞き出してもらえるか?」
「承知致した」
すぐに返されたヴィルハートの返事を聞いたシュヴァルは、小さな溜息を吐く。
「恐らく岳里のことだ。答えないようであればそれで構わない。それよりも一旦部屋から抜け出し、時間を置いて帰ってきたのだったな。その時どこに行っていたか、それはなるべく聞き出すようにしてくれ」
王のその言葉を最後に、話はまた変わり、さまざまな事柄を話し合う。
会議が終わりに近づいた頃、ためらいがちにアヴィルが挙手をした。
ネルに名前を呼ばれ、アヴィルは立ち上がる。
「――今回の、異世界の二人とは関係ない話なのですが、民より多く証言があったのでこの場でみなさまにお知らせしておきます。どうやら騒動があった昨夜、空を飛ぶ大きな鳥のような影を見たという者が多くいました。動物にしては大きく、魔物ではないかと民が不安がっています」
アヴィルは寄せられた声を報告し、その空を飛ぶ影の姿も聞いたものを説明する。
月光のもとのみで見たためにどの人物も黒い影のようにしか捉えることができなかったそうだが、その証言の多さから見間違いでないことは確かだそうだ。大きさは少なくとも人間よりははるかに大きかったらしい。
「――そうか。念のため、空上警護を強化しておこう。また目撃情報があったら報告してくれ」
「はい」
アヴィルの報告を最後に、会議は終了した。
王、ネル、アロゥの順で席を立ち、それに続き他の隊長たちも立ち上がり部屋を後にする。セイミアもすぐに仕事に戻らなければならなかったが、どうも身体が重く、無意識のうちに息を吐いた。
そうして腰かけたままでいると、いつの間にか部屋に自分ひとりになっていた。さすがにもう動かなければと席を立とうとしたところで、ぽんと肩が叩かれる。
誰もいないと思っていたセイミアが驚いて振り返ると、そこにはジャンアフィスがいた。
「やあ、セイミア。疲れていそうだね」
「ジャスさん……」
穏やかな笑顔を見せる彼に、思わず名前を呼んでしまう。それに応えるようにジャスはセイミアの頭を優しく撫でた。
「昨夜は大変だったね」
「はい。でも、真司さんが助かってよかったです。――それにしても、本当に誰がこんなこと……」
顔を俯かせ、さんざん苦しんだ真司の顔を思い出す。
実は昔一度、セイミアもイシュヴニカの毒を含んだことがあった。毒の性質を知るため、自らそうしたのだ。すぐに解毒したが、その苦しみは今でも忘れない。だが真司にはそれ以上のものが襲った。それがどれ程のものだったのか、ほんの少しでもその苦しみを味わったセイミアですら計り知れない。
毒を盛った人物に、強い憤りを覚えた。しかも、もしかしたら解毒剤を盗んだ可能性もある。それが事実であれば、犯人は真司を確実に殺そうとしたのだ。
普段自分に芽生えることのない暗い感情に戸惑いながらも、その思いを小さな声で、吐き出す。
「なんで、真司さんばかり……」
何故、どうして。真司ばかりが辛い目に遭わなければならないのだろうか。
それに対する答えを自分は持っていない。誰も、まだ見出していない。
唇を噛みしめたセイミアの肩を、ジャンアフィスはそっと撫でた。
「それはまだわからない。だがきっとそこには理由があるはずだ。見誤らないよう、慎重に見つけよう」
彼に振り返れば、優しい笑みでセイミアを見守っていた。
肩に置かれていた手が、うつむいたことで目にかかった前髪を払ってくれる。だが、それ以上に触れてこようとはしなかった。それがセイミアをただ慰めるだけの、優しさだけのものでないことを教え、励ましていた。
「――はい、はい。必ず見つけましょう」
こみ上げるものに耐え、セイミアは穏やかな表情を崩さないジャンアフィスに笑顔を向けた。すると彼もまた、明るい笑顔を咲かす。
「頑張るきみはこれを差し上げよう」
そう言ってジャンアフィスはよれた白衣の懐へ手を差し入れ、とあるものを取り出しそれをセイミアに手渡した。
それは掌に収まるほどの透明な小瓶で、中には薄青い液体が、四分の三ほどの量で入っている。それを受け取ったセイミアは、なにげなしに上に掲げその中身を眺めた。
「これは……?」
「ジャンアフィス特製の強壮剤さ。きみは頑張り屋だが、その分自分をないがしろにしがちだからね。少しでもきみのためになればと作ってみたんだ。あ、安心してくれ。ちゃんと安全な素材のみで生成したし、人体に害はないとわたしの身体で実証済みだよ」
眠りも浅いと聞くから、程度の軽い睡眠導入剤としての効果もあると、ジャンアフィスは他にもどの素材を使用したかとか、副作用はないとか、薬について丁寧に説明をしてくれた。
時にはセイミアの理解しきれない深い知識のもとまでゆきながら、特に薬の安全性を伝える。自身の作る薬の効果が時には恐ろしい結果を招くこともあるだけに、セイミアを安心させるためなのだろう。
そんな説明を受けながら、セイミアはそっと、指先でつまんでいた小瓶を両手で包み込み、胸の前で抱いた。
「ジャスさん、ありがとうございます。大切にしますね!」
「え、いや、大切にしてくれるのは嬉しいが、折角なんだ、ぜひ使ってやってくれないかい?」
「あ……ご、ごめんなさい」
「いや、謝ることではないよ。それよりもなくなったらまたあげるから、遠慮なく言ってくれ。保存しているものはまだまだ残っているし、その小瓶に入れたのは単にそれが一度に摂取する量だからだよ」
今セイミアが握りしめている小瓶は、この前街に出た時に店先で見つけたものだという。細工が細やかでセイミアに似合いそうだと、選んでくれたものらしい。
その事実にセイミアは楽しげに話をするジャンアフィスに隠れて、頬を赤くした。
「ジャスさん、本当にありがとうございます」
「わたしにできることはこれぐらいだからね。くれぐれも無理しないように。確かに君はあの最も多忙と言われる治癒隊の隊長を立派に勤めているが、まだ若いんだ。もっと周りに頼りなさい」
その言葉にセイミアは、まっすぐとジャンアフィスを見つめ頷いた。
目覚めるとおれの顔を覗き込む岳里と目が合って、わけがわからないまま肩に手をかけられ引き上げられるように上半身を起こされ、そして抱きしめられた。
「ちょ、岳里っ?」
岳里の馬鹿力を考えれば手加減してくれてるんだろうけど、それでも十分に強い腕の力にたまらず呻くも、それでも緩まることはなかった。
目覚めたばかりの脳でなんでこんな状況に、岳里にぎゅうっと抱きしめられてるのか考えるけど、わからない。わからないけど、でも、行き場がなかった自分の手をそっと岳里の背中に回す。
「岳里……?」
名前を呼んでも返事はない。
岳里の肩に顎を乗せながら、とりあえず、おれよりも広いその背中をぽんぽんと叩いてやった。それから掌でゆっくり上下に背中を撫でると、ほんの少しだけ腕の力が緩む。
それに岳里の身体に入った力も少し抜けたのか、それでようやく気がついた。
「――大丈夫、大丈夫だから」
「…………」
相変わらず岳里が口を開くことはなかったけど、ゆっくりとその身体が離れていく。けれどその顔を見るよりも先にまたおれのほうへ身体を倒してきて、今度は岳里の頭が、おれの胸元に押し付けられる。
それを黙って撫でてやった。微かに震える岳里が、少しでも安心できるように。
いろんなことがわからないけど、でも今岳里が何か思っていることは確かだ。おれにできることがあるかわからないけど、こうして岳里が今寄りかかってきてくれてるのなら、ただそれを受け入れる。それだけなら、おれにもしてやれる。
しばらくして落ち着いたのか、ゆっくりと岳里が離れていった。相変わらず顔はうつむかせたままだったけど、震えは止まったらしい。
おれが改めて岳里へ声をかけようとしたところで、別の声が先に飛び出した。
「あの……そろそろ、よろしいですか……?」
「――ぅえっ!?」
そんな謙虚な声音を出すのは勿論岳里でなく別の人物で、おれは思わず聞こえた方向に振り返る。するとそこにはわずかに頬を赤く染めたセイミアが、居心地悪そうにそわそわとベッドの足元に立っていた。
「せ、セイミアっ、いつからそこに!?」
「……真司さんが目を覚ます前からいさせております」
おれが目を覚ます前からというわけは、つまりはばっちりさっきのを見られていたわけで。
誰もいないと思っておれも、あんな風に岳里を受け入れたわけで。
言い訳も何もできず、セイミア以上に顔を真っ赤にしておれは俯いた。岳里も黙ったまま何も言わず、おれも言えず、三人いるはずの部屋に沈黙が流れる。
それを勇敢にも打ち破ったのはセイミアだった。
「あ、あのですね! 体調はどうですか? まだ違和感ありますか?」
「……違和感?」
その言葉を思わずおれは顔を上げ、セイミアに聞き返した。
そういえば、なんでセイミアはここにいるんだ? なんで、岳里は、あんな風に――ああ、そうか。
「ごめん。またおれ、迷惑かけちゃったんだな」
自然に浮いた自嘲的なものを含む苦笑をしながら、おれは自分の腹を擦った。
あの時はあまりの苦しみに、よく覚えていない。ただただ必死にもがいていた気がする。
わからない曖昧なことが多いなか、唯一はっきりしているのは、またみんなに迷惑をかけたということだけだった。
苦しんでいた時のことはよく覚えていない。でも、倒れた瞬間のことは鮮明に覚えている。たぶん、だけど。おれはきっと毒を盛られたんだと思う。経験がないからはっきりとはわからないけど、飯を食ってから急に身体に異変が起きておかしくなった。城の調理人になれるくらいのすごい人が腐った食材だとか、調理に失敗なんてありえないから、なら考えられるとして、それだろう。
それに、寝ている時微かに毒だとか、解毒だとか、そんな声が聞こえたような気がする。遠くから、声というより音に近かったけど、いつ聞いても焦っているようだった。
また、またおれはみんなに、迷惑をかけたんだ。
「それは違います、真司さん」
つい目を伏せたおれに、きっぱりとしたセイミアの声が曇っていく心へ飛び込んできた。
無意識のうちに視線を向ければ、どこか、怒ったような顔をする幼い姿がある。とても十六には見えない、まだ線が細く頼りない身体。だけどその纏う雰囲気は、負う責任がそうさせるのか、そこに強固な芯を見せる。
「違いますよ、真司さん。迷惑だなんて思ってません。あなたはむしろ、わたしたちへ怒っていいのです。我々はあなたを保護する立場にあります。それなのに、あなたに何度危険な目に遭わせたか。――隠さずお教えしますが、真司さんは今回毒を盛られました。その毒は、イシュヴィニカと呼ばれる大変危険な毒です。解毒できなければ死に至る。でも、その解毒剤が城から消えていて……岳里さんが解毒剤の材料である月双花を持ってきてくださらなければ、今頃……」
言い淀むセイミアに、その先に続く言葉を十分この身を持って理解できたおれは、首を振った。
「なんとなくだけどさ、セイミア、ずっとおれの傍にいて看病してくれてたこと知ってるよ。たくさんの人が、おれのために精一杯に動いてくれたんだよな。ありがとう」
「真司さん……」
セイミアはぐっと唇を噛みしめると、一度ゆっくり目を閉じ、それからにこっといつもの明るい笑顔を出した。
おれが望んでいることを理解したように、優しく柔らかいそれを浮かべたまま口を開く。
「みなさんに真司さんが目覚めたことを伝えてきますね。きっと喜びますよ。みなさん、真司さんのこと、心配してたんですから!」
“心配”という言葉を強調しながら、セイミアはおれと岳里に小さく頭を下げて部屋から出て行った。
――たぶんおれに、かけたのは迷惑でなく心配だ、と言いたかったんだろう。
セイミアが消えた扉を眺めながら、やっぱりおれよりも年下でも隊長なんだと、セイミア自身に教えられた気がする。
なんだかほっとするような温かい気持ちを胸に感じながら、振り返った。
「岳里」
おれの寝ていたベッドの傍に立ち、未だ俯く岳里を呼ぶ。けれど返事はなくて、いつもだったら返される視線すら、今は垂れた前髪に隠されている。
もう一度呼んでも返事はなく、その場から動こうともしない。
「――岳里が、おれを助けてくれたんだよな。解毒剤に必要な花、見つけ出してくれたんだろ」
答えない岳里を見つめながら、おれは毒の影響か関節が軋む身体を動かし、ベッドから出て岳里の隣に立つ。
正面に行き、そっと、俯く顔に触れた。
きっと、一生懸命探してくれたんだと思う。その解毒に必要な花がどんなものなのか、どこにあるのか知らないけど、セイミアの様子を見る限り決してどこにでもあるようなものなんかじゃないんだと思う。それを、岳里は探し出してくれたんだ。
「汚れてんな」
岳里の髪は、ぼさぼさに荒れていた。いつも整えているとは言えずそのままだったけど、それでも本来の髪質のよさでさらさらしているのに。服も泥だらけで、ところどころには葉っぱがついていた。岳里の足元を見ると、そこにも数枚の葉が落ちている。
服に覆われていない素肌には細かい傷がいくつもできていて、中には強く打ちつけたような痣まであった。
こんな岳里の姿、初めて見る。服が汚れてるとか、髪がぼざぼさだとか、打撲だとか切り傷があるとか。それは、剣の訓練の岳里にはよく見られた姿だ。傷をこんなに作ってるのはあまりないけど。でも、こんな疲れたような、どこか弱さを見せる岳里の顔は、初めて。
頬に置いた手の傍に、そこにあるうっすらとついている切り傷を指で撫でた。痛くないように、そっと。
僅かに顔を上げた岳里と、ようやく目が合う。
「――身体は、大丈夫か」
「ああ。ちょっと全身ぎしぎししてるし、腹が少し重たい気がするけど、こんくらいならすぐ治るよ」
見つめる焦げ茶の目が細められると、岳里の頬に触れていたおれの右手に同じ右手が重なる。けれど、おれの手なんか包んでしまうくらい大きくて、あったかい手。
おれの手を離れさせないように上から重ねると、その掌に頬をすり寄せてくる。
「岳里?」
小さいとはいえ、できたばかりの傷がおれの掌の下で擦られるのは少し心配してしまう。
けれどそんなのお構いなしに、岳里は次におれの掌を下へと滑らせて、そこへ岳里の唇が触れる。
「ちょっ……!?」
さすがにそれには吃驚して思わず手を引くが、当然のように岳里の手に抑えられたおれの手は動かずされるがまま。
岳里は伏せ目がちになりながら、今度はおれの手首の内側へ唇でなぞる。
おれはその岳里の唇から、目を離せなかった。未だに抵抗を続けているのに岳里は離そうとはしないし、その真意がわからず頭の中はひどく混乱していて。
不意に、岳里がおれの手首へ唇を押しつけながら、視線を向ける。黒よりも焦げ茶に近い瞳と目が合って、思わず顔ごと逸らしてしまった。
その瞬間ぐっと腕を岳里の方へ引かれて、突然のことに踏ん張れなかったおれはそのまま目の前の身体へ倒れてしまう。
「わっ」
けれどおれがぶつかったところで岳里はびくともせず。ずっと握っていた右手から手を離して、おれの背中へ手を回した。
起きたばかりの時のように、またぎゅっと抱きしめられる。あの時とおんなじくらいに強く。いや、それよりももっと強く。
「――――た」
されるがままになり手の行き場に迷っていると、頭上からかすかな声が降ってくる。岳里と、こんなに密着してなくちゃ聞こえないような、小さくて弱いもの。