胸にひっついていた顔を上げると、そこにはひどく顔を歪ませた岳里がいた。

「おまえが、いなくなると思った」

 今にも泣きだしてしまいそうに、震えるか細い岳里の声。その声は、おれの肩に顔を埋めながら続けられる。

「離れている間に、おまえがいなくなってしまわないか不安で仕方なかった。ずっと目を覚まさず、このままになってしまうのかと怖かった――――よかった」

 本当に、よかった。そう最後に絞りだし、岳里は口を閉ざす。

「……ごめんな。岳里にもいっぱい、心配かけたんだな。ごめん」
「いい。おまえが無事だったのならそれで。それに、こんなことになってしまったのにはおれに責任がある。おれが、あの時おまえの傍を離れていなければ」

 それは紛れもない、岳里の後悔だった。余程おれのことに堪えているのか、普段の岳里なら決して口にしないもの。それよりも過去に起きたことは仕方ないと言いそうな、そんな岳里があの時にああしていなければと悔やんでいる。
 そんなこと、ないのに。

「岳里のせいなんかじゃない。毒を盛られたのは、毒を盛ったやつ以外にいいとか悪いとかないと思う。あの時岳里が傍にいてくれたとしても、もしかしたらまた別の時、岳里がいない時を狙われることだってあるんだから。だから、そんなに自分を責めるなよ。らしくない」

 岳里は何かを言いかけたようだったけど、でも何も言わず、黙っておれを抱きしめる力を強める。息苦しいほどのそれに身を捩りたくなるが、それでもどうにかして逃げようとか、離れようとかは思えなかった。

「――ごめんな岳里。でも、あんがと」

 心配かけて、悲しい思いさせて、ごめん。でも――それが嬉しかった。心配してくれることが、おれを思って悲しんでくれることが、ひどい話ではあるけど嬉しかった。
 ここまでおれを思ってくれる人が、兄ちゃん以外にもいること。それが岳里だということ。
なんて言ったらいいかわからないけど、不思議と心が満たされる気がする。
 岳里とはこの世界に来てからの仲だ。まだ、一か月も経っていない。それなのに岳里というやつはおれの心に随分と深く根を張ったみたいだ。もちろん、こんな異常な状況に陥って、それで脆く不安定になったおれの傍にいてくれて支えてくれたってことで、岳里を信頼しているんだっていうのはわかってる。きっとこの世界にこなくちゃ岳里と接点ないまま学校を卒業して、同窓会で会っても会釈するだけの仲になっていたと思う。
 でも一緒に、同じ部屋で過ごしていくうちに、岳里に対して家族に持つ感情と似たものが生まれたのかもしれない。おれの家族は兄ちゃんひとりだから、比較対象が少なくてよくわかんない。でもそう思うんだ。
 こんなにもずっと同じ場所で誰かと暮らしたことなんてなかったし、まして第一印象があまりよくなかった岳里とうまくやっていけるとは思わなかった。でも、今は岳里の隣が心地いい。兄ちゃんの傍にいるみたいで安心して、だからこそ想像していたよりも寂しくはなかった。
 ――そうだ。きっとおれは岳里に、家族に近い気持ちを抱いているんだ。……今は、兄ちゃんの代わりのように。
 心の中ではもう一度、ごめんと岳里に告げた。
 不意に、おれの心を読み取ったように、岳里が腕の力を緩めておれとの間に僅かな隙間を作る。思わず顔を上げて岳里を見れば、その視線は扉に向かっていた。

「岳里……?」

 名前を呼ぶと、ちらりと向こうへ顔を向けたままおれに目線だけを送ってきた。それから小さな溜息をついて、おれから離れる。
 ますます頭上にはてなを浮かべるおれを尻目に、岳里は気だるげにベッドに座り直した。

「出てこい」

 岳里の言葉からひとつ間を置き、ゆっくりと部屋の扉が開かれる。
 おれが吃驚してそこへ目を向けると、つまらなさげに唇を尖らせるネルが先に顔を覗かせ、それに続きレードゥにヴィル、次にジィグンとその腕に抱えられたフロゥが、最後にゆったりとライミィとセイミアが、続々と部屋に入ってきた。

「なあんでおまえは気づいちまうんだよう」
「つまらぬ男よ。わしらの存在を悟ったからとて、口に出さねばいいものを」
「ふふ、まあ岳里とて人間だと知れたんだ、よしとしようではないか」
「確かに、今までの岳里だったらおれたちが初めからいたことに気づいてたろうしな。よっぽと真司が無事だったことが嬉しかったんだろうよ」
「ま、おれや隊長たちもみんな心配してはい――」
「はっ、初めからいたのか!?」

 ライミィの微笑に頷いたレードゥに、さらにそれに続いたジィグンの言葉なんて全部聞かないままおれは慌てて岳里から離れようと身体を動かすも、まだ身体が思うようには操作できずベッドの端から落ちかける。けれどそこは岳里が引っ張ってくれて事なきを得たが、お礼もそこそこ、やっぱり慌てながら自分のベッドへ戻る。

「おいおい、まだ本調子でないんだから無茶すんなよ」
「そうでえ、岳里の野郎から離れんのは賛成だけどよう、ゆっくりなあ」
「気を付けてくださいね、真司さん」

 ジィグン、ネルに続きフロゥにまで注意を受けるが、おれはそれどころじゃない。
 扉はセイミアが出ていく時以外はずっと閉じていたから、たぶん物音ぐらいしか、扉の外からは窺えないだろうけど……でも、岳里に抱きしめられたこととか、手とか、手首に……その、されたこととかを思い出すと、それをみんなが耳を立ててた中してたと思うと、い、いたたまれない。
 いくらおれが毒で死にかけて、でも無事だったから心配してくれてた岳里は喜んでくれたわけだけど……やっぱり、いくら友達だからって、ハグまでだろう。
 当然だけど、家族である兄ちゃんによっぱらって頬にぶちゅーといかれたことはあれど、素面でそんなことはやらない。ましてや手の平とかは、酔っぱらってようが狙われることはなかった。
 それなのに岳里は、岳里は――
 堪らず毛布を頭まで被ると、周りはなぜか穏やかな笑い後に溢れていた。

「はは、心配してたよりずっと元気だな、真司」

 レードゥが軽く、おれの足元を毛布の上から叩いた。

「その姿が見れただけで十分よ。さて、あまり騒ぎすぎては身体に悪い」
「ああ、確認もできたし、おれたちは自分の持ち場へ戻ろう」
「真司さん、はやく元気になってね!」
「とりあえずまた後で来るからよ、それまで二人で休んどけよ」
「うう、真司ィ……おれも仕事終わったらくるかんなあ。今度は王のやつも連れてくるからよう」
「特に問題もないようですし、ぼくも出ていますね。何かあったらすぐに呼んでくさい」

 一人ずつおれに声をかけ、そして一番初めに笑い出したレードゥに続くように軽く足元を一回叩いていく。セイミアまでもが流れに乗って、合わせて七回。
 おれがそろそろと毛布を持ち上げてみんなへ視線を向けると、全員が、笑顔をおれに向けてくれた。

「――その……ありがとう」

 その笑顔に、迷惑を、心配をかけてごめん、と言おうと思った。けれどそんなのはやめて、おれもみんなに、照れの抜けない笑顔を返した。
 フロゥやネル、セイミアが出ていくときに手を振ったから、おれも振り返す。ぱたんと扉が静かに閉まっても、手を振らなくなっても、ほんの少しの間だけ手は上げたままだった。

「岳里」

 返事はなかったけど、おれは言葉を続ける。

「おれさ、今回のことはあんまり辛くなかったみたいだ。毒は苦しかったし、事実死にかけたけど――みんな、一生懸命おれを助けようとしてくれた。だから、苦しかったけど悲しくはないかな」

 変かな。でも、それでいい気がする。
 おれに毒を食わした人物がいるのは確かだし、おれは死にかけたのも現実だ。身体も今でも重たいし気持ち悪いし、頭は少し雲がかかったようだ。でも、それなのに心はすごく晴れ渡っているみたいにすっきりしてた。なんでだか、わかんないけど。でも、でも不思議とこの場所にいることが、すごく幸せに思えた。
 手を下し、そのまま毛布を握っておれはベッドの上にまた横になる。今度は首元まで毛布を引き上げて、さあ寝直そうと瞼を閉じようとした時、突然おれの身体は浮き上がった。

「ひえっ!?」

 毛布ごと浮遊した身体に、手足をばたつかせるとすぐにおれをこんな目に遭わす正体を殴り知ることになる。

「っ岳里! お、おろせよっ」

 自分の顔にかかった毛布を押しのければやはりすぐ傍に岳里の顔があり、一度おれに視線を寄越しただけでまたすぐに前を向いてしまう。
 なんでおれはまた、岳里に抱えられてるんだっ。
 その講義をまた口にしようとしたところで、ぐいっと身体が傾く。堪らず落ちるかもしれない恐怖感に目の前の岳里に抱きつく。
 けれど、すぐに岳里の腕から離れた腰が柔らかい地に着き、おれは岳里に抱きついたまま後ろを振り返った。
 目に映るのは、ベッド。毛布が端に蹴散らされている、岳里のベッドだ。
 何とも言えない気まずさに口を閉ざしながら、頑なに結んだ腕を解いてそろりと岳里から離れる。

「あの、だな、岳里。そういうのはまず……――ぎゃっ」

 冷静に、冷静に抗議してやろうと言葉を選びながら、早速言葉を詰まらせ沈黙するおれを、岳里は何の合図もなく横に引き倒すと、そのまま背中から抱きしめてきて落ち着いてしまう。

「ちょ、岳里?」

 悔しいが身長差があるからなのか、それとも単なる位置からか、岳里の顎の下にぴったりと頭の先が収まる。
 逃れたくとも前に回された腕が、ただ上に乗ってるだけのくせしてその位置から絶対にずれず。意地になって、岳里の腕を掴んで引き離そうとしたところでやめた。
 仕方ないな、と溜息をひとつついて、それで許してやろう。
 とりあえず居心地のよいように直そうともぞもぞと動くと、離れようと暴れた時は動きもしなかった岳里の腕があっさりずれる。けれどおれは重たいそれを乗っけたまま、ちょっと身体をずらしただけで終わらした。
 ふう、と息を吐き、ようやく落ち着け目を閉じる。
 背中が温かく、規則的に動く感触がなんだがくすぐったい。そわそわする気持ちもあるけど、でもそれよりもなんだか安心できて。何より、すぐに寝てしまった岳里の穏やかな寝息につられて、おれの瞼は重くなっていく。
 ――岳里と同じ部屋で、何度も隣同士のベッドで寝てきたけど。岳里の寝顔を見たのはこれが初めてだ。必ず寝るときはすっぽり毛布を被っちまうから、実際は本当に寝てるのかもわからなくて。
 重たい瞼を擦りながらちらりと岳里の顔を見上げてみる。まだ汚れたままの姿で、おれが動いても瞼すら微動だにしない。余程熟睡してるらしい。

「岳里」

 ――いっぱい、たくさん、あんがとな。
 また元の位置に戻りながら、今度こそおれも眠りについた。

 

 

 

 眠ったしばらく後。扉のノックの音で目覚めたおれのもとに、コガネとヤマトに、アロゥに、ミズキに、様子を見に来てくれたセイミアとジャスも訪れて。
 みんなおれの心配をしてくれてたらしくて、仕事の合間に会いに来てくれた。来て、くれたんだけど……おれは眠りについたときの姿のまま、みんなの前にいるしかなかった。岳里が目覚めなかったからだ。
 なんで起きないんだよ、とか。せめて腕だけでも離せよ、とか。何度もそんなことを思ったけど、おれの身体の前に回された手は、岳里本人は今も眠り続けているはずなのにびくりともしない。かといって大声出して揺さぶって岳里を起こす気にもなれず。おれを心配して見舞いに来てくれたみんなに会わずにいられるわけもなく。
 仕方なくあほらしい姿のままで会ったわけだけど、みんなして岳里の寝顔を物珍しげに眺めていった。あの岳里が寝ている、という噂から、一度部屋に来たはずのレードゥたちもまた顔を出したりして、それなりに騒がしくなる。けれど、それでも岳里は熟睡したまま起きなかった。
 最後にネルが宣言通りに王さまを連れてきて、それとまた様子を見に来たセイミアと一緒に部屋に訪れる。

「よかった、思っていたよりも元気そうだな。顔色もよさそうだ」
「ご心配をおかけしてしまいすみません」
「いや、今回は我らの落ち度だ。危険な目に遭わせてしまった、すまない。ゆっくり休んでくれ」

 王という立場の人に頭を下げられ、おれは慌てて身体を起こしそんなことしないでくれと伝えようとしたところで、けれど動かない岳里の腕に弾かれ元の場所へ戻される。
 王さまに謝らせている以前におれは寝っころがった体勢でいることを思いだし、今度こそ岳里を起こしにかかろうとしたところで、それを穏やかな笑みを浮かべる王さま自身に止められた。

「岳里のことは寝かせておいてくれ。わたしは気にしていないから」
「そうでえ。……ま、普段なら叩き起こしてやるところだがよう、今回だけ、なあ」
「岳里さんほどの方がまだ目を覚まさないということは、それだけ疲れているということです。今回のことは大きいでしょうが、日頃の疲れもあるようですから。きっと次に目覚めればまたあまり休みなく動いてしまうでしょうから、今のうちに無理にでも休ませた方がいいですよ」

 それぞれに岳里を起こすことを止められ、医者のセイミアからは説得力ある言葉を聞き、おれもおずおず動きを止めた。

「あの、セイミア」
「なんでしょう?」

 結局岳里から後ろから抱きしめられる形のまま、ベッドの隣に立つセイミアへ目を向ける。明るい笑顔が返された。

「悪いんだけど、その……岳里に治癒術、かけてやってくれないかな? 全然、小さい傷ばっかりみたいないんだけど――」

 歯切れ悪いおれの言葉に、けれどセイミアは笑顔を崩さないまま頷いてくれた。
 王さまとネルがセイミアから離れ、その後ろで控える。おれも離れたかったけどやはり岳里の腕は動かず、仕方なしに傍で様子を見守った。
 セイミアは岳里の上に両腕を広げる。その手の動きを目で追いかけていると、不意に、手の平から淡い光が漏れだした。光は少しずつ、確実にその光度を増し、輝きを放つ。手の平の光は溢れはじめ、ほろほろと小さな玉になって岳里の身体に落ち始めた。
 雪が身体に触れ、その体温に溶けるように。セイミアが生み出す光の雪は岳里の身体に一度広がってから、その中へ吸い込まれていく。
 零れる光が、あまりにも綺麗で。思わず見とれていると、ふと気が付く。セイミアが、手だけでなく身体もほのかに光を放っていることに。ぼうっと、輪郭を作るように。そしてそんなセイミアの周りではさらに、ふわふわと手の平から零れている光の玉のようなのと同じものが浮遊していた。
 次第に光は収束していき、最後にセイミアがきゅっと手を握ると完全に消えてしまう。それと同時に周りを飛んでいた光の玉の姿もなくなった。

「これで、細かい傷などは治ったと思います。他にもいくつかの治癒を施しておきましたので、疲労回復も多少は早まると思いますよ」
「ありがとう、セイミア」

 おれがお礼を言えば、セイミアは大したことはしていないと首を振る。

「おれ、治癒術って初めて見たけどすごい綺麗なんだな」
「ええ、みなさんそうおっしゃってくださいます。治癒術を施す姿にも癒されるとまでおっしゃる方もいらっしゃるので、治癒術師としては嬉しい言葉ですね」

 それは単に、“セイミアが治癒術を使っている姿”に癒されている気がするけど……それはあえて言わず、けれどつい顔に出して笑ってしまう。

「確かに、セイミア自身も光るし、その周りにはふわふわ光の玉も飛んでるし、現実離れした感じがいいのかも」

 そう言葉を続けたおれに、何故だか突然会話が途切れてしまった。
なんだろうと思ってベッドの脇に立つ三人へ目を向けると、それぞれ戸惑ったようにおれを見ている。
 何か、まずいことでも言ったのかな。そう、不安になるおれに、ネルがようやく口を開いてくれた。

「真司ィ、セイミアの周りの光の玉が、見えたのかあ?」
「見えた、けど……?」

 戸惑いがはっきりと混じるネルの声に、おれもついたどたどしく答えを返してしまう。
 ネルはセイミアと目を合わせ、次に王さまと目を合わせ、またおれを見る。でもその時にはもういつものネルで、その表情には笑顔があった。

「そうかそうかあ、見えたかあ! それも綺麗だあろ!」
「あ、ああ! おれ治癒術はじめて見るから知らなかったけど、こんなに綺麗だと思わなかったよ」
「特にセイミアの術中は、美しいと評判なんだ。その術師の力が強ければ強いほど、輝くそうでな」

 王さまの言葉に、やっぱりセイミアは凄いんだなと笑いかけると、そんなことはないですと微笑み返してくれる。でも、少しぎこちない感じが残っていた。
 一体おれが何に触れてしまったのかわからないけど、とりあえず今は三人に合わせて話をする。話題はすぐに、けれど違和感のないようにネルがすり替え、徐々に治癒術から離していく。
 頭の片隅には残っているそれを無理矢理気にしないようにしながら、岳里の腕に触れていた指先に少しだけ力を入れた。

 

 


 真司の部屋を笑顔で後にし、その後とある事実について相談を終えたセイミアとも別れ、王の私室へと二人は戻った。しかしいつもならすぐにベッドへ飛び込むはずのネルが、今日は扉の前に佇んだまま。
 先に歩みベッドへ向かっていたシュヴァルは踵返し、ネルのもとへ行く。
 顔を俯かせる小さな身体は、セイミアと別れたあたりから一言も発していない。

「ネル」

 シュヴァルが名を呼ぶと、ネルは僅かに顔を上げた。だが、変わらずその顔は見えない。しかしその見えぬ表情を、静かに震える声音が十分なほどシュヴァルに伝えた。

「……ぜってえに、許さねえ」

 その身の内にうねる激情に耐えるように、狂わぬように。
 ゆっくり上がった顔と、ようやくシュヴァルは目を合わすことが叶う。やはりその瞳には仄暗い闇が灯っていた。

「真司を苦しめた野郎を見つけ出してやる。逃がさねえ」
「ああ、そうだな。我が国の威信……いや、真司の今後のために」
「――ありがとよう、シュヴァル」

 シュヴァルも頷き強い声音で告げると、ネルはそっと、シュヴァルの服の裾を掴んだ。
 それに応えるべく、シュヴァルは僅かに腰を屈め、彼女の身体に手を回す。ネルは素直に抱かれ、手前にきた腰に足を首に腕を絡めた。

「気持ちは同じだ。彼の不幸を、おれも望んではいない」

 ネルを正面から抱えたまま、ベッドに腰を下す。それでも互いに離れようとはせず、シュヴァルはゆりかごのように身体を揺らしながらネルの背中をそっと撫でる。
 身体に回された手足の力が強まり、胸元へは小さな額が押し付けられた。
 そんな姿を上から眺めながら、思わず小さな笑みをこぼしてしまう。けれど、下を向く彼女はそれに気づかない。

「ところで、岳里の言葉――……“選択者”について、調べはついたか?」
「……いんやあ。まあだわかってねえなあ。色々、ごたごたしてたしよう、まだ本腰すら入れられてねえ」
「それも、これからというわけだな」

 隙間なく埋めていた二人の距離をわずかに開け、互いの顔を見合う。
 ネルの前髪が乱れているのに気が付き、シュヴァルは手櫛でそれを梳かし直してやると、いつもならそこではにかむはずの彼女が目を伏せた。

「――“光降らす者”である岳里にぃ、“闇齎らす者”、もしくは隠された可能性のある役割の真司。“見守る者”であるシュヴァル……もしかしたらよう、手記に記されてないだけでえ、他の役割もあるんでねえかなあ」
「他にも……?」

 思わず聞き返したシュヴァルの目を見つめ、ネルは頷いた。
 彼女が言うには、現時点で判明している“役割”の数が、少ないのではないだろうか、と疑問があるらしい。
 選択の時を執行するであろう光の者と、闇の者。そして彼らを見守る者。故意に隠されたもうひとつの役割がもしあったとして、それでもすべてで四人。世界の命運がかかる出来事なのに、“役者”が足りない気がする――……そう、ネルは感じているようなのだ。

「こんなのはよう、単なるおれの勘……推測にもなんねえけどよう。これがもし自然に生み出された舞台であるならまだわかんだがよう、これは神が用意した舞台だあろう? なら、ならよう、もっと役割を持ったやつがいるんでねえかなあと思うんだあ」

 でなければ均等が取れない。そう付け足し、ネルは再びシュヴァルの胸に沈んだ。

「やっぱ今のはなしなあ。それよりも選択者について調べあげねえと」

 ネルの頭に顔を埋めながら、シュヴァルは何も告げず、ただその小さな背を撫で続けた。

 

 

 

「おれが治癒術を使える!?」

 思わず声を大きくするおれに、セイミアは笑顔で頷いた。

「真司さんが見た、治癒術使用中のわたしの身体の発光と、そしてその周りに浮かぶ光の玉。それ等は治癒術の才がある方以外には見えないものなのです」

 そう説明してくれるセイミアに、けれどおれはよくわからないまま頭上には大量のはてなが浮かぶ。その隣に座るアロゥさんに目を向けても、セイミアと同じ笑顔を浮かべていた。
 ――始めセイミアは、朝食を食べ終えたおれたちに医者としての連絡をしにきただけだと、思ってた。おれにはしばらく体力回復のためだとか、色々な理由でベッドで大人しくしているよう言って。岳里には、こんな時にしか休まないんだろうからと今日は訓練をせずゆっくりおれの傍で休んでいろと。連絡はそれだけだと思ったのに、その後に続いた言葉に驚かずにはいられなかった。
 どうやら真司さんは治癒術の才能があるようです――と、どこか嬉しげな笑顔で言われ、思わず叫んでしまったわけだけど。
 セイミアいわく、術中に手が輝き、そこから光の玉が溢れるのまでは誰の目にも見えるらしい。だけどさっきも言ってたように、セイミアの身体が光ることと、その周りにふわふわと浮かんでいたやつまでは誰もが見えるというわけではないらしい。
 本来治癒術を使える才能がある人しか見えないものをおれが見えたと言ったものだから、だから昨日それについておれが言ったことに対して王さまとネルとセイミアの三人は驚いていたようだ。
 しかも、だ。その驚きはどうやら、おれに治癒術の才能があったというだけじゃないらしい。なんでも――このおれに、治癒部隊の隊長であるセイミアとほぼ同格の治癒術の才能があると、そう言うんだ。
 治癒術の才能があれば術中身体の周りに飛ぶ光の玉は見れるらしい。でも、セイミアの身体の発光は、セイミア以上の才能を持つかそれか同等の力を持つ術者しか見えないそうなんだ。

「治癒術は天性の才でしか扱えぬ希少な力だ。ましてや、現在セイミアの力量は抜きに出て優れておる。故にこれまでにセイミア自身の発光を見たものなど誰もいなかったが……まさか、真司が見るとは」

 アロゥさんは長い自分のひげを撫でながら、うんうんと頷く。それは嘘を言っているように見えなくて、ましてやセイミアもアロゥさんもおれに冗談をわざわざ言いに来るほど暇な人でもない。
 言ってることは本当、なんだろうけど。やっぱり、そう簡単に信じることはできない。

「でもおれ、そんな、治癒術なんて……全然、わからないです」

 身の内に感じもしない、と言えばアロゥさんはやっぱり頷いた。

「うむ。それに関してはわたしにも疑問が残っておる」
「疑問、ですか?」
「うむ。わたしの扱う魔術と、そしてセイミアが扱う治癒術。本来、その身に宿す特殊な力を消費しそれら術を使用するわけだが……わたしには、その力がどれほど身体に有しているか見ることができるのだ。言ってしまえば、才を見分けられるということだ。――魔力は、この世界では誰しもその身に有しているということは知っているかな?」

 確か、前にジィグンにそう教えてもらった気がする。
 誰しも魔力を少なからず持っている。でも、魔術を使えるほどの魔力を持った人はそういないと、そう聞いたことを話すと、アロゥはまたも頷く。

「その通りだ。わたしやフロゥなどの魔術師は、有する魔力の量が常人と異なるだけで、実はそれ以外に大差はない。しかし、治癒術師はそうではない。――これはあまり知られていない話なのだが、実は治癒力とは魔力の転換された力であるとされているのだよ」

 このディザイアでは誰しも持つ魔力。けれど、治癒力を使える人間は魔力を一切持っていないそうなんだ。魔力を持つ人間が治癒力を持たないように、治癒力を持つ人間は魔力を持たない。
 まだ研究段階らしく確かな話ではないそうなんだが、生まれる際に何らかの影響や遺伝子の異常を受け、魔力が転じ生じた力――それが、治癒力。それが最も有力な説だそうだ。
 つまり治癒術は本来は天質などではなく、実は突然変異による元は“魔力”であるということ。

「話が多少逸れてしまったが、つまり。この世界では誰もが魔力か、もしくは治癒力を持っている。言いかえれば、どちらか一方しか持ち得ない。だが、しかし――真司、君は何も持っていない」
「持って、ない……?」

 思わず聞き返すと、アロゥさんは静かに瞬き、長いひげを一撫でした。

 

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