しんと静まるこの場で、おれは落ち着かない心で、対峙する二人を見つめるしかできなかった。
 ここは特別な時にしか解放されない競技場。とは言っても極めて小規模で、ただ戦う場所があるのと、あとは各部隊の隊長たち、王さま、審判や記憶係、医療班といった十数人の兵士たちに、おまけのおれくらいしか外野は入れない。
 おれから見える位置の右側に仁王立ちをするアヴィルが、左側には自分の背丈に近い大剣を握った岳里が、真っ向から睨み合っている。体格がよく大きな剣を握る岳里の方が迫力はあるけど、それでもアヴィルもやはり隊長で、立ち振る舞いは凛としていて格好良かった。
 アヴィルのものはまだ姿がないからわからないけど、岳里が握っているものは紛れもない真剣だ。これまでの木製とは違って、怪我を負わすことなんて簡単なもの。この試合では真剣勝負が義務らしい。相手が降参した時、相手が戦闘不能になった時が決着の合図で、殺しは決して許されない。反対に言えば、それくらいしか制約がない。
 恐らく、多少の傷は避けれないだろう。そればかりは決まり事で、おれのわがままが通るはずもなく受け入れるしかない。
 もう試合の準備はほとんど済んでいた。さっき審判の人が注意事項を述べ終わったところだ。
 不意に両腕を持ち上げたアヴィルはそのまま自分の耳に触れ、そこにあった一対の、蒼い玉の耳飾りを取り外す。それはアヴィルの瞳と同じ色だ。
 手の平に一度それを転がしてから、ひゅっと空に投げた。それを目で追うと、空中で蒼い光を放ち、やがてそれは剣に姿を変える。
 回転しながら落ちてきたものを難なく受け取り、アヴィルは二本の剣を手にした。

「ありゃあ右がティルガでえ、左がラホルだあよ。アヴィルは二刀流、双剣士なんでえ」
「そう、けんし……」

 隣に立つネルの言葉をおれは繰り返した。
 剣のことは詳しくはないけど、薄く、比較的軽そうな同じ造りをしたふたつの剣を眺めていると、不安が過ぎる。きっと手数が多いだろう。そうしたら岳里が怪我する機会が増えてしまう。
 ヴィルにも勝てた岳里だ、信じてないわけじゃない。けれど、あくまであれは岳里自身がヴィルのことを少なからず知っていたから攻略法が見い出せたからに過ぎない。でも、アヴィルは初めて剣を交える相手だ。それに、慣れない真剣。
 どうなるか、おれを含めこの場にいる全員勝敗の行方など見当もつかず、固唾を飲んで見守った。

「言っておくが、おまえが素人とはいえ手加減はしない。かといって舐めてかかるつもりもない。すでにヴィルハート隊長を負かしていることは聞き及んでいるからな」
「来るなら全力で来い。でなければ、単なる怪我で済まないぞ」
「……言ってくれる。本当におまえに隊長たる器があるか、おれが見極めてやる!」

 ほぼ同時に二人は口を閉ざすと、互いに手にしていた剣を構えた。
 二人から離れた位置にいる審判は双方の顔をそれぞれ窺うと、すっと右手を高く上げる。
 あれが振り下ろされた瞬間が、試合開始の合図だ。
 この場にいる誰もが、かたく口をとざし、そして、試合場に立つ二人を見つめる。おれもそのうちの一人になって、祈るような気持ちで見守った。
 勝てなくていい。勝たなくていい。だから、怪我だけはしないでほしい。無事、お互い大きな怪我なく終わりますように。

「――始めっ!」

 審判の声が高らかに響き、その手は振り下ろされる。それと同時に剣は交わり火花を散らした。

 

 

 

 愛刀のティルガとラホルで降りかかった巨剣を受け止めれば、その重みに一気に身体が軋む。すぐに流し、距離を保てば、一度岳人と目が合った。
 何を考えているのか読めぬ、何も窺えぬその無表情に、唇を噛む。
多少の焦りでも見せるとも思ったが、やはりというべきか。毛の生えた心臓の持ち主と噂される彼はつゆほどそれを表に出さない。内心でも緊張を抱いているかも訝しめるほど、それほど感情という色は見ない瞳だった。
 これまで多くの人間と、そして魔物と戦い打倒してきたアヴィルであったが、正直戸惑いを大きく感じていた。感情の赴くままに襲い掛かる魔物は言うまでもなく、人間も、様々な感情をその瞳で訴えてくるものだ。
 戦いへの恐れ、不安。対するように興奮や怒りや、喜び。相手によって様々ではあるが、必ず、小さくはその色を持つ。
 だが目の前の男はどうだろうか。
 ただでさえ体格のいい岳人の身丈に届きそうなほどの規格外の大きさを誇る大剣を、まるで絹を風に滑らせ踊るように軽々と扱い、しかしその重みからくる破壊力をそのままにアヴィルへ与えてくる。
 始めから力勝負など捨てていたアヴィルはその剣の軌道を変え、自らの身体を躍らしそれを寸で避けるを繰り返し、早くも汗を滲ませていた。しかし、それは身体の疲れによるものではない。
 底知れぬ恐れ、といったところか。言いしれぬ不安のようなものに、岳人の瞳さえもの語らぬ圧力に。冷や汗が流れるのだ。
 この男は剣を習い出し、日が浅い。半年も経っていないのに、何故幼少から剣の修行に励んでいた自分がその剣を受け流すので精一杯になっているのだろうか。

「くっ……」

 息を飲んだ瞬間に、岳人は剣の流れを変えその刃がアヴィルに迫る。間の合わない攻撃に転がり避けるも、ひとつに結わえてある髪の毛先が逃げ遅れ切り落とされた。
 しかしそれに気をやることもなく、すぐに体制を立て直し、剣を構え直す。
 岳人も一息つき、同じく剣を持ち直した。
 岳人は単純に、力が強い。いや、そんな表現では生ぬるいだろう。まさに“竜人”の、竜の力――人ならざる、化け物のものだ。それに人間が敵うわけもなく、ましてや筋力は月並みであるアヴィルが対抗できる相手ではない。だが、それだけだったら攻略する手立てなどいくらでもある。
 問題は――
 アヴィルが腰を落とし、駆け出す瞬間に岳人もまた同じく動き出し、再び刃が重なる。
 一度は互いに弾かれるも、間を開けることなく岳人は剣を薙いできた。それに飛びのき、振りかぶった隙を狙いアヴィルが剣を突くも同じように後ろへ飛ばれてしまう。
 たが互いに間髪開けず、次なる攻撃を仕掛けた。
 岳人の力の他にやっかいなのは、その体力と、早さだ。さらに言えば瞬発性、俊敏性……要するに、身体能力のすべてである。欠点というものが見つからない。
 こいつ、本物の化け物だな――っ!
 アヴィルは奥歯を噛みしめ、想像など超越した男を、ぞっとするような気持ちで睨んだ。だが同時に、高ぶる自分がいることも悟る。
 果たしてこの世で、あの“神に愛された一族”と戦えた者がどれほどいるというのだろう。そもそも姿を現すことのない、平穏を好み争いを嫌う一族だ、両手でも数えきれてしまうほどしかいないかもしれない。
 だが今自分は、その竜族の一人と剣を交えている。それが戦士にとってどれほどの興奮があるか、説明ができない。
 しかも岳人も一切手を抜かず自分に襲い掛かってきている。それはたとえ読めぬ瞳の持ち主といえども、交える剣から伝わってきた。
 岳人とアヴィルの間には、出会った時に刻まれた溝がある。だからこそ、城ですれ違っても声すらかけないこともあった。仲がいいとはいえないし、向こうも、そして自分も。互いの存在を心よくは思えていなかっただろう。
 だが、この剣の腕は認められていたのだ。隊長として経験も浅ければ、他の隊長に比べアヴィルの剣には力強さはない。細腕だと陰で嗤われているのも知っている。城内警護である立場上剣を振るう機会も多いわけでなく、本当にアヴィルが戦えるか、怪しむ者さえいた。
 勿論城を自由に闊歩する岳人の耳にはその噂も届いていたことだろう。ましてや試合の相手になるのだ。多少は情報を探ったはず。それに加え竜人と言う立場もある。
 ――正直、侮られていると思った。だが岳人は初めの一閃からアヴィルに本気でぶつかってきたのだ。
 与えられるひとつひとつの斬撃の重さに、骨の髄まで痺れた。一瞬でも気を許せば弾かれてしまうだろう。だがその緊張感もまた、アヴィルを高まらせる。
 アヴィルは確かに、腕力はない。自分より力の強い兵ならいくらでもいるだろう。だが、アヴィル自身の武器はそこでなかった。
 それまで一切隙を見せないようにしていたアヴィルだが、あえて、一歩動きを遅らす。それに反射的に反応して見せた岳人は大剣を振り下ろした。
 ひゅんと風を切りながら、剣はすでに避けたアヴィルに当たらず地面に刺さる、はずだった。だが地に触れる前にアヴィルが横から剣の腹を蹴り、岳人の体勢を崩した。

「――!」

 初めてそこで岳里が目を見開かし、動揺が走る。それを見逃さずアヴィルは、剣の持ち手を握りしめる岳里の手めがけ愛剣の片割れ、ティルガを躊躇いもなく振り下ろす。
 遠くで小さく上がった真司の悲鳴も耳に入らぬまま、さらに力を籠めるが、岳人の手がある場所に刃が通った時にはすでに彼の手は退いた後だった。大きな音を立て岳人の剣は地に捨てられ、持ち主はアヴィルの刃が届かぬ場所まで離れている。
 強い眼力でこちらを見る岳人に、ようやく小さな笑みを見せてやることができた。油断したわけではないが、これを目的としていたアヴィルにとっては作戦が無事成功し、安堵していたこともある。
 始めから岳人の手を切りつける気などなかった。ああすればきっと彼は剣を捨て逃げると、そう踏んでいたからだ。そして予想した通り、岳人は剣を捨てて退いた。
 いくら竜人といえども、素手で剣に向かってくることなどないだろう。それに、剣を拾わせてやる隙を与えてやるつもりもない。
 アヴィルは、確かに力はない。体格にも恵まれず、これからそう伸びることもないだろう。だが代わりに身の低さを生かした身のこなしと柔らかな身体があった。鎧を着こんだとして、誰よりも身軽に動け、敵の懐に潜り込むことを得意とする。岳人相手にそれは叶わないまでも、先程剣を蹴とばしたような動きは本来のアヴィルの良さが生かされた場面である。
 何も持たない岳里は、低く屈めていた姿勢を伸ばし、じっとアヴィルを見る。早くも降参を口にするかと思ったが、どうやらそれは違うらしいと彼の目を見て悟った。ついに不思議な色を灯したその瞳は、まだ諦めていない。
 まさか素手で戦うつもりだろうか。だが竜人であるならば、その身ひとつでも十分驚異がある。ただでは済まないだろうが、それよりも降伏が嫌なのだろうか。
 アヴィルも油断なく剣を構えると、不意に岳人が駆け出した。それを目で追うと、来た道を戻り、また別の方向へと、アヴィルの視線を定まらせないよう動き回る。
 剣を取り戻すつもりか。ならば、死守して近づいた瞬間切りつけるのみ。
 目で追うのを止め、気配だけを探り続けると、死角から岳人が一気に間合いを詰めてくる。それに反応し身体をそちらに向け、アヴィルが剣を構えたその時――視界の岳人は、これまで一度もこの場に姿を見せたことがないはずの、黒い刀身の剣を手にしていた。

「なっ――!?」

 アヴィルでは振り下ろされた岳人の剣を受け止めきれない。咄嗟に飛び退けば、岳人は追ってはこなかった。それまでアヴィルが立っていた場所で足を止め、しゃがみこむ。その動きにアヴィルが慌てて戻り岳人へ剣を向けてももう遅い。
 漆黒の大剣でアヴィルの剣を受け止めながら立ち上がった岳人は、漆黒の剣の登場以前から握り締めていた剣を手に収める。
 アヴィルが退けば、岳人は改めて剣を構えた。アヴィルと同じ、二本の剣を。片方を片手で握り、もう片方は逆手で握り。
 普通の人間ではあれほどの大剣を一本持てるかも怪しいというのに、人ならざる竜人の彼は、それを片手で一本ずつ持つ。
 その姿は紛れもなく、岳人が二刀流を得ていることを示していた。

 

 

 

 アヴィルがティガルを手放してしまい、それを目で追ってしまったことで勝敗はついた。岳里がその一瞬の隙をつき、アヴィルの喉もとに黒い刃をする剣を突きつけたからだ。岳里はいつでもアヴィルを殺せる状況にあるし、そこからアヴィルが挽回できる機会はなく。自ら敗北を認め、岳里の勝利が決まった。
 始めに並んでいた位置に二人は戻ると、審判の合図とともに深く一礼し、頭を上げる。ほんの僅かな間二人は互いをしっかりと見合うと、ほぼ同時に目を逸らしておれたちの待つ場所へと歩いてきた。
 まださっきの戦いから息を乱した二人を、みんなは賞賛を惜しまず迎える。
 アヴィルへは、竜人の体力によくついていけたことや、岳里の剣の腹を蹴って隙を生んだこと。他にもおれの目からじゃわからなかったことに対して、たくさんの言葉が掛けられていた。新人の岳里が相手といえども、他の隊長から見てもその成長と実力は超越していて、誰も隊長であるアヴィルが負けたことを責めはしなかった。
 岳里も、まだ差があるアヴィル相手に勝てたことを褒められたが、何より話題に上がったのは岳里が試合中突如どこからともなく黒い剣を出し、アヴィルに反撃をしたことだった。
 みんなに質問攻めにされる中、岳里がようやく答えを口にする。

「ヴィルハートから借りた」

 ただ、その一言だけ。でもそれだけでみんなどうして岳里が黒の剣をどこからともなく現したのかを悟るには十分だったみたいだ。
 隊長、副隊長にはそれぞれ神様から与えられた、専用の武器がある。普段はそれを耳飾りや首飾り、指輪、腕輪なんか装飾品の一部として身に纏って、抜刀する時だけ本来の武器の姿に戻すらしい。魔導具の一種だそうで、そういった装飾品に姿を変える武器は一般にも存在するそうだ。だけど高度な技術を要するらしく、とてつもない高額で取引されているそうで。
 おれと同じく城に世話になりっぱなしでお金なんて持ってない岳里は、ヴィルハートが装飾品に姿を変える武器をたくさん持っているから、そのうちのひとつ借りたそうなんだ。
 借りたのは首飾りに姿を変える、黒い大剣。何でもいいから貸してくれと言ったら、ヴィルハートがそれを渡してくれたらしい。
 岳里は初めからアヴィル相手に、何の策もなくぶつかったところで勝てないことを悟っていたそうだ。だから“相手の虚をつく”しかない――だから、ヴィルと試合した時と同じ、“突如現れた武器と二刀流”という奥の手を隠していたんだ。
 ヴィルと試合した時も、岳里は十三番隊の兵の人から今回の同じように装飾品にも姿を変えられる武器を借り、ヴィルとの試合の最中それを剣に戻した。それに驚き隙を生んだヴィルに、本来手にしていた武器と新たに手にした武器の二本で一気に畳みかけ、辛くも勝利したというわけだ。
 岳里の剣の師匠であるヴィルには内緒で、十三番隊のみんなから二刀流の扱いを教わっていたみたいで、試合で岳里が剣を両手で持つまでヴィルも岳里が二刀流をできることを知らなかったみたいだ。
 そして今回もその手を使って、アヴィルに勝利したというわけだ。
 おれはそれってありなのか、とちょっと思ったりもしたが規約はあくまで、相手が敗けを認めた時、戦闘不能になった時が決着であり、終了の合図が出されたら武器を仕舞わなければならない、というものだけだ。だから武器を隠していてもいいというわけで、多少のずるい手も城としては一向に構わないらしい。

「でも、どうしてそこまでする必要があったんだ?」

 一通りの説明を終えた岳里に、おれは尋ねる。別に、ただまっすぐぶつかるだけでもよかったんじゃないだろうか。
 するとあっさりとした様子で答えを返される。

「そうでもしないと、おれはまだあいつに勝てなかった」
「別に勝つ必要ってないんだろ? 勝敗は審議に影響しないって言うし」
「おまえのいる前で負けられるか」

 岳里の言葉に意味を理解したおれは顔を真っ赤にし、周りを囲んでいたみんなは一気に噴き出す。

「なるほど、真司の前で無様な姿は見せられない、そうなるくらいだったら手は選ばないというわけか」

 くすりと笑いながら改めて事実を確認するコガネに、そういうわけじゃないだろ、と一人あたふたすれば、おれのことなんて目に入ってないように岳里は当たり前だと答えやがる。

「うむ、わかるぞ岳里。わしもそう思える相手がおるからの……」
「まったく、いつまで経ってもおまえらはお熱そうで、羨ましいこった」

 ヴィルがレードゥへちらりと意味ありげな視線を向けるも、まったく視界にさえ入れずレードゥはおれたちをはやしたてた。
 それに周りも同調するし、ネルは絶対岳里なんて認めないと騒ぐし、なかなか試合の後の興奮は覚めることはなく。
 そんな、おれたちの作った環に外れ、ミズキはアヴィルの背を叩いた。

「どう、楽しかった?」
「まあ、な。――まったく、大剣の双剣士など聞いたことがない。竜人ってやつの前では人間なんて圧倒されるな」
「そうね、獣人の目から見ても異常だもの。彼ならきっと、あのハヤテに肩を並べることでしょうね」

 ため息の混じるアヴィルの言葉にミズキは苦笑を返しつつ、その顔を覗き込む。

「まだ、認めてない?」
「いや――完敗だった。認めざるをえないな。だけど……」

 一度、アヴィルは空を仰いだ。所々に白い雲が見える、どこまでも透き通る美しい青の世界。果てのない、どこまでも続くもの。
 瞬き、そしてまた口を開く。

「だけど、おれはこれからもあいつらの前に立つぞ。自分の正義を信じる。周りに煙たがられようと、そういう役割のやつは必ず必要となるからな」
「ふふ……アヴィル、あなたのそういうところ、好きよ。まだ頭に血が上りやすくて未熟だけど、将来あなたは隊長として、多くの者の憧れになるわ。わたしが、それを支え、見守ってあげる。時にあなたが理解されずとも、ね。わたしはあなたの獣人。どんな時でも、あなたの味方よ」
「おまえほど心強い味方もいないな、ミズキ。これからもよろしく頼む」

 アヴィルは、今頭上に広がる青空のように、清々しい表情でミズキに微笑んだ。

 

 

 

 みんな勝負の熱は冷め始め、一人また一人と闘技場から出ていく中。岳里がヴィルを呼び止めた。

「助かった。これは返す」

 そう岳里がヴィルへ渡したのは、ヴィルから借りたと言うあの漆黒の武器。と言っても今は首飾りになっているから、黒い玉になっている。
 ヴィルはそれを受け取ると、早速自分の首に下げた。

「ご苦労だったな、ユラティオ」

 つるりと黒い玉を撫でる姿は、まるで慈しむような穏やかなもので、あの黒い大剣はヴィルにとって大切なものなんだとすぐにわかる。

「ユラティオって、その剣の名前?」
「うむ。これはわしが初めて与えられた、わしだけの剣。まあ今回は岳里に貸したが、本来はこやつを他人の手に触れさせることも稀だな」

 決して肌身離さず自分が持っているからとヴィルは笑った。
 そんなおれたちの会話に岳里は割入ると、それまでなかった険しさを顔に滲ませながらヴィルに言う。

「まだわからないか」

 何を、と言わなくてもその表情を見ればすぐにわかる。ヴィルも岳里が何を示してそう告げるのか悟ったんだろう、それまで緩んでいた顔を変えた。

「探してはいるが、成果は出ておらん。しかしわしらが禍の存在を知ったにも関わらず何も動きはないことをみると、まだ準備は整っておらんのだろう。……せめて、神が。あやつが目覚めれば、千里眼でも使わしてやるところだが」

 深い溜息をつくと、ヴィルは東の空を見た。じっと、何かを待っているように。
 あの方角に神さまが眠ってるんだろうか。おれもヴィルの視線を辿って東を見るけど、高い、城を守る城壁と、空しか映らない。
 もし、今眠りについてる神さまが目覚めたら。待つしかないこの状況も少しは変わるんだろうか。

「また機会を作り神の山に赴き寝坊助を起こしてみるが、期待はできぬ。神を目覚めさせるには他の方法を考えた方がよいのかもしれぬな」

 最後はまるで独り言のように言い残して、ヴィルは執務があるからとおれたちのもとから去っていった。
 周りを見回してみるとどうやらおれたちが一番最後だったらしく、闘技場の入り口で兵の人たちが待ってくれているのが見える。
 いつまでも待たせるのは悪いとおれは歩き出すが、それに岳里がついてこなかった。

「……岳里?」

 珍しく考え込んでいたのか、おれに名前を呼ばれてようやく、はっとしたように顔を上げる。
 一度考えていたことをはらうように頭を振って、それから岳里は動き出した。おれも岳里の隣を歩き、しばらくそのまま道を進んでいく。
 けれど、どうしてもさっきの岳里の様子が気になって、おれは視線を向ける。それに気づいた岳里も、同じようにおれに目を向けた。

「大丈夫だ。心配するな」

 おれが何を思っているのか、初めから勘付いていたらしい岳里はただ頭にぽんと手を乗せ、撫でてくる。
 ――先にそんなこと言われたら、おれからはもう何も言えないじゃないか。
 ずるい岳里に、やっぱり言葉は何も返せなくて。おれはそれを見逃してやることしかできなかった。
 お互い無言で歩いていると、先の方でネルが壁に寄りかかって腕を組み、目を閉じていた。おれたちに気づいたのか大きな瞳を開くと、こっちを向いて駆け寄ってくる。

「真司ィ、おっそおい! さっさと来んのかと思ったのによう」
「ごめんごめん、ちょっとヴィルと話しててな。それより、おれたちを待ってたのか?」
「おうよ。王が岳里に渡すもんがあんだあよ。あとは二人に話があんでえ」

 おれもネルに小走りで走り寄ると、そのまま腹に飛びつかれた。それを受け止めると、ネルは甘えるように顔をこすりつけながら待っていた理由を話す。

「渡すものと、話しか。なんだうろな?」

 意見を求めて岳里の方へ振り返るけど、岳里もわからないのか何も言葉は返されなかった。
 とりあえず早く行こうとネルに急かされ、おれは小さな手に引かれながら執務室へと向かう。
 ノックもなしにネルは部屋に入ると、その時おれから手を離す。おれたちもその後に続いて中に入れば、執務中の王さまの姿が目に入った。
 さっきまで岳里とアヴィルの試合を観覧していたっていうのに、もう仕事を始めてるのか。それだけ忙しいってことなんだろうけど、毎日大変そうだ。
 ネルが声をかけようやく、王さまはおれたちが部屋に訪れたことを知って手を止める。

「ああ、待っていたぞ」

 すぐに笑顔を見せてくれて、引き出しから何かを取り出すと、椅子から立ち上がり机の前に足を運ぶ。それから岳里の名前を呼びながら手招きをした。
 岳里はおれの隣から、王さまの目の前まで向かい足を止める。

「ネルから聞き及んでいたと思うが、まず岳里に渡したいものがある。本来なら第三部隊隊長就任式に渡すべきだが、いつ何が起こるとも限らない。早めにきみのも手元に置かせておこうと思ってな」

 そう言った王さまから岳里へ手渡したのは、透明な玉だった。ビー玉くらいの小さなものだ。岳里の掌の上に置かれると、ころりと転がる。

「それは武玉(ぶぎょく)だ。おまえが先程の試合中に用いた、ヴィルハートから借りた剣と同種のものになる。神の力が宿っていてな。決して誰もが手に入れることのできる代物ではない、隊長、副隊長にしか与えられぬ特殊な武玉。一般にあるものと区別する時には、神武玉(しんぶぎょく)と呼ぶこともある」

 以前レードゥに見せてもらったものや、さっきのアヴィルが見せたティルガとラホルや、ヴィルから借りたって言う黒い大剣が、今岳里が手にする特殊な武玉なんだろう。
 王さまはさらに、ふつうのものとは違う特殊な武玉についてをおれたちに教えてくれた。
 普通の武玉と神武玉の違い。それは、神さまの力が込められているか否か、だそうだ。
 神武玉は神さまが鍛えた武器だと呼ばれているそうだけど、実際には神さまの力が具現したものに近いらしい。所有者によって、武器もまたその姿を変えるみたいだ。そして神武玉の最もな特徴が、所有者の魔力、治癒力といった、力に応じで特殊な力を持つこと。
 たとえばレードゥが持ってるイグニィスだったら炎の剣と別名があるように刀身全体が高熱を発して、鉄だろうがすぱっと切れる。コガネのシルフィスは常に風を纏っていることから風の剣と呼ばれて、たとえ刃が掠っただけでも鎌鼬のようなものが起きて相手に追撃することができるらしい。ヴィルのオンディヌなんかは水の剣と呼ばれていて、刀身の表面に水が張るだけで汚れない、なんていうものもある。
 必ずしも武玉に宿った特殊な力が使えるものであるとは限らないらしい。

 

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