「さて。まず始めに、どっから説明するべきか……」

 挨拶も終わり、早速レドさんはうーん、と眉間に皺を寄せ悩み出した。
 そう言えばさっき岳里に、おれに説明するって言ってたな。それについてなんだろうか。

「――おれが今から言うことをよく聞け」
「お、おう」

 いつまでもうんうんと唸っているレドさんに痺れを切らしたのか、岳里が声を出す。おれが振り返れば、何を考えているのか全く想像できない、感情の読みとれない瞳と視線がぶつかった。
 これからおれは、何を言われるんだろう。
 覚悟を決めて生唾を飲み込むその前に、岳里は無常にも告げる。

「ここは、おれたちのいた世界じゃない」
「……は?」
「俗にいう、異世界だ」

 いせ、かい……?

「おまえも薄々は気付いていたことじゃないか? 異世界までとは思わなかったとしても、ここはおれたちが全く知らない場所だということを」
「き、気付くって、そんなわけ……」

 ない、とは言えなかった。ただ顔を青くして、真っ直ぐにおれを見る岳里から目を逸らす。口の中がからからで、改めて生唾を飲み込むなんてことはできそうにない。
 動揺するおれに、岳里は続けた。

「おまえが寝ている間、おれはこの国を見回ってきた」

 ああ、おれが今いるのって、どっかの国なんだ。
 岳里の言葉からおれは現在地を知った。そして、おれは自分が思っているよりも長く眠っていたことも。
 無口な岳里は珍しく、普段喋らないのによくそう舌が回るもんだと感心するくらい饒舌で。言ってる内容も随分とまあリアリストっぽい岳里には似合わない、お花畑で妖精が飛んでるようなファンタジーで。
 それなのに、いたって真面目な顔で岳里は続けた。
 この世界にはおれたちの住んでいた日本はない。隣のアメリカだって中国だってない。車だってないし、携帯電話も電車も、パソコンも。テレビもないし、ゲームもない。
 それなのに魔物っていう猛獣だか化け物だかがいるし、魔術なんてものだってあるらしい。
 岳里の話は、まさにゲームや漫画の中の世界だった。それもちょっと王道気味なやつだ。実際には現実とは程度遠い話なのに、でもなんでだか身近な話。
 たとえ岳里の目が本気なのだとおれに教えてきても、とてもじゃないけど、信じることなんてできなかった。

「は、はは……なんだよ、それ」

 冗談だろ、なんて言っておれ笑った。けれど確かに、急速に冷えていく指先。でも、認めるなんてできない。
 半ば睨むように岳里を見上げても、帰ってくるのは表情の見えない視線だけ。話し終え口を閉じた岳里はそれ以上何も言おうとはせず、ただおれを見返してくる。
 そこへ、これまで話を見守っていたレドさんが口を開いた。それがおれにとっていいものでないのは、話を聞かずとも予想できる。レドさんは追い打ちをかけるように言葉を連ねる。

「冗談なんかじゃない。現におれはニホンってのも知らないし、アメリカってのも知らない。地球もわからない。ただ言えるのは、おれの住むこの世界は“ディザイア”で、おれの住む国は“ルカ”って名前だってことだけだ」

 ディザイア……あのメールの送り主のDesireと同じだ。ただそれだけの表記で、他に機種も何も乗っていなかった送り主のアドレスだ。
 もしかして関係あるのか、と考えている途中、突然冷え切った手が温もりに包まれた。

「――っ」

 吃驚して自分の手を見ると、それよりも一回りちかくでかい手に握られていた。その手の主は、確認するまでもなく岳里だ。
 何してんだよ、って視線に怨念を籠めて見上げると、岳里は相変わらず表情を変えず口を開いた。

「震えていた」

 まるで当たり前のように、岳里は言う。
 だからって、おれは女じゃねえって。でも、おれは緩く握ってくる自分よりも大きな手を強く握り返した。
 何で岳里の手はこんなに温かいんだろう。それとも、反対にすっごくおれの手が冷たいのかもしれない。でもどっちにしても変わらないのは、岳里の存在はおれにとって心強いってことだ。
 だって岳里はおれと同じ日本人。同じ“世界”から来た。おれと共有しているものは沢山だ。この世界の中で、今一番信頼できるのは岳里だけ。たとえそんなに仲がよかったわけじゃなくても、他は何も信用できない。だってこの世界のことを、おれはまったく知らないから。
 この世界を知らないのは岳里も同じだろうけど、それでもこいつのどこまでも不動の精神はとても安心できるのは確かで、だからこそ、不安をぶつけてしまいたかった。

「わけ、わかんねえよ……」
「――そうだな」

 おれの呟きに、岳里は応えた。その声音にはまったく動揺は含まれていなくて、やっぱり落ちついてる。でもそれがおれを加速させた。

「なんだよ、ディザイアって! どこなんだよここ! 日本じゃ、ねえのかよ……っ」

 わけわかんない。ここはおれたちのいた世界じゃないって? ディザイアだって? ルカだって? そんなの、おれは知らない。
 目が覚めたら森の中にいて、岳里が来て、気付いたらこの部屋にいた。そして突然、今の話。そんな夢物語を、信じろって方が難しい。

「なあ、これ夢じゃねえの? ありえねえじゃん、信じられるかよっ」
「ああ。おれもそう思う」

 おれもそう思うって、本当かよ。そう疑えるぐらい、やっぱりその声音に変化はない。けど、おれを落ち着かせようとしてるのはわかった。声に出して宥めるわけじゃないけど、否定しないになによりの思いやりを感じる。
 でも、そんな簡単にはこの混乱が解けない。
 話を受け止める岳里に、おれは次々に言葉を投げかける。

「なあ、帰れないのか? 今すぐ、戻れないのかよ! 早く帰んないと、兄ちゃんが……っ」

 そこまで言いかけて、兄ちゃんがいつものようにおれの帰りを待っているのが頭に浮んだ。

『遅くなるなら連絡くらいしろよ』

 朝、見送るときに必ず兄ちゃんがおれにいう言葉からその心配性は十分わかるだろう。もし帰りが連絡なしに遅くなっていればすぐに心配して、メールなんか大量に送られてくる。それぐらい、過保護なぐらいにおれの身を案じてくれるんだ。それなのに、おれは何も言わずにここに来た。当然のことだったから仕方ないと言ってしまえばそうだけど、必死におれを探す兄ちゃんの姿が頭に浮んで離れない。
 きっと兄ちゃんはおれを探し続ける。もちろん、自分の家族が急に消えて心配しない人はいないと思う。でも兄ちゃんとおれは、きっとそれ以上を見せる。それには確信があるし、もし突然兄ちゃんが行方不明になったら、おれひとりでも探し続けるから。
 だって、おれたちは――
 そこで突然、扉が荒くノックされた。そこでおれの思考は途切れ、意識を扉に集中させる。それはレドさんや岳里も同じで、一斉に扉へ視線を向かわした。

「た、隊長。ちょっと、いいですかい?」

 そう閉じた扉の外から聞こえた男の声はなんだが落ち着きがなくて、さっきのノックからもわかったけど、何かあったのがわかる。早く扉を開けたいってのが、その姿は見なくても十分に伝わってきた。
 ――でも、隊長って誰のことだ?
 この空間には、おれと岳里と、レドさんだけ。そのうちのおれと岳里がこの世界の部外者なら、残るはつまり……。
 おれの考えが頭の中で結論を出す前に、レドさんがその場から歩き出し、扉へと向かった。

「ジィグン、どうかしたか?」

 多分、扉の前にいる男の名前なんだろう。ジィグンと呼び、扉を開ける。
 そこにいたのは小柄だけど体格のいい、無精ひげを生やした、中年のおっさんといってもいいくらいの年の男だった。明らかに、その人の方が“隊長”と呼ばれそうな風格があるのは確かだけど、レドさんの態度を見る限りその人の方が位は下なんだということがわかる。
 何やらレドはその無精ひげの男に耳を傾け、ひっそりとおれたちに聞こえないぐらいの小声で話しはじめた。そんなふたりを見ながら、おれは岳里と手を繋げっぱなしだったことに気がついて、慌てて振り払う。
 岳里は突然手を振りほどかれても何も言わなかったけど、ただじっとさっきまでおれと繋いでいたそこを見つめていた。それがなんとも気まずくて、さらにはおれの手も温もりを手放してまた指先がひやりと感じ、それに気づかないためにも岳里から視線をそらす。
 さっきまで脳内を埋め尽くしていた熱はノックの音で一気に冷めると、おれは自分をを取り戻すことができた。だからこそ浮上した気持ちに、唇を噛む。
 ――わかっては、いるんだ。いくら岳里が頭いいからって、いつの間にか来てしまったこの世界からもとの世界に帰る方法なんてわかりっこないって。顔には出さないだけで、もしかしたら岳里のほうがもっと混乱してるかもしれない。賢いぶん、おれよりも頭を悩ますことが多そうだし。
 さっきのおれの言葉はただ八つ当たりでしかなくて、自分の、岳里の不安を煽るものにしかならない。それもわかってた。わかってて、そう気付いていても口を滑らせてしまったということは、思った以上に異世界とやらに来たことがおれ自身に精神的なダメージを深く与えたみたいだ。
 知らない世界にいつの間にか来て、訳のわからないことをいきなり言われて。そう簡単に受け入れることなんてできない。だからこそおれの言葉をレドさんは止めなかったんだろうし、岳里も受け入れてくれたんだと思う。
 ……くそう、岳里のやつめ。ほんとに同い年かよっ。
 実はとっても若作りしてる三十路なんじゃないかと疑えるくらい、岳里の落ち着きようは凄いと思う。いや、どんな人だとしても、いつの間にか異世界に来てこうも驚かない人はいないだろう。寝込んだっておかしくはないと思うぐらいだ。
 それくらい、やっぱり岳里は冷静だった。それでいて格好いい。もちろん顔のことはある。でも、顔のよさだとか多少の無愛想さは除くとしても、やっぱり、こうも頼りになるのは素直に格好いいとおれは思う。だって、おれじゃ絶対無理だから。
 逸らしていた視線をちらりと岳里に向けてみれば、まだ手を見詰めていた。おれはそんな岳里に近寄って、無精ひげとレドさんのように、岳里に耳打ちをしようとする。けれど若干、ほんのちょっとだけど岳里のほうが背が大きいから、足を伸ばさなきゃ耳まで届かない。……ちくしょう。
 おれは複雑な思いを抱えたまま岳里に話しかけた。

「なあ、レドさんって隊長なのか?」

 無精ひげのおっさんはレドさんを隊長って呼んでた。それに、歳は明らかにレドさんのほうが下なのに、おっさんは敬語を使ってたし。
 静かに話すふたりの邪魔をしないように、おれも岳里に密やかに話しかける。でもそんなおれの苦労も、共にする相手に伝わらなければ意味がないと、次の瞬間学ばされることになった。

「そうらしいな」

 岳里が答えてくれたのはありがたい。無口なやつだから、何も言ってくれないんじゃないかとも考えたから。でも、おれがわざわざ耳元で喋ったのに、なんでおまえは普通に話してんだよ!
 おれが馬鹿みたいだ、なんて膨れっ面気味になりながらも、今度は声を潜めるけど、耳打ちはせず話した。

「へえ……まだそんな歳くってないよな? なんか隊長って、年齢が随分上なイメージがあるんだよな」
「この国は実力主義だそうだ。だから実力さえあれば子供でも隊長になりうる」

 子供でもってのは言い過ぎだろうけど、分かりやすいたとえだった。つまり若いレドさんが隊長でも不思議なことは何もなくて、レドさん自身に実力がある、ってわけだ。
 待てよ、二十代ぐらいで隊長になってるレドさんって、実は凄い人なんじゃないか? おれ、何かまずいことしてないよな……?
 今更になって知った事実に、おれは今までの身の振りを思い出してみようとしたとき、これまで静かに話していたはずのレドさんが急に声を荒げた。

「なんだって!? 何でそれを先に言わないんだよ!」
「いやほら、さっきの方が重大じゃあないですか。それに、いつものことでしょう?」

 顔を真っ青にするレドさんに対して、無精ひげのおっさんは至って冷静に……いやちょっとだけにやけながら笑っている。次第にレドさんは落ち着きを失くし、挙動不審に辺りを見渡しだした。

「た、確かにそうだけど……まだ、こっちにはこないよな?」
「いんや、おれがこの部屋に向かいだした頃にはもうすぐ来そうな勢いでしたね。あの人レードゥ隊長の匂いには敏感ですし」
「……じ、ジィグン! ここは任せ――」

 早口にレドさんが言葉を繋げていた途中、突然荒々しい足音が扉の外から異超えてきた。それはひとりのもののようだけど、随分と大きい。そんな音をおれたちよりも近くで聞いてるふたりを見てみれば、レドさんは青かった顔をそれ以上に青くして、冷や汗を流していた。
 どうしたっていうんだろう。ふたりの話と、このだんだんと近づいてくる足音から誰か来ようよしてるのはわかるけど、レドさんは何で青くなってるんだ?
 岳里は何か知ってるかと視線を向けてみれば、声に出さなくても伝わったようで、目が合った途端に首を振られる。

「に、逃げねえと……!」

 そう漏らしたレドさんは、扉を背にしてそこ以外の出口を探す。おれも同じく部屋を見渡してみたけど、出口になりそうなのは窓だけだ。でもそこから覗ける世界は傍に生える木の枝があり、空があり、けれど地面は見えなかった。いくら奥を見ても根元が見えるものはない。つまり、それなりに高いところにあるってことだ。まさかそこから飛び降りるわけもないから、扉以外の出口はない。
 そう、おれは判断したけど、不意にレドさんがその窓へ駆け出した。おれの目の前を赤いものが流れて宙に線を描く。
 あまりのその速さに、赤い線がレドさんの髪なのだと気付くのが遅れた。
 ようやく赤髪が垂れる背中に視線が追いつけば、もうレドさんは窓を開け、その淵に足を掛けてる状態だった。

「ふたりを頼んだぞジィグン!」
「ちょ、レドさん!?」
「了解」

 おっさんが返事を返す前に、レドさんは躊躇いも見せず窓から飛び降りた。おれひとりだけが窓から消えたレドさんにうろたえていて、おっさんも、岳里も、何事もなかったような顔をしている。
 これ慌ててるおれがおかしいのか、なんて疑問が浮かぶほどだ。でも確実に、これが一般の反応だと思う。
 やっぱり拭えない不安からおっさんのほうを見てみれば、おれの視線に気付いてくれたようで、にかっと歯を見せ笑った。

「大丈夫だ。こんなことしょっちゅうだし、心配するだけ無駄さ」

 そう言うおっさんは、お、もうそろそろだな、なんて呟きながら扉を開ける。すると、レドさんの飛び降り事件でで忘れかけていた足音の人物が部屋の中に飛び込んできた。

「レードゥ! どこだぁああっ」

 そんな叫び声とともに、おれの目の前を紫の線が流れた。ビュン、と音がしそうなぐらいの速度で過ぎ去ったそれが巻き起こした風に、おれの髪が僅かに揺れ動く。
 ……なんだ、今の。
 恐る恐る紫が流れたほうへ視線を向けてみれば、そこはレドさんが飛び降りていった窓しかない。紫色はどこにもなかった。
 ――まさか、飛び降りたのか?
 いやあり得ないだろ、なんて思うけど、それ以外紫の色が消える術はない。それに、ほんの数十秒まえにそこから飛び降りた人を見た後だから、あり得ないなんて思っちゃいけない気がした。

「あれ? 今日は止まれなかったのかね」

 おれと同じように窓を見詰めるおっさんは、相変わらずはえーなあ、とからから笑っている。そこに焦った様子も慌てた様子も一切ない。
 今日はってことは、普段は止まれるのか。いや、止まれないときもあるんだろうな、きっと――てか、さっきのが日常的にあるのか?
 おれは半笑いしながら窓の外を見るけど、やっぱりそれなりに高いところにあるのは間違いなしだ。
 さっきの紫の流れは人の、恐らく髪の色なんだろう。だってなんか靡いてたし、レドさんもそうだったようにこの国の人は髪色カラフルそうだし……。
 レドさんが飛び降りてでも逃げたくなるような理由が、少なからずさっきの一瞬でおれはわかった。いや、きっと誰でも理解できると思う。
 にしても、どれくらいの高さからふたりは飛び降りたんだろう。そうふと疑問に思って、おれは窓へと近づいていった。あと一歩いけば下を覗けるというところまで行くと、次の瞬間、窓から顔がぴょこんと出てくる。
 突然出てきた顔と、おれは、じっと見つめあう。それがどれだけの時間かは分からないけれど、恐らく五秒にも満たないだろう。おれは一度瞬いた後に、遅れて訪れた驚きに大声を上げてた。

「う、うわあっ!?」

 思わず後ずさると、足をもつれさせバランスを崩し後ろに倒れる。パニックを起こしてるおれはただあわあわと混乱しながら次に来るあろう衝撃に構えることもできない。だが、構える必要はなかったようで、いつの間にかおれの背後に来ていた岳里に支えてもらって、事なきを得た。

「お、あ……ありが、と……」

 いつの間にそこにいたんだ、なんて疑問も浮ばないぐらい驚いてたおれは、混乱したままとりあえずお礼を言った。特に岳里がそれに応える素振りは見せなかったけど、恩着せがましくされるよりだったらそっちのほうがよほどいい。

「おお、すまんな。人がおるとは思わんかった」

 そう悪びれもなく笑うのは、さっきの窓の外から顔を出した男で、ひょいっと軽い身のこなしで窓から部屋の中に飛び入る。
 まだレドさんと同じくらいの歳に見えるのに、喋り方は随分と古臭いようなのが印象的だった。でもそれよりも目を引かれたのが、顔の両サイドが肩ほどまで伸びる紫の髪だった。その色はまさにさっきおれの前を駆け抜けたもので、この人が窓から飛び降りた人だってことを改めて知らせてくれる。
 ちらりと見えた耳に、沢山のピアスをしているのが見えた。

「危ないですよ、ヴィル隊長。このふたりはおれがレードゥ隊長から預かった――」
「レードゥ!? そうだ、レードゥはどこだ!?」

 おっさんの言葉を遮って、紫の髪の男はレドさんの名前を叫ぶ。そんな風にされるのは慣れてるのか、おっさんは窓から逃げたことを簡潔に伝えると、紫の男はばっと窓へ向き直った。

「ふむ、ならばあの店にゆくのであろうな……世話を掛けたな、ジィグン。さらばだ!」

 口早にそう伝えると、紫の髪の男はまた窓へと駆け、そこから躊躇なく飛び降りる。
 ……もう驚かないぞ。
 まるで嵐のように男は去って行き、後に残されたのは愉快そうに笑うおっさんと、驚きに未だ表情がかたいおれと、そして相変わらずまったく動じない岳里の三人になった。

「いやあ、悪かったな。あの人はいつもああなんだ。でもあれでも十三番隊隊長なんだぞ? ヴィルハート隊長ってんだ」

 変な人とか思っても口に出すなよ、なんておっさんはからから笑った。それに半笑いを返しながら、さっきの人がヴィルハートという名前なのだと知る。

「いつもといっても、ああなるのはレードゥ隊長の補充が間に合わなかったときだけだけどな」
「レドさんの、補充?」

 不思議な言い回しの言葉に反応したおれが思わず聞き返すと、嫌な顔ひとつせずにおっさんは教えてくれた。
 何でもレドさんとヴィルハートさんは幼馴染だそうなんだ。それで、昔からヴィルハートさんはレドさんにぞっこんラブなそうで、幼い頃から毎日一度は抱きしめてたから、今でもヴィルハートさんはレドさんを一日一回は抱きしめないと“レドさん切れ”になって、部下の訓練、もとい鬱憤晴らしがはじまるそうなんだ。だからレドさんには悪いけど、そのを鬱憤晴らしを回避すべくレドさん切れ間近になったヴィルハートさんに、率先して部下の人たちはレドさんの逃げた先を教えるんだそうだ。
 はは、レドさんも災難だな。実は部下の人たちがヴィルハートさんに行き先教えられてたなんて。でも、おれもイジメられんならレドさんの居場所教えるだろうな。だって鬱憤晴らしの相手にされるのなんていやだし。
 …………えーっと、さ。

「ヴィルハートさんがレドさんにぞっこんって、えっと、その……?」

 歯切れ悪くするおれに、おっさんは小首を傾げ、ますますなんて言えばいいかわからなくなる。
 言葉に悩むおれへ、岳里が助け舟を出してくれた。

「レードゥとヴィルハートは恋仲なのか」
「え? ……ははっ、んなわけねえよ!」

 はじめ、おっさんは岳里の言葉にぽかんと呆けてたけど、すぐにその意味を理解したみたいで、ひとり腹を抱えて笑い出した。もしかしておまえ、そう言いたかったのか? なんておれに尋ねながらも、もう、うわっはっは! みたいな豪快な笑い方をして答える隙も与えず爆笑している。
 岳里の質問の仕方には恋仲とかいつの時代だ、とか、呼び捨てにするなよ、なんて言いたい事はあったけど、おれの知りたかったことが知れたから心の中で勝手に感謝させてもらった。
 だってさ、ぞっこんだぞ? ぞっこんなんて言ったら、首っ丈です愛してます、ってことだろ? もちろんそれはライクの好きじゃなくて、ラブの好きなほうとおれは思ってる。だからこそ、疑問に思ったことがあった。
 レドさんとヴィルハートさんのどっちかが女なら特に不思議に思わなかったことで、でもふたりは確かに男だった。実は女です、なんで絶対ないくらい体格もよかったし、胸もなかったし、喉仏もあったし、男としか見えない部分が圧倒的にあった。だから絶対、いくら髪が長くってもふたりは男だ。
 つまり、言いたい事は、どっちも男なのにぞっこんっておかしいだろってことだ。今のおれは色々あって変に冷静で、受け流すこともできた。けど、見ているとレドさんへのヴィルハートさんの態度とかは度が過ぎるものもあって、流すことができなかった。だからおっさんに聞こうとしたけど言葉が思い浮かばなくって……。だって、レドさんとヴィルさんってホモですか? なんて、率直に聞けるわけがない。でも岳里が代わりに聞いてくれたから、答えもはっきりでて、すっきりできた。
 ぞっこんだなんて言い方するもんだから、勘違いしちったよ。つまりは友達としてすっごい仲いいってことだったんだな。
 よかったよかった、なんて心の何度も頷いていると、おっさんがようやくおさまってきた笑いを含んだ声のまま、おれに言った。

「あんなの、ただのヴィル隊長の一方通行だよ! 通じ合ってるわけがねえ!」

 ……そっちの意味かよ!
 まああくまで今のとこな、と笑い過ぎて息を荒くするおっさんに思わずそう声を荒げたくなりながら、どうにかその衝動をやり過ごす。けれど心の中は大荒れだ。
 紛らわしいから勘違いしちまったじゃんか! でも勘違いのままのほうがよかった! だってそういう意味なんだろ? 男同士でってことなんだろ!? なんで見ず知らずのおれたちに、そんな簡単に教えてんだよっ!?
 一方通行、つまりはヴィルハートさんがレドさんに片想いしてるってわけで、それは恐らく、いや絶対、友情なんかじゃなくて恋愛のほうだ。
 ――日本では、同性同士は認めてもらえることでさえ難しい。昔よりは浸透したとは思うけど、理解あるのは一部の人で、まだまだ否定する人は多いと思う。だけどこの世界では、もしかしたらそれは当たり前なのか?
 おれと同じ疑問を抱いたのか、それともおれの気持ちを代弁してくれるのか、岳里が口を開く。

「この世界の恋愛はどうなってるんだ」

 最早疑問系ではないけど、意味は十分伝わるからおれが付け足す必要もない。笑いすぎのあまりに薄っすらと目尻に浮んだ涙をジィグンは荒く指で拭いながら、ようやくおさまった笑いを再発させないようにと堪えながら、おれたちに教えてくれた。
 この世界は女の人が少ないらしい。割合で言えば男:女で7:3ぐらいだそうだ。よくわからないけど、じゅうじんっていう人たちを含めても含めなくてもそんな結果になるらしい。だから必然的に、女の人は仕切られた地域で暮らして、その国ごとで保護されてるそうだ。ただし、じゅうじんは例外で主の傍にいるらしい。そうしなきゃ、危険な状況になってもどうしようもできないからだそうだ。
 それで、年に四度……こ、子作りのために、選ばれた男たちがその女の人たちが保護されてる場所に送られるんだそうだ。
 まあつまりは、必然的に男は余る。だから、男同士の恋愛なんて当たり前なんだそうだ。生まれてくる子どもは必ず男女7:3という一定の割合で生まれるから別に子孫が残らないって困ることはないらしい。
 と、ジィグンは大まかにこんなことを言った。

「おまえたちの世界はそうじゃなかったのか?」
「おれたちの世界は大体男も女も同じぐらいいるよ。だから恋愛は男女が普通かな。――まあ、少数になるけど同性同士ってのもあるよ」

 あまり一般的には認められないけど、とは言う気にはなれなかった。それはおっさんを、この世界を否定するような、そんな気がして。
 でもまあ、おれはどっちかっていうと認めてるほうだ。だって恋愛は個人の自由だろ? 別におれに被害があるわけでもないし、それならいいと思うんだ。
 まあおれには関係ないからかもしれないけど、なんて思ってると、ジィグンがふと思い出したように声を上げた。

「――あ、そういえばまだ名乗ってなかったな。おれは九番隊副隊長のジィグンだ。呼び捨てで構わねえよ。獣人で、主は四番隊隊長のアロゥ。種はねずみだ。よろしくな」

 よくわからない単語の後にすっと手を差し出され、明らかに握手を求められる。断る理由なんてひとつもなくて、おれは自然の成り行きから一歩前に出てその手を取ろうとした。けれどそれよりも先に岳里が前に出て、おれが掴もうとしてたおっさん――ジィグンの手を掴んだ。中途半端に上がったままになったおれの手をどうしようもなく、むなしくその場に留まる。それを見たジィグンは盛大に吹き出して、それから岳里の手を握り締めてぶんぶんと上下に振った。
 ……そんなに先に握手したかったのか?

 

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