身体を揺すられ、重たい瞼を開けた。

「ん……?」
「飯が来た。食うぞ」

 酷く掠れた声を上げると、傍らに立っていた岳里が、おれの顔を覗き込んでくる。目やにでもついていたのか、右の目頭を親指で擦られた。
 言葉通りすでに朝食は並べられているらしく、おいしそうなにおいが漂っていた。埋めていた顔を完全に毛布から出せば、鼻に入りこんでくる。それにつられてくう、と腹が鳴った。
 それにしても部屋に食事が運び込まれたのにも気づかないくらい、おれは熟睡していたようだ。いつもなら少なくとも扉が叩かれれば目が覚めるのに。とはいっても、まだ頭はぼうっとするし身体は重たく、ありありと寝不足を訴えていた。
 とにかく起きないと、と働かない頭で考え身体を起こそうとベッドに腕をついた時、主に下半身に鈍い痛みが走る。

「っ」

 思わず息を飲み、そのままへたりとまたベッドへうつ伏せに倒れてしまう。
 呆然と自分の身体の状況を追えずにいるおれに、岳里がこともなし気に言った。

「昨日は無理をさせた。すまない」

 全然そんな気これっぽちもない、とでもいうようないつもの平坦な声に、溜息しか出てこなかった。勝手に熱くなる頬なんか知るか。
 昨日、と言っていいのか悩むが、三回まで付き合わされたのは覚えている。とは言っても随分と忍耐強いらしい岳里とは違いあくまでおれは普通で、もう最後には何も出てこなかった。三度目に岳里が中に放った時はもう意識もおぼろで飛びかけていて、正直よく覚えていない。そこで岳里が終わらしてくれたような、そのまままた動き出したような……。
 ともかく無事済んだのかわからないが、その直後辺りに気を失ってしまったようだ。昨日は滅茶苦茶に乱れていた岳里のベッドは整っているし、おれはおれのベッドに服を着せられて身ぎれいに寝ていたから、きっと岳里がすべてやってくれたんだろう。
 ここはお礼を言うべきかもしれないが、何故かそれより別の言葉がおれの口からは飛び出した。

「あれで、満足したよな……?」

 恐々と問えば、それに答えは返されず。
 ただ前髪を掻き分け額に唇を落としながら、笑った。

「今夜も楽しみにしている。立てるか?」

 明日もまだ続くと言うのに、おれの身体は持つだろうか。
 笑えない状況に口を閉ざしながらも、岳里の問いかけにおれは首を振った。
 さっき起き上がろうとしたけれど、そもそも腕に力が入らない。腰も重たく持ち上がらなくて、このまま無理にでもベッドからはい出たところできっと立てないだろう。
 でも、折角の朝食を冷ますわけにもいかない。それに喉が渇いてるし、散々動かされたからか腹も減っている。どうにかして食べたいけれど、まず机まではどういこうか。
 一人悩み出したおれを見ていた岳里は、不意に手を伸ばしてきた。岳里からは目を逸らし斜め上に目を向けながら思案していたおれはそれを知らず、気づいた頃には毛布ごと岳里に抱え上げられた。

「うわっ」

 短い悲鳴をあげながら、抱え上げられた時に漏れた手を空にばたつかせる。けれど岳里はお構いなしにそのままおれを荷のように運ぶと、そっと腰に障らないように優しく席に下してくれる。けれど、その気遣いもありがたいけれどせめて一言欲しかった。
 いつも言ってるのに、とぶつぶつと文句を言いながらも顔を前に向け、朝食を眺めてみれば。そこに並ぶものに絶句した。
 まず目に入ったのは、一匹丸々使われた鯛の塩焼きだ。こんがりと焼かれ脂が滲み、切れ目からはふっくらとした白い身が覗いている。皮は見るからにぱりぱりとしていて、なんともうまそうだ。その傍らには小振りの皿に持ちつけられたちらしずしがある。上から見るだけでも海老や筍、いくらに蓮根にふきに、細やかな錦糸卵が乗り鮮やかで、さらにさらに桜の花びらを模して切り抜かれた人参と木の芽と、随分手が込んでいた。
 汁物は蛤と紅白小餅のお吸い物。さらにはつややかに染め上げられた赤飯まであり、片隅にはちょこんと小皿にふたつ丁寧に数の子が並べられて。他にもバランスがよくなるよういくつか小皿が用意されていて、和食中心のそれを順に眺めているうちにおれはめまいを覚えた。
 おれの様子を見た岳里が、小さく笑みながら正面の席に腰かける。

「なっ、なんだよ、これ……!」
「めでたい、と祝ってくれたんだろう。おれたちのことを」

 顔を真っ赤にして岳里を睨めば、あっさりと答えは返ってくる。どうやら岳里は気にしてないようだ。でも、おれは気にならないわけがない。
 これほどまでにお祝い一色の朝食は、つまり、岳里の言う通り昨夜がめでたいということで。一応アロゥさんや一部の人には宝種を用いた子作りの流れを説明してあったわけで。
 すべてが、筒抜けというわけで。

「も、やだ……」

 思わず肩にかかったままの毛布を寄せて顔を隠せば、岳里は顔に浮かべた笑みとは裏腹に冷静に告げる。

「冷めるぞ」

 そう言って、顔を隠したままのおれを置いて一人ばくばくと、祝いもなにもない様子で味わってるかも怪しいままに。おれの倍以上の量がある自分の分を胃に押し込み始めた。

 

 

 

 どうにか岳里との三夜を乗り越えたおれは、今度こそ絶対安静にしているようにと岳里に言い渡された。
 けれど確かに行為による身体の疲れや気だるさはあっても、絶対安静を言い渡されるほどのものでもない。それなのになんで動いちゃいけないんだと、せめて座ったままでも七番隊の手伝いをしてはいけないかと、そう思って岳里に訴えた。
 それでも岳里は最後まで良い顔はせず、どこか渋い表情をする。だからおれもできる限り忙しい七番隊の手伝いをしたいんだと、岳里もその多忙さを知っているだろうとどうにか説得をした。あれほどまでに忙しいからこそ岳里はやらせたくないとむしろ思っているだろう。でもそれでもやりたいと言葉を重ねれば、気分が悪くなったらすぐにやめておれの元へこい、とだけ言ってどうにか許してはくれた。
 辛うじてではあるけれど岳里からの許可をもらえたこともあって、おれは今まで通り手伝いのために医務室を通い続けた。やっぱり身体はなんともなく、三日目の夜が終わってからは岳里も少しは気遣ってくれてか、手を出してこない。だから体力も十分に回復して、約束もあって座りっぱなしではあったけれどはきはきと働いた。
 ――でも、岳里がどうしてなかなか頷いてくれなかったのか。それを、子作りを開始してから十日目に知ることになる。
 その日もいつもと同じように起きて身支度を整えていると、持ってきてもらった朝食が机に並べられる。岳里は早々に席について、朝からといえどもがっつりと飯を食べ始めた。いつもならおれを待って食べるけれど、どうやら今日は早くに集合があるらしい。
 おれも早めに出ようと席に座り、目の前の温かくふっくらとしたご飯を見つめた時だ。なんだか気分が悪くなり、軽い吐き気がこみ上げる。自分の身体に戸惑いながらもしっかりと食べないと動けないと食事を口に運ぶもあまりおいしく思えず、それどころか気持ち悪さが増して、口に入れた少しの米をただ噛みしめるのさえ億劫になってしまう。飲み込むときなんてもっとひどく、思わず戻しそうになった。
 食欲はまったくわかず、つい箸を止めれば、それに目ざとく気が付いた岳里も同じように手を止める。そして米粒を口の端にひとつつけたままおれに目を向けた。

「どうかしたか」
「あ……いや、なんでもない。それより今日は朝から忙しいんだろ? 早く食べちゃえよ」

 おれはのんびり食べるんだ、と続けて焼き鮭の身をほぐし口に入れようとしたが、そのにおいがやけに鼻について、胃の奥からこみ上げてきそうになるものを感じ慌てて口元から離した。
 その姿をしっかりみていた岳里は何か言おうと口を開くが、その前におれが声を出す。

「なんだか喉乾いたなぁ」

 誤魔すために岳里から顔ごと逸らして傍らに置いてある水を手に取り、けれど出した言葉とは裏腹にちびちびと飲んだ。
 岳里はしばらくじいっとおれを見つめていたが、それを気にしないようにして、直感で食べれそうだと思ったトマトを口に入れた頃にはようやく目が離された。そしてまたがっつきだし、それを気づかれないよう横目で見ながらひっそりと安堵する。
 おれがあえてゆっくりと食べるまでもなく、あっという間に間食した岳里はそのまま席から立ち上がった。

「行ってくる」
「ああ、気を付けてな」

 扉に向かい、取っ手に手をかけ岳里は振り返る。それに一度箸を置いて手をあげれば、岳里は一呼吸置いた後に静かに口にした。

「――気分が少しでも悪くなれば、すぐにおれのもとへ来い。それが難しければおれを呼べ。やり方は教えたろう」

 竜人と盟約を結んだ人間側であるおれは、盟約者の特権として声に出して盟約した竜人の名前を呼べば、その竜人をその場に召喚することができる。それは契約をする獣人も同じようで、きっとそのことを言ってるんだろう。

「まあ、そん時にはな。ほら、早く行けって。隊長さまが遅れちゃいけないだろ?」
「……無理は、するな」

 そう言い残し、岳里は静かに部屋から去っていく。完全に扉が閉められたのを見届けてから、おれは肺に溜まった空気をすべて押し出すような気持ちで深い溜息を吐いた。
 多分岳里は、おれの異変に気づいてるだろう。でも言い出されないから、だからあえて目を瞑ってくれたんだ。今はそれに感謝するしかない。
 ちらりとほとんど手を付けてない朝食を見る。おいしそうなのにやっぱり食欲はわかず、むしろ胸がむかつき、匂いで気分が悪くなってくる。もう一度多少無理してでも、と思って一口口に運ぶけれど身体が受け付けようとはしなかった。
 おれの身体を通し渡される宝種への栄養を考えればちゃんと食べなければいけないけれど、でも無理をして吐いてしまったらそれはそれで悪影響にしかならないだろう。
 本当なら、ちゃんと岳里に言って身体を休ませた方がいいんだろう。そうに決まってる、わかってる。でももう少しだけ七番隊の手伝いになりたかったんだ。
 仕方なく食べれそうなものだけをどうにか飲み込んで、作ってくれた人に申し訳なく思いながらもほとんど朝食を残したまま片付けの準備をした。

 

 

 

 医務室に着くと、セイミアが笑顔で迎え入れてくれる。

「あ、おはようございます、真司さん」
「おはよう、セイミア」

 セイミアに続き他にも気づいてくれた隊員たちや、今まさに治療を受けてる最中の兵士の面々も挨拶をしてくれて、おれはそれに返しながら中に入る。
 すると傍らまでセイミアが寄ってきて、不安げな顔でおれを見上げた。

「なんだか顔色が悪いように見受けられますが、大丈夫ですか?」
「え、ああ、うん。だいじょう、ぶ……っ!」

 笑顔を見せて、ちゃんと言いきろうと決めていたのに。それなのに医務室に溢れる色んなものの強い匂いに一気に血の気が引いて、おれは口元を押さえながら慌てて、使い終えた包帯なんかを捨てる屑籠入れに顔を向けてそのまま吐いた。
 後ろから追ってきたセイミアが背を撫でてくれながら、他の隊員に水を持ってくるよう命じる。その声をどこか遠くで聞きながら、おれは呆然と自分の状況を飲み込めずに、胃からこみ上げるさっき食べたばかりの少しを全部吐きだした。
 最終的には胃液ばかりが出てきて、それで焼けた喉が痛み出した頃、差し出された水で口をゆすいだ。

「大丈夫ですか? やはり体調が悪いのでしょう?」

 いつからか、どういった症状か、セイミアは医者の顔つきで淡々とおれに尋ねる。さすがに吐いてしまったし、こうなったセイミアからごまかし通すことは叶わないと悟ったおれは観念し、素直に症状を話した。
 それに、宝種のこともあって、その影響がないか急に不安になったから。
 おれから大方話を聞き終えたセイミアは、わかりました、と静かな声を出しながら溜息をついた。それからまずは身体を休ませましょうと、医務室とは別の、隣にあるセイミア個人に与えられた治療室へと案内される。
 そこに備え付けられたベッドへ横にされてから、誰もいないことを確認したセイミアはようやく口を開いた。

「恐らく、悪阻ですね」
「つ、わり……?」

 知らないわけじゃないが、あまり耳に慣れない言葉に思わず繰り返してしまう。そんなおれを見ながらセイミアは深く頷いた。

「ええそうです。妊娠した女性が見せる悪阻の症状によく似ています。宝種が影響していると考えられますが、それにしても……もう、だめじゃないですか!」

 それまでしていた冷静な、隊長として医者としての顔を一変させ、セイミアが腕を組み横たわったおれに説教を始めた。

「いいですか、今の真司さんの身体は一人のものじゃありません。些細な違和感ももしかしたら中の子の救いを求める声かもしれません。そうでなかったとしても悪い方へ影響する可能性も大いにあるんですよ。今回は悪阻ですからまだよかったと言えますが、何か他の病気で、それを隠してどうなります? 本来の妊娠時も勿論ではありますが、真司さん方の場合ただでさえ普通とは異なるんですから、殊の外大事にしませんと。何かあってからでは遅いんです、宝種の中にいるお子さんも、真司さん自身も大切にしてあげてください。無理は禁物と岳里さんからきつくおっしゃられていたはずではありませんか? わたしの立場からも勿論そうと――」

 よっぽど今回、気分が悪いのを黙って七番隊の手伝いをしようとしていたことが気に障ったのか、それとも単に身体を大事にしなかったからかはわからないけれど、セイミアはとまることなくすらすらと言葉を並べていく。
 言い返す言葉のひとつもないおれはただそれに小さくなるばかりだった。ただおれのために言ってくれているのは十分理解しているつもりだから、耳を背けずにきちんとすべてを聞く。

「いいですか、もっと周りを頼ってもいいんですよ。宝種への影響を考えると薬を処方することはまずできません。治癒術は外傷には効いても病にはなんの意味もありませんし、だからこそ早期の発見は重要となるわけです。それにはまず真司さんが感じる些細な違和感でさえですね――」

 言葉の途中扉が叩かれ、セイミアは返事をしながらそのままそこへ足を向けた。
 おれは内心でそっと一呼吸置き、この後再開するのであろうセイミアの言葉に備える。けれど、扉から中に入ってきた人物によって整えた気持ちもすぐに乱された。
 ぬうっと扉から一直線にベッドまできて、傍らで立ち止まってはおれを見下ろすその目は、明らかに怒りの色が滲んでいて。
 滅多に見ないその表情に、おれはセイミアの時とは違った身の竦みをして息を飲む。

「言ったはず、だが」
「あ、あの……」
「おまえが大丈夫というならとおれも目を瞑ったが、吐いたそうだな」

 言い返す言葉なんてなく、背後にどす黒い雰囲気を纏う岳里に萎縮しながらおれは辛うじて、はい、とだけ答えた。
 それに返されたのは、深い溜息だった。呆れられてしまったのだろうかと不安になり岳里を見上げれば、手が伸ばされる。
 手は頬に触れると、そろりと撫でた。

「無理はするなと言った」
「ごめ、ん。心配かけた」
「わかったのならもういい」

 何度も優しく撫でる手に自ら頬を寄せれば、岳里は今度、溜息とは違うものを深く吐きだす。言葉通り、もう怒りは収めてくれたらしい。
 いつもの表情に戻り、背負っていた暗い雰囲気もひっこめると、手を引く。けれどそのままその腕はおれの上にかかる毛布ごとこの身体を掬い上げた。

「うわっ」

 突然宙に浮いた身体は均等を失い、咄嗟に目の前に来た岳里の首に抱きつく。けれど思ったほど身体に負荷はなくて、唐突のことだとはいえ十分に配慮はしてくれたようだ。そのおかげか、未だ気だるく吐き気の収まらない気持ち悪さを抱えながらも驚いただけで済んだ。
 思わず声をあげてしまったけれど、さすがに少しはこの突然の岳里の行動に慣れたのか。これで何度目かになる横抱えで抱き上げられると、岳里はそのままセイミアへ向き直る。

「今回はおれの傍らにいた方が身体にいいから、こいつは預かる。しばらくはろくに働けないだろう」
「ええ、構いません。これまで十分真司さんにはお世話になっていますし、これを機にゆっくり休んでください。お腹の子のために無理はしてはいけませんから」

 岳里の言葉に、セイミアはにこりと笑みを浮かべながら頷いた。おれはというと、あんなに忙しい七番隊の手伝いを抜けざるをえない状態になってしまった自分への不甲斐なさと、みんなへの申し訳なさ。そして、セイミアの言ったお腹の子、という言葉に慣れず顔を赤くするという、何とも言えない複雑な表情になった。
 それを見たセイミアはさらに笑みを増しながら、口を開く。

「念のためお聞きしてますが、真司さんの症状は悪阻とみてよろしいですか?」

 浅く頷き答えた岳里に、同じように頷きながらセイミアは続ける。

「なら食事と量を変えるように伝えておきます。あと、食べやすい果物とか。後でどういったものか改めてお伺いに行きますので、その時詳しいことはお話願います。あ、あとで氷もお持ちしますね」

 淀みなく流れていく言葉に、セイミアは悪阻の対処法を十分に熟知しているように思えた。
 この世界はで、女性の数が少ない。だから彼女たちは一か所に集められてそこで暮らしていくそうで、出産もその場所で行うそうだ。だからあまり妊娠、出産については周りのみんなは詳しくなくても、そこはさすが治癒部隊隊長、と言ったところなのか。セイミアは医者としてしっかりとした知識を持っているようだった。
 おれのものは妊娠とは違うけれど、それでもとても頼りになる。おれよりも年下だっていうのにしっかりしているし、安心して宝種を抱えたこの身体を預けられるような気がした。
 少しだけ身を乗り出して、岳里に抱えられたままおれはセイミアに頭を下げる。

「ありがとう、セイミア。助かる」
「いえいえ、元気な子が生まれてくるためです。出来得る限りのことは致しますので、真司さんは安心して、ご自身のお身体を大切にしてくださいね。あとで、先程中断したお話の続きにも参りますので」
「……はい」

 それまで慈悲深い天使のように見えた笑みが途端に姿を変えたような、そんな気がして。
 おれはただ岳里にしがみつきながら頷くしかなかった。

 

 

 

 おれの体調が優れないことを十分理解している岳里は、大股で歩きながらも腕に抱えたこの身体を一切揺らすことなく、振動も与えることなく歩き続けた。だからおれにかかる感触というのは歩くことで触れる空気の流れくらいで。
 申し訳なく思う反面、ありがたく、その気遣いを嬉しく思いながら、突き進む岳里に声をかけた。

「なあ、どこへ行くんだ?」

 今進む道は、部屋への道じゃない。なら、どこへ行こうっていうのか。
 疑問を口にしたおれに、岳里はちらりと一瞥しすぐに目を前に戻し、そのまま口を開く。

「十四会議室」
「……なんで?」
「会議をするからだ」

 それはそうだろう。会議室という名の通りそこは隊長と王さまが集まって、国の要人だけで話し合いをする場であり、結界まで設けられている厳重な場所だ。おれも異世界の人間、選択者っていう特殊な立場から何度か足を運んだことがあった。
 けれど、おれは聞いてるのはそんな理由じゃない。
 じっと下から見つめ続ければ、岳里は溜息をひとつついてようやく口を開いた。

「外せない会議がある。だからおまえを連れていくことにした」
「会議の間くらい待ってられるよ。部屋で大人しくしてるし。それよか、大切な会議におれを連れ込むはまずいだろ。公私混同はよくない」

 部外者だし、と続ければ岳里は首を振った。

「もう許可はとってある」
「……ネルか」

 出した答えを肯定するように、岳里は何の反応も示さなかった。

「なあ、どうしておれをつれていく必要があるんだ?」
「宝種はおまえの身に馴染んでも、おまえの身体が宝種をまだ受け入れきれていない。だがすでにおれの子種を取りこんだ宝種が活動を始めてしまったから、拒絶反応として悪阻に似た症状が起きているんだ」

 これはどうやら盟約を交わした竜人と人間の、人間側が宝種を取りこんだ時にのみ起きるものらしい。厳密には悪阻とは違うけれど、もたらされる症状や対策法がとても似ているそうだ。竜族の場合はただ身体が最初からそのことに耐性を持っているし、そもそも根本的に人間とは体力の面が桁違いだから、若干気分が悪くなることはあってもさほど影響は起きないそうだ。
 そんな、悪阻にも似た症状を緩和させる方法がひとつあるらしい。それは、岳里が言うにはおれと岳里が触れ合っていればいい、というものだった。
 板の上に卵を乗せたとして、そのまま板を持ち上げ運べば不安定な形をした卵はぐらぐらと揺れる。でも卵の下へ布を敷いてやればそれは大分緩和されるだろう。板はおれで、卵は宝種で、布は岳里で。ゆらゆら揺れてしまうのが悪阻の原因と考えればいい、と言われた。
 なんでも宝種にとっては父となる人が傍らにいると、宝種の活動が少しだけ安定するそうなんだ。どうして岳里が傍らにいると症状が軽くなるのかというと、宝種が父となる岳里の気配に支えられ、その生命を編む活動を多少なりとも静かに行うことができるようになるそうだ。いうなれば補助の役割で、岳里が傍にいなければ補助がない状況になり宝種は余分な働きまでしてしまって、それが悪阻につながるかららしい。――あと、おれ自身、岳里が傍にいると安心するから、だそうだ。気分が安定して宝種が身体に馴染みやすくなるとかなんとか。
 わかったようでよくわからない。なんで岳里がその補助の役割になるとか、岳里が傍にいればとか、なんでそれだけで症状が緩和されるのかとか。とりあえずは岳里が傍にいればいいらしいことは理解したけれど、それ以上はやっぱり頭が受け入れきれずにいる。けれど、なんとなくではあれども納得はした。
 そうして話を聞いてる間にも大股で歩く岳里は階段を下り廊下を進み、地下にある十四会議室の前まで来た。

「岳里、下してくれ。もう自分で歩くから」

 きっと中にはみんながいるだろうからと思い、そう伝えたのに。岳里は絶対に聞こえているのに、聞こえていなかったふりをして、おれの方へ一度も顔を向けないまま会議室にかけられた結界の前で合言葉を告げる。すると魔法陣が描かれた壁が光を放ちながら溶けるように消えていき、道を開かせた。
 ぱあっと輝く前に目は眩み、咄嗟に片腕を目の前に翳して影をつくるが大した効果はなさない。そのうちに岳里はまるでこの光さえも自分には効かないというように平然と歩き出してしまい、おれは慌てて声をかけた。

「ちょ、岳里、下せって……!」

 すべてを言い終わる前に光はしぼみ、代わりに壁に隠されていた十四会議室の中へとおれたちは足を踏み入れていた。
 中にはすでに岳里と、忙しく人手の足りない七番隊のセイミアを除く隊長全員がそれぞれの席に腰を下し、王さまさえ悠然と最奥へと座って、部屋へ訪れたおれたちに注目する。
 そうしてみんなの目を集めているというのに岳里は何も起きていないというように、空席になっている三番隊隊長の席へ向かった。そんな中でおれはというと、岳里の腕に未だ抱えられたままその体勢に恥じ入り、顔を上げずにいる。
 ほとんど振動も寄越さないまま音もなく岳里は席に腰かけると、これでようやくと逃げ出せるとの膝から下りようとしたおれの肩を掴みそれを阻んだ。
 睨めば、岳里はおれの気持ちなんてこれっぽっちも悟っていないような声音が告げる。

「このままおれに抱きつけ」
「……は?」
「症状を軽くするには傍にいればいるほど、密着するほどいいとされている」

 だから早くしろ、と目で訴えてきながら、岳里は今背中を向けているおれに両腕を差し出してきた。さあ、とでも言いたげに無防備に腕を開き招き入れる体制をとられても、けれどおれは動けない。
 もはや、こんな状況でそんな体制を強制しようという岳里に絶句していると、みんながそれぞれ追い打ちをかけてきた。

「おうい、真司ィ。なにも抱きつくだけなんだあろ? それならさっさとやっちまえよう」
「恥ずかしがってんのか?」
「隠す仲でもないのだから、よいではないか。わしらは気にせぬよ」
「それで少しでも悪阻がよくなるというのなら、抱きついちゃいなさいよ」

 ネルに続きレードゥ、ヴィルとからかうような表情を浮かべ、ミズキまでもが岳里を擁護する。他のみんなからも似たような声があがり。
 さらに、仏頂面をするアヴィルからも言葉が出てきた。

「会議を中断しているんだ、早く諦めてくれ」
「うっ……」

 そう言われてしまっては返す言葉もない。
 未だ大きな躊躇いを残しながらも、おれはおずおずと岳里の上に乗ったまま身体を動かし、向き合う体制を取る。肩にかかる毛布で隠れた身体の下で行われた行為にみんなは気づかなかっただろうが、岳里は澄ました顔をしながらも大きくおれの足を開かせ、自分の身体をその間に挟ませた。

「首に抱きつけ」

 ――ちくしょう。
 静かなその声に、唇を噛みながらそろりと腕を伸ばす。まだ、身体が毛布の下に隠れているだけありがたかった。
 おれが両端を両手で握ったままにしているから、岳里の肩まですっぽりと覆われている。どんな体勢かは容易におれたちの向きで想像はできるだろうけど、隠されているのといないのじゃ全然違うはず。
 でも、結局はそれも気休めに過ぎない。
 岳里の方もおれの背にしっかりと手を回した頃、見計らったようにネルが口を開いた。

「さあてとお、岳里も戻ってきたようだしィ、話しの続きすんぞう。とりあえず今までの話を多少かいつまんでおさらいでもすっかあ」

 ネルのその言葉に、おれはようやく岳里がこの大切な会議を途中で退場してまで、体調を悪くしたというおれのもとまで来てくれたことを悟った。
 みんな、けが人の治療に、魔物の討伐に、国のことに、エイリアスのことに。それぞれのことに手一杯という様子で、多忙に働いている。だからこそ迷惑をかけないように、邪魔をならないようにと気分が悪いことを黙っていた。けれど、おれはまったく反対のことをしてしまったようだ。
 こうして迷惑をかけ、邪魔をした。おれの体調管理が甘かった、とかいう理由でないし、宝種が引き起こしたものであるなら仕方ないのかもしれない。でも次からはちゃんと、少しでも気分が悪くなったら岳里に申告しておこう。今回ももっと早くに言っていれば朝食も残さずに済んだかもしれないし、今の状況は回避できたかもしれない。
 それに今回は悪阻だったからよかったけれど、セイミアが説教中に言ったように、これがもし宝種に悪い影響のある病気か何かだったら大変だった。薬だっていつものように服用できないわけだし、黙っているうちに悪化すればそれこそみんなに迷惑がかかる。
 そう考えれば何もかもにとても申し訳なく思う反面、おれは身勝手だけれども、淀みなく流れるネルの声も遠くで聞きながら心の中で強く念じる。
 早く終わってくれと、無意識に力の入った身体はぎゅうぎゅうに目の前の身体に顔を埋めながら、抱きしめた。

 

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