城に戻ったおれたちは準備を整えていた王さまたちに迎えられ、迅速にそれぞれの治療にあってもらうことができた。
 まず重症の兄ちゃんはセイミアに任される。治癒術は効果がないと岳里から説明を受けたセイミアは迷う素振りも見せず、副隊長や治癒術師として腕のいい隊員数名に声をかけ、手術をすることを決めた。治癒術を使えない以上、自分たちの手による治療しかないと判断したからだ。
 治癒術師といわれると治癒術に頼っていると思われがちだが、実際は有事の際に備えた訓練を積んでいるから医師として動くことも可能だ。だからこそ、確かに基本的には治癒術に頼りがちで自分たちの手を使うことは少ないが、でも十分手術は行えるんだ。
 何より、七番隊隊長であり治癒術師として最高峰の腕前を持つセイミア自身日頃から知識を蓄えるよう努力している。治癒術を使えない箇所の傷や、希望者、技術向上への協力者の身体で実際に何度も手術を行ってきていた。
 おれたちの世界の医療技術には大きく劣るものの、兄ちゃんの手術に立ち会う人たちは少なからず、この世界では相当の腕前の人たちだ。七番隊のみんなに、セイミアに任せるしかできない。
 もとより、念のためにと手術の準備も整えておいたらしいセイミアの判断が功を成し、兄ちゃんはすぐに傷を処置すべく、用意された場所へと運ばれていった。
 そして岳里は、大勢の人たちと一緒に去った兄ちゃんを確認してから、糸が切れたように倒れてしまった。そもそも岳里も大怪我を負っていて、いくら痛みに鈍いとはいえ身体はとっくに限界を迎えていたんだ。兄ちゃんだけでなく岳里だって、背中の傷は出血し続けていたというのに。
 おれは兄ちゃんばかりに気を取られ、まるで平常時のように澄ました顔をしていた岳里に気づいてやれなかった。倒れるまでその背中の傷すら、おれがつけさせてしまった短剣の穴すら忘れていて。見える肌に刻まれた細かい傷ばかり認識して。
 でもおれにはもう治癒術を使う気力は残ってなかった。自分の身体すらろくに動かせない。だからセイミアとは一緒に行かずおれたちのために残ってくれた七番隊の隊員たちに、岳里に治癒術をかけてもらいその傷を癒してもらう。
 八人の隊員全員で術を発動し傷口を塞いでいく。八人分ともなると強力で、すぐに岳里の背中からは傷跡すら残らず消え去った。治療のためにと服を脱がせば見えた、深く抉れた傷跡は痛々しなんてものじゃない。言葉に表すのも躊躇われるその傷も、平たい肌へと戻り、斜めに裂けていた光の者の証である、黒い太陽の模様も本来の姿へと直る。
 でも、それでも岳里が目を覚ますことはなかった。たとえ傷が消えても、失った血と体力まで回復するというわけじゃないからだ。
 とにかく安静にしていろと、詳しい話は岳里が目覚めてからでいいと王さまに言われ、おれと岳里は自分たちの部屋に向かうことにした。十五さんは岳里の回復を見届けてから、何も言わず、治癒術も断り傷だらけのままどこかへ行ってしまった。でもたぶん、兄ちゃんのもとに向かったんだろう。
 みんなに岳里を運んでもらい、おれ自身も支えてもらいながらどうにか歩く。ようやくたどり着いた自室のベッドに岳里を横たえさせてもらってから、みんなは何かあれば呼べと、部屋の外で誰か待機させておくといって出て行った。
 今周りには誰もいなくて、おれと岳里の二人だけだ。
 岳里が眠るベッドの傍ら椅子を用意し腰かけ、生気のない顔で静かに目を閉じるその姿を見つめる。
 もう岳里は心配ない。時間が経ち体力がある程度回復したら、きっと目覚める。大丈夫、大丈夫のはずだ。
 心の中で何度も繰り返し、無事帰ってきたんだと自分に言い聞かせる。それなのにどうしても消えない焦りに不安に怯えてしまうのは、兄ちゃんの無事が確定されてないからなのか。それとも岳里が目を覚まさないからか、エイリアスのことが気にかかるのか。自分の心なのに、落ち着かない理由に答えがでない。
 穏やかとはいえない寝顔を見つめながら、思い出すのはついさっきまで起きていたエイリアスとのこと。何度も、何度でも兄ちゃんを刺したあの時、あの驚愕した兄ちゃんの顔が忘れられない。たとえその時の中身がエイリアスだったとしても、それでも。
 ――初めから、兄ちゃんを見捨てる気なんておれたちにはなかった。これまでと同じく何としても取り戻すつもりでエイリアスに挑んでいたんだ。
 岳里が兄ちゃんを見離すということをあえて口にしたのは、エイリアスの注意を引くため。少なからずやつは、おれが兄ちゃんに執着するのを知っていたから、だから兄ちゃんの身体を奪い返そうとすると考えていただろう。だからこそ今回岳里はその慢心を突くことにしたんだ。
 エイリアスは恐らく、戦えないおれを最初から戦力外とみなしてろくな注意をしないだろうと岳里は考えた。やつが唯一おれを脅威と思う点は、自分でも意図せずに時々起きる強力な治癒力、または魔術の発動だ。だからそれを結界で封じさえしてしまえば恐れるものはなく、だからこそおれには一切警戒しないだろうと。
 実際おれは剣も使えなければ人を殴ったこともないくらいで、多少何かできたところで竜人である十五さんの前では赤子も同然だったろう。現に、岳里でさえ苦戦する相手だ。降ってくる枯葉を剣で叩き斬るより簡単なはず。
 だからこそ岳里の読み通りエイリアスはおれに油断していた。十五さんと岳里がやり合っている時、おれは自由の身だったとしても警戒する素振りは一切なく、むしろ気を楽にしていたようにも見えたから。そして唯一戦えるはずの岳里も十五さんに敗れた振りをし倒れてしまえば、案の定エイリアスはその身をおれたちの手の届く範囲に持ってきてくれた。
 エイリアスは相当な魔術の使い手らしいが、実際の身体は兄ちゃんのものであり、兄ちゃんはおれと同じただの人間だ。戦いとは無用の世界にいた、特別鍛えられたわけでもない平凡なもの。だからおれの力を封じるために張った結界で自身も魔術を発動できない状況にあればただの人間にすぎない。
 仮に、結界を解いてすぐに魔術を発動しようとしても、だったらそうさせなければいい。機を窺っていた岳里は、おれに完全に意識を向けたエイリアスを、動けないと偽っていた身体を駆使して拘束した。口と指先さえ封じてしまえばもう魔術を発動することも結界を解くことさえもできないからだ。
 やつにとっておれの術が厄介だったのと同じく、おれたちにとってエイリアスの魔術は脅威だったんだ。
 そして、おれへの合図でもあり、エイリアスへの揺さぶりでもある言葉を岳里は並べていく。エイリアスにはとにかく、おれたちは兄ちゃんの身体がどうなろうとやつの打倒を優先するということを思わせる必要があった。
 兄ちゃんの身体からやつを振り払うには、エイリアス自ら離れていくか、もしくは依り代の死しかないそうだ。でも兄ちゃんを死なせることなんて初めから考えていなかったおれたちは、どうにかしてやつ自ら離れるようにさせなくちゃいけない。
 だから、岳里は考えたんだ。兄ちゃんの身体が瀕死の状態になれば、他に乗り移り代えのきくエイリアスがわざわざ重症の身に留まることはしないんじゃないか。ましてやその傷が浅ければまだしも、死へとも結びつくものであれば。エイリアス自ら離れていくんじゃないかと。
 だからこそ兄ちゃんへ与える傷は手ぬるいものじゃいけなかったし、何よりおれたちが兄ちゃんを捨てるという意志を信じさせる必要があった。あっさりとやつが兄ちゃんの身体から離れ、すべてが終わった後はすぐに治療をしなければならない。限界ぎりぎりまで留まられては手遅れになってしまうから。
 そしておれたちの話に信憑性を持たせるため、だから岳里は兄ちゃんを傷つける役におれを選んだ。
 実の兄であり、残されたたった一人の家族。何より大切に想っている。エイリアスは乗っ取った人の記憶を覗くことさえできるらしく、おれたちの絆がどれほどのものか、どれほど互いに依存しているか知っているだろう。だからなおのことおれがやる必要があったんだ。
 兄ちゃんを見捨てるわけがないおれが、兄ちゃんを刺す。おれ自身が行動に出ることで虚言に真実味を含ませる――。
 岳里だって、そんなことさせたくなんてなかったろう。おれだってしたくなかった。でもそれしか方法はなくて。いつ殺されるかもわからない状態の兄ちゃんを救うには、覚悟を決めなくちゃならなかった。
 結局エイリアスはおれたちの話を信じたか、それはわからない。でも岳里の予想通り深く傷ついた兄ちゃんの身体から離れ、そして去って行ってはくれた。
 予定ではエイリアスが去った後、恐らく張られたままになるであろう結界の外に兄ちゃんと十五さんを連れ移動するつもりだったんだ。
 場所を変えたらまずおれが治癒術をかけてある程度の処置を行い、それからあらかじめ用意していた、城へと瞬時に移転することが可能な魔導具を発動する。移転を目的とする魔術は少なからず身体に負担がかかってしまうから先に少しでも傷を塞ぐ必要があったんだ。そして帰還した後は準備を整え待ってくれているであろう七番隊に兄ちゃんを預け、治癒術を施してもらって改めて傷を癒す。――そういう、手はずだった。
 兄ちゃんに治癒術が効かないなんて、それは岳里さえも予定してなかったことで。
 折角結界が何故かわからないけれど壊れて、すぐに城へ移動することができたのに。それなのに兄ちゃんは今手術中で。助かるのか、危ないのか。今ここにいるおれは何もわからない。
 きっとエイリアスは、兄ちゃんに治癒術が意味ないことを知っていたんだろう。残していったやつの言葉はまるでそのことを暗示しているようだったし、だからこそ兄ちゃんは助からないはずだと、ああもあっさり去っていったのかもしれない。
 岳里の立てた作戦が間違いだっただとは、思わない。他に方法はなかったし、おれも納得してだからこそ短剣を懐に忍ばせておいた。そしてそれで、自分の意思で兄ちゃんを刺したんだから。でも後悔がないとも言えなかった。
 ――死んじゃったら、どうしよう。兄ちゃんが、兄ちゃんがあのままいなくなったら。苦しんだままだったら。
 震える指先を強く握っても駄目で、不安は消えなくて。こんな時いつも支えてくれていた岳里も、傷自体は癒えたけれど今回負ったものに未だ目を覚まさなくて。きっと今兄ちゃんの傍らにいるんであろう、傷だらけのままの十五さんや、今どこかで高笑いをしているのかもしれないエイリアスのこと。
 心に重たくのしかかる暗い気持ちは何をしても消えはしない。冷えたままの指先が痛い。
 どうしてこんなことになったんだろう。どうして、おれは今ここにいるんだろう。一人だけ無事で、傷ひとつないまま。どうして、なんで。なんでいつもおれだけ――
 きつく唇を噛みしめた瞬間、静かに扉が叩かれた。
 はっと顔を上げ、そこへ目を向ける。すぐには応えられずただ見つめていると、扉の前の人は声を上げた。

「わたしだ、ディザイアだ。中に入ってもいいか」
「――ああ、大丈夫。悪いけど動けないんだ。開いてるから入ってきてくれるか」

 落ち着いた声に、いつの間にか強張っていた肩からすうっと力が抜ける。
 おれが返事をすればすぐに扉は開かれそこからディザイアが現れた。その手には小さな竜の姿があって。
 小さな金色の目はおれを見つけるなり嬉しそうに声を上げたのに、すぐにはっとしたように怯え、ディザイアに身を寄せた。
 息子がとった初めての態度に呆然とするおれに、ディザイアはいつも浮かべる笑みを絶やさないままに告げる。

「着替えたらどうだ?」
「あ……」

 言われてから初めて、おれは意識して自分の身体を見る。
 見えたのは、岳里や兄ちゃんの血に染まった両手。すでに固まり剥がれかけていても、黒く変色したそれは張り付いている。服にも血が染み込んでいて。
 もう一度りゅうに目を向ければ、どこか悲しげな、不安そうな目で、ディザイアの手の中からおれを見つめていた。いつもだったらすぐにでも傍に寄ろうとするのにそこから動こうとしない。
 まだ赤ん坊だけれど、血がどういうものなのかなんとなくは感じ取ってるのかもしれない。だからこそ、傍に来てくれないんだろうか。
 このままじゃりゅうを不安にさせるだけだと、おれは急いで身なりを整えようと椅子から立ち上がる。けれど未だ回復しきらない身体は自分の足にもつれ、その場に転んでしまった。
 打ち付けた痛みに顔を顰めていると、傍らにディザイアがしゃがみ込む。

「動くでないぞ。今楽にしてやろう」

 そう言うとりゅうを片手で抱え直し、もう片方を開いておれの額の手前に翳す。するとディザイアの掌から光が溢れだし、おれの全身を包んでいった。
 じんわりと身体が温まっていくと、あれほど重たく感じていた身体が一気に軽くなる。そして光が止んだ頃には、おれの疲れは殆ど消えてしまっていた。
 立ち上がったディザイアに合わせおれも身体を起こせば、少しだけ浮かぶ笑みが深められる。

「どうだ、もう動けるだろう?」
「ありがとうディザイア。もう大丈夫みたいだ」
「うむ。選択者にはわたしの力を譲渡した。どうやら力を失い過ぎていたようだからな」

 その言葉で、おれは随分と力を消耗していたことを改めて確認した。原因はやっぱり兄ちゃんに治癒術をかけたから、だからなんだろうか。
 無意識にまた沈みそうになるおれの背を、穏やかな声でディザイアは押してくれた。

「さあ、これで動けるだろう。着替えついでに身を清めてくるといい。光の者は竜人の子とともにわたしが見ているから」
「……悪いけど、頼むな。すぐ戻ってくるから」

 一度ディザイアの手に収まったままのりゅうと目を閉じたままの岳里を見やってから、身体についたものを洗い流すために部屋を後にした。

 

 


 気づけば着替えも持っていなかったおれは、部屋の前に控えていた人にお願いして服を用意してもらい、こびりついた血を落とすために浴場まで向かう。
 そこで熱いくらいのお湯ですべてが流れ落ちるまで強く身体を擦り、皮膚が真っ赤になった頃に、早々とそこから出た。
 用意してあった服に着替え、早足になりながらすぐに部屋へと戻る。
 ノックをしてから返事も聞かないまま中に入れば、ちょうどディザイアが手に持った大きめの桶をベッドの傍らの机に置いているところだった。

「おかえり。早かったな」
「あ……うん。ただいま」
「今光の者の身を多少なりとも清めようとしていたところだ。選択者がやるか?」

 おれが頷けば、ディザイアはすんなりと桶の前から離れて、数歩歩いたところで立ち止まる。空いたその場所へ今度はおれが立ち、ぬるま湯に手を差し入れてその中で揺らいでいた手巾を手に取り絞る。なるべく音を立てないようにしながら水気を切っているうちに、未だ眠り続けている岳里へ目を向けた。
 血の気の失せた青い顔の隣では、りゅうが丸まり身を寄せている。岳里の頬に背中をぴとりと押しつけ翼の下に顔を隠したままだ。おれが来たというのに動かないから、きっと眠ってしまっているんだろう。
 その姿を見つめていれば、ディザイアは小さく笑う。

「おまえたちが帰ってくるまで、幼子ながらに気を張っていたようでな。姿を見て安心したのだろう。つい先程までは選択者を迎えようとして起きていたが、結局は眠ってしまったよ」

 いつもよりは抑えられた声音は、きっと岳里だけじゃなくりゅうにも気を遣ってくれてるんだろう。
 おれも同じく吐息を出すようにひっそりとディザイアに感謝を伝えた。

「ありがとう、面倒見てくれて。迷惑はかけなかったか?」
「いい子だったよ。むしろ手間などかからず、ずっと空を眺めては大人しくしていたよ。もっと父よ母よと泣いたところをあやしつけてみたかったのだがな」

 むしろ自分が構ってもらえず不満が溜まったようだ、と冗談を言うディザイアに、思わずおれの頬は緩む。
 けれどその時、岳里が苦しげに呻いた。慌てて顔を見れば、目は覚めていないものの眉間には皺が寄っている。
 もうディザイアの方へ向くことなく、絞った手巾を畳み直してまずは岳里の顔を拭いてやった。起きないように、あまり刺激がないようにそっと表面を撫でるように気を付け、少しずつ消えた傷のあった場所を示す血を取っていく。
 顔には大きな傷はなかったようだけれど、十五さんとの激しく繰り広げた剣戟でつけられた細やかなものは沢山ある。中には右の目じりにも刃が滑った痕があり、もう少しずれていたら剣が目を、頭を貫通していただろう事実にぞっとした。
 ひとつひとつの痕を確認する度に恐ろしい気持ちが湧いてくる。それでも何度も汚れた手巾を絞り直し、今度は上にかかった毛布をめくり腕や胸、腹を拭いていった。そこにも数えきれないほどの傷があり、血が全身を染めている。
 本当なら背中も拭きたかったし、下の方も汚れているだろうからそこも落としてやりたかった。でもこれ以上は無理だ。身体を起こさせたり、服を脱がしたりして目を覚まされたら困る。
 今はできる限り身ぎれいにしてから、めくっていた毛布を戻してやった。そして赤の染みついた手巾を桶の中に落としてディザイアに振り返る。

「――なあ、ひとつ聞きたいことがあるんだ」
「答えられる範囲なら」

 簡潔な答えはまるで用意されていたようで。きっとディザイアは、おれが問いかけるのをこの場に留まり待ってくれていたんだろう。
 岳里の身体を拭いている間に少しは落ち着けたから、ようやくおれも聞き出す準備が整った。だから、その疑問をディザイアにぶつける。

「兄ちゃん――闇の者に、治癒術が効かなかったんだ。おれのありったけの力を込めたのに、出血さえ止められなかった。その理由を知ってるか?」

 おれの言葉に考え込むように笑みを絶やさないまま沈黙し、ディザイアはしばらくしてから口を開く。

「治癒術を施した時、選択者はどう感じた」
「どう、って?」
「力が跳ね返されるようだったか、消滅してしまうようだったか、それとも奪われたと思ったか」
「……あの時おれ、奪われたって感じた」

 ディザイアの言葉に初めて、思い浮かんだ感覚がひとつしかなかなったことに気づかされた。
 確かにあの時兄ちゃんの身体に治癒術として向かわせた力が、吸い取られるように、“奪われた”と思ったんだ。でも普通そんなのわかるわけない。突然力が消えたと、そういう疑問になる方が自然だ。
 でもおれは、間違いなくそう感じたていた。
 自分が浮かべたはずの言葉に戸惑っていると、答えを聞いたディザイアはいつもと変わらない、穏やかな笑みを浮かべた顔を向けてくる。

「それは恐らく、闇の者の生まれ持った体質なのだろう。極まれに、おまえたち異界の者だけでなくこの世界の人間にもいるのだ。自身に降りかかる魔力、治癒力を吸収してしまう者が。わたしも想定していなかった突然変異というやつでな。力を奪われたと感じたのならその可能性が高い」

 突然変異の、体質。ディザイアの話の通り兄ちゃんがそれに当てはまるというなら、おれのかけた治癒術が効かなかったのも納得できる。
 念のために確認と改めて聞き返した。

「なら、兄ちゃんには治癒術も魔術も効かないのか?」
「そうだな。特異体質の彼らは、その身に術が触れれば自動的に無効化してしまい、さらには自身の力へと変えてしまう……ああ、そうか。そうだったか」

 言葉の途中、ふと気づいたようにディザイアは僅かに顔を上げる。そして何かがわかったような口ぶりで、深く息を吐く。
 大人しくディザイアの中で情報の整理がつくのを待っていたら、すまないと一言詫びられてから、さっきの意味を教えてくれた。

「恐らくエイリアスは闇の者のその体質を利用し、力を集めるひとつの手段として用いていたのだろう。攻撃の手である魔術を受けたとして、一切の傷を負わぬどころか自らのものにしてしまえるのだから、魔術師の力を奪う時などには重宝するだろう」

 その言葉におれも、さっきのディザイアのようにはっと気づかされた。

「だからエイリアスは兄ちゃんの身体を使ってたのか……」
「うむ、そうだろうな。だがなによりも好みあの身体を使っていたのは、闇の者の持つ固有の力もあれにとっては便利なものだったからだろうよ。人の心を操るという点において、今回の闇の者の力は十分すぎるほど利用価値があっただろう」

 “固有の力”。ディザイアが口にしたそれに、それまでエイリアスのことを考えていた意識はすべてそこに持っていかれる。
 そんなおれの様子に気づいたのか、ディザイアは不思議そうにどうかしたか、と声をかけてきた。けれどそれに応えられないまま、これまで抑え付けていた疑問が、疑惑が、溢れだしては混ざり合いぐるぐると胸の中に巡りだす。
 ずっと、岳里にははぐらかされ教えてもらえなかったこと。エイリアスが言っていたこと。それを、ディザイアなら話してくれるかもしれない。
 これまでの様々な現象への答えがついにわかるかもしれないと思うと、勝手に心臓が高鳴る。でもそれ以上の不安に落ち着かなくなりながらも、前を向いた。

「その、固有の力って、何なんだ? 兄ちゃんにはその体質以外にも人と違うものがあるってことなんだよな」
「……光の者から聞いていないのか?」
「ってことは、やっぱりおれにもその固有の力っていうのがあるんだな……」

 ディザイアの問いかけには答えられないまま、口元にはつい自傷的な、歪な笑みが浮かぶ。
 前に、レードゥの前世であり初代選択者である遥斗と話した時。遥斗は言っていたんだ。この世界に役割を持って、召喚される人の条件について。
 “この世界に選択の時のためによばれる人間は、国籍も、時代も、年齢も、まるで関係ない。向こうの世界で生きたことがあって、なんでもいい、特別な力を持っていれば喚ばれるんだ”――そう、言っていた。
 遥斗には赤い糸が見えるらしく、初代闇の者だったヴィルも予知夢を見ることができるという、そんな不思議な力を持っていたそうだ。そして兄ちゃんには、詳しくはわからないけれど人の心を操るのに便利なそんな力があって。
 遥斗の話が本当なら、おれにもきっとみんなみたいなその特別な力というものがあるはずだ。それなのにきっとあるはずのものをおれ自身はわからない。でも岳里は何かを知っているようだった。知っていて、あえておれに教えてこなかったということをディザイアの言葉が証言してくれたんだ。
 遥斗が特別な力の話題を出した時、岳里はおれにもそれがあると知っててはぐらかしていた。どうして教えてくれないのか、なんでおれは知っちゃいけないのか。そしてずっと胸に引っかかっているエイリアスの、去り際の言葉も含め、おれだけが知らされていない真相を明らかにしたいんだ。
 拳を握りディザイアへ答えを求め見つめれば、けれど返ってきたのは深い溜息だった。

「困ったな。光の者が自らの判断で選択者に隠していたというのなら、わたしはその意思を尊重しなければならない」
「っ、なんで……!」

 望んでいたものとかけはなれたその答えに、思わず声を荒げて聞き返してしまう。
 けれどディザイアはそれに対し、立てた人差し指を口の前に持っていって、しい、と諌めた。そこでようやく眠る二人の存在を思い出して口を噤むも、目覚めてしまった片方のか細い声が漏れる。

「ぴう……?」

 翼の下に収めていた頭を上げ、不安げに瞳を揺らしおれを見つめるりゅう。無意識に手は伸び、その小さな身体を抱え上げた。

「――ごめんな、起こしちまったな」

 片腕に抱き縮まってしまった背中をゆっくりと撫でてやる。するとまだ眠気の方が勝っているのか、そろそろと瞼が下がっていった。
 しばらく繰り返し手を動かせば、やがて小さな寝息が漏れ出す。それに安堵しつつも撫でる動作を続けた。
 もともとりゅうは一度寝たらなかなか起きない性分だ。起きている間に気を張り続けていたらしいから疲れているだろうし、少しばかりの睡眠じゃ物足りないんだろう。
 眠ったりゅうにもう一度ごめんな、とひっそり声をかけ、しばらく寝顔を上から眺める。それから改めてディザイアへ顔を向けた。
 変わらず柔らかい表情で笑み、そろりと声を吐く。

「選択者よ。きみが真実を望むのはわかる。だが光の者とてそれを知らぬわけではないだろう。それなのにあえて隠していたのだ、そこには彼なりの思いがあること、選択者にもわかるだろう」

 りゅうを撫で続けながら沈黙と言う答えを返したおれに、やはりディザイアが向けるのは優しい笑顔だった。

「もう告げてしまったが、真実が晒されるのを望まぬ者がいるというのなら、わたしはこの口を閉ざそう。わたしがこれ以上教えるものはない。だが、光の者が深層へと仕舞っておきたかった事実をそれでもなお知りたいというのであれば直接尋ねるといい。彼が許せば求めるものの答えを聞くことができるだろう。――なあ、そうだろう。光の者よ」

 最後の言葉が投げかけるのと一緒に向けられた視線をなぞれば、その先にいたのは岳里だった。

「岳里……」

 思わず名前を呼べば、重たげに二度ゆっくり瞬く。いつの間にか目覚めていたようで、薄らとではあるが焦げ茶の瞳が覗いていた。
 岳里が起き上がろうとするから、それを片手ながらも支える。枕元の壁に背中を預けた岳里は一度おれを見てから、すぐにディザイアへ目を向けた。

「――すまないが、もうしばらくりゅうを預かってもらえるか。話が終われば迎えに行く」
「ああ、任せてくれ」

 二人の間だけで話は進み、促されるまますうすうと眠るりゅうが目を覚まさないようディザイアへ渡す。おれの心配を余所にりゅうは、むにゃりと一度口を動かしただけで瞼は閉じたままだった。
 大事そうに子竜を抱えたディザイアはすぐに部屋から出て行こうとするも、最後にもう一度だけ岳里に振り返り、告げる。

「光の者よ。大切にしたいと、守りたいと思うのは決して悪いことではない。だがそれで自由な鳥を籠に閉じ込めてしまっては意味がないぞ」

 そう言い残し、ディザイアは音もたてないように扉を閉めて行った。

 

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