凛と背筋を伸ばし前を歩くコガネさんに、おれは意を決し声をかけてみた。

「あ、あの、コガネさん」

 名前を呼ぶと、肩越しにちらりとおれを一瞥する。目が合うと、ふっと笑いかけてくれた。すぐに視線は前へと戻るけど、おれはなんとなく恥ずかしくなって遅れて目を逸らした。するとその先には岳里が、どこかむすっとしたような表情でおれを見ている……気がした。だっていつも無表情で、むすっとしてるからわかんねえんだもん……。
 目を逸らした先から結局視線を前に戻す。

「どうかしたか?」

 コガネさんが歩きながら返事をしてくれた。一瞬それが岳里から目を逸らしたことかと思ったけど、その前に自分が名前を呼んだんだとすぐに思い出した。
 おれはごくりと生唾を飲み込み、コガネさんの様子をうかがいながらそろりと声を出した。

「コガネさんと、ヤマトさんって……その……」

 ええいはっきりしないな! いや、自分のことなんだけど……。
 相手はおれよりも年上の人ってこともあるし、何よりこんなことを聞いていいのかわからないから、おれは自分から切り出した話にも関わらず言葉を濁した。

「――おれとヤマトか?」

 中途半端なところで次を言わなくなったおれに、コガネさんはゆっくりと足を止め、おれたちに振り返る。
 その表情はきょとんと不思議そうなものだったけど、おれのことを見るとすぐに何のことか察したのか、なるほど、と言ってほほ笑んだ。
 それはまるで小さな子供のいたずらを微笑ましく見るような温かなもので、さっきの気恥ずかしさとは似ていてもまた別物の感情が湧きあがって、おれはたまらず視線を逸らした。

「おれとヤマトは心血の契約を結んだ主従関係である前に、恋人だ」

 その関係を問うおれとは違って、コガネさんは堂々としていた。見上げれば、一切曇りのない笑みを浮かべている。ヤマトさんのことを思って笑っているんだと、おれでもすぐにわかった。
 ああ、大切なんだ。
 当たり前のことなのに、コガネさんの恥ずかしがりも胸を張ることもせず、自然にそう自分たちの関係を教えてくれる姿になんだか感動する。コガネさんだけを見ていても、ふたりの間にある絆が深いことがわかった。
 人を大切にできる人に、悪い人はいない。別にコガネさんを悪人だと思っていたわけではないけど、無意識に強張っていた身体からすっと力が抜ける。
 今度は今までと違って、すんなりと言葉が出た。

「やっぱりそうなんですね」
「……わかりやすかったか?」

 苦笑いを浮かべつつコガネさんは小首を傾げた。おれがその言葉に答えようと口を開くと、声を発する前に隣の人物が割り込んだ。

「あれだけはっきり宣言されてはな」

 そう言った岳里に、コガネさんは、なるほど、と言って笑った。けどおれにはなんのことだかさっぱりわからず、交互に長身のふたりの顔を見る。それに気づいた岳里が教えてくれた。

「先程の会話で、暗にコガネはおれのものだと、ヤマトは言っていたんだ」

 隊長という立場の人を平気で呼び捨てにできる鉄の心臓はもうスルーすると心に決め、おれは岳里の言葉を考えた。
 さっきの会話、は多分おれとコガネさんのものじゃないよな? ヤマトさんの名前もあるってことは。なら、その前のコガネさんとヤマトさんのあの会話のことか。
 けど思い返しても、ヤマトさんがコガネさんをおれのもの宣言していた記憶はない。さらに混乱したおれに、コガネさんが言葉を足して整理させてくれた。

「安心しろ。あんな遠回しの言い方に気がつくやつのほうが珍しい。おまえはよく気づいたな」
「言葉よりも、目を見ればわかる」
「なるほど……周りがおまえに一目置く理由もわかる気がするな」

 結局おれは置いていかれて、まるで背の高いふたりはおれの頭上で会話をするように話すと、一拍だけ間をおいて、それからコガネさんは再び前を向いた。

「すまないな、足を止めてしまって。さあ行こう」

 歩き出したコガネさんを追いかけるため、おれも歩く。
 そんな中、おれの心には小さなわだかまりが生まれていた。
 周りがおまえに一目置く理由もわかる気がするな、とコガネさんは言った。つまり岳里は注目を受けているんだ。おれみたいなやつはともかく、岳里は確かに目立つ。見た目だけじゃなくて、その言動も。一目置かれるっていうのは、良い視線ばかりが向けられているわけじゃない。注目は警戒も交じる。
 おれたちはただでさえ、今監視の目が向けられている。こうして隊長って立場のコガネさんたちが気にかけてくれるのは、それもあることを忘れたわけじゃない。客人っていうのはあくまで表向きのもので、おれたちに自由はほとんどないってこともわかってる。
 だからこそ、岳里に目が向くのって、あまりよくないことなんじゃないのかな。
 おれたちが異世界から来たっていう事実を信じてくれる人がどのぐらいいるかわからない。味方がどのぐらいいるのかもわからない。そんな中でおれがただ唯一、確かに信頼できるのは岳里だけなんだ。
 もしも、だけど、もし岳里に何かあったら、おれには何ができるんだろう。おれは短いこの間だけでも十分たくさんのことで世話になった。でも、おれは何が返せる? 岳里になにをしてやれる?
 少しだけおれよりも先を歩く岳里を盗み見る。その横顔にも、進める足にも迷いは一切見えない。岳里の強さを現わしてるみたいだった。
 自分は強くないと、岳里は言っていた。でも強さを与えてくれる人がいるから強くなれると言った。でもおれはやっぱり、それは岳里自身が持っているものなんだと思う。
 岳里に守ってもらってばっかで、おれは何もしてない。――早くおれも強くならなくちゃ。こんなおれじゃ、まだ岳里を支えてやることすらできない。
 どうすれば、おれも強くなれるんだろう。
 自然と俯かせていた視線を上げれば、ふと気がついた。コガネさんの背中と、岳里の背中は似ている。形とかそういうのじゃなくて、雰囲気というか、何かが。
 これが、強さを持つ人の背中なのかな。
 おれはただぼうっと、ふたりの後姿を見つめる。
 決して、胸を張って誇りを持ち歩いてるわけじゃない。でも、堂々としていた。自分自身に不安を持ってないように、歩みを進める足に迷いがない。
 ――おれはどうだろう。
 自分自身の歩きをみようとして、やめた。こう思うこと自体、不安があるからだ。それなのに実際見て、何かが変わるわけじゃない。
 しばらく言葉もなく、おれたちは歩いた。まだ湿った髪が冷えて、少し寒く感じる。
 ふいに、コガネさんが沈黙を破った。

「そういえばおまえたちの世界では女性が多いと聞くが、本当か?」

 コガネさんはちらりと一度振り返ると、すぐに視線は前に戻した。

「多いというか……男も女も半々ぐらいです」
「なるほど。――確か、住んでいた国は日本と言ったか?」

 また振り返ったコガネさんの顔は、少し自信がないように苦笑いを浮かべていた。
 それにおれは、大丈夫だという意味を込めて、頷いて笑顔を返す。それを見たコガネさんも頷き返して、また前を向いた。

「男女が半々の世界、か……この世界とはやはり違うな」

 その呟きはおれたちに言ったというよりも独り言に近くて、おれはそれに言葉を返していいのか戸惑う。
 目の前でゆらゆら揺れる、高く結いあげられたコガネさんの金色の髪を見ながら、どう返そうかと悩んでいると、意外にも岳里が声を出した。

「おまえは随分と発音が上手いな」
「うん? 発音、か?」
「あ、確かに……」

 なんのことだと言わんばかりに振り返るコガネさんに、言葉が足りない岳里の代わりにおれが説明することにした。

「はい。コガネさんって、おれたちの名前とか、あと日本を呼ぶときとかの、にゅ……は、発音が上手いですよねっ」

 思わずニュアンス、という言葉を言いかけて、慌てて直す。
 これまでの会話から、横文字はほとんどこの世界で通じないということをおれは発見した。通じるのはコップとか、ベッドとか、名詞ってやつだ。物の名前なんかは通じるんだけど、さっき言いかけたもニュアンスっていう言葉、イメージとかだったり、幸せを英語にしたハッピーだったりは一切通用しなかった。
 名詞が使えるなら意外と大丈夫かと思ってたけど、さっきみたいに慌てて言い直すようなことは少なくなかった。それに、名詞はオーケーといっても中には駄目なやつもあって、その辺の線引きも曖昧で、悩むことも多い。
 不思議だよなあ。この世界の人たちはみんな日本語を話すのに、外国の言葉は全く通じないなんて。むしろみんな、英語なんかを話せるほうが似合ってるのに。
 さらに不思議なのが、この世界の人はおれたちの名前や、おれたちの世界の地名だとか物の名称だとかを呼ぶとき、何故が片言になるということだ。
 例えば、おれの名前の真司。普通に上がり下がりなく呼べばいいだけなんだけど、何故かこの世界の人たちは真ん中の“ん”を強調して呼ぶ。だから、おれにとっては少しおかしい発音だと思えた。
 発音を教えなくても綺麗に呼ぶことができたのは、コガネさんと、あとネルと……ああ、ヴィルハートさんも呼べていたっけ。レドさんやジィグンは初めて会った時から正しい発音で呼べていたんだけど、あとあと聞けばあれは岳里に直された後だったらしい。
 別におれは発音なんて気にしないけど、岳里はそうもいかないようで、たとえ王さまが相手だろうが容赦なく手直しさせてたぐらいだ。そういえばコガネさんの獣人のヤマトさんも苦戦してたっけな。
 反対に、おれたちがこの世界の人を名前で呼ぶときはすんなりいく。名前こそ呼び慣れなくて、特にレードゥさんはレドさんって呼ばせてもらってるけど、でも発音については指摘されることもなく、周りの人の呼び方を聞いていてもちゃんと合っていた。
 ただやっぱり、この世界の人たちの名前には馴染みがない。今まで出会った人の名前全員言えるかも不安だ。
 えっと――レドさんに、ヴィルハートさんだろ。それに王さま……じゃなくて、たしか、シュヴァルさま、だっけ。王さまの獣人のネルに、それにジィグンと、ジィグンの主のアロゥさん。あとセイミヤに、おれたちをよく思ってないアヴィル……だっけ? うう、いっぺんに覚えたようなもんだから合ってるか自信がない。名前は出てきても顔が思い出せない人もいるし。早く覚えなきゃな。
 そういえば、こうして馴染みない名前の人のほうが圧倒的に多いけど、中には聞き慣れた名前の人もいた。それはコガネさんとヤマトさん、それとあの怖い顔したハヤテさんだ。三人とも、思い浮かぶ漢字があった。
 コガネさんは 〔黄金〕、ヤマトさんは〔大和〕、ハヤテさんは〔疾風〕、だ。
 でもこの名前の違いって、どうしてあるんだろう? おれにとって不慣れな名前が多いわけで、慣れた名前の人はさんにんしかいない。まだこの世界にはどんな名前の人がいるかなんてわからないけど、何か理由でもあるんだろうか? ……でもこの三人の共通点って、思い浮かばないな……三人とも隊長だってぐらいで、他は何も浮かばなかった。

「普通に呼んでるだけなんだが……そうなのか?」
「ああ、大抵のやつは片言になる」

 不思議そうに尋ねてくるコガネさんに、岳里は断言で返した。
 こういう時の岳里のすぱっとした一言は強い力を持つ。というよりも自信しか感じられないその言葉を疑う気にはなれない。
 おれもそうです、と岳里に賛同すれば、コガネさんは少し照れたように笑って見せた。

「ふたりに褒められて悪い気はしないな」

 そんな風にいつの間にか話に花を咲かせていると、気がつけば部屋の前まで着いた。
 扉の前には、ひとりの兵士の人がいて、おれたちを見ると、ただでさえぴんとしていた姿勢を更に張って、頭を下げた。

「お疲れまです、コガネ隊長! お帰りなさいませ、シンジさま、ガクリさま」
「ああ、御苦労」

 兵士の人に声をかけて、ふとコガネさんは動きを止めた。

「……なるほど」
「はっ。いかがなさいましたか?」
「いや…――ただ、確かにおれの発音はいいほうらしいな」
「は、はあ……」

 よくわからない、といった様子で戸惑った顔を作る兵士の人に気にするな、とコガネさんは小さく笑った。
 コガネさんの言葉の意味を知るおれも、少しだけ岳里の影に隠れて笑う。
 そのあとコガネさんに促されるまま、おれたちは部屋の中へ戻った。

「さて、無事着いたことだし、おれももう部屋に戻るとしよう」
「ありがとうございました」

 お礼を言いながら、そういえばコガネさんはこの部屋のすぐ隣だったことを思い出す。確か、コガネさんは二番隊の隊長さんなんだっけ。

「――顔色もいいようだし、体調のほうももう問題はなさそうだな」
「えっ」

 不意に微笑まれ、おれは驚いて声を上げた。

「真司は寝込んでいたろう? おれもヤマトも心配していたんだ。おまえたちにしてみれば突然、こんなことになって精神的負担も大きかったからろうからな。身体を壊すのも無理はない。だが、元気になったからと言って無茶はするなよ。おれの部屋は隣にあるから、何かあればいつでも訪ねるといい。歓迎する」

 変わらず笑みを浮かべるコガネさんに、おれも思わず口元を緩めた。

「ありがとう、ございます」
「ああ。それじゃあふたりとも、ゆっくり休めよ」

 片手を顔の辺りまで上げて別れを口にするコガネさんに、おれも手を振って応えた。
 コガネさんが出て行った扉はぱたりと静かに閉められて、完全に閉ざされる。最後までおれはそれを見送って後ろを振り向けば、すでに岳里は自分のベッドに腰かけていた。
 いつの間に、とは思いながらももう慣れた事に、大して反応せずにおれも自分のベッドへ向かう。
 ばふっと飛びこんでから、仰向けになる。寝転がったまま思い切り背を伸ばした。
 ふう、と息をつきながら、さっき別れたばかりのコガネさんを思う。
 ――コガネさんは、おれの思ってたよりもうんといい人だったな。案外、っていうのは失礼だけど、はじめて会った時にはもっとクールなイメージがあったんだ。美人の近寄りがたい雰囲気がそうさせたのかもしれないけど、実際こうして触れあってみて、印象は随分変わった。
 想像してたよりもずっと、温かい人だった。物静かで大人で、周りを見てて、気遣える。でも素直で、なるほど、と言っておれたちの話をちゃんと受け止めてくれる。まだ少ししか話してないからこれ以上はなんとも言えないけど、そんな人だ。
 ……なんとなく、ヤマトさんが周りに牽制したくなるのもわかる気がした。
 コガネさんは見た目が綺麗で、しかも人がいいから、慕う人は数多いと思うんだ。恋人の立場からいったら、気が気でないのかもしれない。
 まあ、どうせおれは恋人なんていたことないからそんな不安は実はよくわからないんだけどな。
 ごろんと寝がえりをうつと、いつの間にか岳里がおれのベッドの端に立っていた。
 顔を上げれば、おれを見下ろす岳里と目が合う。

「ん? どうかしたか?」

 尋ねるが、岳里は答えずに、座れと一言返してきた。
 聞いたのに答えないのか、とは思ったけど、何せ岳里だ。もう半ば諦めの気持ちを持っているから、特に腹を立てることもなく、おれは素直に身体を起こしてベッドの上に胡坐を掻いた。
 言う通りにしたぞ、という言葉を視線に乗せなが顔を上げると、そこにはもう伸ばされた岳里の手が迫っていた。

「わっ」

 反射的に身体を仰け反らせるも、腕の長い岳里の手は難なくそれを追ってきて、おれの頭に手を置いた。
 なんなんだと怪訝に岳里を見上げると、表情を見る前にわしゃわしゃと頭を撫でられる。

「ちょ、なんなんだよっ」

 突然のことに避難の声を上げるも、頭を掻き回す手が止まる気配はない。しかたなくおれは、身体の力を抜いた。

「が、岳里さーん?」
「…………」

 様子を窺うように名前を呼ぶが、やっぱり応えてはくれない。
 一体何なんだ……?
 がしがしと頭皮を指の腹で撫でられる。根元からぐしゃぐしゃと未だ湿る髪は乱れていったけど、でもマッサージのような気持ちよさがそこにはあった。

「ん」

 なんなのか本人が口を割らないからよくわからないけど、まあ気持ちがいいのは確かだ。今は岳里に身を任せることにした。
 少しだけ岳里のほうへ身体を傾ける。自ら頭を差し出しているような体勢になったけど、別にここにはおれたち以外いないから気にもならない。
 耳の裏側に回った手は、大きくて、温かくおれの頭を包む。不思議と心が落ち着いた。

「あまり、考え込むなよ」
「――ん」

 いつの間にか雑だった手つきは髪を梳くように優しいものに変わっていて、乱れた髪を直していく。
 ああ、そっか。岳里はこれが言いたかったんだ。
 目を閉じれば、さっき見たふたりの背中が浮かんだ。おれには到底手の届かない先を進む、大きな背中。強くならなくちゃ、と思ったばかりなのに、無理矢理固くした心が不思議と柔らかくなる。
 そっと目を開け岳里を見上げれば、相変わらずの仏頂面が。どんな時でも変わることのなかった顔が、そこにあった。
 相変わらず岳里は聡い。それでいて、やっぱり岳里は強いよ。

「あんがと」

 そう礼を言うと、ぱっと離れていく手。いつの間にか岳里は自分が乱したおれの髪をきちっともとに戻していた。
 視界に映る手が遠ざかっていくのを少し名残惜しく感じたけど、口には出さない。
 岳里はおれから離れると、そのまま隣にある自分のベッドへのそりともぐりこんだ。

「寝るのか?」
「寝る」

 ごろりとおれに向けられた背に問いかければ、即座に返事がくる。

「おやすみ」
「ああ」

 短い返事を聞いてから、おれも身体を崩して毛布の中に入る。
 さっきの岳里の手を辿るように、自分で髪を梳いてみたけど、この手は大きくもなければぬくもりも感じれなかった。

 

 

 

 次の日の朝。おれたちが朝食を取り終えた頃に、レドさんが部屋に訪れた。
 なんでも、まだ会ったことのない残りの隊長に会わせたいらしい。

「あーっと、セイミヤにはもう会ったんだろ?」
「えっと、七番隊隊長、でしたっけ?」

 そうそう、とレドさんは笑い、再び、あーっと、と眉間にしわを寄せた。

「まだ会ってないのが、八番隊と十二番隊の隊長だっけか……?」

 レドさんも自信がないのか、語尾が頼りなさげに問いかけてくる。
 けど、おれだってわからない。名前は辛うじて覚えてるけど、誰が何番隊だったかまではさすがに……。おれもレドさんと同じように、眉を垂らして困り顔を作る。
 でも、そんな時に頼りになるのがこの男だ。

「まだ会ってないのは六番隊と、十番隊、十二番隊だ」

 はっきりと岳里は断言する。その記憶に間違いはないようだ。まあ教科書すら一度目を通しただけで暗記してしまうと噂の岳里だ。もう次元の違う人間だと認識してるからこそ、おれは妙にその辺は信用していた。

「ああそうか。よし、ならそのうちのふたりに今日は会いに行くぞ」

 六番隊の隊長は今外に行ってるから、また今度な、とレドさんは笑う。
 きっぱりと迷いなく言い放たれた岳里の言葉をレドさんも信じて、疑うことなく頷いて見せた。
 それからすぐにおれたちは部屋を出て、廊下に出る。両脇の兵士の人に会釈され、それをおれも返した。

「まずはミズキだな……部屋にいるそうだから、すぐそこだ」

 そうレドさんが説明してくれているうちに、すぐに部屋の前についた。けど、そこの扉に掘られた数字は〈5〉。
 おれは首を傾げた。

「十番隊の隊長の部屋じゃないんじゃないですか……?」
「ん? ああ、十番隊隊長のミズキは五番隊隊長アヴィルの獣人でもあるんだ。だから、主であるアヴィルの部屋に一緒に住んでるんだよ」

 アヴィル、と聞いて、おれは思わず顔を曇らせた。
 思い出すのは、怒声にも似た抗議の声だ。

『わたしは反対です。こんな得体の知れぬ者たちを国に招き入れるなんて!』

 隊長たちの中で、唯一おれたちをこの国に留まることに意を唱えた人物。
 勿論その意見が間違ってるとは思わない。おれたちを否定するのはむしろ当然の反応だって言ってもいい。でも、明らかにおれたちにいい感情を抱いていない人物に会うのは正直辛い。反論できない立場な分、余計に苦しさを感じるのが、嫌なんだ。
 不意に岳里が、おれの背に寄り添ってきた。

「真司?」

 扉の前に立ってノックをしようとしたレドさんも、おれの様子に気がつき振り向く。おれはただすみません、と声を出すことしかできなかった。
 だけど、それでレドさんも悟ってしまったようだ。
 ああそうか、と呟くと、困ったように頭を掻いた。

「アヴィルのやつは別に、悪気はないんだ。あいつもこの国を思って、おまえたちにあんな態度を取っちまうんだよ。急におまえたちが現れたもんだから、混乱してるんだろうな……すまない」
「大丈夫です。おれも、わかってはいるんです……」

 そんな顔をさせたいわけではなかったし、謝らせたいわけでもなかった。おれが情けないばかりに、また心配を、迷惑をかけてる。そんな自分を責めても、出た声は思いの外沈んでしまった。
 そんなおれに、レドさんは躊躇いがちに再び口を開いた。

「間違えないでほしいのは、おまえたちに非はない。ただ置かれた状況が不味かっただけなんだ。今本当に困惑してるのはこの世界に突然迷い込んだおまえたちのほうだと、ちゃんとアヴィルも理解してるはず――」
「そうよ」

 突然、レドさんが背にしていた扉がガチャリと開き、その言葉を高い声が遮った。

「アヴィルは素直じゃないから。どうか、許してあげて」

 扉の隙間を縫うように現れた人物は、レドさんの影に隠れてしまうほど小柄だった。
 ミズキ、とほんの少しの驚きを混ぜた声を上げると、レドさんは扉の前から身体を退かす。すると、そこからちょことんと顔を出したのは、褐色の肌に、青く薄く透き通る髪を持つ、女の子だった。
 ――え。
 驚きでかたまっていると、彼女と目が合い、にこりと微笑みかけてくれる。愛想がいい笑みだ。年はおれと同じか、もしくは少し上に見える。

「はじめまして。わたくしが十番隊隊長を任命されているミズキです。五番隊隊長を務めるアヴィルを主に持つ獣人でございます。以後、お見知りおきを」

 彼女は右手で服の端を軽くつまみ持ち上げると、左手は胸に当てて頭を下げた。

「あ……おれは、真司です」
「岳里だ」

 突然の礼儀正しい挨拶に、おれは思わずたじろぎながらもどうにか返す。岳里は相変わらずの通常運転で、普段と変わらない声音で名乗った。

「ええ、存じております。さあ、立ち話もなんですから、部屋の中へどうぞ。丁度主も席を外していることですし」
「なんだ、アヴィルのやつはいないのか」
「ええ。六番隊が不在だから、ね。五番隊が主な街の警護を任されているの」

 隊長ふたりは短い会話を終えると、ミズキと名乗った彼女が扉を開けて、どうぞ、と中に入るよう促した。
 先にレドさんが入り、次に岳里が入る。おれも、岳里の後に続いた。
 扉を抑えるミズキさんとすれ違う時、再びにこりと微笑まれ、おれは戸惑いながらも会釈で返した。
 中はおれたちの部屋よりは少し物があったり、家具の色がちがったりした。絨毯やベッドカバー、カーテンなんかも、楽しめる程度に彩りよく揃えられていたる。部屋の真ん中には丸いテーブルが合って、席が四つあった。レースが敷かれた真中には花瓶には見た事もない桃色の花が。テーブルから少し離れた机には、紅茶の用意がしてあった。

「さあ、お好きなところに腰かけて」
「ああ、悪いな。おまえらも遠慮せず座れ」

 先にレドさんが一番手前の席に座った。岳里もレドさんの正面になる位置に座ったから、おれも空いてる場所に腰かけた。
 ミズキさんはすぐに椅子へと向かわずに、紅茶の用意をするためにそっちへ足を進める。

「あなたたちが、例の異世界からいらっしゃった方々なのですよね」

 紅茶から視線を外さないまま、ミズキさんはおれと岳里に対して確認を取る。やっぱりある程度もう話は聞いているみたいで、その言葉におれたちへの不信感は一切見えなかった。
 その通りです、と答えようとして、その前にレドさんが声を出した。

「おいミズキ、おまえがそんな畏まったように話すとこいつら……まあ主に真司が緊張しちまう。いつもどおりに話してやれよ」
「あら……そうね、気がきかなかったわね。ごめんなさい。シンジに、ガクリ、と呼んでいいかしら?」
「はい」
「折角だから、あなたたちもそんなに気負わないでちょうだい。わたしのことはミズキでいいわ。敬語も無用よ。対等な立場でお話ししましょう」

 愛想のいい笑みを浮かべる姿に、やっぱり女の子だ、とおれはしみじみ思った。
 この世界には女性が圧倒的に少ないから、限られた区間に国に保護されて生活している、と聞いていた。だからこの世界に来てからというもの、見るのは男ばかり。時にはコガネさんのように綺麗な顔の人も、セイミヤみたいに可愛い顔の男もいたが、やっぱり男は男だ。本物に比べたら、柔らかさだったり華やかさがまた別物だ。
 正確に言えばミズキ、は獣人で、人間じゃない。だからこそこうしてここにいられるんだろうけど、でもやっぱり久々に見る“女の子”に、おれは少し緊張する。ちらちらと紅茶をカップに注ぐ姿を見てしまう。
 もとからあんま女子と話すことなかったし……め、免疫が……っ。
そんなこんなで彼女を意識するおれ。だが岳里は違うことを思ったらしい。

「違う」
「あら、あなたの名前はガクリじゃなかった?」
「そうじゃない。岳里だ。シンジでなく、真司だ」
「……?」

 こてんと小首を傾げるミズキに、レドさんが苦笑いをする。おれも思わず、またか、と顔を小さく歪めた。
 そうしてはじまったのは、岳里の発音講座。
 ミズキが紅茶を配り終えた後に椅子に座らせ、向き合いガクリじゃない、岳里だ、と直させる。
 お互い顔を見詰め合い、何度も確認を繰り返した。

「シンジ?」
「真司」
「……し、しンじ?」
「真司」

 何故こんなにもおれの名前を連呼されなくちゃいけないんだ、と思うよりも先に、なんでおまえは女子とそんな真正面から見詰め合えるんだ、という疑問のほうが強かった。
 おれだったら……女子に限らず、なかなか人と見詰め合うことなんてあんまりできないぞ。
 ふと岳里に対する嫉妬と眺望を交えながらふたりのやりとりを見ていると、不意に同じようにやりとりを見ていたレドさんと目が合った。

「おまえは愛されてんのな」
「え? 誰にですか……?」

 突然言われて、おれは素直に疑問を口にする。けれど、レドさんはそれには答えてくれず、いかにも微笑ましい、といった生温かい視線をおれに寄こすだけだった。

 

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