慌ただしい昼を過ごし、夕方は二人でのんびりして――そして、夜を迎えた。
 光玉という産物があるこの世界だけれど、みんな眠るのは早い。日が落ちてしばらくしたらもう大半が寝静まっている頃だ。
 とはいっても、街に出たら夜店が並んで賑やかみたいだけど、少なくとも城の中は静まり返る。
 そうして城全体に夜が訪れた頃、おれと岳里は部屋から出た。
 今はもう、部屋の前で番をしている人はいない。だから、たとえ夜中に部屋から出ようが誰もそれを止めようとする人はいない。
 無意識のうちに足音を忍ばせながら、おれはふたつ隣の扉の前に向かった。ほんの数歩でそこには辿り着き、おれは扉の前で立ち止まる。
 後ろにいる岳里に振り返った。

「……いいん、だよな?」
「ああ。満月を確認したろう。呼んだのは、レードゥ自身だ」

 岳里の言葉におれはついさっき、自分たちの部屋の窓から見た月を思い出す。丸くほのかに輝く、満月。
 レードゥとの約束の夜が、今だった。
 前に向き直り、おれは小さく息を吐く。それから、目の前の扉を二回叩いた。

「――鍵は開いてる」

 中から返ってきた言葉に、おれは取っ手に手をかけようとした。けれどそれよりも先に、割入るように前に入ってきた岳里がそこに手をかける。
 一度振り返り視線を向けただけで、おれを岳里の後ろへ押しやるとそのまま扉を開けてしまった。
 すぐに中に足を踏み入れる岳里を慌てて追いかけ、その隣に出ようとするけど、それは制される。岳里が、おれを背後から出さないように手を伸ばした。

「そう警戒しないでくれ。別に、危害を加えようなんて思ってないから」

 背後から覗くことさえ許してもらえないなか聞こえてきたのは、レードゥの声だった。
 何度も聞いてきたんだ、間違いない。それなのにおれは違和感を覚える。本当に、レードゥなのかと。――いや、きっと違う。
 きっと岳里は、一番初めに返された声音から、レードゥのものだけどレードゥでないその人に気づいた。だからおれを隠しているんだ。でなければ岳里の行動に理由がつかない。
 ――なら、そこにいるのは誰だ?
 兄ちゃんの中の禍を思い起こし、無意識のうちに身体に力を入れると、レードゥの声で、その人は笑う。

「困ったなあ、用心深いのはわかっていたつもりだが。どう言えば信じてもらえる?」
「……おまえは誰だ」

 低く警戒心を露わにする岳里の声とは対照的な、緊張なんて微塵もみせない声は答える。

「おれはレードゥだ。だが、レードゥじゃない。どうせ自己紹介するんだ、ちゃんと二人と顔を合わせてから名乗らせてもおう。でもこれだけは言っておこうか。おれはきみたちの味方だ」

 相手の言葉に岳里は考えているようだった。けれど少なくとも襲い掛かってくるような気配はないって思ったのか、それまでおれを制していた腕を退かす。
 おれはおずおずと、岳里の隣に出た。
 窓から差し込む月光だけに照らされた部屋。おれたちの部屋と同じ大きさで、同じ場所にベッドがふたつ並んでいる。そのうちの窓に近いベッドの淵に、レードゥは腰かけていた。
 その姿を確認して、おれは思わず目を見開く。

「今はレードゥに身体を借りているんだ。この髪は、その影響ともいえるかな」

 そう言ってレードゥは自分の髪を一房掬う。その色はいつもみたいな鮮やかな赤じゃなく、おれと同じ黒髪だった。暗がりでも月明かりもあるし、それが見間違いでないことは確かだ。瞳の色も黒くなっていた。
 レードゥであり、レードゥじゃない……その身体を借りているといい操るその人は、にこりと愛想よく微笑みながら立ち上がった。

「初めまして、というべきかな。おれはずっと、レードゥの中から見ていたからきみたちのことはよく知っている。真司、岳里」
「答えろ。おまえは誰だ」

 歩み寄ろうと足を踏み出したその人に、鋭い岳里の声が飛ぶ。けれどその人は顔色を変えることはなかった。
 すまないな、と軽く謝りながら、改めておれたちに向き直る。

「おれは、遥斗。この世界に初めて喚びだされた選択者だ」
「は、ると?」

 はると――遥斗。この世界に初めて喚び出された、選択者。初代。
 悲劇によって命を落とした、ヴィルの愛した――その人だって、いうんだろうか。
 おれはいつもの雰囲気とは違う、まさに別人のようなレードゥの顔を見る。そこは穏やかに笑んではいるけれど、でも、嘘をついている感じはしない。ならその言葉は本当なんだろうか。
 それが本当かどうか見極められず口を噤んでしまったおれと違い、岳里はさらに遥斗と名乗ったその人を追及する。

「おまえが、初代の選択者だとして……ならば何故まだこの世に存在している。なぜレードゥの身体を使っている」
「確かにおれはすでに死んでいる。もう、とっくの昔に。でも肉体は滅んだとて、その魂は廻るものだろう? ――この身体の持ち主、レードゥはおれの生まれ変わりなんだ。そしておれは、レードゥのいくつもある前世のうちの一人にすぎない。ずっとレードゥの魂の一部としてきみたちを見守ってきたんだ」

 そして遥斗は言う。おれたちのことだけじゃなくて、ずっと、自分が死んでからのこの世界を見続けてきたのだと。生まれ変わっていく自分の魂の欠片のひとつとして、遥斗という存在として。

「おれという存在は本来、生まれ変わったなら永久に魂の中で眠り続け、決して表には出てこないものだった。けれど、神と契約してな。おれという存在を保ちながら生まれ変わってきた。そして、神の力の影響のせいで、満月の夜だけこうして表に出てきてしまうんだ」
「じゃあ、レードゥが満月の夜には記憶を失くすっていうのは」
「おれのせいだ。本当なら、そんなことしたくないけれどどうしようもないんだ」

 満月の日というのは、力――魔力や治癒力が高まるそうだ。とは言ってもそれは微々たるもので、大半の人はその影響を受けない。稀に大きな影響がある人もいるそうだけど、でもそれはただ力が強まるだけのこと。だから普通の人間の大して変化はない。けれど、神さまの力はたとえ小さなものでも大きく膨れ上がるみたいだ。
 レードゥの身体には、レードゥ自身が本来持っている力とそして、遥斗の自我を保つための神さまの力があるらしい。普段は有する力が少ないとは言えレードゥのものが勝っているそうだけど、満月の夜になると、それは逆転する。膨れ上がった神さまの力がレードゥのものを凌駕がしてしまうんだ。
 ただそれだけなら何事も起こらないはずだけど、そこには遥斗という存在が関わっている。神さまによって存在するといっても過言ではない遥斗は、神さまの力が増すのに合わせ遥斗自身の存在も大きくなってしまう。そのせいでレードゥという存在は神の力を受けた遥斗に覆い隠されてしまうそうだ。
 普段はレードゥの中で眠っている立場にある遥斗。それが反対に、遥斗が表に出てきてレードゥがその中で眠ってしまうという状況になるらしい。
 けれど満月が去るとともに神さまの膨大になった力も波が引くように静まっていき、次の日にはまたレードゥに戻るというわけだそうだ。

「わかってもらえたかな。安心してくれ、明日の朝にはちゃんとレードゥに戻っているから」
「……まだ、少し混乱しているけど……あんたが遥斗っていうのは、本当なのか?」
「ああ。っていっても、証明しろっていわれると困るんだけどな」

 レードゥの姿だからなのか。おれは普段なら気をつける言葉遣いも改めないまま、遥斗に確認する。
 言葉通り困ったように笑うその顔はレードゥなのに、やっぱりレードゥじゃない。言葉遣いや仕草、些細なところが違う。そう思うからなのか、顔つきもどこか違うように見えた。
 本当に、この人は遥斗で――そしてレードゥは、初代選択者の生まれ変わり、なのか……?
 認めたくないのか、ただ理解が追いついてないだけなのか。おれは、まだ結論を出せずにいた。

「おまえが遥斗だとして、どうしておれたちを部屋に呼んだ」

 ようやく険の抜けた岳里の声に、遥斗は頷く。

「そう、ここからが本題だ。おれは転生を繰り返し、そしてこの世界を見てきた。勿論選択の時についても知っている。けれどおれはあくまで、ただ見てきただけだ。これまでも一切干渉はしてこなかった。おれのやるべきことではなかったからな。でも、今回ばかりはそうもいかないようだと思ってな」

 遥斗が暗に禍のことを含み話しているのは、おれでもすぐに理解できた。あの存在が、今回の騒動の原因だから。

「これまで人間の恐怖心や危惧からのなんかの妨害はあった。決して平穏に済んだ選択はない。だが、禍の介入など一度としてなかった。やつは眠りに……封印されていたんだからな。やつが目覚めた以上、今回は何が起こってもおかしくない。だからおれはきみたちの助けになることを決めたんだ」
「おれたちの、助けに?」
「そう。とは言っても、選択の時についてのことくらいしか役に立たないけどな。あいつが――ヴィルハートがはぐらかそうとする部分でもおれならすべてを答えてやれる。ただし、満月の夜だけだけ。それでもおれにできることがあれば力になる」

 最後まで穏やかに笑む遥斗さんに、気付けばおれは口を開いていた。

「なんで……なんで、遥斗は、闇を選んだんだ?」

 ずっと気になっていたことだった。多くの人が死ぬ、世界が壊れてしまうような、そんな選択を。なんで初代は選んだんだろうって。
 赤い本。ハートが、遥斗が書いた本。すべてを読んだわけでないけど、選択者としての苦悩がありありと描かれていた。本当なら、光を選びたかったことも。
 でも選ばれたのは闇だ。――その答えを出す前に、殺されてしまったけど……でも選んだものに変わりない。
 何故、どうして。遥斗はそれを選んだのか。そこになんの理由があったのか。それとも直感なのか、ただそれを選びたかっただけなのか。
 その答えが知りたかった。
 選択者として苦悩しつくした遥斗は、おれの気持ちを悟ったのか。少し寂しげに微笑んだ。

「あの時世界には疫病が広まっていて、食い止めるには一度広まったその一帯を焼き払うしかなかった。ただ、それだけさ」

 それだけ、といいながらも遥斗は辛そうな表情だった。
 その疫病が、どれほど酷いものだったのかも、感染力もわからない。けれどきっと恐ろしい脅威だったんだろう。食い止めるために、世界を壊すことを選択するほどの。
 遥斗は、そのあとに二度闇が選択された時のことも話してくれた。
 一度目は遥斗が言ったように、世界に疫病が広まっていたから。
 二度目は世界大戦が起き、それを悲しんだ選択者が被害を最小限に食い止めるためにと。
 三度目は、魔物の脅威があまりにも強大なものになったため、それを一掃させるために。
 すべてに理由があり、この世界を様々な形をした災厄から守るためのものだった。
 話を聞いたおれの頭に、真っ先に浮かぶ存在。それは、一体どれほどこの世界にとって危険なものなのか。
 もしかしたら、“禍”の存在は――
 俯いたおれの肩を、いつの間にか傍に来ていた遥斗が軽く叩いた。

「なあ、真司知っているか。実はおれときみはもっと前に会ったことがあるんだ。岳里にもな」
「え? もっと前に?」

 その言葉に記憶を辿ってみるけど、満月の夜にレードゥの姿を見かけたことすらない。それなのに、いつ会ったっていうんだろう。
 岳里の方を振り返ってみても、向こうもわからないみたいだ。

「おれにとってはもう遥か昔のことだが――おれは、おまえたちと同じ高校に通ってたんだよ。ほら、岳里は特に有名人だったろう? すごいやつがいるもんだって思ったもんだ。まさか、この世界から向こうに行った竜族とは思わなかったけどな」
「お、同じ高校!? 」

 思わずおれが声を荒げると、待っていましたと言わんばかりに遥斗はにやりと笑う。

「そうだ。確か学年は一緒でもクラスは違かったし、別に話したことはなかったからわからないかもしれないが……おれはおまえたちと同じ時代を生きていたんだ。と言っても、おれがこの世界にきたのは二十九になった時なんだけどな」

 二十九歳ってことは、だいたいおれが向こうにいた時の十二年後くらいってことか? なら、遥斗は未来から?
 混乱するおれの様子を楽しげに眺めている遥斗はそれから少ししてようやく説明を始めてくれた。

「この世界に選択の時のためによばれる人間は、国籍も、時代も、年齢も、まるで関係ない。向こうの世界で生きたことがあって、なんでもいい、特別な力を持っていれば喚ばれるんだ」
「――特別な力?」
「ああ。例えば、おれはな――なあ、赤い糸の話、知ってるか?」
「運命の赤い糸?」

 おれの言葉に遥斗は頷いた。

「そう。おれはそれが見える。まあそれだけだし、いつも見れるわけではないんだけどな。ゆう――ヴィルハートのやつは予知夢を見ることができたりするんだ。おれのものより断然すごいよな」

 ちなみにおれの魂を持つレードゥも見えるんだ、と話す遥斗の声は、おれの耳には入ってこなかった。
 特別な力。それが、妙に引っ掛かる。
 おれの様子に気づいた遥斗が名前を呼んだ。顔を上げると不思議そうにおれを見る遥斗と目が合った。

「おれ、特別な力なんてなかった」
「ない? いや、それはないと思うが……他の選択者や、ともに来る闇の者は――」
「そういう場合もあるだろう、今まで力持っていたのは偶然だったんだ」

 遥斗の言葉を遮り、これまで沈黙していた岳里が突然割り込んできた。
 思わず振り返ると岳里と目が合う。けれど何も言ってはこないで、まるで話はそれまでにしろ、というような視線だった。

「はは、そういえばそうだったかもな。あまり長い時過ごしてきたから記憶が曖昧なところもあるみたいだ、すまない」

 岳里から何か感じ取った遥斗は、すぐに話しを終わらせてくれる。
 でも、おれは岳里から目を逸らさなかった。じっと見つめる。けれど、岳里はおれから視線を逸らしてしまう。

「とにかくだ。おれは初めて選択者の責を受けた人間として、遥斗として、きみたちの力になろう。もし何か迷うことがあったら、第三者の意見を欲しくなったら、またおいで。満月の夜にしか会えないけれどおれはおれのすべてを持ってきみたちの助けとなる」
「――ありがとう」

 おれは遥斗に向き直っても、それだけしか言えなかった。まだ混乱してるのかもしれない。まだ、遥斗の存在を理解しきれてないのかもしれない。それとも禍の存在か、それとも――。
 おれはきっと、まだ知ってない事実があるんだろう。そしてそれは、おれが“悲しむ”であろうものなんだ。だから、岳里は隠そうとしている。
 それが恐ろしいことのように思えて、でも知りたくて。そんな矛盾した気持ちが胸の中で渦巻いて、とても気分が悪かった。

「真司。きみはこれから先、選択者として悩むだろう。禍の存在があっては、なおのこと。でもきみの周りには多くの人たちがいる。岳里のように、きみのことを思ってくれる人もいる。だから一人で抱え込んではいけない。辛ければ辛いと、勇気を出して恐れを口にすることも大切だ」

 そう告げた遥斗の顔は、とても寂しそうだった。その理由は、次に続いた言葉で悟る。

「――もう、選択の時の悲劇については聞いているだろう? おれは、一度間違えた人間だ。だからきみに同じ過ちを犯してほしくはない。大丈夫、さっきも言った通り岳里がいて、みんながいるだろう。それにヴィルハートもいる。あいつは一度悲劇を経験した者だ。そして役割を持つ者でもある。きっと、助けてくれるから」

 悲劇――闇を選ぼうとした選択者が、その答えをみんなに告げる前に光の者に殺された。そして、それを知った闇の者は光の者を殺し、世界を半壊させ多くの命を巻き込んだ後に自害したこと。
 遥斗は当事者であり、そして殺された選択を下し者だ。そしてヴィルもその時を生きた、当時の闇を齎らす者。
 ただ話を聞いただけのおれなんかじゃ到底わからないような、あの時の想いを抱えている。その深ささえ知ることもできない。だってその時おれはいなかったから。
 でも、その時を経験した遥斗、そしてヴィルがいる。二人を通して話を聞くことはできるし、きっと。おれが、おれたちが間違えそうになった時は止めてくれるんだろう。
 もう一度ありがとう、と繰り返したおれに、遥斗は笑った。

「――随分と久しぶりに人と話したから、少し疲れてしまった。すまないが今日はここまででいいかな」
「ああ。本当にありがとう。遥斗の存在は、すごく心強いよ」
「そう思ってもらえたのならよかった。そういった話抜きでも、また来てくれると嬉しい。まだきみたちと話がしたいんだ。かつていた、世界のこととかな」

 おれが頷けば、遥斗も微笑みを浮かべたまま頷き返してくれた。

「――最後にひとつ、きみたちにお願いがある」
「お願い?」

 おれが聞き返すと、遥斗はおれたちから目を逸らし、窓の外の満月を見上げた。
 雲に隠れることなくそれは、変わらずほのかな光を部屋に届けてくれる。

「そう。おれという、遥斗という存在は他言しないでくれ。レードゥ自身だけでなく、ヴィルハートとておれのことは知らない。あいつが知るのは、ただレードゥはおれの生まれ変わりということだけだから」

 だから、と遥斗は窓の外からおれたちに視線を戻す。
 レードゥの顔なのに、いつもの赤でなく黒い目を見つめて、おれは、一度躊躇ってから尋ねた。

「だから、ヴィルはレードゥのことが好きなのか?」

 愛していたという、遥斗の生まれ変わり。それがレードゥだったから。だから、ヴィルはレードゥに構うんだろうか。
 いつも出会い頭にはレードゥに抱きついて、過剰なまでの愛情表現を見せるヴィル。それは、遥斗の存在があったから、だから?
 何故かざわつく胸に思わず拳を当てると、遥斗の視線がそこに向く。

「そ、れは――おれには、わからないな。もしかしたらおれの影でも見ているのかもしれないし、もしかしたら、レードゥ自身を……それはあいつの中にしか答えはない。そういうことはもとから話さないやつだし、いつも飄々として逃げるしな。でも、おれに義理立てしてることだけは確かだよ」
「二人は、その……恋人、だったのか? ヴィルは、遥斗のこと、愛してたって……」

 そう言っていたけど、とすべてを伝えることはできなかった。
 きっと悲劇を挟んだ二人の間には、色々とあるだろう。それに無粋に足を踏み入れるべきじゃないはずだ。でも、どうしてもおれはヴィルのことを聞きたかった。

『わしは、な……愛しておったのだ。あいつを――選択者を、深く、何よりも』

 悲劇について教えてくれた時に、ヴィルが口にした言葉。辛そうに、泣きたそうに、そんな声で。それなのにヴィルは笑ったんだ。
 たったあれだけの短い言葉でも、どれほどヴィルが選択者を、遥斗を想っていたのかが伝わってくるようだった。だからこそ、知りたいのかもしれない。
 驚いたように遥斗は僅かに目を見開いたけれど、すぐに穏やかなものに戻る。

「そう。ヴィルハート――あいつの、おれとともに生きていた時代の名は、悠雅(ゆうが)っていうんだけどな。おれは悠雅を愛していたし、きっと悠雅もおれを愛してくれてたよ」

 遥斗と、そして悠雅。初めてこの世界によばれた選択者と闇の者。そして、恋人だった二人。
 名前からして、二人とも男だ。でも今更おれにとってそんなことは気にならなかった。性別よりも何よりも二人を繋ぐものがあると知っているから。
 だからそんなことよりもおれは、肯定した遥斗に疑問を抱かざるを得なかった。

「なら、ヴィルに……悠雅に、会いたくはないのか?」

 二人は、今、すぐ近くにいる。この部屋をでてヴィルの部屋に行けばすぐに会える。それなのにヴィルはそれを知らないし、遥斗は動かない。その理由がおれにはわからなかった。
 遥斗とヴィルの話を聞く限り、二人は恐らく遥斗が殺されたあの悲劇以来、会ってないはずだ。これまで何度も転生してるのに。遥斗も傍にいたのに。それなのに。
 そんな別れ方をしたのに、なんで会わないんだろう。それが、素直なおれの疑問だった。

「はは、そりゃ会いたいさ。でも――会えないからな」

 小さく笑い声を漏らした遥斗。でもそれは、あの時の、遥斗のことを話したヴィルと同じ声音で、表情で。
 何も言えなくなってしまう。

「おれはもう死んだ人間だ。だが、ヴィルは生きている。ただそれだけだ。――さあ、部屋に戻るといい。明日は岳里の隊長としての、就任式だろう? 本格的に仕事も始まるし、落ち着ける時間があまりとれなくなってしまうぞ。その前にゆっくりするといい」

 遥斗に促されるまま、おれたちは優しく、部屋から退室させられた。ろくに別れの挨拶もできないまま最後部屋を去る際に見た遥斗の顔。それは最後まで優しく微笑んでいた。

 

 

 

 短い、自分たちの部屋までの道のりの中、おれも岳里も何も言葉はなかった。着いたとしてもやっぱり何も言えずに、隣同士になり岳里のベッドの方へ腰かける。
 しばらく沈黙を続かせた後、おれは口を開いた。

「レードゥは、遥斗の……初代選択者の、生まれ変わりだったんだな」

 ようやく絞り出した声は掠れていた。
 隣を見れば、岳里もまたおれの方へ顔を向けている。

「おまえは、あの二人をどう思う」
「あの二人って……遥斗と、ヴィルのことか?」

 出した名前に岳里は頷く。それから前に視線を向けると、深く息をついた。

「――おれは、幼い頃から悲劇についてよく聞かされていた。そしておまえと出会い、そしてこの世界に戻ってきた時。何度もその話を思い返した」

 もし自分が闇の者の立場になったとして、おれを失ったとして。その時の痛みが果たしてどれほどのものなのか想像することもできなかったと、岳里は淡々とした様子で言う。

「だからこそおれは、二人を会わせるべきだと思った。満足な別れすらできていなかったんだ。ならば、最後に伝えられなかったことを告げても許されるはずだ。あの二人は今、互いに存在しているのだから」

 珍しく岳里にしては饒舌に、その抱えた思いを訴える。おれが見つめる横顔はどこか寂しそうで、悲しそうで。
 悲劇がもしも自分にあったとして、それを置き換えた岳里は、その言葉通り。予想もできない二人の想いを理解しようとしているのかもしれない。
 会いたいと、遥斗は言った。でも会えないって。もしかしたらこそに理由があるのかもしれない。だから本当に会いたくてもでも会うことが叶わないと言っているんだろうか。それとも、遥斗の気持ちの問題なのか。
 それは、すべてを聞いていないおれにはわからないことだった。岳里も、あの時の遥斗の言葉に何も返さなかったから知らないんだろう。知っていればきっと、会いたいのならば会えばいいと、言っていたはずだから。
 とにかく遥斗自身はヴィルに会えないと言っている。それが何かしらの理由か、気持ちの問題かはわからない。けれど、この話にはヴィルの考えだって大切だと思うんだ。
 もしヴィルの気持ちが、求めているのなら。奪われた立場のヴィルが再び遥斗と会うことを願っているのなら――それならおれは、おれも、会うべきだと思う。遥斗と、ヴィル……悠雅は、岳里が言ったように、せめて最後の会話をしてもいいはずだ。

「おれも、岳里と同じだ。せめて、ヴィルの気持ちも聞かないと。ヴィルも会いたいと思うなら、二人は会った方がいいと、そう思う」
「ならば今聞きにいくぞ」

 答えを出すとすぐ、岳里は立ち上がった。さすがにそれにおれは慌ててしまう。
 確かに聞きに行くのは早い方がいい。今日は満月、遥斗がレードゥの身体を借りられるのも満月の出ているうちだけなんだから。でもいきなり、遥斗に会いたいか、なんて聞く勇気がまだ整っていない。
 それなのに岳里はさっさと部屋を出て行こうとするもんだから、おれは急いでその後を追った。
 隊長の部屋は連なっていて、一番端にあるといっても十三番隊隊長に与えられているヴィルの部屋の前まですぐに辿り着く。おれの心の準備が整う暇もなく、あっという間だ。
 せめて、深呼吸をしようと息を吸ったところで、岳里がノックもせず扉の取っ手に手をかけそれを開けようと動かした。

「ちょ、岳里……!」

 思わず出たおれの声に、岳里はびたりと動きを止める。でも実際それはおれの声じゃなくて、鍵がかかって回らない取っ手が理由だったみたいだ。
 何度か回しても開くことのない扉に、おれはなんだがほっとする。

「ほら、ヴィルも確か、満月の夜は誰とも会わないって言ってただろ? いきなり話にいっても、おれたちが会えないんじゃ意味がない。急いだ方がいいだろうけど、今日以降に、改めて話そう」

 岳里は考え込むようにして、ゆっくりと取っ手から手を離す。
 しばらく声をかけることなく見守っていると、不意に動き出した岳里がおれの手を掴んで歩き出した。
 されるがままおれも連れて行かれる方へ足を進めると、自分たちの部屋に戻ってくる。
 おれの言った通り、後日ヴィルに遥斗のことを話そうと決めてくれたんだと、そう、思った。けれど岳里はまだあきらめていなかったみたいだ。
 部屋に入るとそのまま窓の手前まで行き、ようやくそこでおれの手は離される。

「岳里?」

 どうしようっていうんだろう。名前を呼んでも、振り返ることなく、岳里は窓を開けた。
 ふわりと舞い込んできた夜風で、少し長い岳里の髪が揺れる。
 もう一度名前を呼ぶと、ようやく岳里は振り返った。けれどすぐにまた前を向き、窓枠に足をかけ、身を乗り出そうとする。

「な、何する気だよ!?」

 慌てて岳里を引き留めようと手を伸ばすも、それよりも早くその姿は外に飛び出し消えてしまった。

「岳里っ!」

 悲鳴に近い声をあげておれが窓へ駆け寄り下を見るも、地面が遠いここから、岳里の姿が見つからない。それでも懸命に暗がりの中を探す。

「岳里っ? がく――っ」
「静かにしていろ。人が集まる」

 下に落ちたはずの姿を探して懸命に名前を呼ぼうとしたところで、突然前から口を塞がれた。口を覆う手に顔を前に向けさせると、目の前にある岳里の顔と視線がぶつかる。
 岳里の手が退いたところで、おれは今更声を潜めて、改めてその名前を呼んだ。

「が、岳里っ! び、びっくりさせんなよ!」
「悪かった。だが、このくらいの高さどうってことない。それにおれは――」

 そう言って岳里は、おれの目の高さに合わせていた身体を少し上に浮上させる。離れたことで岳里の上半身を確認できたおれは、呆れからなのか、それとも安堵かはわからなかったが、深い溜息をつく。
 そんなおれの姿を見た岳里が、珍しく意地わるげに小さく笑った。

「おれは竜人。翼があるんだ、空くらい飛べる」

 岳里の背には、大きな翼があった。竜の姿をしていた時と同じもので、大きさはその時よりも小さいけれどでも十分迫力がある。長身の岳里に生えていても片翼だけで二メートル近くあるんじゃないかってくらいに広い。
 窓から落ちると同時に翼を出して、空を飛んだようだ。確かに岳里は竜人だけど、でも、竜の姿の時ならまだしも、人の姿で翼を出せるなんて聞いてない。
 本来人間にはないそれをゆっくり羽ばたかせながら、岳里はおれに手を差し出した。

「窓から直接部屋に乗り込む。行くぞ」
「――……落とすなよ」
「わかっている」

 微かに笑う岳里に、おれは文句も言えずただ視線を下に逸らすことしかできなかった。不服ながらも岳里に抱きつき、腰を支えてもらいながら窓枠を蹴って、空を飛ぶ。
 そのまま他の隊長に万が一見られないように窓より下を飛行して、一番端のヴィルの部屋の窓まで辿り着く。
 部屋を覗き込むと、ヴィルはベッドに腰掛いた。まだ起きているようだ。おれたちの存在には気づいていないらしく、ぼうっと前を見ている。

 

back main next