月が真上に上った頃、ネルとシュヴァルはひとつのベッドに横になりながら、日課である互いに今日起きたことの報告をしあっていた。
 どんな些細な情報だとしても、見方はそれぞれ違う。だからこそ本来は自分の狭い視野からしか見れないものが、別の角度からも覗け、世界が広まるのだ。些細な出来事だとしても、もしかしたら別の何かと通じているかもしれない。見落としてしまいがちなことも、ひとりでは気づけなくともふたりなら見つける可能性は大いにあがる。ゆえに、ふたりがこの情報交換を欠かしたことはない。
 まずはシュヴァルの報告が済み、次にネルの番となり、朝からの事から順に話していく。
 そして、あの時の詳細もきっちりと初めから終わりまでを報告した。
 岳人が、手合わせでヴィルハートを打ち負かしてしまったときのことだ。
 ネルは彼らが鍛練場に入ってから、キッカールを終えそこを離れるまでをずっと影に隠れその様子を見守っていた。勿論、岳人がヴィルハートの武器である大剣、オンディヌを軽々と持ち上げてみせたり、頭を働かせ計算した勝利を収めたところも逃すことなくこの瞳に写している。
 ネルの報告を聞いたシュヴァルは、深いため息をついた。その気持ちがネルにはよくわかる。ネル自身も、そのすべてを見てしまってから同じ行動をしたからだ。

「そうか、そうだったか……」
「岳里とは違ってえ、真司は剣を手にしただけで怯えていたあよう」

 そう声に出していたわけではなかったが、遠くから眺めていたその横顔は強張り、何かを傷つけるばかりのそれに恐怖を抱いているのだというのがよくわかった。しかし、それは誰しも通る道であり、決して真司が臆病というわけではない。
 さすがに持っただけでその危うさに気づく者は少ないが、一度でも人を傷つけたり、自分が傷を負ったりすれば嫌でもわかる。刃とは、決して憧ればかりで扱ってはならないのだということを。
 国を守る騎士になるのであればいずれ体験することであり、やがては選択を迎える。自分が望み手にした、光るその刃を振るい続けるか否かを。そして大抵は恐怖に負け、多くの者から尊敬され憧れる騎士の道を下りていく。人の命を守る立場の人間に誰もがなれるわけではない。
 ――数多くの者たちの、はじめて剣を手にする瞬間をネルはこれまで見てきた。だからこそその反応は様々だと知っている。そして、どのような反応をしたものがどのような答えを出すのかも大抵わかるようになった。
 真司は戦えない者だ。はじめから恐怖しか持てない者はまず精神が保てない。どんなに訓練を積んだとしても傷つけることにも、傷つけられることにも耐えられないのだ。その恐れを乗り越えられる者もいなくはないが、無理にでも続ければ大抵が心を壊わしてしまう。真司は、まさしくそれなのだ。だから戦えない。
 しかし――岳人はどうだろうか。わかりやすい反応を示した真司とは違い、相変わらず彼の表情は読めなかった。僅かな顔の動きも見逃さないネルですら、岳人についてはわからないことが多い。
 岳人は剣を手にした時、ネルが自分の瞳が曇ったのかと思うぐらいに表情を変えなかった。まさに、無表情。どんなに感情を表さない人物でも、剣を手にすれば自然と何かしらの反応を見せる。それが見落としてしまいそうなくらいに小さな動きだったとしても、何かあるのだ。顔ではなく身体の一部からそれが見つかったり、その後の行動から判断できることもある。だが岳人はなかった。ネルが注意深く観察していたのにも関わらず、ただ手にした剣を眺めていた。その後の反応も、普段と何ら変わらない。
 岳人が以前にも剣を握ったことがあるのを、勿論ネルは知っていた。とある魔物が結界をすり抜け、突然城内に姿を現した時。その時岳人は近くにいた兵士の腰から剣を抜きとり、そのまま魔物の相手をしていたジィグンに加戦したそうだ。岳人は恐れることもせず、果敢に魔物に挑み、見事首を斬った。
 その魔物が首に負った傷を見た時、その場にいた隊長全員が驚いていたのをよく覚えている。ネル自身も彼ら同様、我が目を疑ったのだから。
 どうやらその傷は止めとはならず僅かながらに浅かったのだが、致命傷に極めて近いものであるのは確かだった。剣の使い方を知らないような、刃で裂いたのではなくただ押し付けたような痕だったが、確かに脈を狙い付けられたそれ。はじめ、すべてを聞く前の隊長たちはみな一様に、その傷は兵士がつけたものなのだと思い込んでいた。しかし、ジィグンから詳細を聞き出し、そして傷をつけた主が岳人と知り、驚いたのだ。
 魔物の存在を知らない彼らでも、その姿は動物と酷似しているため急所を知っているのはまあ頷ける。前に岳人自身が、この世界の動物と自分たちのいた世界の動物は同じだと言っていたから、誰しもそこにはおおむね理解をみせた。しかし、問題はやはり岳人の行動だ。
 あの時岳人は初めて剣を手にしたそうだ。だからジィグンはそれを十分に考慮し、足を狙うように指示したらしい。馬のような身体をしたあの魔物の足ならば出血も少なく、斬った感覚も棒と棒をぶつけあったものに近いからだ。しかし岳人は独断で狙いを首に変えた。それは、決して誰もができることではない。そこそこの腕前を持つ剣士ならまだしも、経験のまだ浅い者ならば上の者の指示に従うだろう。ましてやその日初めて剣を握ったような子どもがそう判断するわけがない。
 ネルの目から見てもはじめから岳人は異常だった。年相応な反応をし、異世界に来てしまったことに戸惑い体調も崩してしまった真司と比べるまでもなく、その異端的何かは際立っていた。感情が一切と言っていいほど顔に出ないところもそうだが、この世界への順応さ、戸惑いのない行動、異常な腕力と痛みへの鈍さ。
 他にもさまざまあるが、何よりもネルにそう思わせるのは――岳人の全身から感じる小さな威圧のような何かと、そして全身から放たれている“匂い”だ。人間たちのものとは異なり、どちらかと言えば獣人の匂いに近いが、それとも違う岳人の匂い。人間が感じとれるほど強く香るものではないが、鼻の利く獣人ならばその岳人の独特な匂いに気づき恐れを抱いている者は少なくない。中には、岳人がただの客人ではないと感じとっている獣人も多いだろう。
 そんな様々な岳人の何かが確固たるものに変わっていくきっかけとなったのが、魔物が襲来した日だった。その日岳人は魔物の返り血を全身に浴びたのだが、それを洗い落とすため浴場へ向かう途中の廊下で、多くの兵士たちにその姿を目撃されている。血まみれのその姿を見た者が嘔吐感を感じるほどの酷い姿であったらしいが、しかし当の本人は平然とした顔をしていたそうだ。
 岳人という人物の異常さは、もう城の中に広まっている。そして彼を危険視するのは獣人ではなく、人間にまで広まっていた。そして隊長たちのみ接触が許され、大抵が部屋の中で過ごす彼らがただの客人ではないと疑う者も多い。
 そして、今回ヴィルハートを負かしたこと。ネル以外の傍観者はいないためそれが噂になることはないが、またひとつ、岳人の逸脱した才能が押し出されたのだ。それは、大したものだと気軽に言えるほど可愛らしいものではない。まさに鬼才と呼んでもおかしくないことだった。

「――今回の件を含めて見ずとも、総合的に優れているのはやはり岳里か。圧倒的と言ってもいい」

 しばらくの沈黙の後シュヴァルは、うつぶせで寝転がり、顎の下の枕へ両腕を潜らしたネルの髪を梳きながら言った。その言葉の重さでネルが苦しまぬように、支えるかのように、黒髪に触れる手は優しい。
 それが余計にネルに現実を見せつけていた。

「そう、だなあ。真司は普通だけどお、岳里があんまりにも特筆する点が多すぎだあ。しかも岳里のやつおれが見てたこと気づいてたしよう」

 気配を殺し、息も潜めながらネルは今日の様子を窺っていたのだが、岳人はそれに気がついてた。影に潜むのが誰よりも得意なネルの存在を感じ取ったのだ。それもまた、岳人の優れている点に含まれれる。ネルの気配には隊長であるレードゥとヴィルハートすら気づいていなかった。それを察知した岳人は、これまでネルやネルの隊の者が真司も含めたふたりを見張っていたことに気づいていることだろう。
 岳人は、素直に恐ろしいと思える男だと思った。それほどまでの実力を持ち、一体何を隠しているというのか。

「ネル、覚悟はしておけ。まだ“証”の確認はできていないが、有力候補であるのは岳里のほうだろう」
「わあかってるよう。いくらなんでもそこに私情は挟まねえさぁ」

 髪を梳く手を止めたシュヴァルの言葉に、ネルは素っ気ないように返しながらも、顔を彼へ向ける。そのまま自分よりも大きく広い胸に身を寄せ、目を閉じた。
 最早城中の者から注目を集めている岳人。その影に隠れる真司に目を向ける者は少ない。あまりに岳人が人目を引く存在であり、真司は霞んでしまうのだ。
 ふたりが注目されるのは好ましくないこの状況で、真司だけでも目立たないのはよいことだ。しかし、ネル個人としては、目立つのは岳里ではなく真司であってほしかった。優れているのが、真司でいてほしかったのだ。
 ネルのその気持ちと、理由を知るシュヴァルは、そっとネルの小さな背中に腕を回した。それに応えるように、縋るように、ネルもそっと彼の服を掴む。

「――泣くな」
「泣いてねえよう。おれぁそんなに弱くねえ」
「ああ、わかっている。“ネル”は強い。そして賢い。わかっているさ」

 泣く幼子をあやすように優しく柔らかいシュヴァルの声音。ずるいと、ネルは思った。
 そんな声出さないでほしい。でなければ、剥がれてしまう。“ネル”という姿が、存在が。
 今すぐにでもこの腕から離れたとしたならば、まだネルはネルでいられる。行動すればシュヴァルもネルをこれ以上甘やかそうとはしない。わかっている、わかってはいるのだ。
 けれど、それはできなかった。彼の服を掴んだ手はかたくなり、離れることを拒む。苦しいものが、胸の奥からこみ上げてきた。

「……不安ならば、いつでも吐いてしまえ。ここにはおれとおまえしかいないんだ」

 甘くも切ない言葉を耳元でささやかれ、ネルはもう耐えきれない。
 顔をシュヴァルの胸に押しつけ、くぐもった声のまま、その小さな胸に押しこんでいた真情を吐露した。

「おれぁ真司がいいよう。岳里じゃなくて、真司がいい。真司が“光”であってほしい」

 真司じゃなきゃ、真司でなきゃ――そう吐きだしながら、“ネル”が剥がれていくのを感じた。“ネル”でなく、本当の自分が現れる。何も偽ることなく、何も考えず、ただ思うままに心を震わす。
 そんな、無防備に晒される本来のこの儚い姿を守るように、シュヴァルはさらに抱きしめる力を強くする。

「おれはおまえの味方で、おまえはおれの味方だ。約束したろう?」
「ん――約束、したね。ちゃんと覚えてるよ。どんなときでもシュヴァルを信じてるって。忘れてないよ。シュヴァルは、“わたし”の味方だもんね」

 完全に剥がれてしまったネルを取り繕うでもなく、特徴であった口調すら今は置いて、かつての約束を確認しあう。
 世界中のすべてが敵になろうと、互いだけは絶対に裏切らない。そう、約束したのだ。
 うずめていた顔を上げると、青い優しい瞳と視線が交わる。
 幼き日の約束を、彼は成長し、大人になった今でも忘れない。
 今では立派な男になった。あの頃の泣きべそをかいていた幼さは消え、代わりに全てを受け入れてくれる眼差しがある。
 いつから、ふたりの立場は変わったのだろう。甘え甘えられるのが、頼り頼られるのが。抱きしめていたのは、あやしていたのは自分であったのに。
 それが悔しいと思う時もあったが、それより、約束を忘れない純粋なシュヴァルの心が嬉しい。

「――ツクヨ」

 久しぶりに呼ばれる、本当の名。シュヴァルしか知らない本当の姿。
 ネルでなくツクヨとなり、本来の、ありのままの姿を完全に取り戻す。“彼女”は、その解放にふわりと笑った。
 どちらからともなく、視線を絡めあったまま顔を寄せ、唇が触れ合う――その時、扉が荒々しく叩かれ、切羽詰まった声がふたりを止めた。

「六番隊が帰還しました! 負傷者多数、隊長であるライミィさまも重症です!」

 ツクヨはすぐさまネルへと戻り、躊躇いを見せずシュヴァルから離れた。

 

 


 なんだかばたばたとした足音が聞こえて、おれは目を覚ました。
 のっそりと頭を枕から上げながら、眠気から下がってくる瞼を擦り扉へ視線を向ける。そこから、人の話し声もぼそぼそと聞こえてきた。
 岳里はおれよりも先に起きていたようで、上半身を起こし扉を見つめている。寝癖が大きく跳ねていて笑いそうになったけど、その真剣な表情にそれを飲み込み、同じように上半身を起こす。
 おれに気がついた岳里が振り返った。

「なんか、騒がしいな」
「何かあったようだ」

 岳里は簡潔にそれだけを答えると、また扉へ顔を向けた。けれどそれ以上に何をするわけでもなくただじっとしている。恐らく岳里のことだから、外から聞こえるぼそぼそ程度の声を聞き取ってるのかもしれない。何でも素晴らしい岳里はその聴力でさえ誰よりも優れていそうで、ありえない話じゃない。
 けれど残念ながらおれにその声が聞きとれるわけがないから、ベッドから降りて、直接聞きにいくことにした。
 扉を控え目に空けると、それに気づいた見張りの兵士の人が顔を見せてくれる。その人はちょうど、以前さんざん迷惑をかけたユユという人だった。

「あ、起こしてしまいましたか? 申し訳ありません」

 その言葉をそのまま顔に表したように眉を下げ頭まで下げようとしたユユさんに慌てて手を振り、それを止める。
 確かに音が聞こえて目を覚ましちゃんたんだけど、でも頭を下げられるほどのことでもない。

「気にしないでください。目が覚めただけです。それより、どうかなさったんですか?」

 レードゥからは兵士の人にも敬語は使わなくていいと言われていたけど、向こうの丁寧な態度につられて、どうも言葉はかたくなる。仕方ないよな、と思いながらも、おれは本来の目的である話を尋ねた。
 その間にも、ひとりの兵士が大量の布を抱え扉の前を走り去る。

「それが……遠征していた六番隊が帰還したのですが、多くの者が負傷しておりまして、その治療にあたっているのです。何の準備もしていなかったために、今慌ただしくなっております。大変申し訳ありませんが、お許しください。注意は致しますが、しばらくはお騒がせしてしまうかと思います」
「そうだったんですか。大変ですね……おれたちのことは気にしないでください。それよりもすみませんでした、お仕事中に」
「いえ、構いません。何かご用があればおっしゃってください」

 ユユさんから離れ扉を閉めてから、おれは岳里のほうへ向かった。ベッドの傍らに立つと、岳里が見上げてくる。
 うわ、おれ岳里のこと見下ろしてるよ、なんて思うこともなく、それよりも先にさっき聞いた話に不安を感じていた。

「確か六番隊の隊長さんって、まだ会ったことない人だよな」
「ああ」
「負傷者が多いって、何かあったのかな」
「おれたちの気にすることじゃないだろう。寝るぞ」

 最後まで素っ気なく言うと、岳里はあっさりと身体を横にして、いつもの寝る時のスタイルの、頭からすっぽりと毛布をかけた姿になってしまう。
 岳里、と名前を呼んでみると、寝ると一言返ってきて、それ以上はなにも反応はなかった。
 確かに、おれたちが気にしてもどうにもならないことだけど、気にしないっていうのには無理がある。こうしておれが突っ立ってる間にも、荒々しい足音が時折聞こえてきた。
 気にはなりながらも、結局は岳里の言う通りだ。それにおれにできることはない。おれも自分のベッドに横になって、足音や声を聞きながら目を閉じた。

 

 

 

 結局あの後眠れず、おれがうとうととし出した頃にはもう日が昇る少し前で、城の中もようやく静けさを取り戻したころだった。
 だって、一晩中うあー! とか、いででー! とか悲鳴が上がる中で寝られる訳がないんだ。その声は遠くから聞こえてたしても、恐らく治療の際の、痛みからくるそれに慣れてないおれには十分の威力があって。
 その声が聞こえなくなってから、朝食が運ばれるまでのその少しの間、おれは僅かな睡眠をとることができた。それでも、いくらおれがまだ若いとは言え、全然寝足りなくて。おまけに昨日は久々に思い切り身体を動かしたわけで消耗された体力を補うために余計眠くて眠くて仕方なかった。
 けれど折角作ってもらった朝食を無下にしたくはないから、おれは頭をぐらぐらとさせて、欠伸をなども連発しながらもベッドから起き出し、何とか席に座る。
 岳里はぐっすりと眠ったのか、いつもとなんら変わらない様子で、のろのろと行動するおれを待たずしてすでに食べはじめていた。その頭の寝癖はいつもより酷いけど、目の下に隈すらないその顔は相変わらず格好いいんでなんだかむかついた。
 寝起きと寝不足と寝ぼけが残った頭で、なんで岳里はその寝癖すらも格好良く見せてしまうんだと変なことを考えながら、ゆっくりと朝食を済ます。
 それからしばらくして、いつものように兵士の人が皿を回収しに来るんだけど、それに現れたのもユユさんだった。
 皿を手にし部屋を去る前に、ユユさんから今日は最低限この部屋から出ないでくださいと丁寧にお願いされる。その後に、隊長たちは今日は会議があり顔を出せないだろうとも付け加えられた。
 申し訳なさそうに眉を下げ頭まで下げるユユさんに、おれは大丈夫ですと笑いかけることしかできなかった。
 音を立てずに静かに閉められた扉を眺めながら、おれは昨夜のことを思う。
 やっぱり、負傷者が多かったってことは何かあったんだろうな。さっきユユさんが言ってた会議ってのも、たぶんそれについてなんだろう。怪我した人たちは、大丈夫なのかな。
 様々なことをぐるぐると考えながら、ふと前に入ったあの会議室を思い出す。突然異世界に来ちゃって、どうなるか緊張しながらあの大きな会議室に入ったのは数日前だって言うのに、随分前のことに思う。それぐらいに、その間の数日が濃かった。
 ――また、あの部屋に隊長や王さまが集まるのかな。

 

 

 

 早朝から各隊の隊長に召集命令をかけ、会議ははじまった。急遽集うこととなった各々の面持ちは、重いものである。みな、昨夜のこのすでに聞き及んでいるのであろう。
 全十三隊の中でこの場にいない欠席者は、負傷し今も床で眠りに就く六番隊隊長ライミィと、未だ多くのけが人の治療に当たる七番隊隊長のセイミアのみ。もとより空席の三番隊も合わせると、ふたりを除く十人の隊長が揃った。
 目の前に並ぶ彼らの姿をひとりひとり確認してから、シュヴァルは声を出した。

「昨夜のことは既に聞き及んでいるとは思うが、改めて状況を説明しよう。ネル」
「はあい」

 促され、シュヴァルの隣の席から立ったネルは、集めた情報をまとめたものを口にする。回りくどい言葉も時に交えながら告げられた内容は、こうだ。
 六番隊は遠征に向かい帰還する途中、魔物の襲撃に遭う。魔物の数は三体。どれも中級と位置付けられる魔物に当たったが、異常に凶暴化しており、不意を突かれ隊列が大きく乱される。隊長のライミィがすぐ様応戦したが六番隊からは多くの負傷者を出す事態となった。
 魔物を退くことに成功するも、一隊員を庇い隊長ライミィは腹を裂かれ、転倒した際に頭を打ち付け、以後昏睡状態に。その後は副隊長のルルナタが指揮をとり城を目指す。途中定期の見回りに出ていたハヤテの部隊、八番隊が六番隊を発見、合流する。その後は六番隊副隊長ルルナタに代わり八番隊隊長ハヤテが指揮をとり、帰還した。
 既に月がだいぶ傾いていたが、幸いなことに治癒部隊である七番隊隊長のセイミアがその夜の当番だったため、治療は迅速に行われた。しかし、今現在も七番隊を総動員して治療に当たっている模様。
 六番隊被害は、重傷者十二名、軽傷者二十九名、死者五名という甚大なものである。また、今回の遠征に向かった六番隊は少数ではあったが精鋭ばかりであった。現在六番隊の実力者の大抵が重軽傷者にあたり、七番隊の治療があったとしても復帰するまでに少なくとも一月はかかると判断される。
 報告を終え、ネルは以上と締めくくった。
 改めて現在の状況を聞いた隊長たちの表情はまさしく各々であったが、誰しもその眼差しは自然と険しいものになる。
 シュヴァル自身も、一足先にこの報告を聞いた時には同じく青瞳を鋭くさせたものだ。ましてや同僚のライミィの負傷には、思うところもあるだろう。
 そう考えたシュヴァルを肯定するように、九番隊隊長のヤマトが挙手をし、発言する。

「現在のライミィ隊長のご容態はいかがですか」
「傷は深いけど命に別条はないそうだあよ。どちらかというとこれまでの旅の疲れが大きいそうだあ」

 ただし、セイミアが診た限りではしばらくは眠り続けるであろうとのことだとネルは続けた。

「中級が三体とおっしゃったが、種は」
「ケルウルスが二体にい、レンプスが一体だあよ」

 次に発言したヴィルハートに、ネルはそれらの名前を口にする。途端に、数名の顔が曇った。変わらなかった者は、恐らくもうその情報を知っていたのだろう。
 ケルウルスは鹿に似た魔物で、レンプスは兎に似た魔物である。ただし大きさはどちらも中型と位置付けられるが、大型のくくりに非常に近く、縦の長さは三メートルほど。
 どちらにも獰猛さはなく、比較的おとなしい種である。こちらから攻撃を仕掛けなければ彼らの隣を通っても何事もないぐらいに、魔物の中でも人間に対して穏やかな者たちである。今までに、その二種に襲われた報告すらないほどに。
 だからこそ、そんな穏やかであるはずのケルウルスとレンプスが、六番隊に多くの犠牲者を出すほど暴れまわったという話はにわかに信じ難いものであったのだ。
 恐らく、襲われたのが国に所属する六番隊でなく、どこかの旅人であったならば、ほらを吹くなと一蹴されても無理もないことであるほど、あり得ないことに近かった。

「どうしてその二種が攻撃してきたのですか」

 その時の状況を把握するため、今度はレードゥが声を出す。その時次第では、その二種が襲ってきたとしても頷けるためだ。報告されたのはまだ、魔物が襲撃した、だけである。もしかしたら六番隊が手を出していなかったとも言えないわけではない。
 しかし、騎士である者が魔物の生態について無知であるわけがない。ましてや名の挙がったその二種は有名だった。町の子どもですら、ケルウスとレンプスの名を知ってるほどに。

「――わからないんだあ。原因は不明ぃ、現在で把握できてる情報はあ、向こうが突然襲い掛かってきたってことだけだあ。こっちからは一切手を出してねえそうだあよう」
「それなのに、ケルウルスとレンプスが……」

 小さなアヴィルの呟きは、皆が口を閉ざす部屋に響いた。そしてそれは、誰もが感じたことだ。
 今の季節から見ても、その二種が子を孕んでいるとも、産み育てていることも考えず、気が立っていたというわけでもない。この土地は実りも良く、彼らが飢えていたとも考えられなかった。
 それならば何故、本来は大人しく生きる彼らが六番隊を襲ったのか。
 各々口を閉ざし思案していると、躊躇いながらも、アヴィルが挙手した。
 視線が集まりますます困ったような表情を浮かべながらも、彼は言う。

「――最近、魔物が凶暴になってきているのではないかと商人から報告を受けました。他にも旅の途中で入国してきた者たちもそう口にしておりまして、近々話をまとめたものを王にご報告するつもりでしたが、今件にすくなからずそれは関与しているのではないでしょうか」
「わたくしもアヴィルからその話を聞いてから気がついたのですが、海辺や水辺の魔物たちはここ数日の間ではありますが、気が荒くなり、そして強くなったと感じます。ケルウルス、レンプスほどではないものの、本来ならば大人しい種の魔物から襲われることも増えました」
「そう言えば、陸の魔物も最近は下級といえど手こずることが多くなりました。こちらに襲いかかる魔物も増したと思います」
「――空の魔物も同じく、気性が荒くなっているかもしれない。それと、身体が頑丈に、強くなっている。知恵でもついたような牽制行動が見受けられた」

 アヴィルの発言に、十番隊隊長であり、アヴィルの獣人であるミズキが賛同した。彼女は海上警備を担っていて、それに続いて陸上警備を担当するヤマト、空上警備を担当するハヤテが同意する。
 獣人であるハヤテ、ヤマト、ミズキの三人は、この場にいる隊長たちの中でもより多く外に出て、実際に魔物と渡り合うことが多い。そんな彼らが、アヴィルの言葉を重くした。
 胸の内で、シュヴァルは新たに浮かんできた多くの情報を見つめた。
 突然襲ってきた大人しい種であるはずの魔物。それ以外にも魔物が凶暴化しているという声があり、聞けば、その身体は頑丈になり力がついてきたとの意見もある。それも、知恵がついたのではないかという行動まで確認されている。
 少しずつではあるが、異変は起きていた。

「それは、いつ頃から感じていた」

 王であるシュヴァルの言葉に、まずはアヴィルが口を開いた。

「報告があったのは四日前からです」

 それから連日に渡り同じ報告があったと付け足す。
 ミズキは三日前、ヤマトとハヤテはアヴィルの話を聞いてから気づいたが、ミズキと同じく三日前あたりからは感じていたそれぞれ口にした。
 シュヴァルはその答えに、ふたりの少年の顔を思い浮かべずにはいられなかった。常に表情を変えない無愛想な彼と、反対に応対が大人びる明るい彼のことだ。岳人と真司である。そのふたりが、今件に深く関わっている可能性は高かった。なぜなら、隊長たちが感じた異変のはじまりが、すべてふたりがこの世界へ訪れてからを示しているからだ。他にも、シュヴァルの胸には彼らが関与しているであろう証拠がいくつも見えていた。
 異世界の少年ふたりが訪れてから起こり出した異変に気がついた隊長は数名いたようだが、誰しも口を閉ざす。ただひとり、今はまだ若く熱くなりしぎてしまう、正義感の強い彼を除いて。

「――魔物たちが凶暴になっているのは、彼らが原因ではないのですか?」

 彼らが来てから報告が上がるようになった、と早口に告げたのはアヴィルだった。険しい表情を幼さがまだ残る顔へ浮かべ、シュヴァルを真っ直ぐと見つめた。そこには自分が見つけた仮説が正しいという、確信的な何かが見て取れる。

「まだそうと決まったわけじゃねえでえ。単なる偶然の可能性が高いんだからあ、その発言は控えるべきだあろ?」

 しかし、その自身をネルが一笑し、蹴り落とした。否定はしない。だが、可能性だけでものを言うにはまだ証拠があまりにも足りない。惑わすような発言をするな、と遠回しの牽制をされたアヴィルは、不満を露わにしていたが、その言い分を認めたのだろう。申し訳ありませんと、それ以上は何も言うことなく口を閉ざした。
 ネルはそれでもアヴィルに対し、冷たい一瞥を向ける。

「――とにかく皆、今は様子を見るしかない。今後外へ出る際には今以上に気を引き締めてくれ。少数で行動はするな。危険と判断したら早々に撤退し城へ戻るように。その際にはなるべく早く城へ伝達するんだ。これからしばらくの間は一番隊、二番隊には、常に迎撃態勢に入ってもらう。四から十三番隊は一番隊、二番隊、加えて六番隊と、今まで通り抜けている三番隊の仕事をこなしてもらうことになる。忙しくなるが、みな頼むぞ」

 王の言葉に、皆その場に立ちあがり、はっ! と声を揃え頭を下げた。

「それと、魔物の様子には十分注意し、彼らに何らかの変化を感じたのなら、些細なことでも構わない。報告してくれ。それと各隊の間の連絡はこまめに取るように」

 再び、はっ、と声を揃え、王に頭を垂れる隊長たちを眺めながら、シュヴァルの胸中は大きくざわついていた。

 

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