歩けるまでに回復したおれは、セイミアから許可をもらって自分たちの部屋に戻った。久しぶりになる部屋は相変わらず物は少ないけど、不思議と落ち着く。部屋に入ってすぐおれは、ふたつ並んだベッドの、窓際の自分の使っていた方へ向かい、その端に腰を掛けた。
 医務室の隣の部屋よりはほんの少しかたいばねはおれの身体を押し返し、支えてくれる。それがなんだか嬉しく思えた。
 歩けるまでに、とは言ったけど、もう痛みはほとんどないし、普通に座ることもできる。あと数日は念のために薬は塗らなくちゃいけないけど、前ほどこまめにでもないし、その……中までは、もう塗らなくてもいいとも言ってもらえた。
 はじめのころは眠っているときによくうなされたりしたけど、それもなくなり、痛みも日が経つごとに薄まっていくから、今では深く眠れるようにもなった。
 もう、おれの身体はほとんど回復してるんだ。これが早いのかどうかはわからないけど、一安心した気分ではある。

「おい」
「ん? どうかした?」

 思わずこの部屋を懐かしみほっとしていると、岳里が目の前にやってくる。見上げれば、相変わらずの顔がそこにあった。

「風呂に入っていいと、セイミアからの言伝だ」
「ほんとか!」

 思わず岳里から出た言葉におれは目を輝かせる。この反応を予想してたのか、岳里はあくまで表情は変えずに頷きで答えてくれた。

「準備も済ませてあるそうだぞ」
「ならすぐ入りたい」

 声を弾ませながらおれが言えば、なら行くか、と岳里はすぐに踵返した。おれもおいていかれないようにベッドから立ち上がり、後を追う。
 扉を出ると、今回の警備の当番らしいユユさんと目があった。
 これまでは扉の両脇をふたりの兵士の人で固められていたけど、おれたちが城内を自由に歩けるようになったのに伴って、警備するのはひとりになった。本当はつけないことも考えたらしいけど、それはおれたちが――主におれが、まだ道を覚えてなかったりとか、他に用事があったら伝達係にさせられるようにと、念のためまだひとりの兵士の人をつけてもらっている、というわけだ。
 前にユユさんと雑談したときに教えてもらったけど、ユユさんは三番隊の隊員らしく、今は主な仕事ととしておれたちの部屋の前の警備を担当してるらしい。だから、これからもユユさんと接触する機会は多いからよろしくお願いしますと以前に言われてたんだ。
 なんだかんだで話す機会が多かったおれとユユさんは、そこそこ仲良くなってた。

「どちらへ向かわれるご予定ですか?」
「はい、今から風呂へ」
「そうですか、ごゆっくりしてきてくださいね」

 おれたちの行き先なんかの情報も管理する役割もあるらしく、こうして部屋を出た後は向かう場所を報告する。
 にっこりとユユさんの笑顔に手を振りながら、おれは少し先で止まって待ってくれていた岳里のもとへ小走りに向かった。
 おれが隣に着くと、岳里は歩き出す。おれも同じく足取りを緩めて、岳里と並んだ。
 しばらく進んで、さっき笑顔で送り出してくれた人を思い出す。

「なにかとユユさんとは縁があるな」
「そうだな」

 ユユさんという人物を知ったのは、はじめて魔物を目にした時だ。そのとき、部屋にいた岳里が部屋の前の警備にあたっていたユユさんを振りきってその現場まで来てしまったのがはじまりだ。
 挙句に岳里はユユさんの剣をその戦う立場ごと奪い取って、魔物と戦っていたジィグンに加戦した。その後には魔物の返り血を浴びた岳里のためにと風呂にまで案内させて。
 本当、迷惑かけたよな。結局岳里はそのことを謝ってないし。でもきっと、ユユさんのことだから、気にしないでください、って言ってくれるんだろうけど。

「おまえもうユユさんに迷惑かけるなよ」

 そんな人のいいユユさんにまた何かする前に岳里に釘を打ってみるが、応えることなくおれから視線を逸らすように前を見たままだ。
 もう一度名前を呼べば、ぽりつとつぶやく声が返ってくる。

「……善処はする」
「約束な」
「ああ」

 断言しないあたりまだ怪しいけど、そこはおれがちゃんとやろうと決めて、よし、とその答えを認める。
 ちらりと、岳里はおれを一瞥しただけで他は何も言わなかった。

「なあ岳里、明日から剣習いはじめるんだろ?」
「ああ。早朝から。飯時には一旦部屋に戻る」
「そっか、なら一緒に食べれるんだな」

 終わりはいつ頃になるんだと聞けば、夕方、とだけ素っ気ない言葉返ってくる。それでもおれは嬉しくて、いろいろなことを岳里に話しかけた。
 夜はマッサージしてやるよ、とか。しばらくできなくなるかもしれないから、風呂からあがったらチェギをしよう、とか。他にもおれが一方的に話す。
 口数の少ない岳里は相槌程度しかしてくれないが、それは決して話を聞き流してるわけじゃなくて、時には言葉を返してくれる時もある。ちゃんと聞いてるってわかっていれば、たとえおればっかりがしゃべっていても嫌な気持ちはいっさい起こらない。
 そもそも岳里は話し手よりも聞き手になるほうが好きらしく、それでおれも安心できた。

「そういえば今日の昼に出たデザートうまかったな。あれ、なんて実か岳里知ってる?」
「ミラフィガルフルーピー」
「み、みらふぃる……?」

 思っていた以上に長い名前におれは覚えきれず、言葉の途中で首を傾げる。そうすると岳里がまた言ってくれて、おれはそれの後に続き復唱するようにミラフィガルフルーピーと無事名前を呼ぶことができた。
 さすが岳里と笑いかければ、珍しく岳里は反応して、小さく鼻を鳴らした。
 それからさらにおれはその実の味は何に似てるのかな、とか、途切れることなく出てくる言葉をそのまま口にする。いつも以上に自分でもよくしゃべるな、と感じながらも止めようとは思わない。
 自然と多くなる口数は、やっぱりおれの気分も向上してるからなんだろう。今から風呂に入るんだと、どっぷり湯船につかれるんだと思えば、無意識に心も弾む。
 なにせ今まで、セイミアから入浴の許可が下りずに、身体を拭うだけに留めていたから、なおさらだ。頭皮が痒みを覚えても、体力が落ちてるからもうしばらく待てと言われて洗えず。
 久しぶりに熱い風呂に入ってのんびりしようと、おれは意気揚揚に鼻歌を歌う。
 岳里が横目でおれを見てきたが、それを気にするなく、おれは岳里よりも一歩前に出た。
 しばらくして浴場の手前まで到着し、まず脱衣する部屋に入ると、そのあとに岳里が続いてこなくて、おれは後ろに振り返る。

「どうしたんだ? 岳里も入るんだろ?」
「おれは入らない」

 いつも通り岳里と一緒に、と思っていたおれは、思わぬ返事にどうして、と反射的に聞き返した。
 岳里はわずかに眉をしかめる。

「――おまえも、つらいだろう」
「あ……」

 短い答えに、おれはすぐにその意味を理解する。呼応するように、ずくんと下半身が微かな熱を訴えた。
 岳里はおれから視線をそらし、おれたちの間にある扉を閉めようと動く。
 顔が見えなくなる前に、おれは無理矢理口を動かして岳里にわかった、と伝える。それとほぼ同時に音も立てずに扉は閉まった。
 すぐに動こうとは思えず、おれはただその場に立ったまま、胸元に手を持っていき、服をぎゅっと握る。その先で自分の心臓がどくどくと高鳴っているのがわかった。
 ――ごめん、岳里。
 扉が閉まる前に言えなかった言葉を胸の中でつぶやく。
 つらいだろう、と言われて、すぐに何のことだかわかった。あからさまな態度で、岳里もおれがその言葉の意味を悟ったことに気づいたんだろう。だからこそ、すぐに扉を閉めてくれたんだ。
 きっと今おれ、ひどい顔をしてるに違いない。ここに鏡がなくてよかった。
 目を閉じ、一度深く息を吐き、そして吸い込む。
 ゆっくりと瞼を持ち上げてから、おれは目の前の扉から視線を逸らし、そのまま後ろへ向いて、浴場への扉の隣にある脱いだ服を入れる籠へ歩いた。
 いつもだったら岳里が素早く服を脱ぎ捨てて先に中へ向かうけど、今日はおれひとりだ。自分で脱いだ服を畳み、籠へ入れる。
 ふと、さっきの岳里の言葉を思い出して、おれの胸の内に小さな疑問が浮かび上がった。
 おまえも、つらいだろう――おまえも、っていうことは、岳里も何かつらいことがあるんだろうか。おれと風呂に入ることで。
 考えてみたけど、結局何もわからなかった。

 

 

 

 初めての一人で入る風呂を済まして脱衣所から出ると、そこには椅子に座る岳里と、隣にはコガネが立っていた。
 扉の開く音で気づいたのか、コガネはそれまで岳里に向けていた目をおれへ移し、小さく笑む。

「真司、さっぱりしたか?」
「ああ。コガネはどうしてここに?」

 同じく笑顔を返しながら、おれは二人に歩み寄る。岳里は一度おれに視線を寄越すと、すぐに逸らした。

「おまえたちに渡すものがあってな。こちらにいると聞いて来たんだ」
「あ、待たせたか? ごめん」
「いや、さっき着いたばかりだ。気にするな」

 おれが二人の傍らまで近づけば、そのままコガネに椅子に座るよう促され、素直にそれに従う。腰かけると岳里が緑色の玉を渡してきた。
 確かこれは、濡れた髪の水分を取るやつだっけ。
 渡してきたということは使えっていうことなんだろうから、おれはコガネに伺いを立ててから、話しながらそれを使用させてもらう。
 ころころと頭皮に押し付けるように掌で転がしながら髪の水分を吸い取りながら、おれは立ったままのコガネを見上げた。

「渡すものって、一体何だ?」
「ああ、これだ。もう岳里には渡した。これは真司の分だ」

 そういってコガネが懐から取り出したのは、小粒の玉がひとつ括られた首飾りだった。ひもは茶色で、玉の色は透明だ。おれの瞳より一回り小さいぐらいのそれを、一旦髪に押し付ける玉の動きを止めて、目の高さまで持ちあげて見つめる。
 よくよく見てみれば、小さな透明な玉の中にゆらゆら揺れるさらに半透明の黄色い玉が入ってた。

「これは……?」
「それについてる石は『守り役の光』という名前だ」

 コガネは丁寧に、『守り役の光』という名前らしい括られた石について教えてくれた。
 なんでもこれは、もし何かおれたちに身の危険が迫ったときに、隊長たちに連絡がいくようになっているらしい。要はお守りだと思ってくれ、と言われた。これから先、自由に城の中を歩けるようになる分、隊長や王さまの目が届かないこともある。何があるかわからないから、何かあってからじゃ遅いから、これをおれたちに持っていてほしいそうなんだ。
 他には城の中で迷子になった時に『守り役の光』を握りしめて、迷子になりましたと強く念じれば、その近場にいる隊長の誰かに連絡がいくようにもなっているらしい。それとおれたちの身分証の役割も果たしているらしく、なるべく肌身離さず身に着けるようにしてくれ、と言われた。
 ちらりと岳里をみてみれば、その首にはもう『守り役の光』がぶら下がっていた。おれも倣って、さっそく首からそれを下げる。
 あまり首になにか下げることがないから、少しくすぐったい感覚にはにかめば、おれを見ていたコガネがどこか寂しげに微笑んでいた。

「――ありがとう、ちゃんと着けるな」
「ああ、そうしてくれ」

 きっと、本人はそれに気づいてないんだろうな。
 おれは笑顔を浮かべて礼を言う。コガネは一度瞬いて、穏やかに返してくれた。
 それ見てからおれは、髪を乾かす作業を再開する。その玉は便利だろうと言葉をかけてくれた頃には、コガネの表情はもう普段のものに戻っていた。

 

 

 

 自分たちの部屋に戻った次の日、おれはもそもそと朝食を口にしながら、落ち着かない気持ちで身じろぐ。

「なあ岳里、ライミィってどんな人だ?」
「――会えばわかる」

 なんだその間は。思わずそう言いそうになって、それをぐっと堪える。
 溜息を吐きながら、手にしたお椀の中の米を口に運んで、咀嚼した。おれの目の前の岳里は、よく噛んでるのか怪しい速度で次々に口に入れては飲み込んでを繰り返す。

「はあ、緊張するな……」
「何がだ」
「何がって……ライミィからこの世界の文字を学ぶわけだし」

 自分で聞いておきながら、岳里はおれの答えに対しての返事をせずにお茶をずず、とすすった。
 相変わらずの見慣れた様子には、これから剣の稽古がはじまるってのに余裕しか見えない。さすが岳里というべきなのか、やっぱり岳里というべきなのか……。
 岳里が剣を習ってる間、おれも勉強するわけだが、朝食を食べ終えたら直接六番隊の隊長であるライミィの私室へ向かうことになってる。つまり、目の前のものを平らげたらすぐにライミィとの顔合わせ、それから勉強になるわけだ。
 正直、おれは英語が苦手だ。書くのも読むのも得意とは言えない。だから、おれにとってはさらに身近でない、この世界の文字が少し怖いんだ。身の回りに溢れてた英語ですらあの悲惨な状況で、ちゃんとできるのか。
 岳里にあらかじめちょっと教えてくれないか、と頼んではみたけど、ライミィから教われの一点張りで何も教えてはくれず、下準備もままならないままに今日を迎えてしまった。
 もそもそと食べても限りあるものはなくなるわけで、岳里に少し遅れ朝食を食べ終えたおれは皿を重ねお盆の上にまとめる。
 無意識に鈍くなるおれの動きを見ていた岳里が、ぽつりと呟いた。

「そう気負う必要はない。この世界の文字はおれたちのものよりもはるかに単純だ」
「岳里に言われても、な……」

 ふっ、と諦めて笑えば、岳里はそれ以上何も言わなかった。不意に立ち上がりおれの隣まで近づいてきたと思ったら、手を伸ばしてくる。
 ぽんぽんと、岳里の手がおれの頭を叩いた。

「――岳里、無理しない程度に頑張れよ」
「ああ、おまえもな」

 その言葉からほんの少しの間をおいて、マッサージ楽しみにしてる、と言われたおれは、やっぱり岳里には敵わないと笑った。

 

 

 

 それから部屋を出てすぐに岳里と別れ、おれは近くにある〈6〉と書かれた扉の前に一人立つ。
 ごくりと、一度喉を鳴らしてから、恐る恐る手を出し目の前の扉を二回、叩いた。

「どうぞ」

 すぐ返された言葉に、おれはゆっくりと扉を開けて中に入る。
 わざわざ扉に振り返ってそこを閉め、もう一度前を向くとすぐに目に飛び込んできたのは、桜を連想するような、薄紅色だった。
 開け放たれた窓から部屋の中に入り込んだ風にその淡い色は揺れなびく。窓の外を向いていたその人はおれへと振り返り、同じ色をする瞳と目が合った。

「はじめまして、真司。こんな場所から挨拶することを許してくれ」
「あ、いや……大丈夫」

 その人はふたつあるベッドのうち窓際のほうに、枕元の壁に背を預け座っていた。
 もともと岳里から、怪我が癒えていなくてろくに動けないそうだと聞いていたおれは対して驚くことはなかったけど、でもさすがに聞いていなかった情報に呆然とするしかない。
 そんなおれの胸中を知ってか、桜色の長くふわふわとした髪を持つ人物は、くすりと笑った。

「恐らくおれの名を知っていると思うが、改めて自分の口から名乗ろう。おれは六番隊部隊長を任されているライミィだ。よろしくな」
「おれは、真司。よろしく」
「ああ。――ふふ、こちらへおいで。そんなところにいられては何も始まらないだろ」

 手招きをされてからおれはようやく、扉の傍に立ったままだということを思い出し、少し早足でライミィのもとまで歩み寄った。
 近づけば近づくほど、その顔立ちが、輪郭が、はっきりと見える。それに比例しておれは戸惑い、ライミィは口元の笑みを深めた。

「その様子だと、聞いていなかったようだな」
「……誰も何も教えてくれなかった」
「はは、皆おまえを驚かしたかったんだろうか。意地の悪いことをするものだ」

 そう爽やかに笑うライミィは、顔に似合わず男前な話し方だ。だから余計に戸惑う。

「あの、こんなこと聞くのは失礼なんだけどさ……その、ライミィって……」

 言葉を濁すおれを、はじめライミィはきょとんとした様子で、低い位置からおれを見上げた。けれどすぐに口元に手の甲をあて、小さな笑い声をあげた。

「きみの目に映る通りだと思うよ。きみはおれが、どちらに見える?」
「……じょ、女性です……失礼しましたっ」
「ふふ、初々しいな、真司は」

 笑みを崩さず、ライミィはおれを優しい色の目で見つめた。
 ――ライミィは、女の人だった。口調こそ男勝りな感じもするけど、どう見たって女性だ。寝衣なのかはわからないけど、軽く薄い服はライミィの身体のラインをしっかりとおれに見せつける。その、存在感ある豊満なそこも……。

「ここは男たちばかりだからな。彼らの言葉が移ってしまって、こんな言葉遣いになってしまったんだ」

 気にしないでくれ、というライミィにおれはただただ頷きで応えた。
 促さられるままにベッドの近くに置いてあった椅子に腰かける。椅子よりも少し足が低いはずのベッドなのに、おれとライミィの視線は逆転して、今度はほんの少し見下ろされる形になった。
 ベッドに座ってるからわからなかったけど、ライミィはおれよりも背が高かったようだ。この世界の人はやっぱり、全体的に背が高いのかもしれない。……複雑だ。
 そんな胸中を悟られないように、それが顔に出ないように気を付ける。

「勉強の前に、少し話でもしよう。緊張したままだと、頭までかたいままだからな」
「う、うん」
「……おかしいな。真司たちの世界では、女はそう珍しくないんだろう? それなのにどうしてそうかたくなるんだ?」

 不思議そうに小首を傾げるライミィに、おれはどう答えていいか戸惑いながら、少し間をおいて口を開いた。

「おれ、あまり女の人と接点がなかったから……それに、その、ライミィはすごくきれいだし」
「ふふ、そうか。おれはきれいか」

 気まずくて、思わず言いよどむおれとは対象に、ライミィは明るく微笑んだ。

「おれは六番隊隊長だ」
「はあ」
「扱う武器は斧」
「お、おの?」

 突然始まったライミィの自己紹介のような言葉に、おれはただ微妙な顔で頷く。それに笑顔を崩すことなくライミィは続けた。
 斧って、あの斧だよな? 山男とか、大男が使ってるイメージが強いんだけど、ライミィの武器はそれなんだ……。
 桜色の髪をなびかせながら斧を振るう姿が想像できなくて、おれはさらに変な顔をしてしまう。

「言っておくが、人間の中ではヴィルハートの次に腕力が強い」
「えっ!?」
「この間行われた腕相撲大会人間の部で二位だ。ヴィルハートにだけは勝てないが、そこらの男などおれの敵ではない。レードゥやコガネより、おれの方が強いぞ」

 ヴィルハートの馬鹿力は目の当たりにしてるから、それがどれだけすごいものか知ってる。そのヴィルハートに勝てないのはむしろ納得できるけど、まさかレードゥやコガネよりも強いなんて。
 ライミィを見れば、決して筋肉隆々なわけじゃなく、身体も、手首も細いし普通の女の人に見える。なのに、周りの男よりも強いだなんて言葉は信じがたい。
 そんなおれの考えが顔に出てたのか、ライミィは信じられないなら周りに聞けばいいさ、と男前な笑顔で、おれの意見を否定はしなかった。

「ああ、あとそれと、おれは辛い物が好きだな。汗が噴き出るようなとびきり辛いの」

 他には、いつもライミィの隊の副隊長に食べ歩きをして叱られるとか、湯に入っていたその副隊長に会いに行ったら、素っ裸のその人にやっぱり叱られたとか、甘いものと細かい作業が大の苦手なんだとか。
 そんな、些細なことではあるけど、自分のひとつひとつをおれに教えてくれた。最終的には、副隊長に最近叱られたことばかりがずらりと並んだが、おれはそれを聞いているうちに自然と笑っていた。
 気づけば、ライミィに対しての変な緊張感もなくなり、言葉の間におれの意見を挟めるようになる。

「なんだよそれ、ライミィすごくきれいなのに、やることおっさんみたいだ」
「はは、それはそうさ。こんなむさくるしい場所にしおらしい女ではいられないからな。女といえどもたくましくいかないと」

 でもそのおかげで、六番隊のやつらがおれに頼ってなよなよしてると、ライミィは大げさに肩をすくめる。
 それに思わず笑い声を上げれば、ライミィは切れ長の目でおれを見た。淡い瞳は、いつまでも穏やかに優しい。

「真司、おれの信条はな、何があっても笑顔を忘れないことだ。どんな人間にも、笑顔は似合う。笑えば心も解れる。つらくても苦しくても、笑えば乗り越えようと思う気力がわく。笑えば、周りの気持ちも変わる。だから、笑顔を絶やさないようにしているんだ。――どうだ、いいだろう?」

 これだけは副隊長に褒められたことだ、と話すライミィの表情はやっぱり穏やかに笑っていて。
 おれも、口元を緩ませながら頷いた。

 

 

 

 日が落ちるよりも少し早く勉強を終えたおれは、部屋で岳里の帰りを待っていた。
 一人ですることもなく、ベッドの端に腰かけて窓の外に目を向けていると、不意にノックもなしに扉が開く。
 振り返ればやっぱり岳里がいた。
 おかえり、と言おうと心に決めていたおれは、けれど岳里の姿を見て別の言葉が口から飛び出す。

「ど、どうしたんだ!?」

 あわてて扉を背にして突っ立ったままの岳里へ駆け寄ると、二三歩手前に来た辺りで、岳里が無言で掌を前に突出し、来るなとおれに合図を寄越す。
 それに無意識に従って足を止めたおれを見て、岳里はようやく口を開いた。

「――どうだった」
「へ?」
「ライミィは、どうだった」

 いつもの無表情、というより真顔でそんなことを聞いてくる岳里に、おれは戸惑いながらも答える。

「え、あ……すごく、いい人だったよ」
「それだけか」
「あ、あと、きれいな、人だなあって。でも中身はおっさんみたいなギャップがあって面白い人……とか?」
「――風呂に行ってくる」
「……行ってらっしゃい」

 岳里はさっさと扉を開けると、ぱたりと音を立てて去っていく。
 とりあえずおれは、部屋に入ってきた時点で泥だらけだった岳里の残していった土のかけらを掃除して、再び風呂から帰る岳里を待つことにした。
 なんだったんだ、一体。

 

 

 

 しばらくして風呂から帰ってきた岳里は、そのままおれの腕を掴んで踵返し、おまえも風呂に入れと浴室の手前にある脱衣場のある部屋に放り込まれた。
 釈然としないものの、言われた通り風呂に入ろうと、服を脱ぐ。
 ていうかおれも風呂に入れさせたかったんなら、最初岳里が行こうとした時に一緒に連れてけばよかったのに。別に岳里が風呂に入ってる間ぐらい、待てるし。
 そもそもなんで一度あの部屋に顔出したのかが一番の謎だ。おれを心配してくれてた、のか? でもライミィっていい人だし、岳里が心配するようなこともないんじゃ――あ、もしかして。下の服に手をかけた時、おれははっと気づく。
 もしかして岳里、ライミィを狙ってる、とか?
 ライミィはすごくきれいな女の人だし、多少がさつな面があったり、どちらかといえば男前な性格だけど、芯のあるところは好感が持てる。それに、その……スタイルもよかったし。
 あれだけきれいな人なら一目惚れしてもおかしくない、と思いつつ、そうじゃないんだろうな、とおれは心の中で思わず笑った。
 岳里はきっと、ライミィに気があるとかじゃないと思う。だって、岳里にはもとの世界に大切な人がいるって言ったんだ。それなのに他の人に目移りするよなやつじゃない。
 それになんだか岳里の好み、ってわけじゃなさそうなんだよな。どんな子が好きかなんて聞いたことないけど、なんとなく。
 結局なんで部屋に戻ってきたかわからず仕舞いだったけど、まあいいかとおれは服を全部脱いで、いつものように籠にしまう。首に下げていた守り役の光も外して、そっとその上に置く。
 今回は、いつも腰に巻いていた布はせずに、堂々と浴室の中に入ってみた。

 

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