「この、世界の……?」

 静かに、一人語りのようにつぶやかれた言葉に、おれは無意識のうちに首を振る。

「そ、んなわけ……だっておまえ、おれの一緒の高校にっ」
「確かに通っていた。しかし、おれは幼い頃にあの世界に召喚されたからだ。本来はこの世界しか知らないはずだった」

 声を荒げるおれに返ってくるのは、あくまで淡々と紡がれる岳里の言葉。
 それがおれの胸の中に言いようのない不安のようなものを膨らませる。その不安の大きさを表すように声が大きくなりそうになるけれど、それを押さえて、おれも冷静に話せるように拳を握った。

「召喚、って?」
「おれは、あの世界におれの主となる人間に喚ばれたんだ。――真司、おまえだ」
「おれ、が」

 岳里は、岳里の主になる人に向こうの世界に喚ばれた。その岳里を喚んだのが、おれ――

「しらな、ない……っ、なんだよそれ、おれはそんなの知らない!」
「おまえがおれの主であると言う証拠ならばある」

 おもむろに、岳里は懐からビー玉くらいの小さな玉を取り出す。けれどそれは半分くらいにかけていた。

「これは韜晦石(とうかいせき)。他者の目に晒したくないものを隠すことのできる、魔石だ」

 魔石。前にジィグンが教えてくれたことがある。アロゥさんのような魔術師の魔力が込められている石で、魔導具の一種らしい。魔導具は様々な種類があって、そのうちの魔石は一般に普及されている、一番身近なもの。光を放つ、光石なんかがそれにあたるそうだ。
 岳里はおもむろにそれを掌の中に収めると、そのまま強く力をこめる。ぱきんと音がしたと思ったら、広げられた岳里の手の上でその韜晦石というやつが粉々に砕かれていた。

「今までこれで、おれとおまえの“心血の盟約”の証を隠していた。だがもう必要ないものだ」

 不揃いな大きさの粒になったそれを、岳里は掌を返してその場に落とす。わずかな風が吹いただけで砕かれた石の破片は地面に転がりどこかへ行こうとする。
 それを眺めながら、岳里の言葉を小さく繰り返す。

「心血の、盟約……」

 岳里はおれに背中を向け、突然上の服を脱いだ。前触れもなく半裸になる岳里に、けれど驚く間もなく、その背中に目を見張る。
 程よく筋肉がついて、しなやかにたくましいその背一面に、黒い太陽のようなものが描かれていた。刺青なのかよくわからないけれど、くっきりと肌に色づいている。
 何度も一緒に風呂に入ったことがあるけど、こんなものなかった。こんな、こんなもの。

「――背中のものは関係ない。その、下だ」
「し、た?」

 岳里の言葉に素直に目線を下げれば、右の腰のあたりに、それはあった。そこにある文字を、おれはそのまま口にする。

「――……“竜”」

 岳里の腰にあった文字は竜。その、少し崩れ丸みを帯びた文字は見覚えがあった。
 前に、ジィグンやネルに見せてもらったことのある契約の証。それに、とてもよく似ていた。

「おまえも同じ場所に、この証がある」

 じっとその一点を眺めていると、いつの間にか岳里が被り着直した服に隠される。身体を戻した岳里は、変わらずおれに目を向けず淡々と言葉を口にした。
 おれはその横顔から目を背け、自分の右脇腹のあたりから服をめくってみて、身体を捩りながら、上げた脇の下からそこを覗いてみる。
 辛うじて、ではあるけれど、竜、という文字の右半分くらいだけが確かに見えた。

「それが、おれとおまえを盟約を交わした関係にあるという証だ。これまで誰にも見えないよう、先程の韜晦石で証を消していた」

 信じられないけど、でも、確かに証はあった。身に覚えのないそれが、存在していた。
 ならおれは本当に、岳里の……?
 認めたくない。けれど、確かに証明するものがある。でも、だけど。認めてしまえば岳里の言葉まで、全部を認めなくちゃいけない。
 絶対に認めたくなんてなかった。
 それなのに岳里はここでようやくおれを見た。ちらりと横目で一瞬。すぐに逸らされて、代わりというように、薄く口が開く。

「おれは、竜人(りゅうじん)。この世界に生き、竜の血を紡ぎし歴史の語り部。竜族とも呼ばれる者どもの一人だ」
「竜人、だと……? 岳里おまえ、あの竜族だってのか!?」

 岳里の言葉に声を荒げたのは、おれでなくこれまで沈黙を貫き見守っていたはずのジィグンだった。

「竜族っつったら、人前に滅多に姿を表さない、俗世と関わりを断って久しいだなんて言われて、竜の――」
「ジィグン。今はおまえが口を挟む時ではない。閉ざしておれ」
「……悪い」

 ジィグンの言葉は静かなアロゥの声に制された。一度おれにちらりと目を向けてから、ジィグンは乗り出しかけた身体を戻して再び見守る体勢に入る。

「……りゅう、じんだとか、盟約だとか、証だとか……そんなの、よくわかんない。全部、わかんないけどさ……本当、なのか? 少なくともおれは、おまえとそんな風なことした記憶ないけど」
「――おまえとおれが盟約を交わしていることは事実だ。現に先程おれは、おまえの血を飲み発作が止まったろう」

 岳里の言う発作がなんなのか、説明されてないおれはそれすらわからない。けれど岳里の口ぶりからして、その発作が止まったのは、“主”であるおれの、指先の血を舐めたから。
 確かに、岳里はあれほど苦しんでいたのに竜の姿になって、それからおれの血を口にして、元の人の姿に戻った。いつもの、岳里に。目も光ってないし頬の鱗もなければ髪も黒くて。前みたいに何事もなかったように口を開いて。それは、おれの血を含んだからなのか。
 そうか、おれに身に覚えがなくても、おれは本当に岳里の、竜人の岳里の、主なんだ。
 胡坐を掻いた上にぽんと置かれた自分の指先を見ると、血は既に止まって、うっすらとした線となった傷跡があった。
 ――結局、岳里がおれに伝えたかったことって、さ。

「おまえはずっと、おれを騙して、たんだな……?」

 岳里は応えず、同じ体勢を変わらず続ける。おれが睨んでも、こっちを見ようともしない。
 それがさらにおれの胸に打ち付けられた杭を、深く突き刺す。

「おまえはこの世界のことを知ってて、なのにおれには一緒の世界から来たって、この世界なんて知らないだなんて言ったのか?」
「――ああ」
「……なんで、なんで言ってくれなかったんだよ。なんでそんな嘘ついたんだよ!」

 一人で喚くおれが馬鹿みたいに、岳里は傍らでおれにどんなに吠えられても、それでも視線すら寄越さない。ただじっと前を見て、薄く口を開く。

「ただでさえ異世界に来て混乱するおまえにこれ以上負担はかけられなかった。おれの主だということなど、明かしたくはなかった」
「ならなんで最後まで隠し通してくれなかったんだよ! なんで今更この世界の人間だとか、おれが主だとか、そんなこと言うんだよ!」

 岳里はだた、すまない、と隠れてしまいそうなほど小さな声で言った。
 さらに言葉を続けようとしたとき、ジィグンが間に入る。

「おい、落ち着けよ真司。岳里だって何かしら理由があるんだろう。こいつが理由もなくおまえを――」
「落ち着いてなんかいられるかよ、信じられるかよ! おれをずっと、ずっと騙してきたやつの言い訳なんて、信じられない……っ」

 ジィグンの言い分は最もで、おれだって本当はわかってる。岳里が理由もなく嘘を吐くわけないって。でも、でも駄目なんだ。
 岳里をずっと、すごいやつだと思っていた。おれと同じく異世界に来たっていうのに、そのことに戸惑うおれを気にかけてくれて。辛い時は弱った時には、必ず傍にいてくれて、溜まったものを吐き出させてくれた。
 強い人だと、憧れていたんだ。右も左をわからないこの世界で、岳里を頼りにここまで頑張ってこれた。
 なのに、それなのに。
 おれは立ち上がり、いつまでも顔を向けない岳里を見下ろす。見えない表情のせいなのか、言葉は止まらなかった。

「おまえのことなんて、もう何も信じられるわけ、ねえだろ……っ!」

 裏切られたって、そう思ったんだ。勝手に信頼して、甘えてただけの癖に。一方的だったおれの気持ちが、また勝手に姿を変える。自分のことなのに、おれじゃどうしようもできない。どんどん冷たくなっていく心を止めることができない。
 呼吸がしづらく思えた。感情が高まってるからなのか、それとも身勝手に傷ついてるからなのかはわからない。わからないけど、苦しい。
 ようやくおれのほうへ向いた岳里の顔は、珍しく動揺しているのがわかった。何か言いたげに薄く口を開こうとしたその時。
 突然、空気が揺らいだ。

「――! 気を引き締めよ、何か来る!」

 初めて聞く、鋭く尖るアロゥさんの声に、おれは何が起ころうとしてるのかわからなくて、ただ首を振るようにあちこちに視線を巡らす。その視界の端で岳里が立ち上がり、こっちに手を伸ばしてきたのを見て、おれは咄嗟にその手を弾いた。

「……さわ、るな!」

 反射的に動いたおれの手に、自分自身で驚きながらも、それを岳里に悟られたくなくて飛び出す拒絶の言葉。
 自分で言ったのに、手を弾いたのに、おれは思わず岳里の顔を見てしまった。
 目に映る岳里の表情に、驚いた様子はなかった。ただ悲しげに、僅かに眉間にしわを寄せて、唇を強く結んでいる。とても、辛そうな顔をしていた。
 なんで、そんな顔するんだよ。
 唇を噛みしめて、おれが目を逸らしたその瞬間、突然雷が落ちたような凄まじい轟音が響き渡った。
 堪らず耳を塞ぎ、無意識に薄く狭まる視界で他の三人に目を向ける。みんな同じように耳を塞ぎ顔をしかめていた。大きな雷がずっと鳴り続けているように、その音は鼓膜に殴りかかってる。
 いったいどれだけ続くんだ、と食いしばった歯の隙間からうめき声を出した時、唐突に音が止む。けど余韻なのか、まだ音が鳴っているような気がして、ぐらぐらと揺れる頭を押さえた。
 不意に、背後から肩を叩かれる。
 驚いて振り向くと、後ろにあったその顔を見て、おれは思わず小さく口を開きながら息を飲んだ。

「久しぶりだな、真司。元気にしていたか?」

 おれの顔を両手で挟み僅かに上に向かせて、まじまじと顔を覗き込む。
 あまりの、予想もしてなかったその姿に、目の前の顔をただ見つめるしかできない。

「ん、痩せてないみたいだし、元気そうだな。でも少し肌が荒れてるぞ。ちゃんと寝ているか? おまえのことだから、食生活には気をつけているとは思うが、三食きちんと食べてるだろうな」

 質問に、ただただ頷いて答えるおれをみて、それでも満足そうに目の前の顔は笑むと、ようやく頬から手を離す。

「よし、ならいい。――心配したんだぞ、今まで。ずっと、おまえのことが頭から離れなかった。でも元気そうで安心した。本当によかったよ」

 顔から離れた手はそのまま、背中に回される。
 気づけばぎゅっと抱きしめられて、その腕の中におれはいた。おずおずと抱き返せば、さらに強い力で抱きしめられる。
 未だに抜けきらない驚きのまま、そっと目の前の胸に顔をすり寄せると、背中に回っていた手はぽんぽんと、あやすようにそこを優しく叩く。
 無意識に震える喉をどうにか押さえて、完全に目の前の人に身を委ねた。
 服に染み込む、嗅ぎ慣れた、けれど懐かしく思える匂い。落ち着いた声に、おれを心配するその言葉たち。背中を叩き撫でる手に、胸がいっぱいになる。
 息を、吐き出されるそれにおれの声は混ざりながらも、たくさんの溢れる思いと一緒に、その名前を呼んだ。

「にい、ちゃん……っ」
「ん、真司。おまえが無事でよかった。もう心配かけてくれるなよ」

 優しく耳元でささやかれる言葉に、おれは何度も頷く。

「ごめ、んな、さ……いっぱい心配かけて、ごめん。黙っていなくなって、ごめん、ごめんなさい……っ」

 口から出るのは、ごめん、という言葉ばかりで。言いきれない思いは、目から溢れる。このままじゃ兄ちゃんの服が濡れるとわかってても、それでも離れられない。反対に、もっと強く顔を押し付けてしまう。
 けれど兄ちゃんはそれを笑って許してくれた。少し見ないうちに泣き虫になったのか、だなんて言って。いつもならうるさいだなんて言うのに、でも今はやっぱりごめんとしか口からはでなかった。
 兄ちゃんが、ここにいる。異世界であるはずのこの場に。それを疑問に思わなかったわけじゃない。けれど、そんなことよりも今は、兄ちゃんの存在が懐かしくて。
 その胸の中でぐずぐずと涙を流してしまう。

「おまえが何も悪くないことは知ってる。だから、そんなに謝らなくてもいいんだ。おれこそすぐに迎えにこれずに悪かったな」

 優しくそっと降りかかる兄ちゃんの声に、おれは首を振るしかできない。
 顔を上げてればそこには兄ちゃんの笑顔があって、懐かしくて。
 どうにか嗚咽を殺して、一言だけ口にしようと唇を薄く開くと、それよりも早く、うなるような低い声が吐き捨てられた。

「真司を、離せ」

 思わず顔を声のするほうへ向ければ、そこには岳里がいて。戻ったはずの瞳がまた金色に輝いていた。
 兄ちゃんは庇うように、身体を岳里のほうへ前に少し出して、おれを後ろに追いやる。

「誰かと思えば……懐かしい顔だな。身体こそ大きくなったが、中身はまるで変ってないようだ」
「――もう一度言う、真司を離せ」
「おまえに言われる筋合いはない」

 はっきりとわかる、剣呑な雰囲気。おれは戸惑いを隠すことができず、岳里と、兄ちゃんの顔を交互に見つめる。
 懐かしい顔と、兄ちゃんは確かに口にした。岳里のことを知ってるんだろうか。

「そういえば、ここ数日、よく“雨が降っていた”な――騎士(ナイト)気取りもいいが、周りを吠えるばかりで肝心なところで守ることのできないおまえに、渡せるものか」

 はっと、岳里が何かに気づいたように僅かに顔色を変えたのがわかった。兄ちゃんを見るその目には、明らかな動揺が見える。

「……おまえ、まさか」
「真司、おれと一緒に行こう」
「え……」

 岳里の言葉を遮るように、兄ちゃんがおれに顔を向けそう言った。
 突然のことに思わず声を漏らしたおれを気にすることもなく、兄ちゃんはおれを離し、肩に手を置く。右手で涙を拭ってくれながら、また口を開いたところで、視界の端で岳里が動こうとしているのが見えた。

「っ、おまえは――」
「十五(とうご)」

 兄ちゃんにもそれが見えていたようで、すぐに岳里の方へ振り返ると、冷静を崩さずにそう口にした瞬間。兄ちゃんと岳里の間に、ひとりの男が突然現れた。
 ちょうどおれの方に背を向けているからその顔はわからないけど、思わず、その紺色の背中を覆う長い髪に目が奪われる。
 岳里の、竜の姿になった時の鱗と同じ色がそこにあった。その人も背が高いらしく、背格好が岳里にとてもよく似ている。だからなのか、目が離せない。
 奥で岳里が、はっきりと驚いた顔を見せた。おまえは、と小さく口が動いているのが見える。さらに離れた場所にいるジィグンも、そしてアロゥさんもその人物の顔に釘付けになっていた。
 一体どうしたんだとおれがそっちに気を取られていると、兄ちゃんに名前を呼ばれる。
 前に向き直ると、兄ちゃんは微笑んでいた。

「元の世界にまだ帰ることはできないけど、その方法はおれが探し出して見せる。真司はおれの隣でその手伝いをしてくれ」
「てつ、だい……」
「ああ、そうだ。いつまでもこんな危ない世界に居られるわけないだろ。それにおまえが傍にいないと不安で仕方ない」
「でも、おれこの城でお世話になってて……」

 兄ちゃんと一緒に行きたい気持ちは強かった。
 でも、この世界に来てすぐ、おれたちを保護してくれた王さまたちに申し訳が立たない気持ちも強い。もし王さまたちがおれたちを招き入れてくれなければどうなっていたか、想像もできない。衣食住の世話から何から全部してくれて、十分すぎる恩がある。
 それを放りだして兄ちゃんと行くとは、すぐに答えは出せない。
 言い淀むおれの言いたいことは、きっと兄ちゃんならわかってくれるはず。そう思ったけど、でも実際兄ちゃんの顔に浮かんだ表情は、とても辛そうだった。

「真司。ここにいたらおまえは殺される」
「ころ、され……? そ、そんなわけっ」
「あるんだ。このままだったらおまえは殺されるし、もし助かったとして、今度はおれが命を狙われることになる。ここは危ないんだ。だから、おれと一緒に行こう。安全な場所へ」

 声を荒げ肩に力が入るおれに、兄ちゃんはあくまで冷静に、言葉を続ける。
 ここにいたらおれは殺される。おれが助かったとして、そうしたら兄ちゃんが殺される。信じられない話だけど、でも兄ちゃんがわざわざこんな嘘をつくはずない。

「……本当、なのか?」
「ああ。それを速やかに行えるためにも、きっとこの城のやつらはおまえにいい顔しか見せてないんじゃないか? おまえの信用を得るために。その裏でどんな話し合いがなされているか……真司、頼む。おれと一緒に来てくれ」

 切実にそう望む兄ちゃんの声に、おれはまだ答えが出せない。
 兄ちゃんが嘘をつくとは思えない。けど、でも、この城の人たちがおれを殺そうと、してるなんて。それだって信じたくはなかった。
 そっと、ジィグンとアロゥさんの方を見る。ジィグンは岳里の目の間に立つ人に警戒していて、アロゥさんはおれと兄ちゃんを厳しい顔で見ていた。
 その表情が何を語りたいのかわからない。けど、急にそれが恐ろしく思えた。頭の中にあるいつも浮かべるアロゥさんの穏やかな笑顔が、今の表情に塗りつぶされる。
 そして確かに兄ちゃんの言葉はおれの胸に引っかかった。
 “この城のやつらはおまえにいい顔しか見せてないんじゃないか?” それが、否定できない。
 おれがこの世界に訪れたその日に、この城でお世話になることが決まった。異世界の人間だと言うおれたちの言葉を信じてくれて、部屋まで貸してくれて。正直、すんなり行き過ぎている気はしていた。
 みんな優しくしてくれたし、助けてもくれた。異世界の人間であるおれを、特になにもできないおれを、受け入れてくれた。でも、もしもその裏に何かあったとしたら。そうだとしたら、うまくいき過ぎたってこともなんら不思議じゃない。そういう、筋書なら。

「っ、はは……もし本当にそうなら、おれ、馬鹿だな」
「真司」

 思わず零れた笑い声に、けれどおれを呼ぶ兄ちゃんの声は悲しそうで。

「おれがこの世界で信じたものって、なんだったんだろ。岳里だけじゃなくて、みんなにも騙されてたのかな」

 そう思いたくはなかった。けれど、完全に否定することもできない。
 いつの間にか止まっていた涙がまた溢れ出しそうになりながらも、息を詰めて、胸の奥からこみ上げるものに堪える。
 兄ちゃんが何を持って、そんな物騒なことをいうのかはわからないけど。完全にその言葉を信じたわけでもないけど、でもおれの心はどんどん冷たくなっていく。
 周りに誰もいないような、無防備に大切な何かがさらされているような――これが孤独、なんだろうか。言いようもなく、心細くて、辛くて、寂しくて。
 俯いたおれの頭を、兄ちゃんがそっと撫でてくれた。

「大丈夫、これからはおれが真司の傍にいるから。おまえに辛い思いなんてさせはしない。また兄弟ふたりで、この世界で一から頑張っていこう」

 兄ちゃんが傍にいてくれるのに、声をかけてくれるのに、それなのになんでだか心にぽっかり空いてしまった穴はふさがらなくて。頭を撫でてもらっても、何も感じれなくて。
 気持ちはどんどん沈んでいく。底の見えない、深い深い場所に、ゆっくり落ちてく。
 兄ちゃんがいるのに。兄ちゃんとまた会えたのに。
 なんでこんなに胸が、悲しくて痛いんだろう。
 ――悲しいのは、痛い。
 こんな時にも思い出すあの言葉に、声に。そこへすがろうとする自分を止めたくて、おれは目の前の兄ちゃんの身体に身を寄せる。
 その時、兄ちゃんに気づかれないように、そっと目線だけを脇へ逸らした。
 一瞬だけとらえることのできた、岳里の姿。目の前の人に警戒しながらも、おれの方へ目を向けていた。
 その瞳は、変わらず金に光っていて。
 おれはようやく、答えを出すことを決めた。

「……兄ちゃんと、行く。おれも連れてってくれ」
「ああ、わかった。行こう、真司」

 嬉しさをにじませるその声に、おれは強く唇を噛みしめた。

「十五、先に行く。おまえはあとから自分で来い」
「――――」

 兄ちゃんの言葉を最後に、再びあのバリバリと雷鳴のような音が轟く。おれが耳を塞いだ瞬間に、ふっとその音は、周りの音も全部一緒に消えてしまった。

 

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