ようやく顔を前に向けると、面を食らったような表情で状況を見つめる。
 岳里の身体の前に縦に構えられたシャトゥーシェを見て舌を打った。

「なるほど、そういうわけか」

 目を細めながら掲げられた剣を緑の目が睨む。それには嫌悪のような感情が見えた気がした。

「その剣、神のものだな。道理で嫌な気配がするわけだ。それで魔術を断つか。こざかしい」
「ああそうだ。これはディザイアから渡されたもの。これがあれば今更おまえが魔術でおれを殺しにこようともすべて防いでくれるだろうし、断ち切ることさえできる」

 そう説明する声はいつものような感情の見えない平坦なもののはずなのに、どこか岳里の苦い思いが窺える気がする。
 説得が通じなかったかなんだろうか。それとも、竜と同じ色の目を持つ岳里をついに本気で殺しにかかったから、なんだろうか。それはわからない。
 ただ今は確かに何かに苦しめられているように、そう見えるんだ。ただの思い過ごしなのかもしれないけれど、その声を聞いていると何故だか胸がじくりと痛む。
 けれどエイリアスはそんなものを微塵も感じていないように、気にしていないように、笑った。

「魔術は効かぬ、か。だがそれだけがわたしの攻撃の手ではないぞ。この身で扱えるは古き魔術もだ。それは人のひ弱な身体を強化することもできてな。この研究馬鹿の細身といえども今は竜人であるおまえに引けをとらぬ屈強なものへと変わっている。例え剣の振り合いとて気を抜けば、躊躇いなくその首を刎ねてくれよう」

 ほの暗く顔に笑みを浮かべながら、エイリアスは手にしたリィスを示すように前に出して、ゆっくりと王座から伸びる短い階段を下りる。
 緩やかな足取りは余裕を表していて、確実に岳里との距離を詰めていった。
 さっきみたいにまた剣が交わるのかと息を詰めれば、それが上げる無機物な音とは正反対にすぐ隣から言葉が出される。

「――ジャスさんの、身体への影響はどうなんです」

 セイミアがここに来て初めて声を上げた。
 無感情の目がおれたちの方へと向けられる。どこか冷ややかな印象も持てるそれに臆することなく、離れた場所にいるエイリアスへとさらに大きな声を上げ、その目を見つめ返した。

「あなたの言うように人の身は弱くそして脆いものです。ましてや竜人と比べるとその差は歴然、根本的なものが違いますから。その差を無理に魔術で埋めてしまえば、身体に何の副作用もないとは思えません」
「ああそうだな、相当な負担を強いられるだろうよ。だがそんなものわたしには関係ない。所詮この身は乗り移るに相性がいいだけのただの器に過ぎぬ。せいぜいおまえたちを殺すまでもってくれればそれでいいさ。まあ、半ばで朽ちたとて代わりはいるし、どのみちこれの行く末などわたしの気にするところではないな」

 その言葉にセイミアは拳を握りそれを震わし、おれはただきつくエイリアス睨むしかできなかった。
 エイリアスにとってジャスの身体は都合がいいだけのもので。消耗品のような認識、なんだろう。
 吐きだした言葉通りその身体をどんなに酷使しようと気にしないし、その結果動けなくなっても、関係ないんだ。
 王さまたちにはもう――ジャスの身体を取り戻すことは、諦めたと言われていた。ジャスも隊長だからと。自分の身が犠牲になろうともそれは覚悟の上だからと、エイリアスのことだけを考えろと。
 でもおれも岳里もそうは言われてもその通りに、エイリアスだけを追いかけることはできない。だっておれたちが求めるのは誰もが幸せな、笑って迎える終わりだ。そこにエイリアスが含まれるならもちろん、ジャスだってそうならなくちゃいけないから。
 魔術で高められたジャスの身体。そこにかかる負担が大きいっていうなら、なるべく身体を使わせない方がいいはずだ。どうにかして戦うことを避けないと決着がつくよりも先に限界がきてしまう。
 岳里もそう思ったんだろう。剣を油断なく構えていたのに、少しだけその切っ先が下がる。けれどそれをエイリアスも見逃さなかった。
 ゆっくりとした足取りを一変させ駆け出すと、そのまま迷いに揺らぐ岳里へリィスを振り払う。
 右手に持つクラティオルでそれを受け止め、左手に持つシャトゥーシェでエイリアスが避けれる速さで遠ざけるよう薙げば、あっさりと離れていった。

「わたしを消しにきたのだろう? ならば戦え、竜人よ。それ以外の道は残されてはいない。この身を心配して守る一方では何も始まらないし、ましてや終わりもしないぞ」
「――おれ、は……」
「ふん、戦いたくない、とでも言うつもりか? 随分甘い刺客が来たものだ。“何かを得る時、何かを守る時。綺麗ごとばかり並べてはすべてを失うこともある”と、そう言ったのはどの口だったかな。わかっていながら結局は何も捨てられぬのであれば、ならばすべてを失ってしまえ」

 それは、岳里が兄ちゃんを助け出す時にエイリアスに向かって告げた言葉だった。
 その時はあくまでおれたちが兄ちゃんを見捨てると思わせるために出したものだけれど、今この胸に、深く突き刺さる。
 それでも岳里が動けずにいれば、またエイリアスが動いた。

「できないというなら、したくないというなら、好きにするがいい」

 吐き捨てられた言葉の直後、また剣同士がぶつかり交じり合う高い音が空気に響く。
 一方的に繰り広げられる斬撃をただただ岳里は受け止めるばかりだけれど、その一撃一撃が傍目から見ても重たいものだとわかった。
 腕力が化け物並み、と称されるあの岳里が、ヴィルの剣を受けた時でさえ盾代わりにする剣が揺るがなかったというのに。今エイリアスから与えられる重みに何度も浅くではあるけど押され動かしていた。
 それは古の魔術で強くなったジャスの身体が本当に竜人である岳里に並ぶものになっていて。だからこそ剣がぶつかり合う度に鳴る音はその身体があげる悲鳴でもある。
 守っているだけじゃ、ジャスの身体は守れない。その動きを止めさせない限り。
 それをわかってか、岳里は守りの体勢を変えて反撃に出る。
 相手が持つのは一振りの剣だけで、盾も何もない。装備もジャスが普段から身に着けているよれた白衣だけで刃を到底受け止めきれないものだろう。それに対して岳里にはクラティオルとシャトゥーシェがあって、手数は断然上だ。同じく盾も鎧もないけれど、アロゥさんの魔術がかけられた特別な服を着ているし。
 片方でリィスを抑え付ければ、もう片方でエイリアス自身への攻撃も可能だ。
 おれの考えた通り岳里はクラティオルの方でリィスを押さえつけると、もう片方の剣でエイリアスの足を狙った。それで動きを鈍らせたり、封じたりしまおうというつもりなんだろう。
 足の腱に向かって伸びる刃を防ぐ手立てはない。あとはもうそこが叩かれるのを待つだけになり、もうじき上がるであろう声におれは咄嗟に顔を背けた。

「――っ!」

 けれど聞こえてきたのはエイリアスの声じゃなく、驚いたように息を飲む岳里の声で。

「あれは……」

 おれとは違い目を背けずに状況を見つめていたセイミアも岳里と似たようなものを口に出したものだから、恐る恐るまた対峙する二人に顔を戻す。
 そこに、予想していた光景はなかった。痛みに蹲ると思っていた姿は変わらず立っていて、代わりにその足元から黒が溢れ出していて。理解するのに時間がかかる。
 その間にも岳里はエイリアスの攻撃を受け流しつつ、少しずつ後退して距離を取った。けれどその先にも黒は伸びていく。
 それは、影だった。エイリアスが作る足元の影から手のような、真っ黒な触手がたくさん伸びては上に向かってうねうねと動いている、そのうちの半分が岳里を追い、白い刀身のクラティオルに絡みつこうとしていた。
 どうにかそれを振り払おうにも、何故か影だと思う黒い手は切れない。それどころか鋭い刃に無遠慮に巻きついて自分の色に塗りかえていく。しかもそれは剣を奪おうと凄まじい力で岳里の手から引きはがそうとした。

「これはわたしの影。剣では切れぬぞ、さあどうする」

 愉快そうに笑うエイリアスに応えず、岳里は眉間に皺を寄せ、全身に力を込めてそれに抵抗する。それでも身体ごとエイリアスの方へ引きずられていった。

「岳里が、力負けしてる……」

 それは初めてみる光景だった。
 一度動いてしまえばずるずると床を滑り、ざらついた音を上げる。その間にも影はひとつ、またひとつと伸びて剣に触れる数を増やしていった。そしてクラティオルの本来の色である白が持ち手以外すべて消えてしまう。
 岳里は左手に持つ、まだ自由の奪われていないシャトゥーシェを床に突き刺した。けれどそれさえ引き留める役割は果たさない。
 空けたはずの距離が半分に引きずられ埋められた時、ついに岳里が動いた。
 床に突き立てたシャトゥーシェを抜きとりそのまま振り上げると、クラティオルに絡む黒たちにそのまま叩きつけた。すると影は悲鳴を上げるように細かく震えながら、そして消えていく。
 剣では切れないとエイリアスは言った。けれどシャトゥーシェに触れた影はあっさりと裂かれ、エイリアスの足元へと怯えたように戻っていく。クラティオルに絡まったままだったものは霧散するように宙に溶けていった。

「魔術だけでなく、我が影までもを断つ剣か――神もついに本腰を入れて打ち消すつもりか、おもしろい」

 解放されたクラティオルを一振りし体勢を整えた岳里に、けれどエイリアスは浮かべた笑みを崩さないままだった。
 なんでそんなに余裕があるのか。それが分からず、おれは無意識に震える。
 だって魔術は効かないし、恐らく直接対峙しても勝てると思える理由だった、あの自在に動かせる影もディザイアから渡されたシャトゥーシェの前では無力になる。それなのにエイリアスは自分の勝ちをまるで知るように、悠然と立ちはだかるままだ。
 そう思える何かがあるんだろうか。まだ見せてない、手の内が――
 もしあるとするならその余裕も頷ける。けれどその有無さえわからないままにエイリアスの影がまた岳里へと伸びた。
 岳里はそれをシャトゥーシェで払いながら走りだし、一気にエイリアスとの間合いを詰める。
 クラティオルで本体を切りかかれば、リィスがそれを受け止めた。その間にも切られた影は切られただけまた姿を現し、無尽蔵に群れを成して岳里に襲いかかる。
 そのすべてをシャトゥーシェで相手をしながら、もう一方のクラティオルではリィスと刃を混じり合わせた。
 岳里と十五さんの竜人同士の戦いを見た時のように、おれの目はすべての動きを追うことはできなかった。唯一二人の激しい剣戟が見せるものは、岳里の身体に浅いけれど傷がいくつも浮かび上がっていくということだけ。切られたそこがリィスによるものなら灰になるはずなんだから、どうやら塞ぎきれない影が擦っているようだ。その一方でエイリアスは無傷のままだった。
 クラティオルとリィスがぶつかり一際激しい音をかき鳴らした時、岳里が飛び退き距離を空ける。それを追いかけいくつか影が伸びるけれど、それをシャトゥーシェが払えば追撃はなかった。
 互いに剣を構えたまま、ただじっと動かず睨み合う。
 さすがの岳里も、そしてエイリアスも。互いに息を乱しては肌に汗を滲ませていた。でも特に岳里の方が激しく体力を消費しているように見える。それに身体から流れる傷もそれぞれ微量ながらに血を流していた。
 無理もない。だって、エイリアス自身だけじゃなくその影まで相手にしているんだ。それも斬っても斬ってもそいつらはまは出てくる。数が多いうえにきりがない。注意を向ける相手もその分増えて、一時の気の緩みさえ許されず、精神的にも辛いはずだ。
 今こうしている間にもまだ暴れ足りないとでも言うように、影はエイリアスの周りをうごめいていた。
 でも、岳里が疲弊しているこの好機に影を動かさないところをみると、それを使うにもそれなりに消耗する何かがあるのかもしれない。でもそれはおれたちにとってはありがたい話だ。
 二人の荒い息が流れながらも訪れた静寂に。少しでも岳里の体力を回復する意図も含めながら、おれは覚悟を決めて声を出した。

「エイリアス。おまえにひとつ、聞きたいことがあるんだ」

 それは、ずっとおれが抱え続けていたもの。初めから聞こうと思っていたもののこと。
 すうっと流れるように向けられた目に、緊張から握った拳を震わせながらもその内容を口にする。

「事故を――おれの両親が死ぬことになったあの事故を、引き起こしたのはおまえなのか?」

 あの事故は、岳里の予想ではおれの固有の力を発露させるため、エイリアスが仕組んだものと考えられていた。でもそれはやっぱりあくまで予想の、仮定の話。本当かどうかはわからない。
 だからそれを本人に問いかける。
 エイリアスは一度目を細めると薄く唇を開いた。

「ああそうだ。おまえが選択者に選ばれるようお膳立てしてやったんだ。選択者はあくまで固有の力を得ていなければその役割に選ばれないからな。よかったではないか、両親の死を犠牲におまえはその力を得られたのだぞ」

 おれがこの力をどう思っているか、きっとエイリアスは知っている。それなのに残酷げに嘲笑った。
 口を噤んだおれに、その仄暗い笑みをそのままに、さらにもう少し目を細めてまた口を開く。

「もうひとつ教えてやろう。おまえのその力が目覚めたことに影響され、おまえの兄も己の眠れる力を呼び起こしたのだ。そこまでは想定外だったが、おかげで楽になったよ」

 色々と便利だったぞ、とその後に露ほども思ってないであろう薄っぺらい感謝を口にする。その言葉はおれを揺さぶるには十分すぎるものだった。
 兄ちゃんの力は、おれの力の影響を受けて。それで使えるようになったっていうのか。
 楽になったっていうのはきっと魔力と治癒力の収集についてなんだろう。兄ちゃんの読心を使えば相手の心を掴むのはぐっと簡単なものになり、その日会った人だろうとも人気のない場所へ連れ込むのも簡単だ。
 そうしておびき出した相手を、エイリアスは――。
 聞いただけの、実際に目にしたことはない血の抜かれた遺体。兄ちゃんはエイリアスに操られながら、その光景も見せられたって言っていた。そう教えてくれた時のあの顔が忘れられない。
 もし、おれの固有の力が出てこなかったら。父さんたちをまだ乗せた車は爆発をしてなかった。この世界に来ることも、今こうしてこの場にいることもなかっただろう。
 そして兄ちゃんも力が目覚めることはなかったし、エイリアスに操られることも、むごい、ことを。あんなことをさせなくたって、済んだだろう。
 ぐっと唇を噛みしめたおれに、エイリアスはさらに続けた。

「向こうの世界ではほとんど効果を出さないおまえと力と違って、兄は随分と苦労したようだぞ? なにせ人の心が見えてしまうのだ。物が溢れ多くの自由を手に入れ、人間たちが互いに傲慢な思いを抱え過ごすおまえたちのあの世界では、さぞ息苦しかっただろうな。それなのにおまえというお荷物がいるから、せめて人の少ない場所へと逃げ出すことも叶わない。覗いたやつの記憶は随分と苦痛に満ちていた」
「……っ」
「それもこれも、おまえがいなければ起きなかったものだろうよ。人の心を読めるという力は一見便利だが、他人の善も悪も丸見えだ。覗ける本性はさぞ不気味だったろう。どんなに表面を取り繕ったとて、何をしようとどす黒い腹が見えてしまうのだから滑稽でもあっただろう。時にはそれに当てられ、うまく気持ちを切り替えなければ精神が壊れることもあろう――」

 それなのによく耐えたよ、と兄ちゃんを褒めるエイリアスは、けれどおれに向ける目は冷ややかなまま鋭く尖らせている。それから逃げるよう、おれは俯くしかなかった。
 知らなかった。いや、そこまで考えて、なかった。
 兄ちゃんの力を教えてもらっても、エイリアスのことで手一杯だった、ていうのもある。けれどおれはその力のせいで、もといた世界でどんな苦労を背負っていたかなんて想像さえしようとはしなかったんだ。
 おれのせいだって、いうのに。それなのに兄ちゃんに与えたものを、見えない傷を、言われて初めて気づくなんて。
 胸に渦巻くのは、自分に対する怒りとか、兄ちゃんへの償えない申し訳なさに、これまで他人の気持ちを覗いた時に感じていた苦しみだとか。
 やるせない、どうしようもできない気持ちでいっぱいになる。息苦しくて胸が痛くて。
 でもそれを、全部抱えて受け入れて。
 おれは顔を上げてまっすぐにエイリアスを見据えた。

「――なんで、そうやって傷つけようとするんだ? おまえはあえておれが悲しむことや、苦しむことをいうよな。それはなんでなんだ?」

 今度はエイリアスが口を閉じる番だった。笑みを消し去って、ただじっと、探るようにおれを見る。けれどその視線に怯えるつもりはない。
 今はそれより、自分が投げた疑問の方が余程気になるから。
 エイリアスはいつもそうだった。あえておれを傷つかせるようなことを言って、教えて、おれを責めた。おれ自身にも責めさせて、周りを不幸にしたのはおまえだと言ってきたんだ。
 それは何も間違いじゃない。実際におれのせいで巻き込んでしまって父さんたちは死んだ。兄ちゃんも力を得て、その身体に傷を負って――。
 そして実際おれに手を加えもしてきた。町で、襲われたことも。毒を含んでしまったこともエイリアスの仕業だったという。
 それが全部、おれの心に確かな傷を与えた。そしてそのほとんどがエイリアスが教え、与えたものだ。
 もしかしたらただ傷つく姿が見たかっただけなのかもしれない。でもそれだけじゃない気がして、だから直接尋ねる。
 エイリアスは沈黙したままで、おれたちはただ答えを待った。そして静かに口が開く。

「何度か言ったはずだが。おまえの持つ、膨大な混合の力が必要だったと。だがそれが叶いそうになかったからな。だからおまえが自分自身を、この世界すべてを呪い感情を暴走させてくれることを狙ったんだ。そうして力を暴走させ人間たちを消し去ってくれば楽だと思ったのでな。まあ結果的におまえは挫けなかった。早々にその心を折ってやろうと思ったのに、しぶといものだ」

 押し寄せる悲しみが、絶望が大きければそれだけおれの力によって発動される術も、強いものに変わる。だからあえて、そう仕向けるように。
 精神がたくましいのか、それともただ単に図々しいだけか鈍感なのか。そう言いながらエイリアスは顔に嘲笑を戻す。
 そんなやつを見つめながら静かに言葉を投げかければ、一瞬にしてそれは凍りついた。

「人を、その手で殺したくなかったのか?」
「――なんだと」

 途端に低く唸るような声に変わったエイリアスに、けれどおれの心は驚くほど冷静に、怯えることなく続ける。

「だって、力なんて地道に集めればよかっただろ? どれだけそうしてきたか知らないけど、今までそうやってきたんだろ。ならそうやってこっそり続ければよかったじゃないか」
「手間は省けた方がいいだろう」
「危険を冒してまで?」
「何が言いたい」

 不機嫌を露わにするエイリアスの声は滲んだ苛立ちで耳を刺す。
 見守ってくれる岳里の視線に守られながら、自分が出した言葉の意味を説明する。

「だってそうだろ。城にいるおれに手を出せばおまえの尻尾が掴みやすくなるし、禍の者だっていう正体が割れることもありえる。実際直接おれに手を出してきたから、エイリアスが復活していたことを知ることになったんだ。そうなれば人間側が何もしないでいるわけがない。必死に抵抗して、おまえを邪魔するはずだ。今みたいにな」

 睨む目はそのままに、エイリアスは口を閉ざした。けれどおれはやめない。

「それにわざわざおれたちの世界に干渉して、事故を引き起こして力を発露させて。そんな風にしてこの世界に呼びだすために手配しても、それこそ手間だし、折角集めた力だってそれだけで大分消耗しちゃったんじゃないか? もしおれの持つ混合の力が手に入らなかった場合を考えても、それなら時間をかけ人間たちから奪って力を蓄えた方がよっぽど堅実だ」

 ずっと、疑問に思っていたことだった。
 確かにおれには膨大な量の混合の力がある。自覚は未だないけれど、それは大魔術師と呼ばれるアロゥさんをしのぐくらいの本当にすごい量らしい。
 エイリアスは魔物を操るために力を集めていて、おれのそれをほしいと思う理由はわかる。エイリアス自身そうだって言ってたから。
 でも、そうするにしてもおれをこの世界に呼びだすまでの手配だったり、捕えるための手段だったり。実際この世界に来てから起きた、エイリアスを妨害するものはたくさんあった。そんなものの可能性や予想がたてられなかったわけじゃないだろう。
 それを考えると無理におれを呼びだして力を奪おうとするより、少ない量になるけれど確実に力を集められる方法の方が無難だ。無理に大きな賭けに出るよりうんとましだろうし、エイリアスは堅実に行く術を持っていたんだから。下手に存在を知られてしまうような行動して明るみになってしまうより、ある日突然魔物たちが襲ってきた方がよほど人間側は混乱するし、防衛する間もなくすべてが終わっていたろう。
 それに。もうひとつエイリアスには変なところがあった。兄ちゃんにあえて、身体に乗り移っていた時のことを全部見聞きさせていたことだ。
 兄ちゃんが言っていたけど、別に兄ちゃんの意思を強制的に眠らせて何も見せないようにエイリアスならできたらしい。現に前から身体を奪われていたジャスは何も知らずに生活していたし、もし自分のことを好き勝手されていたならすぐにでも報告していたはずだ。それなのにそれをしなかったのはただ単にその事実を知らなかっただけ、って考えられる。
 たとえ兄ちゃんの身体を解放した時、死にかけていたとして。大切なことを全部話してしまうことも考えられたはずだ。実際兄ちゃんはおれたちにエイリアスがいつ、何をしようとしているかを教えてくれた。それは全部、身体の自由を奪われていた時に“見せられていた”から知っていたんだ。
 人間を滅ぼすと本気で言っているやつが、わざわざ不利益にもなりうることをしたり、自分にとって損にしかならないことをしたり。そんなことするなんておかしい。
 でもいくら考えたところでその答えはわからなかった。
 なんでそんな、どこか矛盾したことをしてるのか。エイリアスならもっと確実に人間を滅ぼすことができたのに、今こんな状況になっていて。全然わからなくて。
 だからこそひとつの、独りよがりな推測が生まれたんだ。

「時間に限りがあるとも思えないし、だからこそじっくり計画を進めていけばよかったのに。――だからおれ、思ったんだよ。そんなにおれの力を欲したのは、人を殺して力を集めたくなんて、ないんじゃないかって」

 エイリアスの行動よりも、今あげたこの推測の方が余程矛盾しているのは、わかってる。
 だからこそやつも心底おかしそうに、狂ったように笑い声をあげた。
 ひとしきり笑い終えると、薄らと浮かんだ涙を軽く指で拭いながらまたおれへと視線を向ける。

「寝言は寝ていえ、愚かなる者よ。わたしの目的を忘れたか? おまえたち人間を滅ぼすことだぞ。それなのに、このわたしが殺したくないと思っていると、そう抜かすか! 随分とおもしろい冗談を言ってくれるものだな、人間の命をいくら奪おうともこの心は微塵も痛まぬわ」

 そうきっぱりと告げ、エイリアスはまた笑い声をあげる。
 それを見つめながら話を続けるため静かに口を開けば、不意に笑い声を止めたエイリアスが先に声を上げた。

「さきほどから付き合ってやっていれば。おまえたちは随分とおしゃべりが好きなのだな。わたしにとってむしろこの戦いが長引くのは喜ばしいことだが、そう悠長にしていられる暇がおまえたちにはあるのか?」

 一度は開いた口を噤めば、エイリアスは楽しげな表情を消さないまま言った。

「早くわたしを倒し、魔物たちの洗脳を解かねば国が亡ぶぞ」
「みんなはそんなに柔じゃない」
「どうかな。数に押されればどんな強者であろうと隙は生まれる。強者でない者はあっけなく散る。今この時まで過ぎた時間で、どれほどの死人の山が築けているのだろうか」

 冷静に、冷静に。そう念じていたのに、エイリアスの一言でぐらついてしまった。それを見逃すことなく、さらに動揺が誘われる。

「それに、あの国にはこの世界すべての最上級の魔物を向かわせたのだ。いくら人間たちが結束しようと、果たしてどれほど戦い続けることができるか見物だな」

 わかっている。おれたちの心を掻き乱すための、邪念を入れるための言葉だっていうのは。
 それなのに胸の奥で小さく抑えていた不安の枷が綻び、じわりと黒い影が広がっていく。
 もうとっくに、魔物たちとみんなは衝突してることろう。朝にぱっと見ただけでも凄い量だった。あれをすべて相手にしなくちゃいけない。どれだけみんなは持ちこたえられるのか。

「さて、竜人よ。休憩は済んだかな? こちらはいつ再開してくれても構わんぞ。いくら強化しても体力ばかりはどうしようもできないのは問題だな」

 エイリアスに警戒しつつちらりと視界の端で岳里を捕えれば、もうだいぶ呼吸も整っているようだった。汗も引き、いつもの表情に戻って目の前の存在を見つめている。
 だからこそ挑発を受け、手にしたクラティオルとシャトゥーシェをそれぞれまた構えようとした、その時。

 

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