いつもの日常、いつもの朝に


 ピピッ ピピッ
 聞こえる目覚まし時計のアラーム音に、一度目を擦ってからそれを止める。
 沈黙したそれの腹をみて時間を確認していると、自然に出てくる欠伸。噛みしめることなく大口を開けて息を吐いていると、やつも起きたのか、隣がもぞもぞと動いた。
 しばらくし、埋もれた毛布の中からぬっと顔を出した岳里。まだ少し寝ボケているようで、いつも以上にぼうっとした表情でおれを見る。
 相変わらず寝癖で大きく跳ねる髪を撫でつけてやりながら、ひとりその姿に笑む。

「まだ寝てていいよ」

 おれが早くに起きるのは朝飯を作ったりなんだり家のことをするからで、岳里がそれに合わせる必要はない。だから岳里を置いてさっさとベッドの中から抜けようすれば、上半身を起こしたところで、強引な力に腰を掴まれ毛布の中へ引き戻されてしまった。
 小さく上がったおれの悲鳴にも似た声なんてお構いなく、岳里はいつも寝るように上からすっぽりと毛布を被る。岳里に背中から抱かれるおれも当然一緒にすっぽりと。
 視界は暗くなり、耳元では早速二度寝に入った岳里の寝息がかかり、そのくすぐったさに身をよじる。

「っ、寝ててもいいから、ひとりで……!」

 ばっと腕で毛布を押しのけ、腰に回される腕を離させようとそれを鷲掴む。けれど無理矢理引き剥がそうとするも、竜人の力を持つ岳里の腕力の前ではたとえ本人が寝ていたとしても敵わず。がっちり押さえられてびくりともしない。
 すり抜けるにもそんな隙間はなく無理な話で、このままでは仕方ないとどうにか身体を捻って背中に密着する岳里へ振り返った。
 苦しい体勢の中、目に映った岳里の顔にはいつもの、気が抜けて、気持ちよさげな寝顔があって。
 一瞬、うっ、と起こすことを躊躇ったが、こうしてる間にも進む時計の針を見て心を鬼にする。

「ああもう、おまえも起きろ!」

 呑気に時間ぎりぎりまで寝ていられるやつはいいが、家事をしなければいけない者の朝は早いんだ。
 声音を荒くしながら、片手でべちりと背後の岳里の頬をひっぱたいた。衝撃、というよりもきっと音に反応した岳里はそっと瞼を開いて、ゆっくりとした動きで叩かれた頬に自分の手を添える。
 大して痛くないはずだけど、驚きはしたんだろう。ニ、三度そこを擦り、ようやくおれの腰に回していたもう片方の手も解いてくれた。

「……おはよう」
「おはよう! ほら、起きるって決めたんならさっさと起きろ」

 また捕まる前にとぱっぱと離れて、未だ動きの鈍い岳里へ声をかけていると、そこに扉が開く小さな音が届く。視線を音の先へ向ければ、扉の影からちょこんとおれたちを見つめる姿があった。まだ眠たいのか、瞼を手で擦っている。頭もまだぐらついているような気がした。
 まだ寝足りそうな息子の姿に、思わず顔が綻ぶ。

「おはよう、りゅう。起しちまったか?」
「んん、自分で、おきた……おはよう、しんちゃん、がっくん」
「おはよう」

 りゅうの寝起きで舌足らずな言葉に、岳里も顔を僅かながらに緩ましながら応えた。

「そうか、自分で起きたのか。偉いぞりゅう。折角起きたんだからまた眠くなる前に顔洗ってこい。ついでに岳里もつれてってやれ」

 いつまでも扉にもたれるように立つりゅうのもとまで歩み寄り、顔を覗き込んで、目尻にある目やにをとってやる。岳里と同じく寝癖が爆発する髪を直してやろうとしたが、残念ながらそれは手櫛程度で直るような素直なやつじゃないのを十分知っているからこそ今はやめておく。
 りゅうを岳里の方へ向かわせた後、すぐに台所に向かった。
 流しのところで眠気覚ましにばしゃばしゃと顔を水で洗ってから、初めから用意してある顔用のタオルで水気を拭う。ようやくすっきりと切り替わった心持ちでまずは冷蔵庫に向かった。
 はっきり言って、我が岳里家の朝食は普通じゃない。いや、豪華とかそういうわけじゃなくて量が尋常じゃないんだ。おれは別に普通の量しか食べないけど、とにかく岳里とりゅうがよく食べる。りゅうはまだ小さいのにおれの倍も食べるし、岳里は――もはや怪物だ。大食い選手権にでも出れば優勝を狙えちまうぐらい、よく食べるなんて話じゃない。
 とにかくよく食う二人がいる我が家は食事の準備が大変だ。普通食欲があまりわかないはずの朝でも食べるわ食べるわ。食費に頭を悩まされない月はないほどに本当に大変だ。
 もともと小さい頃から自分の飯だの兄の飯だの準備していたから、料理歴は年齢の割には長く手慣れたもんだと自負している。けれどさすがに毎度かなりの量を一人で作るのは重労働だ。作る量を考えるだけで腹いっぱいに思うことがあるぐらいだし、毎日毎日ほとんど休むことなく大量に作って疲れないわけがない。
 ――でもま、簡単な料理でもうまいうまいって言って綺麗に完食してくれるから別にいいんだけどな。
 まずは定番の目玉焼きといこうかと思い、それだけのためのフライパンをみっつ用意した。

 

 


 のろのろと同じ動きをした二人が席に着いたのを見計らい、とりあえず出来たものからぱっぱと並べていく。一般的には朝からは重いとされる昨日の残りの揚げ物もお構いなしだ。どうせ平然と平らげてしまうんだから。
 四人掛けで広々としてる机だが、すぐに所狭しに埋まっていく。大皿を使っているから場所をとるというのもあるけれど、やっぱり量が多い。朝食でこの量を並べる家庭は一体どれぐらいの大家族なんだか。少なくとも三人家族の量でないのには違いないと溜息を吐きたくなる。
 まだ全部並んでいないのに箸を持とうとする岳里の手を叩きながら休まず動き続ける。そうして間もなく、あとはお椀にご飯を盛るまでに準備が終わった。いや、お椀というより岳里とりゅうのものはどんぶりだけど。
 うちの朝は白米と決まっている。パンだとそれこそ大量に用意をしなくちゃ二人の胃袋を満たせないからだ。さすがにパンを買うとなれば量がある分高いし、かといって一から作ることは時間もかかるし、結局は白米様様というわけだ。
 そういえばまだ飲み物を用意してなかったと、台所から見えるダイニングにいる二人へ声をかける。

「岳里、りゅう、お茶飲むか?」
「頼む」
「しんちゃん、りんごがいい」
「朝から冷たいもの飲むとおまえ腹壊すだろ。我慢してお茶な」
「はーい」

 もともと答えは知ってたんだろう。素直な返事を聞きながら、湯のみを三人分並べて、急須に茶葉を入れた。それを持ってポットに向かおうとした時、いつの間にか背後に来ていたでかい図体が腰に厭味ったらしく長い腕を巻きつけ、首筋に鼻面を寄せてきたために足を止めざるをえなかった。

「……邪魔なんだけど」
「最近あまり暇がなかったからな」

 すりすりと首に頭を押し付けられ溜め息をつけば、今度は足にずしりとした重みが加わる。
 下へ目を向ければ、岳里の真似をしたりゅうが足にひっついていた。もう眠気は吹っ飛んでいるようで、その顔にはいつもの明るい笑顔が浮んでいる。

「ぼくも、ぼくも」

 ぎゅーする、と言っておれの足だけでなく傍らの岳里の足にまで、まだ短い腕を伸ばしてまとめてぎゅっと抱きしめる。
 そんな姿を見せられればつい絆されそうになってしまう。頭を撫でまわしたい気持ちを抑えて、とりあえず手にしていた急須を愛でたい気持ちと一緒に近場に置いた。

「だああ、重いっ。さっさと離れろ、飯食うんだから! 岳里、おまえ暇なら飯ぐらいよそえよ。りゅうもあんまりのんびりしてたら保育園遅れちまうだろ」

 りゅうには言葉だけを投げ、岳里に対しては押し付けてくる頬に手の平をめり込ませ離れさせようと力を込める。勿論それぐらいで岳里が離れるとも思ってないし、痛がらないと知ってのことだ。ぐりぐりと頬を押されて、いくら美形な岳里と言え直っていない寝癖も相まってなかなかにおかしな顔になっていた。
 ――が、声をかけたのに二人して離れようとしない。手を退かして岳里を睨むと、口は開かず首を横に振る。下のりゅうを見れば、相変わらず楽しそうに笑いながらも黙って首を振る。
 こうなれば奥の手だ。

「……おまえら、折角おれが作った飯が冷めてもいいんだ。ふうん、そっか。頑張って作ったのにな。あーあ、おいしいうちに食べてもらいたいのに。もうなんだかこれからも作っていく気がなく――」
「真司、茶」
「しんちゃん、茶!」

 全てを言い終えるまでもなく、言葉の途中でさっさと離れた二人は、それぞれ自分たちが妨害していたお茶を淹れることをおれに要求する。岳里は自分とりゅうとおれの茶碗を重ね手に持ち炊飯器のもとへ向かいながら、りゅうは席に座りながら手を挙げおれたちに笑顔を向けていた。
 最近のりゅうはよく岳里の真似をして、今も同じ言葉を使って楽しそうに足をぱたぱたとさせている。

「はいはい、今淹れるから待ってろ」

 いつもの日常。いつもの朝に。
 笑いかけてくれる二人に、つられておれも口元を綻ばした。

 おしまい

 

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おまけ
「真司、おかわり」
「しんちゃんおかわり!」
「はいはい……なんでおまえらってそんなに食うのに太らないんだか」
「知らん」
「しらん!」
「……ま、あんま食いすぎんなよ」
「無理だな」
「むり、だなっ」
「なんでだよ?」
「真司の飯がうまいから」
「しんちゃんの飯がうまいから!」
「……そうかよ」
「あ、しんちゃんがデレた! がっくん、あれが前に言ってたしんちゃんのデレだよね?」
「ああそうだ。真司はあまりデレ――」
「ばばば馬鹿かおまえ! りゅうに何教えてんだ!」
「あはは、しんちゃんお顔まっかー」
「ええいうるさいりゅう! さっさとご飯食べちまわないと送迎バス着ちゃうだろ、岳里も! まだ原稿終わってないんだからさっさと書いちまえ!」
「わかった」
「はーい!」

 

20120402