夜更かしの秘密



 以前は人間の背の倍はある巨人が住んでいた家は、その彼が不自由なく暮らせるように背の高い造りとなっている。玄関の扉も重厚で、まだ子供のテイルが見上げれば絶壁が目の前にあるように巨大に見えた。
 前に一度巨人用の扉を開けてみようと試みたことはあるが、全身に力を入れてもようやく少しずつ動かせる程度だった。この巨人用の家の主であるデクはそんな重たい扉もすいっと開けてしまえる。彼もまた巨人の血を半分ひいているので体格には恵まれており、そして力も強いからだ。その膂力は切ったばかりでまだ水気を含む生木を平然と肩に担げるほどであり、よくテイルも太く逞しい腕にぶら下がっては遊んでもらっていた。
 出会った当初は、周りの大人たちの誰よりも背が高くて、伸びた前髪に隠れた目は何を考えているか読めず鬱屈したような暗い雰囲気を纏った彼が怖かった。周りの大人たちもデクのことを遠目で見ていたのを知っていたし、巨人族のことをほとんど知らなかったからこそ、本気で食われてしまうかもと怯えた。でもそんなの杞憂だと鼻で笑い飛ばした兄のおかげで誤解は解けて、今では男としては憧れる逞しい肉体に見上げるほどの長躯、そして鋭い目つきとは違って実はおおらかで優しいデクが大好きだ。
 だからテイルは、暇ができたらよくデクの家に遊びに行く。今日は予定があったがそれが潰れてしまったので、デクのところに行くことを即決して家に来たのだ。
 自分では開けたら一苦労な扉を拳でこんこんと叩く。

「こんにちは! デク、開けて~」

 本当はともに暮らしていたデクの母のために人間用に軽く開けられる扉が巨人用の扉をくりぬくように開けられる二式の扉になっているので、日中デクがいるときは鍵が開いたままであるそこから家の中に飛び込むのは簡単だ。だがテイルは、デクに大きなほうの扉を開けてもらうのが好きだったから大人しく家主の訪れを待った。
 やや間を置き、ゆっくりと扉が開いていく。

「――ああ、テイルか」
「よ! 遊びに来ちゃった」

 片手を上げて笑顔を見せたテイルに、デクは軽く頷いただけですぐに部屋を招き入れてくれる。彼の表情の乏しさは承知の上なのでテイルは気にせず家に入れてもらった。

「歓迎するが、今はしずかに頼む」

 跳ねるように飛び込んだテイルに小さく苦笑しながら、そんなことを言うデクに珍しいと首を捻る。これまでも幾度となく遊びに来ているのに、そんな頼まれごとをしたのは初めてだった。
 大人しく従ったテイルのため椅子を机の椅子を引き出してくれながら、デクはいつもの穏やかで耳触りのよい低い声音で尋ねた。

「今日は友人と遊ぶんじゃなかったのか」
「なんか、家の用事ができちゃったんだって。そんで暇になったから来ちゃった」

 テイルの予定をデクに話していなかったが、昨日から泊りに来ているはずの兄のユールから話を聞いていたのだろう。ユールのことだからきっと、うるさいやつが来ないのは静かで助かるななどとも言ったはずだ。
 ユールはよくデクの家に来ては寛いでいて、そこにテイルが突撃することは少なくはない。時々うるさいやつだなとぼやかれるものの、なんやかんやと実は甘い兄は友人との時間に紛れこむ弟を邪険に扱う振りはしても追い返したことはない。デクもテイルを快く迎え入れてくれるので今日も考えなしに来てしまったが、今回ばかりは間が悪かっただろうか。

「デク……その、おれ邪魔? それなら帰るよ?」

 二人の優しさに甘えている自覚があったテイルは用意された椅子に座る前にしゅんと肩を落として、答えが出る前に踵返そうとした。それをデクが慌てて引き留める。

「いや、邪魔じゃない。ただ、まだユールがで寝ているんだ」

 本人はテイルを落ち込ませてしまったと激しく動揺しているが、なにせそれが表情に出ない鉄仮面のデクが打ち明けた内容にテイルは目を瞬かせた。
 そういわれてみれば、いつもは寛いでいるはずの兄の姿がなかったことにようやく気がつく。きょろきょろと室内を見渡しても、確かにいつもは我が家のようにふんぞり返っている兄の姿がどこにもなかった。

「寝てるって、もう昼飯も近いくらいなのに?」

 しっかり者の兄が珍しく寝坊しているとはにわかに信じられなかったが、デクは嘘を吐かない。
 いつも自分よりも早く起きては、さっさと起きろと布団を剥がしてくるようなユールがこんな時間まで起きてこないのは相当に珍しい。これまであったとしても、風邪をひいて寝込んでいる時くらいなものだったはずだ。

「えーっ、まじで! なんで? 体調とかわるいの?」
「そ、そう……じゃない……?」
「……なんで疑問系?」

 歯切れの悪い返事に釈然としないでいると、ふと横から物音がして二人は振り返る。

「るせーな……人ん家で騒いでんじゃねえよ」
「あっ、兄貴!」

 相変わらずの口の悪さを披露したのはユールだ。どうやらテイルの声で起き出してきたらしい。
 デクの言った通り先程まで眠っていたのだろう。寝間着姿のままで、柱に寄りかかり妙に気怠そうな様子が気になった。それに、声もやや掠れ気味である。

「声変だけど、風邪でもひいた?」
「おまえじゃあるまいし、腹なんか出して寝てねえから大丈夫だよ」
「お、おれだだって腹なんか出して寝てねーよ! ガキじゃあるまいしっ」
「図星つかれてムキになってる時点でガキ」

 ムキーッと膨れるテイルを尻目に、緩慢な足取りで机に歩み寄る。先だってデクが引いた椅子に腰かけると、それだけで疲れてしまったかのように小さく息を吐いていた。

「風邪じゃねえよ。ただ、寝起きなだけ。デク、悪いけど水くれ」
「ああ、待ってろ」
「……まあ、それならいいけどさ」

 素直に兄を心配していたとも言えず、ただ安堵をぽつりと口先で呟きながら兄と同じように席につく。ふっと笑われた気がしたが、聞こえない振りをした。
 台所からすぐに戻ってきたデクはテイルの分も合わせて水の入ったふたつの杯をそれぞれの前に置いた後、席にはつかずに部屋の奥から肩掛けを持ってくる。テイルも見慣れたそれはこの家でユールが持ち込んだものだ。
 布を開いてそっとユールに肩にかけてやる。

「おう、すまねえな」
「いや」

 喉が渇いていたのか、ユールはすぐに水に口をつけた。こくこくと一気に飲みすすめていき、やがて満足そうに一息ついていた。

「おかわりは?」
「ん……まだいいや」
「寒くはないか?」
「大丈夫だよ」

 もともと気を遣うデクではあるが、普段よりもユールに対する甲斐甲斐しいような気がする。それになんだか、いつもはつんけんしている兄の棘がなんだか丸いようにも思えた。ぼんやりしているというか、ふわふわしているというか……。
 目を閉じたらそのまま眠ってしまいそうな兄は体力を消耗していそうに見える。

「……なあ、本当に風邪じゃねーの?」
「違うっつってんだろ」

 さすがにしつこすぎたのか、それともいつもと変わらないという様子を見せたかったのかぎろりと睨まれてしまう。唸るような声は確かに普段の威力があり、弱っているというわけではなさそうだ。

「あ、じゃあ昨日はデクといっぱい夜更かししたんだろ!」
「い、いや、それは……」
「まーな」

 ユールに向けたはずの言葉で何故かデクが狼狽える。それも、珍しく動揺してるのがテイルでもわかるほどに瞳が揺れていた。
 デクの様子に首を傾げたテイルとは対照的に、ユールは満足げに片頬を上げて肯定する。
 普段から快活とは正反対のデクではあるが、それを置いても妙に歯切れの悪い様子に疑問を持ちつつもテイルは身を乗り出した。

「なら、兄貴がまた寝ていいからさ、その間デクと遊んでていい!?」
「だめだ」

 しかしすぐに返ってきた素気無い返答に、すぐに机に乗り出した身を戻しつつぷうと頬を膨らませた。

「なんでだよ、兄貴寝てるなら別にいいじゃん」
「なんでもだよ。今日一日はおれの世話係だから、こいつ。それにもう寝ないっての」
「えーっ、なんだよそれ!」
「昨日の夜更かしで決まったことなんだよ」

 世話係、という言葉はユールが現れてからのデクの行動を見ていて納得だ。飲み物を用意してくれるのはいつものことだが、言われる前に肩掛けまで用意してやるありさまなのだから。デクも否定するつもりはないようで、身の置き場がないようになにやら落ち着かないようにもじもじしているものの、世話係の任はまんざらでもなさそうだ。
 なら今日は遊べないのかと肩を落とす弟の姿を見て、ユールは肘をついた手に顎を乗せながらふっと笑った。

「まあ、家の中にいて、デクがおれの呼び出しにすぐ応えられるってんなら貸してやらなくもないけど?」
「えっ、それならカードは? おれ持ってきてるよ! 兄貴も一緒にやろうよ」
「ああ、いいんじゃねえの」
「デクもそれでいい?」
「ああ」

 ユールの隣に腰かけながら、デクも頬をわずかに緩ませながら頷いた。
 二人の気が変わらないうちに、さっそく持ってきた鞄からカードを取り出す。
 なんのゲームをしようかと頭の中で巡らせながらカードを切っていたテイルは、くわりと欠伸をした兄を見てふと二人に尋ねた。

「寝坊するくらい夜更かしして、なにやってたんだよ?」
「んー、秘密」
「えー! いいじゃんケチ!」
「兄に向ってケチとはなんだこら」
「いてて、暴力反対!」

 机越しに腕を伸ばしてきたユールに軽く頬を摘ままれ、手を止めたテイルは大袈裟に痛がる。
 しばし柔らかい子供の頬を堪能して満足したユールは手を放してやると、テイルはわざとらしく揉まれた頬をさすりながら恨めしい目を向けた。

「そんなに気になるんなら、おまえが勝ったら教えてやってもいいぜ、夜更かしの秘密」
「ほんと!?」

 表情を一変させて瞳を輝かせるテイルに頷いて見せたユールは、隣にいるデクに振り返る。

「というわけで、頑張ろうな?」

 声もなく内心で静かに驚いていたデクだったが、目を細めて微笑んだユールを見て鉄仮面を被ったまましばし固まり、やや時間を置いてゆっくりと頷く。
 その後意気揚々としていたテイルは、執念で連勝を続けたデクに勝つことを目標に熱を上げ、夢中になって遊びにのめりこでいく。
 そしていつのまにか夜更かしの秘密のことが頭からすり抜けた頃、テイルはついに念願の一勝を得たのだった。
 


 
 
 
 テイルが遊び疲れて眠ってしまったあと、身体を横にしてやり、その上からそれまでユールが羽織っていた肩掛けを腹にかけてやる。
 安らかな寝顔を眺めていた二人だが、やがてユールが口元を押さえて笑った。

「――くくっ、まさかおまえがイカサマするとはな」

 どうやら、ユールはしっかりと気づいていたようだ。
 それもそのはずで、手先が不器用なデクはイカサマをするのに向いているはずがない。やろうとも思ったことはなかったが、今回ばかりは事情がありなんとか気づかれず終わって心底ほっとしていた。相手がイカサマをされるなどと思いもしていないまだ子供だったから通用しただけのことである。その証拠にユールはすぐに気づいていたようだったが、面白がってあえて暴露はしないでいたようだ。

「し、知られるわけにはいかないだろう」
「夜更かしの秘密を?」
「……言えるわけがない」
「ま、言うつもりもなかったけどな。ところで、おまえみたいなのがどこであんなイカサマなんて覚えたんだ?」
「ああ、同僚たちが教えてくれて」

 正確にはデクがされて、カモにされただけだ。最後にはネタばらしをされて、なるほど確かにそういう駆け引きもあるのかと勝てない理由に純粋に感心してしまい、逆にそれまでデクをからかって面白がっていた同僚たちを反省させるという事態を引き起こした。その時のお詫びに彼らがデクを騙した手管を教えてくれたのだった。

「なんだ、結構仲良くやってんじゃん。今度おれも混ぜろよ」
「いや……」
「なんでだよ」
「……負けてばかりだから」

 ネタばらしをされて以降も同僚たちとは時折カードで遊んでいるのだが、イカサマされないもののどうにも駆け引きの苦手なデクの勝率はとても低いのだ。

「なら、なおさら見せてもらわねえとな」

 ユールには情けないところばかり見られているので、できればこれからはしっかりとした自分を見て欲しいと思う。しかし意地の悪い恋人は、どうにもデクの弱いところであっても見たがるので困ったものだ。

「安心しろよ、おまえがぼろ負けしようが敵はおれがとってやるから」

 皆に勝利して満足げな表情を浮かべる彼の姿を容易に思い浮べたデクは、また近いうちに情けない自分を見せることになるのだろうなと予感しつつ、愛らしい笑顔を見せるのであろうユールの未来の姿に微笑んだ。


 おしまい
 
2020.12.12