騎士×平凡の話

 
 
  水汲みのための桶をそれぞれ手と頭に持ち、一人と一匹は洗濯物を干していたトルクに振り返り軽く手を上げる。
 
「それじゃあ行ってきます」
 
 同じく、行ってくるねとでも言うように、青年の隣の真っ黒なかたまりもぷるぷる震える。
 
「おう、いってら。美女たちに捕まんないで真っ直ぐ帰ってこいよ」
「……見つからないことを祈ってて」
 
 苦笑しながらサティルトは真っ黒なグラモンを連れて水汲みに向かう。ぐねぐねとしていて柔らかいグラモンだが、意外なことに力持ちだ。サティルトが手に持つ水入れと同じものを、頭と判断していいのかよくわからないが身体の上に乗せて、落とさないようにぬるぬると動く。
 煌めく金髪を輝かせる長身の男とその膝元までしかない光をすべて吸収してしまうような真っ黒なかたまりの背を見送り、トルクも作業を再開した。
 美女とはこの村の主婦たちのことである。みな明るく、よく井戸の周りに集まっては世間話に盛り上がっているのだ。若い男を捕まえてはからかうのが彼女たちにとってひとつの遊びであるので、よくトルクも捕まってはもみくちゃに――もとい可愛がられているが、サティルトはそれ以上の扱いを受けている。
 精悍な顔つきで身体つきも厚みのある鍛えられたサティルトは、この村にやって来てまだ日が浅いはずだがすっかり彼女たちの女心を射止めてしまったのだ。勿論旦那も子供もいるので本気でどうのこうのと考えているものはいないが、きれいなものは正義だ、心の栄養だ、とこちらはトルク以上にもみくちゃにもてはやされるのだ。旅人も立ち寄るようでもなく、顔ぶれがあまり変わらない辺鄙な場所にあるこの村ではなおさらなのだろう。
 といえは朝のうちは彼女たちも家事に忙しないことがほとんどなので、この時間なら井戸端会議もなく顔を合せても挨拶程度で捕まることはないだろう。
 生真面目な男はいつも彼女たちに引き留められては律儀に対応している。そんな紳士的なところも村の男どもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと発言されるほどサティルトの評価は高く、単にからかわれるトルクとは別格の扱いを受けていた。なかなか帰してもらえないので、あまりにも時間がかかっているときはトルクも助けに行くようにはしているのだが、まあ女性のあしらいなどできない青二才が行ったところで彼女たちの勢いに圧倒されて、結果的には二人で捕まってしまうわけだが、一人よりは二人のほうが圧も分散されてなんとか耐えられるだろう。時には、手を合わせて贄となってもらうこともあるのだが。
 
「よしっ」
 
 最後に真っ白な敷布を干して区切りがつく。緩やかな風があり陽射しもよいので、この様子なら昼ごろには乾いているだろう。
 白い布に隠されていない空を見上げると、ふわふわと柔らかそうな雲が心地よさげに風に流されていた。あれに乗って昼寝ができたら最高だろうに、と思って、ふとあの日の朝も同じようなことを考えていたのを思い出す。
 一ヶ月ほど前、今日と同じように天気がよかった日のこと。あまりにも気持ちの良い日差しに、朝の仕事を早々に切り上げてグラモンと山に遊びに出たとき、いつもはトルクの後をついてくるばかりのグラモンが珍しくついてこいという素振りを見せた。素直に後を追った先でトルクは怪我を負ったサティルトを拾ったのだ。
 どうやら崖から落ちたらしく、服は破けて土ぼこりで汚れ、身体も素肌が晒されているところには細かい傷が見受けられた。落ちたときに頭を打ちつけたのか、動けず力尽きたのか判断つかなかったが、気を失っているようだった。
 体格のいい男を運んでやるにはトルクでは体格の差が大きくうまくできなかったので、上半身側をグラモンに乗せ、足をトルクが持ってやるという傍から見るとすこし間抜けた姿でトルクの家に運んだ。すぐに村で唯一の医者を呼んで彼を見せると、やはり頭を打ちつけていたらしく後頭部に大きなたんこぶができている他、全身が軽い打撲と右足をねんざしているがそれ以外は問題ないと診察された。しかし頭を打っているので容態が急変することもありえるため、何かあればすぐに報告するようにと指示し、他にも怪我の影響で熱が出る可能性があると言っていくつかの薬草を置いて帰って行った。
 その後、医者の言った通り熱を出した男だったが、トルクの献身的な看病の甲斐あってか二日後には目を覚ますことができた。
 印象的な青い瞳と目がトルクを捉えたときには安心したが、次の瞬間に彼は言った。
 
――ここはどこだ……あなたは……。
 
 当然と言えば当然だが、起き抜けで混乱しているようだった。ベッドの傍らに腰を下ろしていたトルクを見やり、そしてその隣のふるふる揺れるグラモンを目にして一気に覚醒したように跳ね起きた。しかし捻っている足が痛んだのか、寝込んでいた身体が重たかったかすぐに顔を顰めて倒れかけたところを慌ててトルクは支えながら、早口に状況を説明する。
 再び寝かしつけた彼は、考え込むように沈黙した後、ここはどこだ、と。あなたは誰かと、同じ言葉を繰り返した。そしてこう続けた。
 
――わたしは、誰だ?
 
 つまりは、記憶喪失の定番の台詞である。その言葉の通り、彼は自分の出自はおろか、名前すらも覚えていなかった。
 怪我も治りきっていなかったこともあり、トルクは彼を自分の家で保護することに決めて、彼もそれを受け入れた。名がないと不便だからと、肩につくほどにある輝く金髪と、発見した時に木漏れ日の中でまるで眠っているようにも見えた様子からちなみ、″木漏れ日”を意味するサティルトとトルクが仮名を与えた。
 それからサティルトはトルクに介抱されながらゆっくりと傷を癒し、七日ほど前からはすっかり調子を取り戻して今では重たい水汲みも難なくこなしている。一見すっとした細身にも見えるが、その下にはしなやかな筋肉がついているのを汗も拭いてやっていたトルクは知っている。寝込んでいたはずの彼は少々衰えたところでトルクよりもよほど力があり、水汲みもなんなくこなせるのだ。始めは病み上がりがそんなことやらなくていいと言っていたトルクであったが、自分がやるよりすいすい運ぶ姿を見ればまあ使ってやろうかくらいには思えたので、今ではすっかりサティルトとそしてお手伝いのグラドンの仕事である。
 実はグラモンも、二年ほど前にサティルトを見つけた山でトルクが発見した魔物だった。空間を切り取ったかのように真っ黒な身体だったため、そのまま″変なの”を意味するグラディモンからとって名付けた、こちらも単純な名前である。
 いつもの山の散歩道で、道にべちゃりと張り付いていたのを見つけたのが始まりだ。何かの液体が広がっているかの思いきや、それが動いたのには心底驚かされた。しかしあまりに力ない動きに死にかけだとすぐに気がついた。普段であれば魔物に関わることはよくないと可哀想ではあるがそのままにして離れていくのだが、それがトルクの腰に下がる水筒に反応するものだから、つい憐れみもあって最後の情けだと水を与えてやったのだ。
 それまでべっちゃりと投げつけられたように地面に伸びていた真っ黒なそれだったが、水を与えるなりみょんみょんと動きだし、掌ほどのかたまりになってトルクの後をついてくるようになった。
 ここらでは見たことがなく、村の誰も知らなかったが、魔物の一種であることには間違いない。しかし魔物といっても悪さをしなければたたの獣と同じであるし、その黒いかたまりは水しか欲しがらないこともあって、なんとなくトルクも面倒を見てやった。そのうちにすっかり家に居つき、今では村人たちにもグラちゃんと呼ばれるまでに受け入れられて馴染んでいる。身体も大きくなり、サティルトのような意識のない成人男性を運ぶのもできるほど力持ちのため、今ではすっかり頼りきりだ。
 サティルトがグラモンのことを気にしていたので、拾い者同士であることは教えてある。最初はやはり異様な黒の塊を警戒していたサティルトだったが、トルクや村人たちと接する様子を見て安堵したのか、今ではよく一緒にいるようだった。
 グラモンは荷物運びとしては頼もしい限りだが、手はないので井戸から水を汲むことができない。くみ上げは代わりに誰かがやってやらねばならず、最近はそれもサティルトが協力しているが、グラモンからすれば自分先輩にあたるので、色々と教えてやっている気になっているのかもしれない。ふるふるするだけで、長く一緒にいるが未だにグラモンの気持ちはよくわからないが。
 
「このまま二度寝しに行きてえなあ」
 
 心地よい天気につい一人ごちるが、そういうわけにもいかない。これから朝食の準備をして、サティルトにしっかりとした食事を食わせてやらねばならないからだ。
 これまでは一人だったし適当に済ませ、グラモンには水を与えていればよかったのでそれほど手間でもなかったが、今ではサティルトがいる。体力を回復させるため健康的な食事を用意してやりたい。だがもともと料理上手ではないので、作れるものはすでに一通り出してしまっているどころか三周くらいしている。そろそろ飽きたと思われるのではないだろうか。
 サティルトは文句を言える立場にないのだし、食べられるものを出してやるだけいいだろうし、サティルト本人から実際そう言われている。それに、トルクの出すものはなんでもおいしいとまで。向こうとしては世話になっているのだからと気を遣うのはわかるが、トルクのほうにあまり適当にはしたくない気持ちがあった。
 こんな誰ともわからない厄介者の面倒を見てくれてありがとう、とサティルトは言うが。実は、トルクは彼の正体を知っていた。
 本当の名までは知らない。しかし、彼は王国の騎士の一人である。それも、王の守護を担い、王の命でのみ動くとされる国王直轄部隊である精鋭ぞろいの近衛騎士団に所属する。
 あれはまだトルクが幼かった頃。五年前に亡くなった父がまだ存命中の頃だ。
 村の織物や近くで採れた薬草を時折王都まで売りに出るのだが、その時たまたま隣国の戦争に協力をするために国を離れていた王の凱旋にあたったのだ。
 のどかな村の様子に慣れていたトルクは、国の勝利に熱狂する人々の様子に気圧されながらも、父の肩に乗せてもらって大通りを悠雅に進む王を見て、その堂々たる様に瞳を輝かせた。彼に従う騎士たちも勇ましく胸を高鳴らせたものだが、その中でもひときわ目を引いたのが、騎士団のなかで一番年若く列の最後のほうで馬を進ませていた彼の姿だった。
 騎士とはその力量はもちろんのこと、特に王の傍にいる者は教養も重視され、そして見目の良さも多少考慮される要素となる。そのため必然的に美丈夫が多いのだが、まだ多少の幼さが垣間見える彼の横顔はひときわ輝いて見えた。陽の光の下で動くたびにきらきら輝く金の髪が幼いトルクの瞳には印象強かったのかもしれないので、言葉通り本当に単純に輝いていたのかもしれないが、とにかく彼を熱心に見つめたものだ。
 村への帰り道で、父に興奮気味に若い騎士の話をした。父は騎士さまがたくさんいたからよく覚えてないなあ、なんて言ったのを今でも覚えている。あんなにきらきら、一人だけ輝いていた騎士さまを覚えていないなんて、と驚かされたが、おまえだって王さまの顔わかんないだろうと指摘されてしまえば黙るしかない。
 だから、山で彼を見つけたときは心底驚いた。
 見かけたのは前に一度だけだし、あれから時を重ねて彼も成熟した男の香りを持ち、あの頃見せた年若く青そうな様子はすっかりなくなっていた。それでもすぐに、あの時の騎士であるとわかった。
 彼に記憶がないことにはまた驚かされたが、それを上回る衝撃はすぐにやってきた。
 本当は、彼は記憶など失っていなかったからだ。自分が何者であるのかも、本当はここがどこであるのかもしっかりと把握している上で記憶喪失を装ったようだった。
 それが知れたのは、彼が目覚めて翌日のことだ。
 男が少し目を離した隙にいなくなってしまった。まだ意識を取り戻して間もなく、足が治っていなければ熱も下がりきっていないはずの身体でどこに行ったというのか。無理してどこかに倒れていないか、それとも動けなくなって戻ってこれなくなっているのではないか。心配したトルクが探していると、グラモンが先に見つけたらしく案内をしてくれた。
 そこで、家の裏側の物陰で彼が話しているのを聞いてしまった。
 
――はい。油断して負傷してしまいましたが、例の村に辿り着きました。また折を見てご報告いたします。それでは。
 
 会話をする相手の姿も見えないが、ぼそぼそと声のような者だけ聞こえる。記憶がないのだ、と説明した不安げな声を出した自分の名も覚えていないはずの青年は、しっかりと様子で受け答えをしていた。
 どうやら遠方の相手と声でやりとりのできる魔導具を使用して、会話をしていたらしい。そんな便利な魔導具があると噂では聞いたことがあったが、実際に存在していたというのもここで初めて知ることになった。そして、彼は実際には記憶を失っていないことも、何らかの任務があってここにいることも理解した。
 こんな辺鄙な場所に王国の花形でもある近衛騎士団の一人がやってくるなどありえない。もしかしたらもう騎士ではなくなってしまったのでは、という推測も消えて、彼は間違いなく今でも騎士であるのも確定した。一般人が拝むことさえできない貴重な魔導具でも、近衛騎士という国の上層部に関わる者であるなら所持をしていても不思議ではない。
 何故、記憶喪失を装ったのか。何故この村を目指していたのか。なんの油断で精鋭部隊の一員である彼が崖から落ちるなどという失敗を犯してしまったのか。疑問は尽きないが、身分を隠したがっている相手を暴くつもりはない。そして怪我をしているのも、気を失うほどのことがあったのも本当のことだ。彼はトルクの家で目覚めて記憶がないと嘘を吐き、それを知っていながらトルクは彼を保護して、新たにサティルトという名を得てまで面倒を見ている。
 それは、この時間が刹那のものでしかないと知っているから。
 本当は、騎士たる輝かしい身分の者。任務で来ている以上、彼がここを去っていくのは決定事項だ。用事が済んだらすぐにでもトルクの前から消えて、こんな気軽に会話をするどころか、もう二度と会うこともないだろう。
 ならばせめてその時まで、憧れだった人と一緒にいたい。彼の中で少しでもここでの日々が楽しかったと思ってもらえるように。できることなら、時々ふと思い出してもらえるような、そんな少しばかり良かった記憶として心の隅に残してもらえるようにしたい。
 自然に囲まれるのどかな村は特別な事件もなく平穏そのものではあるが、日常の変化は少なく刺激もないので面白みには欠けるだろう。名所と呼ばれるような美しい景色を楽しむ場所もない。そんな中で食事までつまらないとなると、それだけ評価が下がってしまいそうで不安だった。
 自分が食に興味がなかったせいで適当にしていたが、サティルトのために村の主婦たちに美味しく健康的な食事の作り方を教えてもらっている。しかしどうにも付け焼刃ではうまくいかない。そこでみんなはおすそ分けしようか、とサティルトと関わる口実を虎視眈々と狙っているのだが、おいしいよと笑ってくれる彼の優しさをとられたくなくて、今はなんとか回避している。
 どうせ少ししかいないのだから、その間くらい憧れの騎士さまを独り占めしたい。彼を見つけたのはトルクなのだし、それくらいの役得はあっていいだろう。たとえそれがトルクの我儘でしかなくて、付き合わされるサティルトにとってはありがたくないことであっても、これくらいは許してほしい。
 残された日々はきっともう少ない。もしかした明日、それとも今日この後、足が治ったから出て行くよ、といつサティルトが言い出してもおかしくはない。
 
(……今日も一日のどかに、何事もなく終わりますように)
 
 いつも朝には、そうひっそりと祈る。そして夜、眠る前には、明日もまた、今日のような日でありますように、と心のなかで呟くのが、サティルトがやって来てからのトルクの習慣になっていた。
 グラモンがいて、そしてサティルトがいて。そんな寂しくもなく、優しく心地のよいあたたかな日がずっと続くといい。
 いつかの終わりを知るからこそ、そう願わずはいられなかった。
 
「――さて、働かないとな」
 
 そろそろサティルトたちも戻ってくることだろう。
 トルクも家の中に戻って準備をしようと振り返った時、風が吹いて視界の端で大きく布がはためくのが見えた。
 どうやらしっかりと止めていなかったらしい敷布が、するりと物干しのために張っていた布から風に煽られ落ちそうになる。折角洗ったのに落ちて汚れがつくのは困るし、何よりそれがサティルトが使っているものだったのでなおのこと慌てた。
 咄嗟に手を伸ばしたときに再び風が吹き、大きな敷布がばっとトルクに襲いかかった。
 
「わわっ」
「トルク!」
 
 視界が真っ白に染まり、混乱したトルクが均衡を崩しかけたところを誰かが腰を掴んで支えてくれる。
 布の波を掻き分け顔を出すと、そこには安堵した表情のサティルトがいた。
 
「吃驚した、トルクが転びそうになっていたから」
「わ、悪い。助かった」
 
 腰が掴まれたままで、顔が近い。トルクよりも背が高く肩幅も広いので、まるで抱きしめられているようにすっぽり腕の中に納まってしまい、必然的に距離も近くなる。思わず謝りながらも顔を逸らすと、その先でグラモンはぷるぷる震えていた。トルクを助ける役をとられたと思ったのか、それともサティルトによくやったとでも言いたいのか、はたまたまた不注意なと怒りたかったか。とりあえずこちらにもごめんとだけ謝っておく。
 その間にも離れない手に困惑して、ようやく前に顔を戻した。
 
「まったく、普段はしっかり者なのに、トルクは案外抜けているから目が離せないな」
「そ、そんなことない!」
 
 トルクは否定するが、視界に映るところまでずるりと移動したグラモンが、サティルトの意見を援護するようにぷるりと震える。
 
「この間、足元を通った栗鼠を避けようとして転んでお尻を打ったのは誰だった? あと、その前にはリンラの実をとろうとぴょんぴょん跳ねているうちに足を滑らせてそこでもお尻を痛めて……いつも尻餅ついてるね。お尻がぺたんこになてしまうんじゃないか?」
「別になったって構わないよ」
 
 あまり肉がつかない体質か、全体的に細いトルクの尻はすでにぺたんこな気もするが、平たくだって誰の迷惑になるわけでもない。
 絡まった敷布越しに腰を支えていた手がするりと尻を撫でた。
 
「ちょっ」
「ほら、やっぱり少し薄い」
 
 くしゃりと纏わりついた布の影響でそれほど触られたようには感じられなかったが、思わず驚きに肩を跳ねさせたトルクは、笑っている確信犯のサティルトを睨んだ。
 突き放すように胸を押すと、思いの外するりと身体が離れていく。
 改めて自分の絡みついていた洗濯物を干し直し振り返ると、目の前に赤い実が差し出された。
 それは、先程話題に上がったばかりのリンラの実だ。いつから手にしていたのか、サティルトは、はいと持っていたそれをトルクに手渡す。
 
「どうしたんだよ、これ」
「水汲みの手伝いをしたらもだったんだ。トルク、それが好きなんだろう?」
 
 なにせ尻餅をつくほど必死にとろうとしたんだから、と言われて、その通りのはずだが、お礼を言おうとしていたはずの口がむっと曲がってしまう。
 
「いつも美味しいご飯を作ってくれるから、そのお礼。生っている場所を聞いたから、今度はちゃんと自分でとってくるよ」
「ご機嫌とりのつもりかよ」
「トルクのご飯がおいしいのは本当だ。グラモンも食べられたらいいのにな」
 
 グラモンは応えるかのように黒い身体をふるふる揺らした。
 
「そいつは水しか摂らないからいいんだよ。誰かさんと違って楽なもんだ」
「そんなことないさ。むしろ水分ならなんでもいいわけではないみたいだし、井戸のものより山の湧水が好みみたいだから意外とグラモンのほうが手間がかかるかもな?」
 
 ふるふると揺れるのははたして同意なのか抗議なのか。付き合ってられるか、とトルクは早々に切り上げて家に向かい、その後をサティルトたちがついてくる。
 
 ――本当は、もっと素直になれればいいのに。
 
 リンラの実が好きなのは本当だったし、それをサティルトが覚えていたことも、自分が親切をして貰ったものを分け与えようとしてくれたのも嬉しかった。それなのに捻くれた反応をしてしまって、ありがとうとすらまだ言えていない。
 つい捻くれ口を叩いてしまう。もともとのそう素直な性分ではないが、彼に対してはつい意地を張ってしまうのだ。
 どうせいつかは帰る人。ずっと傍にいてくれるわけではない相手だからだろうか。寂しい未来を想像しては、調子に乗せるようなことを言ってもどうせ帰るんだろう、と無意識に責めてしまっているのかもしれない。
 サティルトは何も悪くない。わかっているのに、少しでもいい思い出を与えたいと心より願っているはずのことと、表面に出てくることがちぐはぐだ。いつもそれで自己嫌悪に陥り、せめてもう少し可愛げを見せないとと思うのに上手くできない。
 背後では、トルクはつれないな、とグラモンに語りかけている。そう言いながらも実に楽しげにしているサティルトに、顔を見せないトルクが気づくことはない。
 口がないばかりに二人の事情をそれぞれ知るグラモンだけが必死にぷるぷる震えて仲をとりもとうとするのだが、そうとも知らずトルクたちは微妙にすれ違う。
 やきもきする魔物の努力が報われることは、まだまだ先のことのようだ。
 
 

おしまい

 

戻る main

 

2020.10.17

騎士×平凡の他、向梶のほうで属性をお聞きして堅物×ツンデレとご指定いただいておりましたが、出来上がった後に堅物を真面目と覚え間違えていたことに気がつきました……。(そのため、説明文に堅物は入れませんでした)
堅物お尻撫でない……のですが、基本的には堅物な人物であるということで……すみません! ちょっと間違えちゃいましたが、楽しんでいただけると幸いです。

お題ありがとうございました!