※ 『セクハラでアウト判定を受ける106』の続き
曲がり角で壁にぴったり張り付き、紙コップに入った水を構えるナギを見つけた三月は、片眉を上げる。大和も同じく怪訝な顔をしつつナギに声をかけた。
「……おまえさん、こんなところでなにしてんだ?」
「十氏がもうじきここを通ると九条氏にききました。ハリコミです」
いつになくきりっとした顔つきは絵になるものの、三月は首を傾げる。
「なんで張り込みなんてする必要があるんだよ?」
「ワタシの名誉のためです」
「よくわかんねえけど……あんまり十さんに迷惑かけんなよ?」
「…………」
返事をしないナギに、もしやと思って三月が追及しようとしたところで、ナギはシッ、と人差し指を口に当てる。
「この足音はターゲットです。お静かに」
「……なんで足音で判断できるか聞かない方がいいか?」
「知らんぷりしてるってことは、聞いても答えないだろうなー……」
背後でぽそぽそ話す大和たちの会話は耳に届いているはずだが、ナギは曲がり角の向こうをじっと見つめたまま微動だにしない。
すぐそこまで足音が近付いてきたところで、影から飛び出したナギが思いきり転んだ。その際に、手にしていたコップから水が飛び出し宙に舞う。
それはぱしゃりと歩いていた龍之介の胸元にかかった。
「つめたっ!」
「十さん!」
突然のことにあがる龍之介の悲鳴に、大和と三月は顔を青くして駆け寄る。
「OH、ソーリ―、十氏。大丈夫ですか?」
水をかけた張本人は転びかけ前のめりになった体を戻し、涼やかな表情で謝罪する。微塵も申し訳なく思っていないことは、例えメンバーでなくても判断つくような潔さがあった。
「うちのナギがすみません!」
「すみません十さん……。ナギ、おまえ十さんにわざと水かけたな……」
「そんなことないですよ。偶然です」
「思いっきり準備してたじゃねえか! 見ろ、十さんびっしょりじゃねえか!」
ぺしりと叩かれ、痛いですミツキ! とナギは叫ぶが、三月の厳しい眼差しは緩みそうにない。
白いシャツを着ていた龍之介は、ナギがかけた水で布地が濡れて肌に張りついてしまっている。そのせいで肌が透けて見え、鍛えられた体のラインもよりはっきりと出ていた。
それで少しは恥じらいを出すのではないかと踏んでいたナギだったが、予想に反して龍之介は笑い声を上げた。
「あはは、今日は暑かったからちょうどよかったよ! それよりもナギくんは濡れてない?」
「……ええ」
「よかった」
自分が水をかけられたよりも、ナギの心配をする懐の広さに、三月と大和は感謝した。しかし、もっとも反省しなければならないナギは不服そうである。
その様子に頭を抱えつつ、ふと三月は龍之介の体を見て気がつく。
「……あれ、十さんまた体つくりました?」
「あ、わかるかな? やりすぎちゃって……衣装も少しきつくなって、天に怒られたよ」
いわゆる日本文化にもあるチラリズム的なもので服を透けさせてみたものの、そういえばTV番組内でさえ脱げと言われれば脱ごうとする男だ。もともと仕事柄脱ぐ機会も多く、それだけ鍛えられている体であれば見られても恥じ入る必要はないということなのだろう。
「あ、そうだ。スポンサーからミネラルウォーターをたくさん差し入れしてもらったんだけれど、ナギくんものむ? いるなら楽屋にあるから、着替えついでに持ってくるよ」
「いりません」
ナギが手にする空のコップを気にしてなのか、単なるお人好しであるのか、実は皮肉の意味なのか。どうにも判断が難しい龍之介の態度にナギは突き放すようにぴしゃり拒絶するが、どうにも伝わらないのか、龍之介はそれに気にすることなく、そっか、と言う。
龍之介からつんと顔をそらしたナギは三月に引っ張られ、壁際で大和と二人に詰め寄られた。
「こらナギ! いい加減にしろよ。せっかく十さんがフォローしてくれてんのにその態度はないだろ!」
「ワタシにとって不要な気遣いに感謝はいらないかと」
つんとするナギの様子に、ヤマトはにやりと笑った。
「さては先日のあれ、まだ根にもってんだろ」
「なんのことです?」
「ナギ尻鷲掴み事件のこと」
無言で凄み圧力を送るナギとそれを涼しい顔で受け止める大和、呆れる三月に、脇から龍之介が戸惑いながら声をかけた。
「あの、俺は大丈夫だから……」
「いーえ、こいつを甘やかしてもろくなことありませんから!」
勢い余って一歩踏み込んだ三月だが、床に零れていた水につるりと足を滑らせた。
「のわっ!」
「危ない!」
龍之介が手を伸ばし、三月が転ぶ前にその傾いた体を受け止める。おかげで床との激突は免れたものの、三月は自分の手が置かれた場所を見つめ、思わず揉んだ。
「みっ……三月くん! そこはちょっと……!」
「へ? ……わああっ! すみません十さんつい!」
自分が揉んだのが龍之介の股間だということに気がついた三月は、我に返って慌てて離れた。
わずかに頬を赤らめつつ、龍之介は恥ずかしそうにしながらも笑顔を見せる。
「だ、大丈夫……気にしないでくれ」
「ほんと、すみません……」
力なく謝罪した三月はふらふらとナギと大和のもとに戻った。
呆然と自分の手を見つめる三月に、大和はこそこそと声をかける。
「でかかったのか……?」
三月は無言で手をわきわきと動かす。その様子を見て、大和は頷き、三月の肩を抱いて宥めてやった。
そして理解しあった二人の視線がじっと向けられたナギは、その眼差しの意味を悟り、キッと龍之介を睨みつける。
「……アナタのせいですからね! あなたのそれがドラゴンすきるせいで……! また辱められるとは屈辱です!」
「ええっ? ご、ごめん!」
「こらナギ、仕掛けたのは自分のくせに八つ当たりすんな! 十さんのがドラゴンなのは仕方ないことだろ!」
「三月くん!?」
「そうだよ。十さん背も高いし、それでこれくらいなんかもいやだろ」
「大和くん!?」
真面目な顔をして、すっと人差し指を出した大和に、三月が深く頷き、龍之介を見るナギの視線がどんどん冷たいものになっていく。
「……ではワタシはこれで!」
この場から去るしか今受ける仕打ちから逃れる術はないと判断したナギは、彼らに背を向け歩き出す。
離れていくナギに龍之介は手を伸ばした。
「あっ、待ってナギく……うわっ」
濡れた床に今度は龍之介が足を取られる。
そして、腕を掴まれたナギもそれに巻き込まれ――
その後、騒ぎを聞きつけでやってきたマネージャーとともに、三月に背後から抱きつき子泣き爺のようになるナギを除き改めて龍之介に頭を下げたという。
「なあ、ナギっち。この間、局の廊下で龍アニキと――」
「タマキ、今日は王様プリンを奢ってあげましょう」
「マジで!? 何個まで?」
「食べきれる範囲を、望むだけ。ですからその話題は未来永劫誰にも話さないことを誓うのと、それをアナタに教えた軽率な愚者の名を言いなさい」
「ヤマさん」
「OK。タマキはいい子ですね。さっそく王様プリンを買いに行きましょうか」
「よっしゃー!」
おしまい
2018.6.28