青き宝玉の瞳に誓いを忘れず

 
九章の間にあった出来事。

本編に入れることができなかったエピソードですが、ご感想いただけたのが嬉しくてつい勢いで書かせていただきました。
先にアロゥ外伝(※NL)を読了いただくことをおすすめします。

※BL要素なし



 美味しいお菓子が手に入ったから真司に食べさせてやりたいとネルが言ったので、シュヴァルも息抜きがてらアロゥとともに茶会に同席させてもらうことにした。

 最近なにかと忙しく、真司たちとはゆっくり話もできずに気にかかっていたのものあるが、なにより産まれたばかりの彼らの子の姿をゆっくりと眺めたいという気持ちも強かったからだ。
 肝心のりゅうは岳里の頭の上で、髪を噛んではじゃれつき楽しそうにひとりで遊んでいるので、時折その愛らしい姿に目を向けながら真司たちと久しぶりに会話を楽しむ。
 相変わらず寡黙な岳里はほとんど口を閉じたまま、話題は様々移ろい、今では真司たちとこちらの世界のと違いについて話していた。
 こちらの世界と違い男女比に大差のない真司の世界は、男女の恋愛は自由に行われている。そして結婚した夫婦の間に生まれた子供は親のもとで育てられることが一般的なのだという。育て方は様々だというが、真司は実の両親のもとで兄とともにのびのびと自由に育ったようだ。
 真司の両親は恋愛結婚だったという。板前という料理人であった真司の父の働く店を、真司の母が気に入り通い出したのがきっかけだそうだ。なんでも母からの押せ押せな求愛だったらしいが、それでも二人の子である真司が見ていて呆れるほど彼らは仲がよかったそうだ。
 真司の両親は悲しい事故により若くして世を去ることになってしまったが、父と母の思い出はしっかりと真司の胸に大切な思い出として刻まれている。身内のことを語るのはちょっと恥ずかしいな、とはにかみつつも、大切な宝物が仕舞われた箱を開くように、両親との思い出を楽しげにいくつも教えてくれた。
 岳里は祖父と兄にこの世界で育てられていたそうだ。そして真司に引き寄せられて世界を渡った後は、岳里夫妻という子供がいない夫婦に引き取られたのだという。ともに教師をしていたという穏やかな夫婦は、岳里が真司と悟史の次に会話を交わした相手だった。
 夕食後に散歩に出ていた夫婦は、まだ幼い岳里が夜中の公園に一人でいることに気がつき保護をして、警察に連絡をしたそうだ。その後どうにも岳里のことが気にかかり、警察に引き渡してからどうなったか調べたところ、彼を探す家族が見つからず児童養護施設の預かりになったことを知った。別の世界から来たのだから肉親が傍にいなくて当然のことなのだが、そんな事情など知る由もない岳里夫妻は自分たちが見つけた子供は親に捨てられてしまったのだと思ったようだ。
 当時二人は長いこと子供ができず悩んでおり、養子をとることも検討していたため、これも何かの縁だと岳里を引き留とることを決めたらしい。
 初めから子供らしからぬ落ち着きがあり、感情の起伏も薄くあまり笑わない岳里のことを相当な苦労があったに違いないと、そしてこれもひとつの個性なのだと二人は岳里のことを受け止めた。そして真司たちのように血の繋がりはなくとも、実の子供のようにかわいがってくれたのだという。
 大雑把な母が中心となった明るい真司たちの両親とは異なり、岳里夫妻はそれぞれが一歩後ろに控えているような物静かな人たちだったという。二人はお見合い結婚だったそうだが、それでも互いに尊重し合い穏やかに微笑み合う姿は岳里の目から見ても似合いの夫婦だという。

「王さまは、ご自身の両親がどんな人が知っているんですか? この世界じゃおれたちのところみたく、親と一緒に住むわけじゃないんですよね」

 このルカ国では女たちの園、バノン・ラーゲにて子は産まれ、ある程度になるまでそこでまとめて育てられる。母の乳が必要な乳児期を過ぎれば自分の母に会うこともなくなり、同じ時期に生まれた者同士が兄弟のようにして成長していきやがては外に出るという話を真司もどこかで聞いていたのだろう。
 シュヴァルが真司たちの世界に惹かれるように、真司もまた自分の常識とは違うこちらの世界に興味があるらしく、その瞳は新しい知識を得られること喜ぶ時のネルのように生き生きとしていた。 

「両親、か……これまで考えてたことはなかったが、わたしの両親はどのような人たちなのだろう」

 ぼやきのようになったその言葉が、真司の問いに対する答えだった。
 真司の世界の親というものとは違い、シュヴァルの両親となった男女はきっと恋愛で結ばれるようなことも、添い遂げる誓いをすることもなかっただろう。ただ義務的な行為の末に自分が生まれたのだということは予想がつくが、そこに愛も希望もなかったとしてもそれがこの世界の常であるだけで、親となった二人の人となりを決めるものではない。
 シュヴァルは初めて両親について興味を持った。しかし想像しても、やはり自分の中で父と母というものは縁遠いからかふんわりとした人物像を空想することすらできない。真司たちから聞かされた両親の姿は、このディザイアとではあまりにかけ離れた存在であるから参考になるものではないし、これまであまり興味も持たずに考えてこなかったせいもあるだろう。
 父と母。その二つの言葉を胸の内で繰り返しているうちに、ふとこれまで思い出したこともなかった記憶が蘇る。

(……ああ、そういえばアロゥはわたしの母を知っているのだったか)

 あれはまだ、シュヴァルが王になる前のこと。五歳ぐらい頃だったろうか。
 その時に一度だけ、シュヴァルはアロゥから言われた言葉がある。
 あなたの瞳は、母親によく似ております――と。シュヴァルの青い瞳を覗き込み、盗賊王さえも欲しがった宝玉の瞳のような美しさだったと、彼女もシュヴァルとよく似た青い大きな瞳をしていたと言ったのだ。
 どうやらアロゥはシュヴァルの母を知っていたらしい。それ以上語ることはなくすぐに話題は別に移り、その後アロゥはシュヴァルの母について話すことはおろか、瞳について言及することも一度もなかった。
 母とは、自分を産んだ人。ただそれだけで、アロゥに母のことをあの時に持ち出されても、そうなのかとしか思わなかった。――ただ一度だけ、話を聞いたすぐ後にふと鏡を見て、これが母から継いだ瞳なのか、と感じたがそれで終わりだった。

「そういえば、アロゥさんと王さまはなんだか似ていますよね。雰囲気なのかな……」

 長椅子にネルと並ぶシュヴァルとは別にある、一人がけの椅子に座り香茶を味わっていたアロゥは、ゆっくりと瞬いて真司の言葉に目尻の皺を深くした。

「それはそれは……実はわたしも昔は銀髪だったのだよ。今はこの通りすっかりくすんで灰色になってしまって、輝かしい王の御髪と比べると貧相ではあるが、そのおかげで似ているように見えるのかもしれないな」
「アロゥさん銀髪だったんだ! 見たかったなあ。こっちの世界にも写真があればよかったのに」
「若かりしアロゥか、それはわたしもぜひ見たいものだ」
「なに、今とそう変わりません。魔術の研究に明け暮れて引きこもってばかりだったもので、ヴァルヴァラゲーゼ王には、おまえは枯れ枝のようでぽっきり折れてしまわないか不安だとよく嘆かれたものです」

 真司たちの世界には、目に映った風景をそのまま切り取り紙に映しだす道具があるのだという。アロゥもシュヴァルと同じ銀の髪の持ち主であったということは知っていたが、もしこの世界にもかめらという便利な道具があれば、たとえ本人は枝のように頼りなかったと謙遜しようとも真実を知ることができただろう。
 銀の髪で、今よりも若い姿をするアロゥであればなおのことシュヴァルと似ていたのかもしれない。そう思うと、やはり過去のアロゥを見れないことは少し惜しいと思ってしまう。

「でも本当に……アロゥさんは相談役で王さまも頼りにしていますし、似ているし、なんだか二人は親子みたいですね」
「親子――アロゥがわたしの父か」

 何気ない真司の台詞を自分でも言葉にしてみると、不思議としっくりときた。これまで漠然にも思い描くことのできなかった父の姿がアロゥの形をとり、すっと心に馴染む。するとその隣に、ぼんやりとではあるが小柄で大きな青い瞳をした女性までもが浮かんできた。

「もし、アロゥがわたしの父であったなら……それほど誇らしいことはないな。アロゥはわたしの自慢であり、頼りになるかけがえのない存在。……いや、血は繋がっておらずとも、岳里と両親のような関係もある。ならばアロゥはもはやわたしの父も同然だな」
「……そんな、わたしが陛下の父など……」

 いつもおおらかに笑って大抵のことを流してしまえるアロゥの珍しく力ない笑みに、思わずシュヴァルの眉が下がる。

「わたしが息子では不足か?」

 産まれながらの王としての責を抱えたシュヴァルにとって、アロゥがいてくれたことがどれほど支えになったか、いくら言葉を尽くしたところで足りることはない。それほどまでに彼に感謝して、そして常に寄り添い、導いてくれた彼を心より尊敬していた。
 しかしアロゥからすれば、シュヴァルのことは産声を上げたばかりの赤子の頃から知っている。今でこそ歳をとって落ち着いているが、幼い頃はよく城を脱走してはアロゥを困らせていた。やんちゃをしたりちょっとした悪さをしていたりした時期を知られているし、反抗的な態度をとっていたこともないわけではない。そんな王としての自覚に欠けていた自分も知られているからこそ、今はそれなりに責務をまっとうしているとしても、彼の中の自分の評価がどうあるのかは判断がつかなかった。一度つけてしまった傷は深いほどにそう簡単には治りきることがないのと同じだ。
 もしシュヴァルが、自分自身のような子を抱えていたとするなら……いささか頼りなく思えてしまうかもしれない。それがアロゥほどの人格者であればなおさらだろう。少なくとも今も昔と変わらずアロゥに頼りきっていることに違いない。
 アロゥはそんなシュヴァルの抱えた不安を和らげるよう、優しく微笑む。それは、シュヴァルの母を語った時に浮かべたものによく似ていた。

「とんでもございません。陛下の父であればそれほど名誉なことはないでしょう。もし……もし本当の父君がここにいらしたのなら、天よりあなたさまを授かれたことを心より感謝し、そして人として、王として、立派にご成長なされたことをなにより喜ばれたことでしょう。陛下の存在こそが、父の誇りにございます」

 きっぱりと言い切られた言葉に世辞はない。王としての在り方を違えていないか教えるため、常に客観的に自分の立場を見られるようにシュヴァルに対する評価に決して嘘はつかない、と言ったことのあるアロゥの言葉を素直に信じたシュヴァルは、意図せず口元が緩んだ。

「アロゥにそこまで褒められると悪い気はしないな。本当に父からの言葉をもらったようだ」
「わたしは代弁させてもらっただけのことです。このアロゥも感じるのですから、きっと陛下の父君もそのように思われていることでしょうとも」

 アロゥは穏やかではあるが、実のところあまり褒めることはない。人良さげに微笑みながらも容赦なく間違いを指摘し道を正すだけでの、そんな見た目よりも手厳しくもある尊敬する男から珍しく重ねられた称賛に、真司たちの前だとわかっていてもますます口元が綻んでいく。
 結局のところ、顔も知らない実父にどう思われるよりも、アロゥがシュヴァルに対してそう感じているということを知れたことがなにより嬉しかった。
 目も開かないうちからの仲だからか、それとも頼れる師であるから、ずっとともに歩んできた仲間だからなのか。アロゥの前ではどうも幼子のように感情が出やすくなってしかたない。
 シュヴァルが緩まった自身の口元に気がつき慌てて引き締めた頃、りゅうが岳里の頭に乗ったままこくりこくりとし始める。りゅうが完全に岳里の頭の上で眠ってしまった頃合いに、一同は解散することにした。
 真司たちの退室とともにアロゥも用があるといってどこかへ行ってしまい、残されたシュヴァルとネルはしばし二人で楽しかった真司たちとの会話の余韻を味わう。
 かつて真司の家に飼い猫のルナとして暮らしていた頃、世話になった真司の両親を思い出して、仲睦まじかった夫婦の様子を語ってくれていたネルが、ふと口を閉ざした。
 悩むような素振りを見せつつ、そっと隣のシュヴァルを見上げる。

「シュヴァルぅ、おまえが本気で調べればよう、親のことなんですぐにわかるだあろ?」
「そうだな」
「……調べんのかあ?」

 話題にあがった親のことについて、ネルなりに気にしていたのかもしれない。
 シュヴァルのみならず、全ての国民において自身の血の繋がりを調べることの権利がある。申請さえすればすみやかに情報は開示され、誰が自分の親か、誰が兄弟がどれだけいるか知ることができるのだ。
 知ろうと行動さえすれば、シュヴァルも血の繋がりのある両親を調べ出すことは容易にできた。
 しかしシュヴァルは首を振る。

「いや。わたしは今のままでも十分満足している。父のように尊敬できる存在がいる、ならばそれでいい」
「……それもそうだなあ」

 今までも知ろうとさえしなかったように、これからの自分には必要のないことだ。真司たちの世界ならいざ知らず、このディザイアにおいてはそれでも成り立つので問題もない。
 たとえ実父を知ったとしてもすでに互いに別の道を歩んでいる。ならばそれでいい。もし実父が会いにくるなら歓迎はするが、これまで姿を現すこともなかったのだから、相手もシュヴァルと同じくさほど血の繋がりに興味はなかったのだろう。
 シュヴァルの返事を聞いたネルは、思い出したようにぱんっと手を叩いた。

「真司たちの世界にはよう、親孝行って言葉があんだあよ。シュヴァルもたまにはよう、アロゥになんか孝行してやらねえかあ?」
「それはいいな」
「定番は肩もみだあな! とんとん肩を叩いてやるんだあよ!」

 前世で真司たちの飼い猫であったネルは異世界の記憶がある。ただそのほとんどは人と離れた野良で暮らしていて、病を持っていたがために真司たちに保護されていた期間もさほど長くはなく、人の知識というのは偏ったものになっていた。
 幼い真司が父の肩を叩いてあげていたことを思い出したネルは、得意げに”肩たたたき券”のことも教えてやる。何故か”た”がひとつ多いが、真司がそう書いていたのだ。真司の父はあえてそれを指摘しなかったので、ネルはそういうものなのだと思い込んでいたのだが、二人はそうとは知らず着々と計画を立てていく。

 後日、アロゥに肩もみをしてやるシュヴァルとネルの姿があったとか。


 おしまい

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部屋を後にしたアロゥは自室に戻り、ルーフィア(妻)との思い出の本の表紙を撫でて少し涙ぐんでいることと思います。